ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

平家物語

2005年03月30日 23時26分18秒 | 古い日記
昨日<続く>と書いた以上、続けるか。

さて、どこの家にも一つや二つはるのかも知れないが、
俺の家には奇妙な「言い伝え」がある。

曰く、「桔梗は植えるな」とか、
曰く、「鯉幟とか(微妙)揚げるな」とか、
曰く、「門の所に○○(忘れた)を備えろ」とか。

長い間、その理由は謎だった。
もしかしたら、ある特定の植物のアレルギー体質への警告なのかも知れないし、
その昔、魔女にかけられた「呪い」でもあるのかも知れず、
「もういいんじゃないの?」と言い出す者がいても、
(根拠がわからないのだから)議論のしようも無かった。

しかし、門外不出のその「言い伝え」を、
大平さん(青森出身、部長)にその話をコッソリと打ち明けた時、
あっさり、氷解した。

「そりゃ、お前、平家だよ。」
「え?平家」
「そう。必要以上に安心していいぜ。」
(必要以上の安心...って言われても。)

大平さんは、続けて言う。
「津軽地方の旧家ではよくあるけどね。それは平家の落人の子孫に伝わる典型的な言い伝えだ。」

彼によると...。
壇ノ浦の合戦後、全国に散らばった平家の一族は、源氏の追撃を恐れ、
山間部などに逃げ延びた。

東北地方ではその後、数百年もの間、子孫達は「平家の素性」を隠す為、
武士特有の年中行事や平家を連想させる行為を固く戒めていた。

が、北関東にある俺の家では、
言い伝えの「本来の目的」の部分は、消えてしまい、
「何たらするな。カンたらするな」の「忌み」の部分だけが、残ってしまったらしい。

昔、「日本の苗字系図」とか言う本を読んだが、
俺の周囲の人間は(本当に血縁があるかどうか?はともかく)ほとんど源氏系の苗字だ。

今までは、彼等と普通に接してきたが、油断はできない。
これからは「敵」と思う事にしよう。(思う必要も無いけど)

「それからさあ、『モコ』が来るって言わなかった?」
大平さんが新しい話題をふってきた。
「モコ?」
「山から来るヤツだよ。」
「それは...平家とは関係無いですよ。」
「そっか。」

「山からモッコ(正しくは蒙古)が来る」
と言う表現は...今も東北地方に残っているらしいが、
元々は、泣く子を黙らせる言葉だ。

津軽の子守唄にも、その歌詞の件がある。

大平さんも、幼い頃、
「早く寝ないと、山から蒙古が来る」
と脅されたのだろう。

「モコとかモッコって蒙古だよな?」
「そうです。山から来る筈無いですけど。」
「...そうだな。海ならわかるけどな。」
「普通、朝鮮半島を通って、対馬海峡から来ますね。」

実際、「文永の役」で元軍は対馬や壱岐、九州地方に襲来した筈で、
彼等と直接戦ったのは、村上水軍等である。

にも関わらず蒙古軍の「恐怖の記憶」は、あまり関係なさそうな、青森とか秋田とかの
東北地方に子守唄などで伝えられてきた。考えて見れば、これも奇妙な話だと思う。

いやあ、長くなったな。今日はこの辺にしよう。

アンダルシアの犬

2005年03月29日 22時19分47秒 | 古い日記

伊達政宗の命令で「慶長遣欧使節団」を率い、ローマへ向かったのは、
支倉常長である。
(ちなみに彼の洗礼名は『ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン』だ)

写真の菓子が、そのロクエモンとどう関係しているのか知らないが、
仙台に出張した人から頂いた、「支倉焼き」は、一応、「洋菓子」の様だった。

さて、ご存知の方も多いだろうが...(何回かテレビでもやってるな)

「慶長遣欧使節団」が到着した港町コリア(デル・リオ)には、
現在、JAPONと言う姓の「謎の一族」が数百人いる。

「慶長遣欧使節団の中で、帰国しなかった6人の子孫」らしい。
(少なくとも、その姓の人達はそう信じている)
真偽の程は知らないが、
1:稀に日本人と見分けが付かない人が出現する事。
2:風習として、出身地を姓にする事が多かった事。
などを考えると、そうだとしても不思議は無いだろう。

