ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

風と共に去りぬ

2004年11月30日 22時14分55秒 | 古い日記
当社の絵タイルは主に「野外床」で使用する。

だから、表面をピカピカの釉薬で仕上げるわけにはいかない。

そんな事をすれば雨の日には思いっきり滑って危険だ。

かといって、表面に凹凸を付けると、汚れて絵が見えなくなる。

この矛盾には今でも悩まされている。

大手メーカーからは「汚れない、滑らない」を謳ったタイルもあるが、

「既存のものに比べて」という程度で「決定版」はない。



ところで、写真のような「反射板」(リフレクターって言うのかな?)

を見て思った事はないか?(車道の脇で並んでいるヤツだ)

「この風車は何なんだ?」という素朴な疑問。

ご存知の方も多いだろうが、知らない人の為に説明しよう。

この「風車」には歯ブラシのようなブラシがついており、

車が通り過ぎる「風」の力で回転する。

その結果、リフレクターの表面が掃除され、排気ガス等で汚れて

見えなくなる事はない...とこういう具合だ。


日本中にこのリフレクターが何個あるか?知らないが、

これで定期的な清掃が不要になるなら、年間何億もの税金が浮くだろう。

実際問題として、

「どこに設置したやつがどの位汚れて、どれ位危険なのか?」

調査するだけだって、莫大な手間がかかる。
(そういう調査書もないと、御役所は動けない)


この製品の天才的なアイディアがどうやって生まれたのか?

俺は、偶然テレビで見て知った。

まず、やっぱり「調査」からだ。

何千個もの設置されたリフレクターを調べ、

「どのような場所に設置したものが、どれくらい汚れているのか?」

データ採取をしたそうだ。

結果、道路状況、交通量によって汚れ方に非常にバラツキがあり、

「交通量が多い所は汚れる。」

という、極めて当たり前のデータになった。


が、何事にも「例外」はある。

ある場所にあるリフレクターは、交通量が多いにも関わらず、

汚れていなかった。

「張り込み」をしてみると、次のような事が判明した。

1:そのリフレクターの前には、ススキが生い茂っていた。
2:自動車が通るたびに、ススキの穂が揺れていた。
3:(ススキの穂は)そのたびにリフレクターの面をこすって
  掃除していた。

この発見から、試行錯誤を重ねて?年、この風車形になったそうだ。


技術者として、とても興味深い話だったが、

床用タイルには全く応用が効かないのが残念だった。

また、さらに廉価でさらに効果的な方法が開発されれば、

この風車式もすたれてしまうだろう。

技術とはそういうものだ。

空耳アワー?

2004年11月29日 22時14分13秒 | 古い日記
トラックなどの車両の、警告音声、
「バックします...バックします...」が、
「ガッツ石松...ガッツ石松...」
に聞えた事はないだろうか?
誰にでもそういう経験はあるだろう。(ないか?)

気のせいかもしれないし、気のせいでは無いかもしれない。
そんな「微妙なグレーゾーン」が日常生活の中にも存在する場合がある。

まあ、以下のような出来事は「日常的」では無いかもしれないが、
「そういう状況ならありえるかもしれん」と、思った話だ。

場所は日本の南端、八重山諸島の某島で、
「船田」という名の内地出身の青年が山間の畑で一人、
「きび狩り」に励んでいた。(要するに砂糖キビ畑での作業)

「フイッフイッフイー」
と、いう鳥の鳴声が響く。
空にはいつものように「カンムリワシ」が飛んでいた。

「カンムリワシ」は天然記念物で稀少保護生物だが、それほど珍しい
ものではない。この地では電柱に止っていたりもする。

まあ、それは、いいとして、今日に限って鳴声が妙だった。

「フーナーダー」

まるで遠くから自分の名前を呼んでいるかのようにも聞えた。

「......?  まあ、いいや」

内地から来た人間は、そういう事をあまり深く考えない。
「カンムリワシ」にも、色々都合があるのだろう、と、
また、黙々と「きび狩り」を続けた。

......一方、その頃、......

