ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

蝉の「ハズレ年」

2005年04月30日 00時30分11秒 | 古い日記
やれやれ。暑いな。
今、俺の住んでいる所は、山(というより丘)の傍である。
一応、そこは神社の敷地だったりする。

今では、言っても信じてもらえない事が多いけど。
昔は、毎年、5月のゴールデンウィークになると蝉が鳴き始めた。

が、ある年からそれがピタリと止んでしまった。
(’95年くらいかな?)

ある人はそれを、
「神社の管理人が除草剤を撒いたからだ。」と言う。

確かに、大掛かりな除草作業をしてから以後、
蝉の鳴き声がほとんど聴かれなくなったのは事実だけど。

除草剤は、雨が降ると効果が無くなるので、普通は
梅雨を過ぎてから散布するんだ。

あの年、
散布車が来て、除草剤を撒いたのも初夏、だった。

が、その年は...どういうわけか
「5月になっても何故か?蝉が鳴かない年」だった。

つまり、そんな「予兆」がすでにあって、そこに
「除草剤を撒いた」事になる。

今となっては、「蝉減少と除草剤」に直接的な
因果関係があるのか?どうか?はハッキリしない。

本当は...

エルニーニョ現象が主たる原因かもしれないし、
二酸化炭素により地球温暖化かも知れないし、
オゾンホールの仕業なのかも知れない。

自然界のバランスなんて、人間のうかがい知る所では無いのだろう。

まあ、そういう訳で明日から(もう明日か?)
連載形式で、「物語」(フィクション)を書こうと思う。

一応、これをその「前書き」にしておくか。

無地

2005年04月29日 00時17分32秒 | 古い日記
何て事は無い(筈の)「グレーの無地」のタイル。

が、今日、それらを炉から出した瞬間、俺は蒼ざめた。

ザッと見ただけで、半数近くのタイルに「色のムラ」があったからだ。

普通に一枚、見せられただけなら判らないとは思うが...。
ズラーっと並べると、「色の均一さ、統一性」に欠ける。

一番困るのが、「客観的な物差し」が無いので、
「不良と良品の境界線」が、断定できない事だ。

感覚的に「不良と言えば不良」で、
「バラツキの範疇内」と言えば、「可」の評価くらいはもらえそうな、
そんな微妙な線上だった。

これが「絵の中の一部に使われているグレー」だったら、
目立ちはしないのだが、「無地」だとそうもいかない。

神経質な施主さんだったら、指摘してくるだろう。(多分)

「単純で簡単な物は、実は難しい」って、
技術職の人達が良く言うけど、これには困った。

どうする?何枚作り直す?じゃあ、どれとどれがNG?

そんな事で一日が潰れた。気持ちも灰色だよ。

ある地方都市の伝説(完)

2005年04月28日 00時46分55秒 | 古い日記
<昨日からの続き>

昔から、「妊婦は火事場に近づくな」などと申しまして。

私はそれを単純に「危険だから」という理由だと思っていましたが、
それだけでは無いようです。

私の叔母も、大正の震災の際、秀坊を早産いたしました。

「火事場」も、その殺伐、騒然とした雰囲気が「お腹の子に影響を与える」
というのが、その言葉の戒めでありましょう。

さて、話を戻します。

目の前で、要一に首を吊られたお夏さんは、心底、気が動転してしまいました。
そしてあろう事か、産気づいて、その場で男の子を産み落とし、
そのまま一目散に逃げ帰ってしまったのです。

その後、入れ替わるように「一本松」を村の男達が通りかかり、
変わり果てた要一と赤ん坊を発見した...。

これが事件の顛末でございます。

赤ん坊の方はその後、善徳寺から、お夏に連れられて帰って行きました。
今は親戚筋にあたる越後の、とある家に養子として引き取られた、
との事でございます。

しかし、要一はもう帰ってはきません。
こうして、また春が来ると私はいつも思い出してしまうのです。
この悲しい事件の事と、もう帰ってこない要一の「ニヤニヤした笑い顔」を。

後書き:

この話の元になったのは、昭和初期の地方新聞の「投稿記事」からだ。
脚色はしてあるが、ほぼ「本当にあった話」らしい。

まあ、こういう事を説明するのも野暮な話だが。

この女性(この話を語った人)
せつせつと「悲しみ」を伝えているが、「本当に悲しいのか?おい?」
と思わせるような「独特の味」を醸し出している。

彼女の不幸とは、妙な事件のお陰で、
「せっかくの一本松の春の景色を台無しにされた」事であり、
「その後味の悪さをお前らも味わえ」と言っているようにも聞こえる。

良くいるだろ?
「歯を磨いた後、夏みかん食うとすげー後味わるいぜ。」
とか言う奴。

で、結局、自分も歯を磨いた後で、それを試してみたくなったりする。

こういう人間の心理って何なのか?俺はちょっと不思議だよ。

<完>

ある地方都市の伝説(2)

2005年04月26日 22時58分50秒 | 古い日記
<昨日からの続き>

善光寺を訪れた、その娘さんの名はお夏さんと言い、
(およそ、要一とは不釣合いな)美人でした。

呉服屋の一人娘だった彼女は、
商いを通して知り合った、さる殿方と「逢引」を重ね、
やがて「深い仲」になったそうです。

そして、悲しいかな。
「火遊びのツケ」が廻ってくるのは常に女の方でございます。

不義の子を身篭ってしまったお夏さんのお腹は、
日に日に大きくなるばかり。

最後の頼みに、
「ホオズキの根の煎汁」(子堕しの秘薬)まで試しましたが、効果の程は無く、
周囲に知られてしまうのは時間の問題でした。

いよいよ、つわりも酷くなって、臨月も迫ったある日、
お夏は、思い余って家を飛び出しましたが、
行く宛てもある筈がございません。

さまよい歩いて、隣村からここまで来て、
「いっそここで、首を吊って死のう」と、「一本松」の枝に、
縄を吊るしたのでございます。

しかし、人間、そう簡単に死ねるものなら、苦労はございません。

「ハァー」(訳:おとっつあん。おかっつあん。許しておくれ)

お夏さんは、縄の環の中に、何度も首を入れてはためらい、
念仏を唱えては、一休みし、さらに幾時かを過ごしておりました。

...と、そこに......
偶然、現れたのが例の要一でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「おめー、さっきから、こんな所で何やってんだ?」
「...」(訳:誰?)
「さては...首を吊ろうとしているな?」
「....」(訳:み、見ていたのね?)
「ははあ。おめー。知らねーよーだな。」
「.....?」(訳:な、何を?)
「簡単な事さ。」
「.....??」(訳:な、何が簡単なの?)
「オラが手本、見せてやるだ。よう見とけ。」
「.....???」(訳:ハァァァァ?)
「ホラ、こうやってここに首を...。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」(訳:・・・・・・)

これが要一の最後の言葉だったそうです。

続きを読む。

ある地方都市の伝説(1)

2005年04月26日 00時19分24秒 | 古い日記
一本松?
そうです。今は松の木はありませんけど。
今は停留所の名前としてだけ、残っております。

ハァ...。
アラ。泣いているわけではございませんよ。
ただ...その一寸...

ここ、「一本松」に来て、この季節になると、
私は、数年前の「あの事件」を思い出して今でも、悲しくて...。

ここで、待ち合わせたのも何かの縁、旅の方、
一つ「退屈しのぎ」と思って、話にお付き合い願えますでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この村には、要一という名前の「少々知恵の遅れた子供」が、住んでおりました。
一体、どっから流れてきたのか?は存じませぬが、年の頃は...
この村に来た頃は既に18,9の様でございました。

が、それはもう「大層な抜け作」でございまして、
一日中、ニヤニヤしながら村をうろついている、
この辺一帯で知らぬ者はおらぬ程の○○○○でした。

一方、そんな要一を「哀れ」と思う人達も、この界隈には多うございました。

要一は、村の人達の善意で、
あっちの家に行っては、流行歌などを唄い、
こっちの家に行っては、野良仕事の手伝いをやったりして、
食事や服を駄賃にもらいっては、その日暮らしをしておりました。

私達が正月の折に、御屠蘇や御節をご馳走してやると、
それはもう、上機嫌で、村中を歌いながら、練り歩き、踊る。
そんな気のいい若者でもございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところが、でございます。
あれは、そこの桜並木の花々が舞い散り始めた頃、この「一本松」で、
大変な事件が起こったのです。

「おい!、要一が一本松で首を吊っているぞ!」
気が付いた男達は、大慌てで洋一を木から下ろしましたが、
すでに息絶えていたそうです。

自殺の理由は...わかりません。

ただ、もっと不思議だったのは...。

木から吊り下がった洋一の足元には、
見たこともない「生まれたての赤ん坊」がオギャア、オギャアと泣いていた、
と言うのでございます。

私共は狐につままれた様でございました。

「何だ!...。これ?」
「洋一が生んだのか?」
「バカ!男が子を生むなんて話聞いた事がねえ。」
「じゃあ、洋一の女が生んだ赤ん坊では?」
「うーむ。それもなあ...」

私は「まさか」と思いましたが、
色恋の道はわからぬものですから、要一に惚れる娘がいないとも限りません。

要一を葬式に出した後も、
村人は、暫くその噂でもちきりでした。が、ハッキリしているのは、
「要一が死んだ事」と「赤ん坊が存在する事」で、
それ以外の事はサッパリわかりませんでした。

それから、一ヶ月ほど経った頃でしょうか?

その赤ん坊を預けた善光寺の住職の所に、ある娘さんが現れた時、
この事件の一連の顛末が解明したのです。

続きを読む。

中書き

2005年04月24日 23時17分08秒 | 古い日記
何て言うか...
日曜日の夜あたりが、一番多いような気がするな。
いや、ネットサーフしてる人って。回線も混雑しているのかな?

そう、多いって言えば...

貴方、もしくは貴方の身の回りで、こういう人はいないか?

買い物を頼めば、
「醤油入れるビン?そりゃ、中身が見えるヤツの方が合理的でいいだろ?」
とか何とか言って、大衆食堂で使うような容器を必ず買ってくる人。

あるいは...
普通は「金払っても、引き取ってもらいたいような」十二支の干支の置物(陶器制)
を、嬉々として受け取り、床の間に飾って置くような人。

挙句、
「知ってるか?蛇は金運が良いんだぞ。それに大黒様が付いているから最高だぜ。」
とのたまう人。

または...
俺が以前、作ったゴッホの「星月夜の夜」のタイル(6枚組)
を見て、
「なんだ?この呪われそうな絵?暗れーな。もう少し売れそうなの作れよ。」
という人。

そういう人って...

家に入ると、いきなり玄関に、東南アジア土産の「水牛の角」とかが、
出迎えるような家に住んでいる事が多いな。

玄関には、
どっかの鉱山見学に行った時の土産物の「水晶の原石」でもいいし、
将棋の王将の駒の「特大サイズのヤツ」でもいい。
(まあ、何にしてもホコリ被っているな)

後は...「宝くじの当たり」とか、「誰々の性格」とか、そんな事も、
「参考までに」と言いながら、「○○占い」で調べてる人。
ついでに、俺が「自分の血液型?知らないですよ。」
と言うと、「ええ?」っと驚く人。(本当に知らないけど)

正直に言おう...私、李参堂は、
そういう「パンチの効いたオヤジ達」の言動を...

「頭の中だけで」創作できる程、賢くは無い。

それが残念だし、悔しいよ。

追跡

2005年04月24日 00時52分33秒 | 古い日記
いよう。まさか俺が3連チャンするとは思っていなかったぜ。

李参堂を潜入させたよ。
どこにだって?決まってんだろ?
「無一文」さ。

俺も思い出したんで、調べたらさあ。居場所知らせてくれた人には、
報奨金かかってたんだよな。○○興業の元社長。へへ。

俺は面(めん)が割れているから駄目さあ。

ププ、野郎、100%本人に間違いなし、だね。

李参堂がさりげなく、オヤジの素性を尋ねてみたら、野郎ペラペラ喋りやがったらしよ。

『私も昔はベンツに乗って、タレント事務所まで経営して、
 美女と贅沢に囲まれて暮らしていた。けど、
 金、金、金、の都会の暮らしが嫌になってねえ。
 こうして、田舎で静かに暮らしている訳よ。
 まあ、金だけが人生の尺度じゃない、って事ね。』

だとよ。ハハ。とことん笑わせてくれるねえ。
オメーに人生、語ってもらいたくねーよ。

田舎でペンションとか経営している奴とかいるよな?
何割かは「脱サラして夢を叶えた」ってのだろうけど、
「会社の金使い込んで逃げた」ってのも、きっと大勢いるんだぜ。

後、「自然食」とか「スローフード」とか「有機栽培」なんて言ってる
「にわか農家」の奴らの中にも、紛れ込んでるな。そんな連中は。

俺の知ってる奴はわざとらしく、長髪にして、後ろで髪を縛っているよ。
えーと、ヒッピーじゃなくって...「同じ穴の狢」ってゆーか。
何でも「ナチュラリスト」なんだとよ。

あ、そうそう。この話、李参堂には絶対内緒だぜ。
(アイツは証拠写真を撮ってこなかったし)

まあ、報奨金って、たったの10万円だけどな。

「無一文」の由来

2005年04月23日 00時51分51秒 | 古い日記
今日も、俺が代打だとよ。

じゃあ、暫く付き合ってもらおうか。

昨夜は、昭和の「貧しい時代」の話をしたな。
今夜は、昭和の「最盛期」の頃を語ろうか。
いわゆる「バブルの時代」ってヤツよ。

建築、土建業界っていう所は、おそらく最も景気の影響を受けやすいんだな。

そうそう...
○○興業の社長なんか、いつも新品のローレックスの腕時計していて...。
飲みに行く先々で、毎回、失くしてくる。それでも、探したりなんかしなかった。
その度にもっといい時計を買うんだ。自動車が買えるくらいの値段でな。

まあ、上の人間のバカバカしい贅沢なんか書いていたらキリが無いけど、
あの頃は、バカでもチョンでも、金が手に入った。

何しろ、建設ラッシュでな。
東京に行けば、「トンカチ持って、釘打てる。」
それで誰でも日当2万4千円だった。技能のある奴は、その倍って所だ。

この辺の大工の下っ端なんか、皆、出稼ぎに行っちまったよ。
何しろ、半年も働けば、こっちの年収くらいは稼げるんだから、当然さね。
いやあ、本当、あの頃は地元で人手を集めるのには苦労したよ。

そんな世の中だから、3Kの職業も大変さ。

ヤクザなんかも求人難になっちゃってさあ。
地方の小さな組なんて、バイトを雇っていたよ。

バイトったって、そんな暴力沙汰はやらせないんだけどね。
例えば、襲名披露式とか、そういう義理事にな。
自分の組だけ、人数が揃わないと、カッコ付かないだろ?
そんな時にだけ、臨時に人を雇ったりしたもんさ。ハハ。

株?株も儲かったねえ。よく的中したよ。
何しろ、俺が買ってた株は大抵上がったね。

え?「当時は、ほとんどの株が上がった」って?
そりゃそうだ。銘柄の予想もヘチマもイカの頭も無かったよ。ハハ。

それにもう少し早く気が付いてりゃ、今頃は億の資産が残せていたねえ。

総括すると、あの頃は...。

「土地の値段や人件費が上がった」と言うより、
金(かね)の価値が極端に下がったんだ。
当時、100円で買えたもんなんて、子供の菓子くらいだよ。

逆に今は、
「土地の値段や人件費が下がった」と言うより、
金の価値が段々と上がってきているんだな。

100円ショップに行く度に、俺はそう思うけどね。

そうそう。○○興業の社長、今何やってるか知ってる?
夜逃げから帰ってきて、○○市で「焼鳥屋」はじめたんだ。
店の名前が「無一文」だとよ。そりゃ、借金鳥も逃げ出すわな。

嘘じゃねえ。いずれ写真をアップしてやっからよ。
楽しみに待ってろや。

告白

2005年04月21日 22時41分53秒 | 古い日記
お、来たか。でも、李参堂なら来ないぜ。

今日、俺が「腰が痛い」って言ったら...。
アイツ、ムキになって一人で働いて、クタクタさ。もう、寝ちまったろうよ。

今日は俺が代わりに書く。まあ、付き合えよ。

今の若い奴にはわかんねーだろうけどよ。

俺の若い頃は貧乏学生で、色々なバイトをやったさ。
一番、割が良いのは...アレだな。うん。

名前はえーと。「遺体処理」って言うのかな?

聞いた事あるだろ?ホルマリンのプールに遺体が沢山沈めてあってな。

いや、ホルマリンかどうか?良く知らねーけど。
そう。直径13メートルくらいの丸いプールだったかな。
遺体は麻の袋かなんかに入っていたと思う。

それが時々、上の方に浮いてくるんだ。体の中にガスか何かが発生するんだとよ。

それでな、時々、竹の棒で突っついて、また、下に沈めるんだ。
一晩中、一人でそれをやるんだぜ。

袋が破けていてさ。そこから顔が見えて
仰向けで浮かんでくる死体もあるから、そりゃ、気持ちいいもんじゃないな。

そんなの「都市伝説だろ?」って?違う違う。
実際にやった俺が言うんだから間違いない。
そーだよ。現にここにそれをやった奴がいるんだよ。

なにせ、当時はベトナム戦争があったろ?
アメ兵の遺体が沢山日本に持ち込まれてな。

立川の基地じゃ、毎日が「御巣鷹山状態」さ。
多分、ベトナムで死んだ兵隊さんは、全部一旦、日本を経由したんじゃねーか?
そんな訳で、俺と同じバイトをした連中はたくさんいた筈だぜ。

さて。俺の仕事は普通はそこまでだけど。

さらに金が欲しい時は、もっと悲惨なのをやった。
「兵隊さんを元通りに復元して、葬式に出せるようにする。」

この仕事が一番時給が良かった。

けどな。戦死した遺体なんか完全に元に戻る筈なんかない。
持ち込まれるのは、「死体らしきもの」ハッキリ言えば「肉塊」で、
どれが、誰の手足なんだか?さっぱりわからねえんだ。実際。

疲れてきて、面倒になると、適当になってな。
上半身が金髪の白人なのに、下半身が黒人だったりと...いい加減なもんさ。
まあ、最後はミイラみたいに包帯で巻いてしまうから、わかりっこ無いけどな。

畳職人が使うようなデカイ針と、凧糸みたいな太い糸で、手足を繋げたもんだ。

しかし...

今は、俺達に適当に繋ぎ合わせられているけれど、

この死体達も、元はと言えば、
誰かの、かけがいの無い、亭主だったり、お父さんだったり、息子だったり、恋人だったりするわけだ。

...なんて事、考えた事は無いよ。当時は俺達も生きるのに必死...だった気がする。

最後は綺麗に軍服を着せてやって、棺おけに入れたら、
なんとか御遺族にお見せできる姿になる。
それでご帰還って訳さ。

その仕事を終えてからな。
風呂に入って、相棒と飯を食いに出かけたらな。

店に入った瞬間、店のオヤジがこう言うんだ。

「お客さん。帰って下さい。他のお客の迷惑になりますんで。」
「何でだよ?」と俺が訊くと、
「御自分では解からないかも知れませんが、臭うんですよ。」って言うんだ。
いくら風呂に入って、体を洗っても、臭いが染み付くらしいんだ。
相棒と、「こんな仕事、つまでも、やるもんじゃなえーな。」って話したよ。

まあ、そんな時代だった。

ところで、さあ。一つだけ訊きてえ事があるんだ。

今、「何か食いたいもの」ってあるかい?
俺達の若い頃は即答できた。いつも飢えていたからな。

今じゃ、俺も言えないよ。別に特に今、食いたいもんなんて無い。
それが、悲しいって言やあ、悲しいよね。

じゃあ。機会があったら、またな。

あとがき:
この話は、ある人物から聞いた話を「言葉使い」などを脚色して、
私が編集したものです。
実際には、あまり語りたがらないのを、無理して聞きだしました。

「ある病院の地下室に、ホルマリンのプールがあって、
そこに遺体を保管している、云々」
という都市伝説はこれが元になっているようです。

(実際は、病院ではなく米軍の施設内だったようです。)

李参堂

世紀末覇者!

2005年04月20日 22時30分51秒 | 古い日記
あー。昨夜はついに書き込めなかった。

昨日、書いたヤツは長編で、
「メモ帳」で保存しておいたけど。

読み返してみると、なんかどーでも良くなってきた。
(俺が力込める程、後で読むとダメだな)

えーと。何事も無かったかのように続けるので、
上記は忘れてくれ。

さて、前回の続きだがムツゴロウの魚言葉は「動物王」だ。
(駄洒落かよ?)

魚言葉っていうのにも、かなり問題があるが、
「○○王」とは安易な言葉だ。

「三冠王」とか「甘味王」とか「リフォーム王」とか、
まあ、なんでもいいから「その分野で一番」の人を「○○王」と呼んだりもするな。

応援歌にもあるだろう。「慶応、慶応、陸の王者、慶応」とか。

が、その一方でこんなのもある。「覇者 覇者 早稲田」とか。

「○○王」って言葉は溢れているが、「覇者」になると話は別だ。
同じような意味で使われる事もあるが、
「『覇者』って何ですか?」と訊かれて、ハッキリ答えられる人は少ないだろう。

「覇者と王者」という概念は、中国の宋の時代に朱子学の中で、生まれた。

宋の時代とは、科挙試験の全盛期で、人文科学の発達した時代である一方、
「シナ、負けっぱなし」時代のスタートでもある。

宋時代から中国(と言うか漢民族)を支配(というか略奪)した国を列挙してみよう。
(あってるかどうか?しらねーぞ)

遼→西夏→金→元→金(リターンズ)→清王朝→大英帝国→満州帝国・・・共産党政権

このように、中国では異民族に蹂躙される一方で、
古代より、「人徳のある者(王)が国を自然に支配するようになる」
という考えが伝統的にある。

そこで、こんな概念(と言うか物語)を創りあげた。

「覇者=力づくで強引に国の支配者になった者」
「王者=徳によって、国の支配者になった者」

つまり、「異民族=覇者」であり、「王者」では無い。
いずれ、「徳をそなえた本物の王者」が現れて覇者を駆逐する。

「徳をそなえた本物の王者」とは漢民族の事で、
それ以外は「覇者」に過ぎない。
(結局、本物の王者なんて、永久に現れないんだけどね)

さて、本題に入ろうか。(前フリの方が長かったけど)

あれは、もう、何年前になるかな?

「北斗の拳」という漫画が、週刊少年ジャンプで連載されていて、
子供~青年にいたるまで大人気だった。

それにはこういうタイトルが何度も出てきた。
「世紀末覇者!ケンシロウ!」

「ねえ、世紀末覇者って何?」
とあるガキに何度も訊かれて、俺は何度も説明したが、
多分わかってなかったろうし、今もわかってないだろう。
漫画家は「響き」で、タイトルやキャッチフレーズを考えるんだろうが...。

子供にわかるように「世紀末思想から朱子学に至る」まで説明しろ!
と言われても...俺には荷が重過ぎる。

ゴリ押し

2005年04月18日 01時31分50秒 | 古い日記
さて...何時の世にも強引な奴はいるもので、
「いくら何でも無理があるだろう?」
と言う嘘や言い訳で、押し切られてしまった経験はないだろうか?

しかし、実際、
それで世の中、通ってしまう事もあるのだから厄介だ。

例えば、こうだ。

横山氏は蟹が大好物だし、独り占めしたい。
特に「兄貴にだけは分けたくない」と、常々思っていた。
(随分、強引な設定だな)

が、ある日、奥さんからこんな事を言われた。

「頂いた蟹、多すぎるから、義兄さんに上げようか?と思うんだけど...」
「...(うーん)」
わずか1,2秒の事だとは思うが、彼は適当な言い訳を考えた。

「タラバ蟹だから、駄目だ。」
「何で?」
「タラバのカニ言葉は『骨肉の争い』だから、常識を疑われるよ。」
「そうなの?」

そう言われて納得する方もする方だが、結局、彼は蟹を独り占めした。

宝石の石言葉とか、花言葉、は聞いた事があるが、「カニ言葉」なんて聞いた事が無い。
聞いた事が無いのだから、何を言われても「そうかな?」と思ってしまう。

しかし、世の中にはもっとナメた人達もいるもので、「魚言葉」と言うのがあるのを最近知った。

「イタリアおさかな愛好会」(なんだ?そりゃ?)
が『366日の誕生魚』という本を出版している。(らしい)
何でも「局部的に」ベストセラーになって、
「誕生日に誕生魚を送る」というのが流行したそうだ。

そこまで聞けば、
「さては、イタリアの漁業組合が売り上げを伸ばす為に仕組んだな?」
と疑うのが心情だろう。

が、調べてみると、あきらかに食用に適さない観賞魚や熱帯魚が多々あり、
漁協の仕業とも思えない。

一応、その日本版を書いておくか。(某サイトで紹介していたのをコピペ)
それぞれ、日も決まっているようだが、魚の種類と言葉だけ抜粋。

鉄砲魚=突撃隊
リュウグウノツカイ=絵にも描けない美しさ(深海魚の一種。写真すらほとんど撮れない)
マガレイ=辛口カレー大盛り
カタクチイワシ=しまうまの目
ガンギエイ=文字化け
ニシン=子宝
オニオコゼ=いとこ喧嘩
ミツマタヤリウオ =アリバイでっちあげ
フウセンウナギ=ヘリウム
ネズミギス=経費で落とせた筈
フサアンコウ=領収書紛失
ナマズ=再起不能
ムツゴロウ =○○○

では...最後の○○○に当てはまるのは何?(正解は後に)

来たのか?

2005年04月17日 20時39分36秒 | 古い日記
気が付かなかった人の方が圧倒的に多かったと思うので、一応書く。

時間 4月17日 20:09
神奈川県 震度3 震源地 千葉南部沖(?)
(津波の心配はありません)

テレビ速報から。

この先、何もなければ良いが。

地震の詳細はここ
だったけど、これ刻一刻と変わるな。

毎日のように日本のどっかで地震(震度3以上)はあるようだ。

そもそも、
大地の中の変動が大気の雲に影響を及ぼす程の力があるのか?

