(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書/時事 『北方領土問題』

2013-02-23 | 時評
読書/時事 『北方領土問題』 4でも0でも、2でもなく
        (岩下明裕 中公新書)


 今月20日の夜、森元総理が安倍首相の特使としてロシアを訪問し、プーチン大統領と会談を行った。プーチンは、”日ロ間に平和条約がないのは異常事態だ”と述べ、領土問題を進展させようとの意欲をみせた。日露両国の首脳が膝詰めで会談し、領土問題を話し合う機会は、これまでほとんどなかった。ぜひこの機会をとらえて、長年の懸案を解決に導いて欲しい。単純に領土を取り戻す、というような狭い視野での交渉ではなく、地政学的なグランドデザインを描き、どうしたらアジアでの安全保障を確保しうるのか、と言う大きな視点での解決を望みたい。今日の報道では、海底電線ケーブルを敷設して、電力をロシアから輸入する構想が報じられた。中東からの原油の依存度を下げる一つの有力な手段だ。

 そんな時、7年ほど前に読んだ『北方領土問題』という本のことが頭に浮かんだ。この本は、当時北海道大学スラブ研究センターの教授であった岩下氏が、これまでの本とはまったく違う新しい視点で二国間の領土交渉を振り返えり、考察し、そして解決策を模索した労作である。私は、この書を読み終わって大きな衝撃を受けた。その指し示すところは、今日なお価値を失っていないと思うので、改めてご紹介する次第である。政治家でもなく、直接的な北方領土問題の関係者でもない著者が、客観的な目で見つめた「北方領土問題」の深い考察である。

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 1980年代後半、「北方領土問題」に関して激しい議論が巻き起こった。きっかけは、1986年末の東大和田教授と東京外大中嶋教授の発表した二つの論文である。

 ”二人の問題提起に共通しているのは、政府が方針として掲げる四島返還に対する疑問の提出であった。

 中嶋の提起は「ソ連はけしからん」と言い続け、領土が帰って来ないほうが いいのか、敗戦を直視した上でよりよい道を選択した方がいいのか、の岐路にあるという現実的なセンスから行なわれたのに対し、和田のそれはより踏み込み、歴史的経緯から見て二島引渡しで折り合うのが妥当とするものであった。・・”

 ”論点の中で強く私の印象に残ったのは、エトロフ島とクナシリ島は、日本 が1951 年のサンフランシスコ平和条約で放棄を宣言した「千島列島」ではないとする立論に対する和田の強い疑義申し立てであった。・・・”

 ”だがこのような立論を正面から掲げた和田は、当時孤立無援であった。和田のような 主張は、日本の官民が一丸となって繰り広げるべき「四島返還運動 」に対する背信行 為ときびしく論難された。”

 この論争は日ソ外交研究を志しはじめたばかりの著者にとっておおいなる刺激となった。同時に日ソ関係とくに「領土問題」を客観的かつ学問的に分析し、議論することの難しさをも痛感した。政治の影のつきまとう日ソ関係を 自らの研究対象にしたくないとと思った。その流れの中で目にとまったのが 、中国であった。そして自分が専門とする中ロの国境問題との比較から「「 北方領土問題」を論じることにした。そして「北方領土問題」について、 きちんと自分の意見を述べることにした。

 岩下は、2004年春「「北方領土問題対策協会」の研究会委員に招請され問題の解決に向けて具体的な道筋を示すことの緊急性を強く認識するに至った。

 ”2004年秋には、中国とロシアの国境問題が完全に解決したとのニュースが届き、中国とロシアの解決方式が果たして「北方領土問題」に適用で きるかどうか、真剣に提起する責任が生じた”

 著者のスタンスは、きわめて明瞭だ。「「北方領土問題」を次世代の解決に委ねよう、という声には真っ向から反対している。

 ”これまでの交渉成果に実り乏しく、解決への展望が見出せないからと言って、その難題を先送りしようとするのはあまりに無責任だ。環境、財政など多くのツケが次の世代に回っている。外交まで、そうしようというのか。・・私は、この問題解決を次の世代には委ねたくはない。”

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 (ながいイントロでした。申し訳ございません。これから本論に入ります)

 序章「「「北方領土問題」とはなにか」では、これまでの折衝の経緯が語られる。その中で、中ロ国境問題との接点という一文があって、目をひく箇所がある。

 ”しかし、中ロが最終決着に用いたフィフティ・フィフティのも法的根拠は、全く欠けている。どうしてそこに国境線が引かれたかは、政治的妥協と現実的利益に基づいたとしか説明できない。要するに、政治的妥協によって「 領土問題」を解決しうるという先例が生まれたのである。”


 この中ロ国境問題解決の事例を詳しく検討し、それを通じて「「北方領土問題」の動かし方を考えて見たい、というのが本書の中核をなす著者の試みだ。

 第1部1~4章は、中ソ国境問題がいかに解決されたか、について詳しく分析している。本書の一つの中核とも言える部分ではあるが、ここでは省く。

 第2部「日ロ国境問題をいかに動かすか」は、本書の白眉だ。第5章でつぎのようなことを言っている。

 ”フィフティ・フィフティによる政治的妥協に基いて国境問題を解決するという中ロの判 断が、日ロの交渉に新しい光を与えている。それは二島プラスαのαにあたる択捉と国 後を政治的判断により分け合うという可能性であ る。もちろん、そのためには、ロシア も日本も双方が一歩ずつ踏み出さねばならない。専門家たちのなかにもそれを後押しする機運が生まれ始めた。”

 第6章「中ロのやりかたをどう適用するか」では、まず”ハードルを下げよう”と提案する。日ロ交渉の前に立ちはだかるハードルとはなにか。それは双方の互いへの要求の高さだ

 ”日本による四島返還はロシアにとってゼロ回答を意味する。これを受け入れることは、ロシアにとっては、内外に説明のしようがない「敗北」である 。・・対照的に、ロシアによる二島引渡しの案は、必ずしも日本にとってゼロ回答ではない・・・ とはいえ今さらの二島返還による最終決着は日本の面子を損なう。二島返還を日本が勝利として説明するのも難しい。この両者にとって、ともに高いこのハードルをどのように下げうるか、ここで中ロ交渉の教訓が生きるはずだ。”

 ”では中ロのやりかたを日ロに適用した場合のシミュレーションをやってみ よう。そ の柱は、
 
 (1)段階交渉方式の採用
 (2)最終段階での大胆な政治的妥協(フィフティ・フィフティ)
 (3)解決をスムーズにするための「共同利用」

 である。”これを一つひとつ検討し、その対象は軍事的問題、海のフィフティ・フィフティ、国境地域住民の声にまで及ぶ。

 第7章では、四島返還の早期実現が容易ではないと率直にみとめるところから再出発すべき、だと訴える。

 ”だが惰性によって「思考停止」に陥り、これまでの方針を念仏のように繰り返すこと だけはもうやめよう・・・”

 ”(長谷川の研究が一貫して示唆しているのは)ソ連・ロシアが四島引渡しに踏み込む 難しさと日本が四島返還に固執するあまり、何度かの機会を失ったという事実である。

 あれから五十年。ふたたび溝は少しずつ埋まりつつある。ロシアは二島引渡しの立場まで回帰した。日本でも二島返還プラス継続交渉を許容しうる声が強まりつつある。忘れてあいけない点は、この「プラス継続交渉」の可能性を残したのが1950年代の鳩山・河野の闘いであったということである”

 終章では、最後に日ロ双方が”フィフティ・フィフティの歯車を首尾よく「互いの勝利(ウイン・ウイン)に回すことで、突破口を開きうる”として、未来に向けてのフィフティ・フィフティを語る。

 ”未来へ向けてのフィフティ・フィフティ。この新たな国境問題の解決法は、そのまま のかたちでは決して踏襲できないが、韓国、中国との関係にも適用できる。これは同時 に東アジア諸国との過去の完全なる清算に向けた大きな前進となりうる。「互いの勝利を目指す」。日本を取り巻く国境問題をすべて解決したとき、日本は新たな国のかたちを確定し、過去からも自由となりうる。”


 アメリカでも少なくなった「Investigative Journalism」(調査報道)の本流をゆくような側面をもった好著である。2000年3月に出された『勝負の分かれ目ーメディアの生き残りに賭けた男たちの物語』(下山進)を思い出す。





コメント (2)
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