さて、以上は前フリだ。

「なぜ、ここに、この人達がいるの?」
と言う集団を、陸続きではなく「空から来た人」と言う意味を込めて、
暫定的にスカイ・ピープルと呼んだりするらしい。

例えば、以下のような例だろう。

白人のネイティブアメリカン:ランビーインディアン

アメリカ、ロアノーク島に入植したイギリス移民(100人程度)が英西戦争の際、
本国と音信不通になり、別の島で暮らし始めた。その内「自分たちはイギリス人の移民だ」
という事も忘れてしまい、「俺達はアメリカ先住民だ」と思い込んでしまった。
(...と言うか、現地人と生活している内に混血してわからなくなったらしい)

まあ、人間のやる事だから、歴史の中で何があっても不思議は無い。
が、俺は、
(わざわざ外国の例を持ち出さなくても)
自分自身が「スカイ・ピープル」だった事にやがて気が付く。

...<続く>...

第二の男

2005年03月28日 19時07分17秒 | 古い日記
さて、余りにマニアックな話題が続いたので、
今日は、世間話風に書く事にしよう。では。

いきなり、「安田電気の社長をイメージしろ!」と言っても難しいだろうが、
映画の寅さんシリーズに出てくる「タコ社長」に雰囲気が似ている、
と言えば、だいたい当たっている。
(顔は似ていないけど、喋り方とか、頭とか)

まあ、中小企業(零細企業)の社長にありがちな、
「チョット調子が良すぎる気もするが、きさくなオジサン」だ。

「あ、李参道さん?明日から工事入るけど、10時頃、行きますからね。」
「明日から工事?全然聞いてないですよ。」
「アレ?でもまあ、オタクの社長から了承とってますから。ハハハ。ガチャ」
「...。」

そんな電話のやり取りをした翌日、
タコ社長は、翌日、作業員を数人引き連れてやってきた。
皆、一回は見た事がある古参社員ばかり...。

いや、その日は一人、若いが妙に渋いルックスの良い男が紛れ込んでいた。

「電気屋辞めて、石原軍団のオーディションでも受けろよ。」
と「余計なお世話」を言いたくなるようなタイプだった。
(強いて言うなら、「第二の裕次郎」に選ばれた徳重聡っぽい感じ?)

仕事が始まると、「第二」は様子がおかしい。
何か口の利き方が悪いし、ブッキラボーなのだ。

社長:「あれ?メジャーどこだっけ?」
第二:「...(無視)」
社長:「メジャーだよ?どこ?」
第二:「そこ。自分で置いたじゃん。」

この会社は、社長に対して、こんな言い草で許されるのだろうか?

社長:「おい。あれは?」
第二:「そっち。さっき置いた。」

それからも、「第二」はこんな感じで、社長に対しては、
「アンタとは極力喋りたくない」という気配だった。

が、俺には態度が丁寧で、休憩時間には缶コーヒーとか、
奢ってくれた。(普通、こっちが業者に奢るんだけどね)

いや、俺じゃなくても(社長以外は誰にでも)「第二」は極めて丁寧な態度で、
応対している。

やがて...
他の社員が彼(第二)の事を「安田君」と呼んでいるのを聞いて、確信した。

(やっぱり、親子かよ...。)

それにしても、似てない。「二代目の顔」は、名刺の役割を果たしていない。
他所に行っても、最初は皆、戸惑うだろう。

「あ、○×さんの息子さんね。」
なんて「言わなくても判ってもらえる」事も決して無いだろう。

「親子で同じ職場」と言うのは、自営業ではありがちだが、
こういうのって損なのか?得なんだろうか?

P-D2の壁

2005年03月27日 21時10分57秒 | 古い日記
「コンパネ」という物をご存知だろうか?

建築業界では、コンクリートパネル(コントロールパネルじゃないよ)
を通称、「コンパネ」と呼んでいる。

これ(コンクリートパネル)は、コンクリートを流し込む「型」として使う板切れで、
通常は使い捨て、簡単に言えば「一番安い広葉樹の合板」である。

よって、正しくは「コンクリートの型に使うパネル=コンパネ」
であるが、「安物の木製板の合板」を「コンパネ」と呼ぶ人もいる。

(ちなみに、熱帯ジャングルの森林伐採の一因となっているのも、このコンパネだ)

まあ、そんな予備知識を持ってから、読んで頂きたい。

ある日の事...
「コンクリートの硬化不良が起きた」
という連絡を受けて、某生コンの営業部員は、現場に直行した。

が、そこで彼は、今まで経験した事が無い様相を目にする。
状況は以下の如しだ。

1:全体では無く、部分的に硬化不良を起こしている。
2:硬化不良を起こした場所は、手で触るだけで、コンクリートが剥がれる。

一番、気になるのが「硬化不良を起こしている部分」が
90×180cmに収まっている事で、これは
一般的に流通している「コンパネ」や合板の大きさにほぼ等しい。

彼は、先輩に聞いたり、色々な文献を調べて一つの結論に達した。

工事をした施工業者の所に行き、問い詰めた。

「コンパネには何を使いましたか?針葉樹の可能性はありませんか?」
業者の顔色が変わった。
「そう言えば、赤松のような...」
すかさず畳み込んだ。
「JAS規格のコンパネを使ってない場所がありますね?」
結局、施工業者はそれを認めた。

木材は、コンクリートの型にも使われるが、樹木の種類や伐採した季節に
よっては、材の内部に糖分が含まれている事があり、それが
「硬化不良」を起こす原因となる場合がある。

よって、コンパネに似た「板切れ」で代用すると、
コンクリートを使った現場では、思わぬ事故を招く。(可能性がある)

その辺を良くわきまえていなかった施工業者が、
JAS規格でない”コンパネ”を使用したのが「硬化不良の原因」
と言う結論で、事件は幕を下ろした。

まあ、非常に稀なケースらしいが...

実際、こんな風に「解決する」のも稀で、
たいていは生コン業者、施工業者でお互い譲らず「責任の擦り合い」
に発展する場合が多いらしい。

そういう意味では「二重に稀」だった、と言えよう。

良い型は無いか?

2005年03月27日 00時03分39秒 | 古い日記
花粉症で「引き篭もり」だから、また書くか。

練った「生コン」が余った。
余ったからと言って、その辺に捨てる訳にもいかないし、
何かに利用できないか?考えてみた。

「型に流し込んで、何か立体的な造形物を作ってみる」
というのはどうだ?

急に思いついても、「面白げな型」などある筈も無くい。
仕方が無いので、その辺にあった、カップ緬の容器に流し込んでみた。

翌日見ると、固まっている。
取り出すと、丼型の「コンクリの塊」が出来ていた。

なんか...容器を良く洗っていなかったので、
油とか、カヤクとかが付いている。

それに表面形状が汚い。(空隙があるだろ?)

まあ、「遊び」でやったんだからいいけど。

「良い生コン」とは何か?

何回か練ってみて、コツを掴んだ。
セメント、水、砂利、砂のバランスと攪拌だ。
失敗すれば、水っぽくなる、あるいは、ザラザラでガサガサになる。

「良い状態」とは...言ってみれば、
「トルコ風アイスクリーム」や「カスピ海ヨーグルト」の様に、
モチモチっとした「粘り気」だ。

でも、実際には砂や砂利にも水分が含まれているし、
粒度や形状も一定じゃない。

人間が目配りしながら、最適な配合を調整しつつ、練らないと、
「良い状態」にはなかなかならない。

でも、
蕎麦やウドンのように「失敗したら捨てる」って訳にもいかんしなあ。

「生コン屋」に失敗した時の対処方法を尋ねたら、
「無い。何とか誤魔化すしかないね」
という返事だった。

某鉄道工事でも、そういう「誤魔化し」をやったそうだけど。

今のところは大丈夫だよ。

何なんだよ?

2005年03月26日 16時19分14秒 | 古い日記
朝起きると、鼻の穴の周りが白い。
鼻炎、と言うか、軽度の花粉アレルギーだ。

やはり、完全には治っていないし、治るもんでも無いのだろう。

「背に腹は代えらぬ」と言うが、
帽子、マスク、眼鏡の3点セットは怪し過ぎる。

一応、花粉症も世の中に認知されているから、
強盗に間違えられていきなり撃たれる事も無いけど。

しかし、下手をすると、逆に俺のそういう姿しか見たこと無い人もいる。
仕事中も粉塵が舞うような場所では、「3点セット」着用だし、
今は基本的に、家の中でしか素顔は出さないから。

伊達さん、という塗装業のオジサンもそうだった。
その人は、先月頃から思い出したように会社に来てはペンキを塗っている。
(社長が依頼したらしい。俺は詳しい事は知らないが。)

社長と知り合いらしいその人は、結構俺にも物を頼む。

「ペンキ入れるんだけど、いらない空き缶あるかな?」
「確か、裏の倉庫に...○×△」
「え?何?」
「だから、☆★×%...」

マスクに篭って、声が聞こえないようだった。

(外すか...)

面倒だが、一体化しているので
帽子→眼鏡→マスクの順で「3点セット」を外さなければならない。

次の瞬間、伊達のオジサンは、「ウワァ」と小さな叫び声を上げた。

確かに、マスクを外してみたら、顔の周りに跡が付いて、
「ドラえもん」みたいになっていた、とか、
鼻の周囲にだけ、粉塵が付いていた、とか、
妙な顔になっている事は良くある。

「ん?私の顔、何か変ですか?」
「い、いや、予想していた顔と違うから...」(オドオド)
「どう違ったんですか?」
「い、いや。別に」(狼狽している)

一体どんな顔を想像していたのか?は謎だが、
それ以上、追求する気もなかった。

まあ、そんな訳(花粉アレルギー)で、「引き篭もり」は続く。

夢の代償

2005年03月25日 22時40分54秒 | 古い日記
「おい。お前、『鉄道模型』やっていたよな?一つ教えてくれ。

 あの、模型のレールって買えるの?幾らくらい?
 え?スケール?ゲージ?いや、良く知らねぇ。

 お前のは何て言うの?Nゲージ?一番普及している奴か。
 あれの2倍くらいの幅のサイズみたいだな。うん。

 ええ? ああ、俺のは実は、電車じゃ無い。蒸気機関車、
 『ライブスチーム』ってやつだよ。

 え?『正気の沙汰じゃ無い』って?

 そうなのか?やっぱり正気じゃないのか?

 そうそう。アルコールランプみたいなの燃やして、蒸気吐き出して動く。

 そう言えば、普通のヤツは、電動だし、家の中にジオラマがあって、
 模型が走っているもんな。
 あんなの家の中じゃ無理だよ。体育館でもあれば話は別だけど。

 庭を全部潰して、『鉄道庭園を作るしか無い』って?

 うーん。無理無理無理無理。俺の家は東武ワールドスクエァーじゃない。」

以上、ある日の電話での会話。(相手:鉄道マニアA)

昨日の続きになるが...。子供の頃の夢ってヤツは、老後に復活したりもするらしい。
しかも、その時は資本力があったりするから、大袈裟になったりする。

俺の親父は、体が動かなくなってからは「鉄道模型」を作っていた。
総金属制のでかいヤツで、蒸気機関車ばかりだった。(子供の頃からの夢だったらしい)

座席が付いていて人が乗る「ミニSL」まではいかないが、制作も大変らしく、
(一台につき)1年くらいかかっているようだった。

しかし...
「試験運転は成功した。いずれはレールを敷いて、コイツらを走らせるんだ。」
と言っていた矢先、自分が「霊柩車」を走らせるハメになった。

死後わかったが、これらは軽自動車やバイクが買えるくらい高価なものだった。
他人にくれるのも何だし(怨霊が取り付いていそうだ)捨てるのももったいない。

せっかくの父の迷惑至極遺産なので、俺が引き継いで動かしてやろうか?
とも思ったが、「気軽にできる趣味」でも無かったようだ。

写真は、他所様のホムペから無断借用した。
いや、なかなか素敵だとは思うけど
じゃあ、自分がやるか?と問われれても...とても決心が付かない。
(ガーディニングの域じゃねーだろ?)

当分は放置だな。(まず、土地を買う金が無いと...)

科学と学習?

2005年03月24日 22時34分57秒 | 古い日記
昨日の話は、要するに...「子供なんだよ」と思う。
書いてしまったものは仕方が無いが、
わざわざ書く程の事でもなかったような気もする。

さて、子供と言えば...俺が子供だった頃は、どんな夢を持っていただろうか?
自衛隊入隊?
いや、その前、小学生の頃だな。

当時、学研の「科学と学習」という雑誌があった。
(今もあるだろう。正確に言うと「科学」と「学習」は別々)

俺は、そんな「子供向け雑誌の編集者」になるのも悪くないと思っていた事がある。

「かたつむりの産卵」とか、「○○山の地層」とか、
そんな呑気な記事を書いて生計を立てて生きられるなら、
「永遠の少年」のように毎日を幸せに暮らせるだろう。
と、そう思っていた。

その雑誌には、「編集者日記」みたいのが巻末にあり、
一人一人の似顔絵と、「どんな仕事をしていたのか?」
近状報告がされており、それを見るのも楽しみだった。

が、やがて「編集者日記」を読んでいる内に気が付く。
「こりゃ、ダメだな。」と。

何故なら、
実際に取材したり記事を書いている編集者は、5~6人くらいしかいないからだ。

よって、
ここに潜り込むのは、かなりの難関だろうし、
「何処をどう努力すればいいのか?」
もさっぱりわからない。

なんとか出版社に潜り込んだとしても、営業員に回され、
学校の先生とか、教育委員会とかを接待する毎日...
(いや、さすがにそこまでは考えなかったよ)

やがて俺はそんな夢を見た事も忘れてしまった。

結局、小学校の卒業文集では「将来の夢:サラリーマン」と書いた記憶がある。

周囲の子は野球選手とか書いていたが、
「考えなおせ。運動選手は怪我したら捨てられるし、引退してからの人生の方が長いんだぞ」
と、余計な御節介をした。

そんなもん、皆、本気で書いている訳じゃないのに。嫌なガキだったと思う。

若さゆえ...

2005年03月23日 23時20分04秒 | 古い日記
島村君は、何というか...。
あまり自己主張しないタイプだった。
(いきなり島村と言われても誰も興味を持てないだろうが、まあ、それはご勘弁)

「何か不満を抱いていても口には出さないタイプ」
学校や会社に、一人や二人はいそうな、そういう彼が、
「今の仕事に熱意を持てない」
と、発言をすれば、俺も聞かざるを得ない。

「辞めたいのか?」
「いや、そうじゃないですけど」
「じゃあ、どうしたい?」
「うーん。別に」

どーも、ハッキリしない奴なので、暫く世間話をした後、
俺は改めて質問した。

「島村君。君は子供の頃、何になりたかった?
 どんな職業に就きたかったのかい?」

「うーん。別にぃ。何て言うか」
「将来の夢とかだよ?」
「夢ぇ?」
「それに向かってどんな努力をした?」

暫くして島村は、ようやく重い口を開いた。

「夢か。夢はあったんですよ。李参堂さん。」
「何だ?」

「俳優か、モデルになりたかったんですよ。」
「ハァ?」

...何故、この期に及んで、こんな冗談を言うのか?解からず、
俺はかなり困惑した。が、彼は真剣そのものだった。

「でもね。ダメだったんです。何度原宿に行っても、スカウトされなかったし...。」
「...。」

一応、念の為に言っておくが、彼は美男子という訳でも無し、
第一、標準語が話せなかった。(本人は自覚無し)

「笑い」が取れるタイプでも無し、強烈な個性があるわけでも無し、
芸能界には絶対向いていないと思う。

それと、ここが最も問題だと思うが、
「原宿に行った」なんてのが努力の内に入るだろうか?

