(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書 『生きて愛するために』

2013-02-09 | 時評
読書 『生きて愛するために』
        (辻邦生 メタローグ)

 春の兆しを探しに、近くの梅林へ行きました。まだ少しですが、蕾が開きはじめていました。白梅があちこちにあり、草田男の句が浮かんできました。

  ”勇気こそ地の塩なれや梅真白”

白梅といえば、万葉集のなかにある紀少鹿女郎(きのとしかのいらつめ)の歌を思い出します。ういういしい万葉の乙女の姿を想像します。

  ”ひさかたの 月夜を清み 梅の花 心開けて わが思へる君”

 さて今日は、辻邦生のことについて少し語ります。

 辻邦生の作品については、大作は『西行花伝』や「背教者ユリアヌス』、エッセー集は『微光の道』。旅行記は『美しい夏の行くへ イタリア・シチリアの旅』、そして往復書簡については水村早苗と交わした『手紙、栞を添えて』などなど、いろいろな作品を読んできました。しかし、ここで取り上げた『生きて愛するために』は、かなり趣が違います。1994年の夏に病を得た辻は、しばらく筆を折っていました。そんな時に、自由なテーマの執筆依頼が日経新聞からあり、その日曜版「こころ」欄のカットを担当している画家の小泉淳作から、”一緒に仕事をしてみませんか”と誘われたのが契機だったのです。辻は、かつて病で死にかけたこともあり、生きることのありがたさを人一倍強く感じるようになっていたのです。しかし小説の執筆が次第に多くなって、いつかそれを忘れていることがあった。そこで、とにかく生きることの素晴らしさを、もう一度、じっくり眺めてゆくのを基本テーマにしようと思ったそうです。

そんな背景下で書かれたエッセー短編集であり、一編一編が味わい深い。ひとつひとつが数頁という掌編のようなものである。もう20年近く前の本ですが、この本を手にいれることができたら、あなたは幸せなひとです。

 その全貌をとりあげるのは控え、そのなかでも私がとくに心惹かれた「願はくば花の下にて」の中のある部分をあえてフルテクストでご紹介します。

      ~~~~~~~~~~~~~~~~

 ”われわれは日常生活の中であくせくと生きているが、心の目を澄ますと、こうした花盛りのなかにいるのが見えてくる。実は、この世にいるだけで、われわれは美しいもの、香しいものに恵まれているのだ。何ひとつそこに付け加えるものはない。すべては満たされているーそう思うと、急に、時計の音がゆっくり聞こえてくる。万事がゆったりと動きはじめる。なにか幸せな充実感が心の奥のほうから湧き上がってくる。

 もう自分のことをくよくよ考えない。すべてが与えられているのだから、物質的にがつがつする必要はない。この世に太陽もある。月もある。魂の仲 間のような星もある。信じられないようなよきものに満たされている。雲がある。風がある。夏がきて、秋がくる。友達がいる。よき妻や子がいる。たのもしい男がいる。優しい女がいる。うまい酒だってあるではないか。

 われわれの胸に時々そんな充実した静かな幸福感が満ちてくることがある”

      ~~~~~~~~~~~~~~~~

 ベランダの丸テーブルの前に座って、ウイスキーの水割りのグラスを手にしながら、西の方に沈みゆく夕日を眺める。アイポッドからは、アンドレ・ギャニオンのピアニスティックな旋律が流れてくる。たまには、好きな詩歌を口ずさむ。ささやかながら至福の一瞬である。


   ”障りなく 水の如くに 喉を越す
     酒にも似たる わが歌もがな”ー坂口謹一郎







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする