りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その48-① 草津駅~

2022-11-25 07:44:39 | 日記
前日、閉館後で立ち寄れなかった草津宿本陣へ向かいます。
 
「JR草津駅」で朝食。
 
😅 朝からカレーうどん・・・食べ過ぎ。
 
草津駅東口には草津宿本陣をモチーフにした門があります。
 
駅前の「うばがもちや エルティ店」でうばがもちを購入しました。
 
旧東海道と中山道の追分に戻って来ました。
草津市民センター前のオブジェ 鈴木典明作「時の旅人」
😀 2 大街道が合流するこの場所で、多くの人々が往来し、すれ違ったことでしょう。そしてそれは、過去、現在、未来へと交差して行く…自分自身がその一人であると想うと嬉しくなります。素敵な作品です。
 
向かいには「草津宿本陣」
😀 「田中七左衛門本陣」は、現存する本陣では最大級で、国の史跡に指定されています。
 
かつて草津宿には「田中七左衛門家」と「田中九蔵家」・・・2軒の本陣がありました。2軒とも「田中」本陣なので、宿泊先の間違いもあったそうです。
 
表門を入ると・・・
 
左に番所、正面に「式台付きの玄関」があります。
本陣の主人は裃(かみしも)を着用し、この場所で大名を出迎えました。
右側は住居、左側は宿泊者のための座敷になっています。
 
「玄関広間」には、関札(本陣に宿泊する大名や公家の名前を書いて掲げる木の札)が並んでいました。草津宿本陣には木製関札約460枚、紙製関札約2900 枚の関札が残されているそうです。
 
赤穂浪士討ち入りの原因となる「殿中、刃傷事件」の1年前、1699年(元禄12年)7月4日に浅野内匠頭一行21人が、7 月13日には吉良上野介 一行7 人が宿泊しているそうです。この時は、まさか3年後に討ち入りする側、される側になるとは思いもしなかったことでしょう。
また1865年(慶応元年)5月には、新選組(土方歳三 、斎藤一、藤堂平助 、伊東甲子太郎 と28人の隊士)も宿泊しています。
 
中央には長い「畳廊下」があり、両側には広間が続きます。
 
「田中七左衛門本陣」は、建坪468坪、部屋数30室以上、268畳を有していました。
 
部屋の最も奥には、主客が利用する「上段の間」
😀 徳川慶喜、明治天皇、松平容保(会津藩主)が宿泊し、皇女和宮も徳川家茂に降嫁する途中、昼食のために立ち寄りました。
 
皇女和宮の「昼御膳」
 
上段の間の東対面にある「向上段の間」
😀 上段に次いで格式の高い部屋です。
 
主客専用の「湯殿」
😀 湯舟には屋外で沸かした湯を運び入れました。湯舟が部屋の中央にあるのは、入浴中に外から攻撃されないようにするためです。
 
「庭園」
 
広い「台所土間」
 
隣接した「楽座館」では田中家拝領の品々が展示されていました。
 
かつて天井川(旧草津川)だった「草津川跡地公園」を散策
 
 
 
 
天井川から旧東海道を見下ろせます。
😳 天井川がかなり高い位置にあったことを改めて実感しました。
 
 
散策していると・・・素敵なお店を発見
 
滋賀野菜を使ったイタリアンのお店「SUNDAY'S BAKE RIVER GARDEN」でランチにしましょう。
 
テラス席が心地よく、長居をしてしまいました。
 
この後は、電車でJR草津駅から南草津駅へ移動し、旧東海道散歩を再開します。

(つづく)
 

 
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