結局...彼は会社を辞めていった。

その後、女子高生の彼女が出来た、と風の便りに聞いた。
今でも島村君と会う事がある、と言う後輩がこんな事も言っていた。

「島村は結婚するらしいですよ。」
「例の女子高生の彼女とかい?」
「そうです。」
「へぇ」

まあ、どうでも良かった。俺は結婚式に呼ばれる事も無いだろう。
が、やがて話は妙な方向へと向かう。

「へへへ。島村の結婚は中止です。」
「何で?式場まで予約してたんだろ?」
「彼女の方がホストクラブにハマッて、婚約破棄したんですよ。」
「そんな事あるのかよ?」
「いやあ。かなり落ち込んで、電話もズッと繋がらないんでおかしいな、
 と思ってたんですが、本人から聞いたんだから本当ですよ。」

(さすがは島村...とことん、笑わせてくれるのう...)

俺はそう思ったが、口には出さず、
「島村の為に、残念会を開きましょう!」
とハシャいでいる後輩に、
「俺はいいよ。」
とだけ答えた。

もう会う事は無いだろうけど、島村君。
そんな女と結婚しなくて、君はかえってラッキーだったよ。

でもな。お前の方にも問題があったと思うぞ。(多分)

怨みます。

2005年03月23日 00時26分12秒 | 古い日記
ああ。疲れた。今回は軽く流そう。

昨日は、「自分は悪くないのに、転身を余儀なくされたプチ不幸」
について書いたので、今日は、その逆もある事を書く。

Brother:(会社)
ミシンやタイプライターで有名だった日本企業だが、
今はプリンターとかの電子機器とかを作っているイメージが強いかな。

この会社が海外に進出する際、社名が問題になった。

「ブラザーはマズイでしょ? 普通、『黒人の男性』を連想しますよ。」
「いや、俺達は兄弟で作った会社だ。思い入れがある名前なので、これでいく。」

結果...Brotherで押し通して成功した。

ICHIRO:(野球選手)
説明不要。
「イチローは、itchy-Low(下の方が痒い)に聞こえますよ。」
「いや、日本ではイチローでネームバリューがあるんだ。アメリカでもイチローだ」

結果...イチローで定着した。

失敗した例も挙げよう。

エビス:(ビール)
よせばいいのに、ロシアに販路を見出した。

結果...ロシア語でエビスは女性性器を意味する言葉なので、全く売れなかった。

その他:

ホルヘ・バカ:(ボクサー)
メキシカンのボクサー。確か世界チャンピオンにもなったと思う。
が、同年代に「オオ・バカ」という選手もいたので、インパクトの点で及ばず、日本ではブレイクしなかった。

デューケッチ:(テニス選手)
シャラポアを小型化したような美少女(東欧出身だったかな?)選手だった。
「デューケッチ?私の名前はドケチよ。ドケチ、ドケチと呼んで頂戴。」
と、主張し、日本の報道陣を困らせた。

シュ・セン・ド:(何だったか忘れた)
中国か韓国のバレー選手だったような気がする。
ある瞬間から、どーしても「守銭奴」に聞こえてしまい、困った。

何か、思い出すと色々あるな。

涙の後には虹が出る

2005年03月21日 17時59分57秒 | 古い日記
手元にあるスナップ写真で、凱旋門を改めてみて見る。
成る程、彫刻(と言うかレリーフ)の部分は自然石で茶色っぽく、その他の部分は
「人造石」を「ブロック状にして重ねた」という感じだ。
(いや、ここにアップした画像じゃわからないけど)

ところで...凱旋門にも一部で使われている、
「ラーメンマーク」の正式名称は「ギリシア雷紋」と言うらしい。
ギリシアが起源なのか?は不明だが、南米の遺跡にも似たような模様があるので、
「人間が良く思いつくデザインの一つ」と言う所だろう。

同じように、卍の印も世界中で良く見かける。
少林寺拳法(一応宗教法人)もそのシンボルマークは卍(一応、仏教系か?)だが、
最近変更になったと言う。

その理由は「卍はナチスを連想させるので、特に海外で誤解を招くから」
と言う事だった。

と言うように...
自分の方が先なのに、「後から来たのに追い越され、泣き」たくなる状況になる場合がある。
(水戸黄門の歌の2番みたいだな)

地下鉄サリン事件の後、
俺が秋葉原に行くと(当時はアニメの店とか無かったよな)こんな看板に出会った。

当社は麻原彰晃とは関係ありません(オーム商会)

(オウム真理教とは...って書かねぇか?普通?)