「駄目ですね。呼んでも返事が無い」
「ここからじゃ聞えないか?あきらめだな。」
「しかし、船田さん、弁当忘れたって気が付いたら戻ってきますかね?」
「さあ。畑は山の向こう側だしな。」
「往復で1時間はかかりますね。可愛そうに。」

......その夜の事......

くたくた、腹ぺこで帰還した船田さんは、
完全に逆ギレしていた。

「どーも、おかしいと思ったんだよ。俺は!
 何が『フーナーダー』だ。
 てめーはカンムリワシか? 紛らわしいんだよ!この馬鹿モンが!」

携帯電話が普及していなかった時代の話だね。

現世の楽園

2004年11月28日 22時56分42秒 | 古い日記
えーっと。昨晩の続きで、「世界のどっかに遊んで暮らせる国はないか?」だ。

俺の知っている範囲でそれに最も近いのは、
南太平洋、ミクロネシアに位置するナウル共和国だ。
直径5km。面積25平方キロ。世界で三番目に小さい国だ。

(日本が統治下においていた事もあり、
 太郎、花子、などの日本風名を持つ世代も存在するらしい)

「ナウル人で、働いているのは国会議員の16人だけ」

...と言われている。

人口は(資料によって異なるが)1万人程度だろう。
その内、約半分が「外国人労働者」で、彼らが実質的にナウルの産業を支えているようだ。

その産業とは「燐鉱石の採掘」だ。

ナウル島=「鳥糞からできた大地」=「燐鉱石の塊」
なので、「ナウル人」はその採掘権だけで、悠々とこの100年間、暮らしてきたらしい。

クーラーも、自動車も、プレステもあるし、椰子の木陰と美しい海もある。
「物質文明」と「南洋の自然」のいいトコ採り、それがナウルだ。

国籍は$20000で買える。(いや、買えた)
これであなたも一生安泰だ。ただし...この国、

1:燐鉱石は今世紀中には掘り尽くされる。
2:国家が破綻して、島ごと「消息不明」になった事もある。

等々、注意事項が満載で、「ヤバそうなリゾートクラブの会員権」
と、思った方がいいかもしれない。

写真は「ナウル国籍取得」に徹夜で並ぶ日本のフリーター達だ。(嘘)

楽園へ行こう!

2004年11月27日 22時14分33秒 | 古い日記
たまには他人のプログでも覗いてみるか?

ナニナニ?
「学食でカフェオレを買おうと思ったら、間違えて、普通のコーヒーのボタンを押してしまった」
だと?

よかったな。
こういう話を面白がって聞いてくれるコはきっと、「君に気がある」ぞ。

フムフム?
「代官山で食べたオシャレなランチ」
だと?

俺も金と時間にユトリがあれば、「ノリ弁」くらいは食えるしな。

プログを毎日更新している癖に、俺は結構忙しい。
何故なら(中略)今日も仕事だったし、明日もそうだ。
それなりのモノを頂いているならまだ我慢できるが、賃金だけは新卒並だ。

こんな俺は「世界一楽して暮らしている輩ってだれだ?」と思う。

実際、昔、「世界一働かない国民」というのを、近所で聞き込み調査した。
やっぱりいたいた。こういう連中だ。俺が探していたのは。

1:あー。彼らは、何もしていない。遊んでいるだけだ。
 (元日本帝國海軍軍人 円山重雄氏談)
  
2:独自の文化?そういうものもない。全部外国の文化のパクリだ。
 (英国人 ウィンストン卿談)

3:ハハ、何しろ、何もしなくても、食っていけるからねぇ。筋金入りの怠け者ぞろいだ。
 (豪州人 オジーラインハルト氏談)

もし、興味を持たれたら、明日も見て欲しい。

冬のムックリ(その2)

2004年11月27日 10時35分59秒 | 古い日記
えーと。何だっけ?そうそう。
アイヌの人達と心温まる交流についてだ。

ムックリ(口琴)は、「中々音が出ない」とか
そういう難しい楽器ではない。

口内を広くすれば、「ビン」
逆に狭くすれば、「ボン」

まあ、「打楽器」だと思えば間違いないだろう。

しかし、打楽器(リズム楽器)というものは実は奥が深い。

同じ4拍子でも、「ビン、ビン、ボン、ボン」
と「ビン、ボン、ビン、ボン」は違うし、音色や強弱でバリエーションは∞だ。

しばらくそうやって、遊んでいたら、いつのまにか周囲に、
例のアイヌの長老達が集まってきた。

皆、目をつぶって、ヘッドバンキングをしている。

どうやら俺のムックリを聞いているようだった。

やがて、一人がリズムに合わせて、自分の膝を叩き始めた。

「ビンボンビンボン」に対して「パシ、パシ」と2回。

いつの間にか全員でそれをやり始めた。

「うむ」と頷くようなヘッドバンキング。

「ビンボンビンボン」に対して「パシ、パシ」と2回。

セッションになってしまったので、やめるわけにもいかず、
かなりシャレにならん状況(俺の顎の疲労)になってきた。

と、その時、
「ハイヤー」という裂帛の気合と共に、長老の一人が立ち上がった。

「ハイヤー、ホイヤー、ハイヤー、ホイヤー...」

「ハイヤー、ホイヤー、ハイヤー、ホイヤー...」

「ハイヤー、ホイヤー、ハイヤー、ホイヤー...」

何人かが、例の鶴のようなダンスを踊り始めた。

..................

どうも、彼らの魂に火を付けてしまったらしい。

..................

しかし、これだけノリノリで楽しんでいる人に対しては、
俺も限界まで弾きつづけるのが礼儀ではないだろうか?

..................

ギターならいい。何時間でも。しかし、このムックリという楽器は、
何故、口で...

..................

数時間後、俺の顎はついに外れ、病院に運ばれた。
...と言うのは嘘だけど、その後一年間は顎がおかしかった。

嘘だと思うなら、ムックリを連続2時間、(休み無く)弾いてみるがいい。

いやはや、
非常に貴重な経験だったが、二度と経験したくないのも事実だな。

冬のムックリ(その1)

2004年11月26日 22時12分19秒 | 古い日記
いきなり書くのも何だが、俺はミュージシャンの一面もある。

人生の節目節目でコロコロ「目指す道」が変わる奴だが、
「高校~大学」時代は、その傾向が強かった。

選んだ楽器はギターだった。(それしか買えなかったから)

「何故はるばる北海道なのか?」

は省いて、俺は、アイヌの人達の前にいた。

彼らはご存知(かどうか?は知らぬが)歌と踊りが好きだ。

例えばこんな感じ。

「偉い学者によりますと、我々人間はですな。海から、プランクトン?
 とか言う生き物が現れてですな。だんだん岡に上がってきたそうですな。
 じゃが、我々が先祖から受け継いだ『教え』はそれとは違いますな。」

そんな前置きをしてから、長老らしき人はやおら立ち上がり、
歌いながら舞始める。まるで「丹頂鶴」のような動きだ。

延々、数時間、その「踊りと歌」は続く。続く。続く。
して、突然終わる。

(要するに『いかにして人間(アイヌ)がこの世に生まれたか?』
 を表現しているのだが、意味はサッパリわからない)

とにかく、我々とは全く別の「音楽観」を持っているようで、
この人達を相手に、「俺のギター」が通用するのか?
全く謎だった。

「では、クラッシック・ギターを演奏します。えーと、あの...
 静かに聴いて下されば(無理に踊らなくても)結構です。」

俺は愛器ホセ・ラミネス(偽物)を抱え、一番無難で、
ゆったりした曲を2,3演奏した。

「綺麗な音じゃなあ。」
「おお、実に心が落ち着くのう。」

幸い、意外と好評だったので俺はホッとした。

必ずしも「音楽=踊れるもの」ではないようだ。

「やれ、いいものを聴かせてもらった。」
「いや、こちらこそ。」

その日、俺はアイヌの人達が使う、「口にくわえて弾く楽器」が
「ムックリ」という名前だという事も知った。

高価な物でもなさそうなので、
さっそく民芸品屋のような所で買ってきたが、
それがその後、どんな惨劇(?)を招くのか?
その時は知る由もなかった。

えーと。長くなったので、続きは、また。

恐怖の幻覚を見る。

2004年11月25日 22時31分49秒 | 古い日記
最近、
仕事で疲れていたりすると、「幻覚」を見たりもする。
「強い恐怖観」を伴う、恐ろしい幻覚だ。

一言で言えば、
「動いているもの」と「止まっているもの」の逆転?
と言えるだろうか?

例えば...

視界の中で、
建物のドアが左右に開く。その瞬間、
「ドアの位置はそのまま」で「建物を含めた地球全体」が、
横に移動したか?のように見えるのだ。

そのイメージを想像しながら、写真をご覧頂きたい。

ちょうどこんな感じ。

一番恐かったのは、駐車場で車を止めていた時の事だ。

突然、俺が乗っていた車がバックし始めた。
あわててブレーキを踏んだが止まらない。
ギアをニュートラルに入れても止まらない。
サイドブレーキを引いても止まらなかった。

「ぶつかる!」と思った瞬間、「幻覚」から覚めた。
動いていたのは、俺の「横」の車だった。

さらに恐怖は続く。

工場にある、上下動するシリンダーを眺めていたら、
突然、シリンダーが止まり、地球が上下動し始めた。

これは、いよいよ「震度8くらいの地震がきたに違いない!」
と、その瞬間は、本気で思った。

外に逃げ出そう!と思った刹那、「動いているのはシリンダー」だった、
と気が付いた。

脳が疲れて、視覚をつかさどる部位が
暴走してしまったのだろうか?

ここ3日くらいは、その幻覚に悩まされてはいないが、
また起きるのかもしれない。

まるで、「夢」の中にいるような、不思議な感覚だった。

世界最凶の昆虫

2004年11月24日 21時00分51秒 | 古い日記
今日は工業団地の社長会があった。他に誰もいないので俺が出席した。
まあ、今回はたいした話はなかったのだが。

アメリカのテレビ番組で、「ナショナルジオグラフィック」というのがある。
何ヶ月か前だが、「世界でもっとも危険な昆虫、ワ-スト20」というのをやっていた。

タランチュラや60cmはあるような大ムカデ、
アフリカ原産のキラービー(殺人蜂)を抑えて、
「世界最強の昆虫」として堂々第一位に輝いたのは、
日本の「オオスズメバチ」だった。

移動速度の速さや、集団戦法を使う事、

年間の死者が30~40人を超える事。

確かにこれ以上ヤバイ昆虫はいないだろう。

日本産のオオスズメバチが最大最強だと言う事は、初めて知った。

こともあろうに、今年はそのスズメバチが会社の敷地に巣を作った。
猛暑の年は大量発生する傾向があり、今年はその「当たり年」だったらしい。
例年の10倍、という事だ。(今年の「当り」は熊だけではない)

調べてみるとコガタスズメバチという、種類だったが(実際サイズは若干小さい)
小型だから、と言って「甘い顔」は出来ない。

団地の理事長が「俺にまかせておけ!」とばかりに、
業者(植木屋)に頼んで駆除してもらった。

社長会が頼もしく思えたのは、後にも先にもそれ一回きりだ。

...写真は、えーと。全然関係ありませんね。

ちなみに「土」で巣を作る「ドバチ」(一般名かな?)って知ってますか?

あれの巣を焼くと使用した土の材質によって、

「陶器」や「磁器」になります。

今度見つけたら試してみるか。

振り切った針の行方

2004年11月23日 21時29分24秒 | 古い日記
「たいした話は無い」と言いながら、いちいち、書いているときりが無い。

全部飛ばして、大学を卒業して、

一般企業の就職試験を受けた時の話を書いておこう。

まあ、ありきたりの試験を通り、俺は面接までこぎつけた。

試験官は突然、こんな事を言い出した。

「皆さん、型にはまったような事しか言わないんですよね。
 『大学で思い出に残っているのはサークル活動と恋愛』とか。」

そこで俺は尋ねた。
「じゃあ、例えば、どんな話が聞きたいのですか?」

「『私は子供の頃、バイオリニストになろうと思って、一日4時間バイオリン
  を弾いていました』とか、そういう話が聞きたいですねえ。」

「じゃあ、私も本音で言います。馬鹿馬鹿しくて、話になりませんね。」

「ハァ?」

「だってそうじゃないですか?」

だいたい、大手の企業に入りたい奴なんてのは、

1:時速150kmの剛速球が投げられるわけでもなく、
2:何かの国際コンクールで優勝したわけでもなく、
3:絶世の美男とか美女でもある筈もない。

「特にこれといった能力や才能」も無く、

「一生をかけてもやりたかった事」も見つからなかったから、

「とりあえず勉強して、大学に入って、いい会社に就職して安心したい」

という奴らばかりだ。

採る方だって、そんな「毒にも薬にもならんような」人材を求めている筈だ。

で、なけりゃ、大卒の新卒なんて採るか。

形だけの試験をして、採用するのは欺瞞としか言いようが無い...etc

当時はまだ「バブルの夢」が残っている頃だったせいもあるだろうが、

俺の態度は、逆に受けが良かったらしく、この会社からは、その後

何度か電話がかかってきた。

だが、俺は、もう嫌になっていた。大きな組織に入るって事は、

「自分を偽って、白々しく生きる」事なのか?

と思いはじめていた。

今考えると、「純情」なこった。笑いたくもなる。

「自分に嘘をついて、白々しく生きる」なんて、

悩む方が「馬鹿馬鹿しくて」話にならなかった。

世の中「騙してナンボ」だよ。

試験官の人も俺の「純真さ」が新鮮だったのだろう。今考えれば。


今急に、昔観た時代劇を思い出した。
忘れない内に書いておこう。(別に大事な事じゃないけどね)


...時は江戸時代の幕末に近い頃...


と、ある実直で古風な侍が事件に巻き込まれ、脱藩して浪人となる。
過去の栄光も、家族も既に無く、世の中に未練は無い。
やつれて、長屋住まいをしているその浪人の前に一人の少年武士が現れ、こう告げる。

「父の仇討ち、受けて頂きたい」

そう言えば、昔、そんな名前の男を斬ったな。理由は忘れたが。
浪人者は、果し合いで「斬られてやろう」と決意する。
何、どうせ自分は死んだも同然だ。若者の為に「この首くれてもよかろう」と。

ところが、いざ「果し合い」が始まって、「斬られる」という刹那、
浪人者の体は勝手に反応して少年を「返り討ち」にしてしまう。

その後、男は冷酷な「人斬り家業」へと転職...そんな話だった。


...続きは忘れた。憶えているのはここまでだ...


そんなカッコイイものではないが、俺も、「最後の最後」の土壇場で、

「針が振り切れて」間逆の事を始める癖があるようだ。

ともかく、また、俺の人生は迷走し始めた。

その後の話、また途中の話は、また、機会があれば書くとして、

また明日から通常の日記に戻る。

今思えば?(その3:チン検)

2004年11月23日 15時45分15秒 | 古い日記
えーと。何だっけ?そうそう、「自衛隊工科学校受験」の話だ。

勇んで受けに入ったのは良いが、土壇場の試験会場で心が揺れてしまった。

若干15歳にして、自分の人生を決める事もなかろう、と考えた。

試験結果の発表は、向こうから電話がかかってきた。

なにぶん、昔の事でよく憶えてはいないが、学校の電話で話しを聞いた

気がする。

「あーっと。かなりいい成績だったんですけどね。残念ながら...」

「ハァ。そうですか。不合格ですね。」

「ええ。将来は是非、防衛大学に入って、入隊して下さい。」

「はい。高校で3年間、良く考えてから、進路を決めます。」

1分くらいだったが、そんな会話をした。



ところで、藤田の方は合格していた。

「行く気が無いなら、二次試験は行かない方が良いぞ。」

と、俺は忠告した。

「何で?」

「パンツ下ろされて、チンチンまで調べられるぞ。」

「まさか? 嘘だ!」

「嘘かどうか?行ってみればわかるけどな。」

「嘘だ!嘘に決まっている!」

藤田は、落ちた俺が悔し紛れに「冷やかしている」と思っているようだった。

「身長だけじゃなく、チン長も合否の要素だ。綺麗にしとけよ。」

俺は笑いながら言ったので、藤田はますます俺の言う事を信用しなくなった。


...数日後...


二次試験(身体検査込)を受けて帰ってきた藤田は、ションボリしていた。

「どうだった?」

「ああ。本当だった。パンツ下ろされて、見られたよ。」

「これで落ちたら、ショックだな。」

「でも長さなんて測らなかったぞ。」

(コイツ、本当は馬鹿か?)


結局、その後、藤田も俺も県立の普通課へと進んだ。

藤田はそこで「チン検」と仇名されたが、

それが誰のせいかは言うまでもない。

あああああああ。

話がだいぶそれてしまったが、あの頃から俺の人生は

「迷走」を始めた気がする。


「ああ、男ですね?」言われても...

2004年11月23日 15時04分27秒 | 古い日記
シスコはご存知の通り、観地とゲイの街だ。

土産物屋に行くと、「筋肉マッチョな男性ヌード写真絵葉書」

とか、普通に売っている。

でも、人口の50%がゲイだとか、そういう話を聞いても、

一見普通の街と変わらんし、「自分の身を持って」「ゲイが多い」と

感じる事はなかった。(感じたくもないけど)


しかし、世の中には、「感じたくない事」も感じる時がある。

夜の街を歩いていると、俺はポン引きみたいな男に声をかけられた。

話し方は日本と変わらない。

「へへ。お客さん。いい娘がいるんですよ。」

と、そういう感じ。

俺が変な英語で、

「ガールはいらん。俺は...)」

と答えかけると、

そのポン引きオジサンは、まってましたとばかりこう言った。

「それを早く言って下さいよ! お客さん、ナーンだ!

 男がいいんですね! お見それした、どおりで...」


何が「どおりで」なのか?かなり気になったが、逃げた。

一体、そこでどんなサービスが行われるのか?も気になったが、逃げた。

良く考えたら逃げる必要も無いのだが、逃げた。

別に追ってこなかったけどね。

今考えれば(その2)

2004年11月22日 23時14分24秒 | 古い日記
今日は、昨日(11/21)からの続きだ。

「意味がわからん」という方はそっちを読んで欲しい。

さて、ともかく、俺は試験会場に向かっていた。

場所は市役所の一室を借りて行われる事になっていたが、

そこで知った顔に出会った。藤田という同級生だ。

「あれ? お前? 受けるのか? ここ?」

「ああ」

「何で?」

「へへ。親に受けろって言われたから。」

どーも、やる気はあまりないようだった。

藤田は、俺より成績優秀だった。進学高→有名大学へと進むタイプだった。

ここには模擬試験の代わりに受けに来たとしか思えなかった。

他の受験生を見渡すと、ある事に気が付いた。

「藤田」が妙に浮いて見えた。

いや、俺もかなり浮いていたろう。

何故か?

その他は全員、「ツッパリ」みたいな奴らだったからだ。

しかし、ウンコ座りして煙草を吸うような軟弱なタイプではなく、

硬派な感じのする連中だった。

彼らの「付き添い」の先生みたいな人も来ていた。

これがまた「国士舘大学柔道部出身」という風体で、

「付き添い」と言うより「飼い主、見張り」という感じだった。



軍服姿の(これまたいかつい)自衛官の試験の説明が始まると、

会場は静粛な雰囲気に包まれた。

最後に、試験監督の自衛官は言った。

「わかりましたか?」

「...」

皆、あまりに無反応だった為、自衛官の態度は一変し、机をドン!と叩いて言った。

「返事!」

「ハ、ハイ!」

小心者の俺は、一番前の席で、大声を出していた。


試験中、俺の心はかなり動揺していたのは言うまでもない。

が、試験そのものはさほど難しい物でもなく、やがて休憩時間になった。



俺の後ろで、さっきの「ツッパリ風」が話をしている。

「社会のさあ。あれ?何だっけ?前方後円墳はわかったけど、その次」

「あれかあ。あれは『どうてい』だな。間違いない。」

「『どうてい』か?漢字が読めなかった。」


(そりゃ、銅鐸(どうたく)だろ?)と、

俺は思ったが、無論口には出さなかった。


やがてまた、試験が始まる。しかし、俺の心は、かなり試験から離れていった。

「いいのか?おい。これでいいのか?本当にこれでいいのか?
 ここで、俺の一生決めちゃっていいのか?
 これから、この世界一色で生きていくのか?
 そのほかの世界、何も知らずに生きていくのか?

 え? え?

 この上下関係、絶対服従、体育会運動部みたいな世界でいいのか?
 ここは『ツッパリ小僧矯正所』じゃないのか?
 違うか?じゃ何なんだ?
 4年間、特別公務員として給料をもらって、500万円近くなるが、
 それで、一生を売る気か?

 いいのか?

 お前には、他にもやる事があるんじゃないか?

 これで本当に後悔しないのか?」

もう、だんだん、やる気が失せていった。

「普通高校に進学して、卒業してから防衛大学行っても遅くないんだ。」

そう言って、受験をあきらめさせようとした両親の言葉を思い出した。

帰り間際、試験官が

「皆さん、御苦労様でした。
 全国での競争倍率を考えると、1点きざみの合否になる、と思います」

と告げた時、すっかり「落ちてもいいや。あー落ちろ。落ちろ」
という気持ちになっていた。

さて、この続きは、また明日、という事にしよう。

今考えれば?(その1)

2004年11月21日 21時00分45秒 | 古い日記
誰も興味ないだろうが、俺は「タイル製造業」で「窯業」に区分される。

が、生まれついての「タイル屋」だった、わけではないし、

「タイル屋」という言葉では表せない職種なので、

たまに「その職に就いた経緯」を知りたがる人がいる。


まあ、一言で言えば「たいした話は無い」のだが、

自分の人生を整理したり、今後の事も考える為に、纏めておこうと思う。


俺が「職業」と言うものを初めて意識せざるを得なかったのは、中学を卒業する頃だ。

「職業を決める」のは一生を決めるのと同じ事だ。(と思っていた)

どうせ、高校、大学、就職、というパターンを辿るなら、

「中学卒業」と同時に「職業に就く」か「その職業の為に進学する」方が、

人生有利に違いない、と想像した。

当時はITは無いし、学校の先生や親に相談しても、ロクな答えは返ってこない。

「え?今時、どっかの丁稚小僧にでもなるのか?」

などと言われるのがオチだ。

しかし、まあ、高校、大学へと「まっとうな道」を選ぶのもつまらないし、

なんか、こう、「普通じゃ思いつかない進路」はないだろうか?

そんな事を考えながら、ラジオを深夜聴いていると、思わず耳を傾けたくなるような、

情報が飛び込んできた。

「自衛隊生徒募集」という宣伝だった。

「自衛隊工科学校」という所で、

各県下に一つくらいはある4年制の「工専」と似たような形態らしい。

違うのは、「全寮制」と言う事と「特別職国家公務員として採用され、給与を支給される」

という点だった。

これなら、親がどうこう言おうが、15歳で俺は独立して生きていける。

しかも「伝統工芸の見習い小僧」じゃない。「安定した国家公務員」だ。

決めた。これだ。

俺は早速資料請求の手紙を出し、親にも告知した。

両親はかなり反対したが、

「全国で百人程度だし、倍率が非常に高い。受かってから心配しても遅くない」

と説得して、試験を受ける事になった。さて...。

少々、長くなったので、<続き>は明晩。

現場を見たかった。

2004年11月20日 22時13分34秒 | 古い日記
皆、何の興味も無いだろうが、俺の仕事はタイル屋だ。

かと言って、御風呂屋とかトイレで御馴染みのタイルとはちと違う。

主に「野外床」で使用される、「絵陶板」のようなタイルだ。

写真を見て欲しい。何か「心霊現象のような丸い光」があるが、

本題とは関係ないのでここでは無視する。

問題は、中央の丸い穴だ。

ここに銀色でピカピカに磨いた鏡のような筒を置くと、

タイルに描かれた歪んだ画像が、その筒に、

「絵となって写る」という寸法だ。

(ちなみに、「絵」は、古墳から出土した銅鐸や矛や剣、住居だ。
 大きさは約2.4×2.4メートルくらいで、たいして大きいものでは無い)

ともかく、中央を丸く刳り貫くには、どうしたら良いか?苦労した。

当社では、タイルをまっすぐに切断する道具はあっても、曲線は無理だ。

タイルとして「焼成」する前の粘土板の時点でカットしてしまおうか?

とも考えたが、あまりに脆く、危険だった。

結局、「専門業者に依頼してウォータージェットで切断してもらおう」という事になった。

(ウォータージェット加工とは、水を高圧で噴射し、物体を切断する方法だ。
 柔らかい物に対してはそのままだが、タイルや石などの硬質な物には
 細かい「研磨剤」を水に混入するらしい。主に墓石などを製作する石材業者が使う)

そこで、ネット検索して業者を探したが、関東近辺ではなかなか見つからない。

現在、「石材やタイルを加工できる業者」が少なくなっているらしいのだ。

その理由は、石材やタイルは、

日本では「デザイン」だけ行い、「人件費や材料費が安い中国」で加工し、

完成品を「日本に持ってくる」というパターンが定着しつつあり、

「自社では加工ができない業者」が多いようだ。

まあ、なんとかなったが、その業者へ持っていく人件費、輸送費を考えると、

結構な出費だった。(中国行きじゃなくて助かったけど)

たかがこんなもんでなあ...(切り口はシャープで形も寸法も完璧だったけど)

現在、この製品は島根県にある。(らしい)

真ん中に「鏡の筒」をおいた「完成体」はどんなもんなのか?は見ていない。

「いい出来だよ」という噂は聞いたけど。

大人勝ち

2004年11月20日 11時17分08秒 | 古い日記
「大人買い」とは?

はたせなかった「夢」の代償として、大人になってから
「廉価なおもちゃなどを大量に一括購入する」
という「子供っぽい」行為を指す。(らしい)

しかし、俺の周囲では、ちょっと違う。

一番ありがちなのは、「若僧では手が出ない高級ギター(百万クラス)」

を買って、ライブに参加するオヤジだ。

ま、それはいいとして。

過去に経験した一番しょーもないオヤジを御紹介しよう。

以下のような宣伝を読んで「これで勝てる!」とか言いながらニヤニヤしていた。

「こいつはすごいぜ!新要素満載。
 新エンジンMADエンジンV2スペシャル、
 スプリングスタビライザー、フリーホイール」

何だ?自動車を改造して、若いモンと暴走する気か?

妻子持ちで、会社社長のする事じゃねーぞ。

「あの、生意気なガキを凹ませてやる」

らしいのだが、

「西新井町の自治会を代表して」

という「前置き」が良くわからなかった。

わからなくても、別に困りはしない。

が、気になるので、数日後、彼と仲が良い若者に事情を聞いてみた。

「ああ、チョロQのカスタマイズですよ。」

「何だ?聞いた事あるが、チョロキュウって何だっけ?」

「おもちゃの車ですよ。

 西新井町の子ども会でそのレース大会を企画したんですが、

 主催者の○○さんが、一番、熱くなっちゃって。
 
 資金力にものを言わせて、自分が優勝しちゃったんですよ!」

「チョロQって、それで勝てるの?」

「自分で操縦するわけじゃないから、マシンの性能で決まります。
 投資を∞にすれば、いずれは勝てますよ。」

こう言うのは「大人勝ち」とでも言うのだろうか?

いずれにせよ、大人気無い。