ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

グランドインブルー

2005年01月31日 23時44分15秒 | 古い日記
えーと。何だっけ?そうだ。昨日の話の続きだ。
割れた煎餅は、売り物になるが、タイルはそうはいかない。

その辺に野積みにしておく。
すると、奇妙な現象が起きる。トカゲとか、カナヘビだとか、
そんな日本古来の小動物が住み着くんだ。

昔は石垣があったから、そういう生物が生息していられたが、
今は、彼等の居場所も無いからな。

アメリカだと、そういう場所に何が住み着くか知っているか?
蠍だ。家にも侵入してきたりする。

一応、蠍対策も記しておこう。
やつら、紫外線を当てると光るんだ。

何故かって?知らない。でも蛍光色のように、
ブラックライトを当てると光るんだよ。実際。
不思議だけど。

電気を全部消して、ブラックライトを灯せば、
蠍のいる場所がボウっと光る。
闇の中で光るあの形はかっこいいぜ。
憶えておくと何かの役に立つかもしれないな。
(あ、見つけたら殺しておけよ)

いや、違う。昨日の続きだ。
そう。土管だよ。土管。空き地の土管。

強烈な日差しや、雨に濡れる心配が無いので、
その中に住み着くヤツがいたもんだ。

あれも言わば、日本古来の生物を育んだ昔の石垣みたいなもんだ。

俺の同級生にもいたぜ。住んでいたヤツが。
今は「引きこもり」って言うのか?
でも、あの頃のガキは学校にも行かなければ、家にも帰らなかったよ。
金はバイトしたりして得た。今じゃちょっと無理だろうけどな。

で、何箇所か「泊まる場所」を確保しておいて、順次移動していく。
「土管の中」ってのは流石に最終手段だったと思うけどね。

あー。まあ、あまり思い出したくなかったけど。
俺が思い出さなかったら誰も思い出さないだろうから、
書いておきたい。そういう話が嫌いな人は読まない方が良いかもね。

不幸な男だった。名前を清と言う。小学生の時から知っているが、
生まれ付いてのワルだったわけでもない。
詳しくは書かないけど、むしろ「哀れ」だった。

彼は、すさんだ少年時代を送り、
不登校→非行→鑑別所→少年院という、
お決まりのパターンを歩んだ。

俺は、まだ学生の頃だったかな?
地元の新聞の片隅に火事のニュースがでていた。
「全焼。出火原因はシンナーに引火」
女関係のいざこざで、シンナー遊びの最中に喧嘩になり、
煙草の火が引火した、と言う、これまた絵に描いたような、
「中途半端なチンピラ」の死に様だった。

成人していたので、名前も本名で出ていた。
職業は塗装業(シンナー扱うよね?)って書いてあったかな?

その頃、世の中はバブルに向かう真っ最中、
俺達はヤツの事なんかすっかり忘れていたけど、
昔見た「悪い夢の続き」を見せられたような気がしたよ。

最後になるが。

関係無いのに、
いつも、写真を使って悪いな。○○君。
後でモデル料払う。(かも知れない)

「空き地」の出来事

2005年01月30日 21時37分30秒 | 古い日記
「お菓子のやまぎし」で買った煎餅。
その袋には、「変わらぬ味」と書いてある。
しかし、
「長い伝統があり、その変わらない味を受け継いでいる」
という意味では無い。

「手違い煎餅」の事だ。

(デジカメが無いから写真も無いし、説得力も無いな)

原材料名は、
「しょうゆ、ごま、ザラメ、みそ、海苔、七味、サラダ」
計7種類書いてある。
これらの種類の「煎餅」の「どっか欠けたヤツ」
が250g入って180円だ。

よって、
「割れちゃったので、一山幾らですが、味は正規の商品と変わらんですよ」
という意味であろう。

さて、以上のように、
「言葉は同じだが、状況によって意味が変化する」
というのは、文章表現上で非常に高度なテクニックだと思う。

別の例を挙げよう。歌の歌詞だ。

口笛吹いて 空き地へ行った
知らない子がやってきて
「遊ばないか?」と笑って言った

ひとりぼっちはつまらない
誰とでも仲良くなって
友達になろう

口笛吹いて 空き地へ行った
知らない子はもういない
みんな仲間だ 友達なんだ

え?知らない? 無理もない。
俺が小学校の時のNHK番組「道徳の時間」(だったかな?)
のテーマソングだからな。

ついでに言うと、
当時は住宅地の中にも、「空き地」があって、
「建築資材」とかが置いてあった。

漫画の世界でも、
コンクリート製の土管とか置いてある場所で、
ドラえもんとか、ノビタ君達が遊んでいたりするだろう?

あの、土管の中にはな。乞食とかが住んでる事があった。
あと、登校拒否の中学生とかも。

(まあ、そんな事はどうでもいいか)

話を戻すけど。

「知らない子がやってきて」と最初に言い、
「知らない子はもういない」と覆す。

あえて、説明してみれば、以下の2通りの解釈ができる。

1:「知らない子」は、もう、その場からいなくなってしまった。
2:「知らない子」は、もう、友達になったので、「知らない子」ではなくなった。

歌詞の前後から考えれば、2:である、と普通は思うだろう。

が、ガキはそんな事まで考えないから、1:かな?と思う。

やがて、時間が経ってから、この歌詞を思い出し、
「ああ、そういう意味だったのかな?」
と考え直す。

誰の作詞だか知らないし、
「道徳の時間」の放送内容は、良く憶えちゃいない。

「みんな仲間だ 友達なんだ」なんて言う、世の中は
無い事も悟ったけど、その辺だけは、勉強になったよ。

我、幻の珍獣を見たり!

2005年01月30日 00時52分50秒 | 古い日記
えーと。あれは3年くらい前の話だろうか?
一応、会議という名目で、国道沿いの某「釜飯屋」に集合した。

「将来的に考えると人件費が...」

木工細工が得意な、例の部長の話を聞きながら、
俺は何気なく、店先の植え込みの方を見た。

すると、そこから、犬大(いぬだい。犬くらいの大きさの意味)
の生物が、「スルリ」と飛び出した。

三日月のような胴体と、長い顔と、長い尻尾。
(???)

頭の中で、動物図鑑のページがパラパラと、フラッシュバックした。
が、「日本国→該当なし。世界で検索しますか?」
と言う感じだ。

いや、世界のレベルで考えても、何だかわからなかった。

「ねえ。あれさ。アリクイじゃないかな?」
俺は必死で冷静さを装いながら、隣にいた高木君に尋ねた。

「...アリクイ?」
高木君の目は、そっちを向いたが、脳の方は全く向いていなかった。
(と言うか完全にシカトされた。)

まあ、とにかく人間「あまりにも脈絡が無い事」を言われると、
思考が停止してしまうものだ。

仕方が無いので、俺は叫んだ。
「あー!あそこに、謎の珍獣がいます!」
(ちんじゅうって言葉も、日常的じゃないな)

皆の目が集中した頃には、珍獣は、車に轢かれそうに
なりながらも、国道を渡りきっていた。

今考えるとあれは...ハクビシンの成獣だ。

図鑑やペットの本には可愛いのしか載っていないが、
成獣はかなりでかくて、異様だ。

日本で野生化している、と聞いたが、ここまで進出しているとは思わなかった。

以上のように、昨今、外来種が多数入ってきているが、
逆に日本の生物が、海外で野生化する事はあるだろうか?

俺は、昔、CNNか何かでこんなニュースを見たよ。
以下に記す。

ドイツの動物園で「日本猿」を列車で搬送中、運悪く、
スイス山中で脱走されてしまった。

「いやーあ。猿は頭が良くて、捕まらなくて。」
ヘルムートバイラント氏談:

結局、猿達は、越冬に成功し、「スイスアルプスの猿山化」は、
既成事実となってしまった。

動物園関係者の心配をよそに、
「野生の猿を見る事が出来る!」と、
地域住民は、大喜びしている。

あれから、かなりの歳月がたったけど。

「マッターホルンで猿害問題」というニュースは聞かない。

My life as a dog.

2005年01月29日 01時30分54秒 | 古い日記
さて、人間、何がどうなるか?わかったもんじゃない。
大学時代に、浪人した上に、3回留年した奴がいた。
(同期じゃないけどね)
彼は、周囲がSOGOとか、ダイエーとか、当時の一流デパートに
就職するのを横目で見ながら、聞いた事もない怪しげな会社に
ようやく採用されたした。
「何て会社?」
「うん。ドンキ・ホーテって言うんだよ。」
今、そいつは店長様で、ダイエーとかに行った連中はリストラされた。

まあ、それはそれとして。

「うちの子は、アホで困っている。見てくれないか?」
と頼まれた事があった。
俺に相談するくらいだから、どれくらい逼迫していたかわかるだろう。

とりあえず、その子に会って、彼が「最も苦手とする国語のテスト」
を見せてもらった。こんな感じだった。

次の文を読んで、以下の質問に答えなさい。

題名:「遠足」

今日は学校の秋の遠足でした。...(中略)...
やがて、○×山に到着すると、...(中略)...
川の水は、キラキラと輝いて、...(後略)

問1:
川の水が美しかった事はどのように表現されていますか?

この質問に、この子は自信満々に「ゴミを捨てないから」
と書いて×をもらっている。

俺が、
「頭を冷やして、もう一回、良く考えろ。
 いくらなんでも、『これは間違っている』と思うだろう?」
と訊いたが、彼は、相変わらず自信タップリに、
「何で?合ってるっぺよー!間違った事言ってねぇよ!」
とぬかしやがった。

暫く、その子と接していてわかったが、この子は
「別に勉強ができなくても、生きていけるタイプ」だった。

その事を親にも話したが、「やはりな。」としか言わなかった。

その子も今は成人したが、
「備えも無ければ、憂いも無い」基本姿勢は全く変わっていない。

それでも、毎日を楽しく愉快に生きている。

色々悩んで、「策を弄しては墓穴を掘った」俺の人生は、
何だったのか?と、今さらながら思うよ。

ロボットの逆襲

2005年01月27日 23時26分23秒 | 古い日記
生命科学がここ数年で、恐ろしいまでの速度で進歩している。
が、一方で、俺の職場環境は恐ろしく劣化していた。

なんで?

力仕事をする、ロボット達が壊れてしまったからだ。

ロボットと言っても「人造生命への一号」みたいなヤツを
想像してもらっては困る。

なんというか、ほとんどが木製で(試作機だった)
物を持ち上げたり、定位置に移動させたりする道具、
そう思ってくれれば、多分当たっている。

以前在籍していたメカ設計を担当する部長が、
作ったものだが、いかんせん、
拙速で作った物なので、壊れる。
壊れて誤作動するくらいなら、無い方がマシだ。

「ロボットが人間を手伝う」と言うより、
「人間がロボットの面倒を見る」ようになったら、
本末転倒だし。

そこで、意を決して、やつら(ロボット)をすべて
「燃えるゴミ」にしてしまった。

で、俺は自分の体重の半分くらいの重さの物を、
手運びしなければならない。

人手は増やせないから、「物の重さ」を半分以下に
するか、俺の力を「倍以上にする」しか、
もう選択肢は無いだろう。
(なぜ、半分にこだわるのか?理由は無い)

前者は物理的に無理だから、
俺は何とか「筋肉を倍にする方法」を探した。

すると。

筋肉の肥大成長を抑制するミオスタチンという物質がある事
を知った。要するに「筋肉の発達を抑える」物質だ。

(何の為に存在するのか?わからない)

このミオスタチンなる物の、「多い、少ない」は、
「遺伝的に決定する」らしく、ミオスタチン遺伝子をはたらかなくした
「遺伝子組み換えマウス」は、通常のマウスに比べ、筋量が2~3倍ある、
らしい。

同じ現象が牛でも確認されており、人間でも突然変異で、
ミオスタチン遺伝子 が欠損したりすると、「5歳で3キロのダンベルを振りまわす」
ようになる事例が報告されている...そうだ。
(結局、一般人には何の役にも立たない情報だな)

うーむ。
ネアンデルタール人は、現代人に比べて、はるかに屈強だったそうだが、
もしかしてこのミオスタチン遺伝子が欠損していたのかも知れない。

それゆえ、何らかの理由で滅んだとか。

やはり、人造人間「への一号」製作にとりかかるか。

コバルトはアトムの何だっけ?

2005年01月26日 00時26分13秒 | 古い日記
写真で見ると、あまり発色が良くないが、右側のタイルは紺色だ。
で、その色を出す為の材料(顔料と呼んでいるけど)が意外と高く、
作っている方は損した気分になる。

地味な色(茶とか黒とか)に比べて、5~6倍程度の値段だし、
最近さらに値上がり傾向にあるからだ。
(と、言ってもタイル1枚あたりだと?円くらいだけど。)

と、言う訳で、今日はこの色について語る。

昔ながらの焼き物で、紺色と言うか、藍色一色で描いた、
絵皿とか茶碗とかを良く見かけないか?
あれを、陶芸の世界では「染付け」(そめつけ)とか言う。

由来はわからないが、とにかく、その顔料一色で描くと「染付け」と言うようだ。

で、その顔料の名前を「呉須」(ごす)と言う。
呉須は、主に中国から輸入していたもので、昔は非常に高価だった。

まあ、明治以前の話で、俺は直接には知らんけど、
江戸時代以前の「染付け絵皿」とかは、それだけで価値はあるだろう。

そもそも「呉須」は鉱物の名前で、その正体は元素で言うとコバルトだ。
(コバルトはそれ自体は、白色だが、珪素と混ざるとブルーになる。らしい。)

明治になって、ワグネルというドイツ人技術者が、日本に招かれ、
「天然の呉須は、とても、高いデース。
 コバルトと粘土を混ぜれば、その代用品になりマース。」
と、科学的な事を教えた為、以来、人造呉須が代用されるようになった。

今日では、自然の鉱物から生まれたものを「呉須」、
人工的にコバルトから作ったものを「コバルト」、
と呼んでいるようだ。

が、そもそもコバルトが高騰してきたらしく、窯業界も、その煽りを受けている。
(コバルトの主な工業的用途は、顔料では無く、磁石、研削機など)

さて、何度か写真をアップした、モスクの美しいブルーを憶えているだろうか?
青と言うより、藍色で、深い海のようなコバルトブルー(まあ、コバルトだから当たり前か)

実は中近東は、良質な呉須の産地で、中国でもそれを輸入していた。
が、入手困難な逸品で、それが確保できた時代のものは、
他の時代のものより、発色が良く、見る人が見ればわかるらしい。

確かに、日本古来の呉須(古代呉須とか言うらしい)は、
渋めで、黒っぽい。あえてそうしたのか?と思っていたが、
どうやら、そういう品質のものしか入手できなかったようだ。
(この辺は、あまり自信を持って断言できない)

たかが、タイルの一色について述べただけで、随分書いた。
しかし、世界的に見ても、
陶磁器にとってはこの藍色は特別な一色だ。

(なんか、古臭い色、という気もするけど)

ギター侍秘話

2005年01月24日 23時00分54秒 | 古い日記
1:トレーナーを裏返し(タオル地の方を表に)に着る。
2:本物のセメント袋を「バッグ」として使う。
3:ついでに鼈甲の眼鏡とかかけちゃう。
4:髭も蓄えたりする。

「え?そんなモン、流行った事あるんですか?」
と、思うかもしれないが、あった。

ただ、それを知っているのが、
「極限られた世代」の中の「限られた数年」だ、と言うだけの話で。

さて、当地の古い郷土資料を読んでいたら、こんな記録があった。
(あ、現代語訳してありますから)

「明治維新から20年も経とうとしているのに、
 未だに丁髷帯刀姿の侍がウロウロしている。
 ...(中略)...
 これを東京の人が見たら、どう思うであろうか?
 早々に改めさせねばなるまい。」

つまり、「自分たちは田舎の遅れた人々」で、
「文明開化した都会人」に、その様子を見られるのが恥ずかしい...。
と思ったが、そうでもないらしい。

文章の前後から、「新政府」の御役人が(東京から)
来るので、「早急に」という切迫した感じが伝わってくる。

つまり、近代化、西洋化、を目指す「新政府」の人間に、
(幕藩体制の象徴たる)「サムライ・ファッション大ブレーク状態」
を見られたら、只では済むまい。と言う危惧のようである。

実際、当地は幕末に「薩長に寝返った」弱小藩の地であり、
その辺はかなり敏感だったようだ。

ロシアでは、元々、髭を生やす(文豪トルストイのようなヤツかな?)
習慣があったが、ピョートル大帝の時代「近代化の妨げ」
として、髭に重税を課すようになった。

が、それが大いに反発を招いた...らしい。

一方、日本では、
「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。」
と謳われ、歓迎されたように、言われているが、どうも眉唾だ。

「断髪する前に一回、髪を結ってみたかった。」
と泣く少女も多かったようだ。

この狂歌の元ネタを探してみたが、良くわからない。

が、やはり、
「本来、この言葉(散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする)は、
 『表層だけ西洋の真似をした風潮を揶揄したもの』でした。」
と言う記述が真相のように思える。

まあ、命が危険に晒されない限り、
何百年も続いた風習は、そう簡単に改まるもんでもなかろう。

それにしても、「20年放置」って、当時はのんびりしていたもんだ。

曜変天目

2005年01月23日 14時21分53秒 | 古い日記
昨日書いた事を、若干、訂正する。

通称、「曜変天目」と言われているのもは、
日本に4~5点あって、その内の3つが「国宝」
という事らしい。

「曜変」と言う言葉は、茶器を観賞する立場の人達の
造語のようだ。
(字も曜日の曜で正しいのか?わからない)

窯業、つまり作る立場の人達が「窯変」と
表現する現象から由来する、と考えていいだろう。

で、「窯変」(ようへん)とは何か?
本来、現象を表す言葉だと思う。

例えば、同じ茶碗を100個作ったとしても、
まるっきり同じものが100個できる保障は無い。

その時の熱の周り具合、酸素の多い、少ない、
窯中での位置、などなど、人間にはコントロール
できない偶然の要素が加わり、
「何でこんなのができちゃったの?」
という製品も出てくる。

まあ、たいていの場合は「不良品」の烙印を押されて、
捨てられてしまう運命にあるが、
中には予期せぬ「観賞価値」を生む事がある。

これを、「窯の中の変幻」と言う意味で「窯変」
と言い、または「窯変」を起こした製品を「窯変」
と呼ぶようになったのだろう。

陶芸品を扱う店などで、「窯変」に出会うのは、
それほど珍しい事ではない。

「同じ茶碗が、5つあって、
 何でこれだけ値段が高いのですか?」

「ああ、これ窯変なんですよ。
 色が違うでしょ?ここの所が。」

(要するに不良品じゃねーか?)
と思ったが、「窯変」と言われている物を多数見ている
内に何となくわかった。

釉(うわぐすり)が、窯の中で高温に晒され、
「タラー」っと液状化する頃、(泡が出る事が多い)
何か不可思議な現象が起きて、色や表面形状が、
変異してしまう。

それが、綺麗に収まった(冷えて固まる)場合、
「窯変」と呼ばれるものになる、ようだ。

俺が陶芸屋で見た「窯変」は、「風変わり」という程度で、
「こりゃ凄い!」という程の物はなかったけどね。

陶工達は「窯変」ができると、
隠してしまう場合が多かったようだ。

「もう一回、同じ物を作れ」
と言われても出来ないのは「職人の恥」であり、
その偶然を何とか「必然」にしてから、世に出したい、
という気持ちがあったように思える。

で、結局、「必然」にはならず「歴史の闇」へと消えていく。

しかし、近代科学が発展すると、事情が変わった。

昔の「窯変」や「幻の陶芸」
の多くは正体がわかり、偶然ではなく、必然となった。

日本各地にある特産の「○○焼き」の材料は、
今や通販で、どこのでも買えるし、マニュアル通り
作れば、だいたい同じような物ができる。

が、「黒い天目茶碗に浮かぶ青い虹彩」だけは、
「決定版!」と言えるような再現方法が未だなく、
今日に至る、という事らしい。

まあ、無くても日常生活には差し支えは無い...か。

俺は「陶芸家」では無いし、間違った所も在るかもしれないが、
以上が「曜変天目」の解説だ。

多少は窯業のロマンを感じてもらえただろうか?

漆黒に「青い虹彩」

2005年01月23日 00時05分18秒 | 古い日記
まあ、陶芸好きな人は知っているだろうが、
このプログを「陶芸家」が見ているとも思えないので、
まず、「天目茶碗」について説明しよう。

天目茶碗とは、日本独自の言い方で、
その名の由来は日本でお茶を飲む習慣が広まった頃に遡る。

中国の天目山の寺院で使われていた、黒い茶碗の数々。
それが、わが国も貴族達の間で多いに流行り、通称「天目茶碗」と呼ばれた。

日本では「オシャレな茶碗」だったが、中国では普通に使われていた雑器であり、
パカパカと大量生産されていた。(らしい)

(ちなみに、今でも『天目釉』という『うわぐすり』はあるし、
 決して珍しいものでは無い。
 何度か写真に載せた、俺の『カルピス看板もどき』の
 黒い部分なんかがそれだ)