それは...
確か、抵抗とかコンデンサーとかの電子パーツ卸の店だったと思う。
もちろん、オームはΩの意味だが、「オウム真理教直営店」(マハーポーシャ?)と勘違いされ、
結局は潰れたようだ。(社名変更して、今もあるのかも知れない)

あれ?何の話だっけ?そうそう。俺がしたかったのは「人造石」の話だ。
でも長くなりそうなので、それは次の機会に譲ろう。

あれから10年...

2005年03月20日 19時59分02秒 | 古い日記
もう、あの日から10年経つのか...。

あの日、俺はいつものように日比谷線に乗って秋葉原に向かっていた。
ちょうど杉花粉が飛び始めた頃で、俺は買ったばかりの、
「花粉ガードマスク」(新発売)を着けて通勤していた。

「あれ?」
が、しかし、車内の様子がその日は妙だった。
俺と同じように、花粉症の人が多い。

目を赤くしている人。咳き込む人。クシャミをする人...。

それが地下鉄サリン事件「世界を驚愕させる事件の序章」だ、
とその時の俺は知る由も無かった。

意外にも、明暗を分けたのはマスクだった、と後で聞いた。

ハンカチを口に当てて、脱出した人や、俺のように最初からマスクをしていた人は
一命を取り留めて、そうでない方々は深刻な事態を招いてしまった。

俺は「杉花粉症」だった事、その日は偶然マスクをしていた事、
二つの偶然が重なって今、こうして生きている。

....と、言うのは作り話だけど。

俺とサリン事件が「ニアミス」したのは事実だし、とっさに
ハンカチを口に当てて、凌いだ人(ほとんど女性)が生存率が高かった、
と言うのも事実だ。

ついでに、「オヤ?今日は花粉症が多いな?」
と地下鉄の車内で思った人がいたのも事実、俺が花粉症だったのもまた事実だ。

「マスクなんて無駄だよ。ホラ。脇から空気が漏れているじゃないか?
 ハンカチなんか、ただの布なんだから、ガスや埃は通してしまうよ。」
と言う人もいる。

が、以来、俺はその教訓を生かす為、
セカンドバックには緊急用にガーゼみたいなハンカチを忍ばせている。

幸い、役に立った事は無いが。

九州の地震でも、「埃が舞い上がって息苦しかった」と言う話を聞いた。

これからは、マスクも携帯しようか?と思う。

漆喰を調べて

2005年03月19日 23時28分06秒 | 古い日記
レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」は、「漆喰塗りをした白壁」に後から描かれたもので、
油絵(?)だったらしい。

これは彼のオリジナル画法に基ずくものだったが、
年別を重ねると無残にも絵は退色したり、剥がれてしまったり、と散々だった。

それについては、
「ダビンチは発明家としても優秀で独自に絵の具を開発していたので、それが裏目に出た」
という考え方が一般的だ。

しかし...当時、壁画と言えば「フレスコ画」だった。長年の実績がある画法で、退色にも強い。
にも拘らず、「何故ダビンチはそうしなかったのか?」を考えてみる。

「フレスコ画」というのは、やはり漆喰に描く技法である。
しかし、壁に漆喰を塗りつつ、その漆喰が固まる前に顔料を混ぜて描く
という恐怖の一発勝負の画法だ。

基本的に、失敗や描き直しは許されない。
もし、修正するとしたら壁から漆喰を剥がして1からやり直す必要がある。
(陶芸の絵付けも似たようなもんだけど)

ダビンチは絵描きで油絵は得意だったようだが、この「フレスコ画」は
苦手、あるいは出来なかったんじゃないか?と俺は思う。

当時、彫刻が専門だったミケランジェロの方がむしろ、壁画(フレスコ画)
をたくさん残している事からして、間違い無いだろう。

(一説によると、彼は下描き無しで一発描きしたと言う)

一方ダビンチは、モナリザ(油絵)を終生手元に置いて、修正や補修を繰り返していた事が
伝えられており、要するに「ふんぎりを付けるのが苦手」な人だったのだと思う。
(と言うか、そもそも彼は遅筆で有名だし、未完成も多い)

写真は、CGで再現した「最後の晩餐」が描かれた当初の絵だそうだ。

作画中は、
「一日中描いていたか?と思うと、全く描かなくなったり」したそうだが、
何か意図があっての事ではなく、性格の問題じゃないか?と俺は思う。

花粉情報!