そういう訳で地震雲については、保留。

地震雲

2005年04月17日 17時14分05秒 | 古い日記
まあ、来ると判った所で、どうにもなる訳ではないが。

関東(やや北方面)で「地震雲」発生の噂が流れてきた。
(画像は無いよ。俺は直接見てないから)

あまりいい加減な事書くのも何だけど。

もしかすると、もしかするので、一応記録しておく。

今月中に地震の一つでも起こればお慰みだ。

緩衝材(2)

2005年04月16日 21時50分17秒 | 古い日記
買いても書き込めるかどうか?わからぬし、
書き込めても何時表示されるか?わからないので、軽くなんか書いておくか。

前回の続きのようだが、他人から何か物が送られてきた時、
その「中身」もさる事ながら、包装紙が妙に楽しめる事がある。

以前書いたと思うけど。
北海道からタイルを送ってくれた方がいた。(元、中東在住)

タイルが入っていた箱は、猫が大いに気に入り、出たり入ったり
(いや、実際は入れる大きさじゃないけど、猫はそのつもり)
を繰り返していた。

俺は、包装してあった「北海道新聞」を読みふけり、
「道産子競馬」(正式名称忘れた)なんてもんが、本当にある事を知った。

もし、海外などから物を送る事があったら、
その土地の雑誌や新聞で包むといい。喜ばれる。(多分)

緩衝材

2005年04月16日 10時40分31秒 | 古い日記
緩衝材、と言う物(いや、言葉だな)をご存知だろうか?
辞書的に言えば割れやすい物を包むクッション、
わかりやすく言えば、「プチプチ潰し」をしたりするアレだ。
(と、言うか『緩衝材』って柔らかければ何でもいいんだけど)

会社には、「お菓子のカール」みたいな形状の発泡スチロールの緩衝材がたくさんある。
はっきり言って、これは古い。嫌われる。送った先(役所相手では特に)から苦情が来る。

「ゴミを極力減らす」方向の社会では、厄介物扱いになりつつある。
「地球にやさしくない」と言うわけだ。

じゃあ、昔は「緩衝材」に何を使ったのだろうか?

長崎などから輸入されるオランダのガラス器には、草が使われていた。
「シロツメクサ」と言う名で表されるように、「詰め物」(緩衝材)として、
白詰草が利用されていた。今でいう、「クローバー」だ。

今なら、これも「外来種植物の日本侵略」
と言われて非難されるのかもしれない。(実際、日本の在来種のようになった)

さて、翻って...
日本から海外に輸出されていた「陶磁器」は、どんな「緩衝材」に包まれていたのだろうか?
古くから製紙が発達していた御蔭で、「屑紙」を丸めた物が多かったようだ。

これが、意外な展開を遂げる。

習字の書き損じ、とか、障子の裏張りに使うような紙に混ざって、「浮世絵」もそれに使われたからだ。

当時、高級な絵と言えば狩野派とかの「日本画」であり、
「浮世絵」などはポスター感覚で、庶民の「絵」だった。

それが最初にヨーロッパに伝わったのは「緩衝材」としてであり、
中身の「陶磁器」以上の評価を得たりもした。

国の内外を問わず、「浮世絵=美術品」として評価されるようになったのはそれからである。

昔、ゴッホの伝記的な映画を見た。(邦題は、『ゴーギャンとゴッホ』だったかな?)

ゴッホ:「ダビンチ?ラファエロ?そんな物にいつまでもこだわっているから、
     君達は小物なんだ。」
画家A:「じゃあ、君の言う芸術って何だい?」
ゴッホ:「これだよ。これ。」
そう言いながら、ゴッホは浮世絵を指し示す。

そんなシーンがあったな。(実際にそう言ったのか?は知らんが)

当時の日本では、国際的競争力のある産業と言えば、絹と陶磁器くらいだった。

幸か不幸か、「陶磁器」は割れやすく、「緩衝材」を必要とした。
そんな偶然がなければ、美術の歴史も変わっていたかも知れない。