2005年03月18日 18時58分58秒 | 古い日記
朝っぱらから、かなりオゾマシイものを見た。
自動車に乗り込むと、フロントガラスに薄い膜のような物がある。
良く見ると粉だ。

ワイパーをかけて落とそうとしたが、縞状になって落ちきらない。
(写真参照)
まるでサハラ砂漠の粉塵のようだった。(行った事無いけど)

顕微鏡で観察すると、黄色い粒で、大きさはえーっと。
概算で、10ミクロン以上、100ミクロン以下かな?
(写真赤線内参照)

してみると、これが噂の「杉花粉」に間違い無いだろう。

自動車は、一応屋根付きの場所で、昨日の夕方7:00~今朝の8:00頃
まで、駐車しておいたのだから、12時間程度で「積もった」と言える。

こんなのは例年に無い現象で、今年は「花粉の大当たり年」だ。
(皆、知っているとは思うが)

災難、いや公害としか言いようが無いな。

俺も花粉アレルギーだけど、普通のとは違う。
病院で調べた所、「年間通じて何かしらの花粉や埃に反応する」
極めて厄介なヤツだ。
おかげで「人生を棒に振った」と思っている。

俺は尋ねた。
「直す方法は無いのですか?」
医者は言う。
「ありません。十年たったら治るかもしれませんが。」

それから十年以上経った今、確かに症状は軽減して、
以前の1/50くらいの症状になった気がする。

もっとも、花粉の量が50倍になったら同じ事かな?

今日は一日中、風が吹いていたし、花粉は都心にも向かっていっただろう。

まあ、いよいよになったら沖縄か、海外に避難するしか無いね。

2005年03月17日 23時39分18秒 | 古い日記
「カエルに水かきが無いのはおかしい」
とか、色々修正させられた挙句、採用されなかった絵だ。
(じゃあ、そもそもカエルが2本足で立つか?)

「写実性の欠片もないが、そう思わせる表現力」には、
自信があったが、世間には通じなかったようだ。
(ただの手抜きとバレたのかも知れない)

話は変わるが。

今でも無念なのは「キノコの村」のタイルだ。
俺としては「キャラクターとして商品化したいくらいの出来」
と自負していたが、
「男性のシンボルを連想させるので、教育上好ましくない」
と言う(?)納得しがたい理由で却下された。

今さら遅いが、NTT(だっけ?)のドコモダケは、
俺がその時描いた絵のパクリだと思う。
(絵が行方不明なので、皆さんの審判を仰ぐ事はできない)

また、話は変わるけど。NTTで思い出した。

うちの会社の敷地は無意味に広いので、
隣接する他社に駐車場を提供している。(有料)

その駐車場で、昼休みになるとある男(若い)が...。

自動車の中に引き篭もって、ひたすら携帯を
コチャコチャ操作しながら、画面を見つめている。
(1時間くらいズーッと)笑ったり、泣いたり、喚いたり、悶絶したりしている。
または、電話で話したりしている。

なんか、見ていると毎日それだな。
俺がすぐ傍にいても、まるで眼中に無いような感じだし。

が、今日は別の事に気が付いた。
駐車場の反対側でも同じような事をしている人がいる。

自動車の中に引き篭もって、ひたすら携帯を...(以下略)

良く見ると若いねーちゃんだ。
さらに良く見ると、前出の男(若い)と同じ会社の娘だ。

どーも、俺には不思議な光景だが、若者ではあれが普通なのかも知れない。

それとも、もしかして二人で社内恋愛でもしているんだろうか?