が、極まれに、不思議な茶碗ができる事があったようだ。
(確率的に言えば、うーん。わからん。)
黒いうわぐすりの上に、ブルーの模様が浮き出るのである。

中国人達はこれを
「アイヤー。キモイ在るな。捨てるアルよ。」
「何でも欲しがる日本人ドモに、くれてやる、よろし。」
と、言ったかどうかは知らないが、現存するのは、
何故か?日本にある3点だけだ。
(いずれも国宝)

これら3つの特殊な「天目茶碗」を「曜変天目茶碗」と言う。

さて、普通、「骨董的価値」とは、
今の技術でも再現できるが、
「当時の物だから珍しい」とか、
「誰それの作だから、高価」とか、
なのだが、これは別格だ。

つまり「現代科学の粋を集めても」
この青い模様が何故できるのか?
がわからないし、贋作すら作れないのである。

これだけレアだと、「超常現象」にも等しいが、
現に存在するのだから、困りものだ。

ところが、「冒険家」と言うか、
「人生を棒に振りたい人」と言うか・・・
その「曜変天目茶碗」に挑む方々も、存在する。

だいたい、以下の2タイプに分かれるようだ。

1:なるべく、その時代の制作方法にのっとり、再現しようとするタイプ。
2:何か、特別な工夫をして、同じ物を作ろう、とするタイプ。

このホムペの作者さんがいずれのタイプかは知らないが、
まあ、一例として(勝手に)紹介する。→ここ。

王様と私

2005年01月21日 22時29分50秒 | 古い日記
「お客様駐車場」という看板を作ってくれ、
と、ある知人から個人的に依頼された。

まあ、会社の余り物で簡単に作れるから、俺は承諾したが、
人間、生きていると、「知りたくもない現実」を知らなければならない時もあるな。
(例えば「梓みちお」がステージで歌う時はノーブラでノーパンだ、とか)
しかも、それを何十年もたってから、「思い出すハメになる事」も、
しばしばある...かも知れない。

そんな訳で、「王様と私」だ。

俺は(と言うより俺達は)子供の頃、遊ぶ場所と言えば
「駐車場」という事が多かった。見つかると注意されたが、
あまりうるさく言う大人もいなかった。
(前にもそんな事書いたっけな)

一番近所にあった駐車場は、一見、どこにでもありそうな、普通のヤツだった。
「身分の高い方の御利用がある」、とはとても思えない。

が、その駐車場のネームプレートには、
「鈴木様」や「田中様」や「斉藤様」に混ざって、
紛う事なく「王様」と書かれたネームプレートがあった。
しかも、とどめをさすかのように、
その隣は「男爵様」だった。

昔の事なので、ネームプレートは、でかくてペンキ書きの毛筆書体で、
なかなか迫力もあった。
2つ並んだ「王様と男爵様」...いかにも怪しげだった。

駐車してある自動車を見ると、
「王様」は、何故か古ぼけた軽トラに乗っており、
「男爵様」の方は、幾分か高級な国産車乗用車だった。

そして、ある時、俺はその軽トラに乗り込む男を目撃した。
が、期待していたような人物では無い。
(普通のオジサンじゃん)としか言いようが無かった。

「男爵様」も見た。
まあ、これも、普通の人っぽくて、特に怪しそうな様子もなかった。

が、俺も、やがて「物の道理がわかる年頃」になる。

「男爵様」は、男爵+様であり、それが近所の喫茶店の名前で、
その店が借りている駐車場だ、と判るようになった。

さらに、もう少し時間がたって、近所のラーメン屋さん「五十番」
の店主が、台湾の人で、名前が「王」(ワン)だ、という事も知った。

その内、「おしゃれ泥棒様」(パーマ屋)のネームプレートが
追加さた頃には何の感動もなかった。

さらに、俺は大人になり、社会人になった。

ある期間、勤務先は、社長が所有していた某マンションの一室
になり、そこでパソコンを相手に上司と2人でプログラムを組んで
日々暮らしていた...事があった。

ある日、玄関のチャイムが鳴り、俺が出ると、
2人の女性がおり、一人が恐る恐る尋ねた。
「あのお、日本語わかります?」
「ハァ?」
「ジャパニーズ?」
「日本人ですよ。私。」
「ああ、よかった。日本人だって。」

最初は、何を言っているか?わからなかったが、
玄関のドアの表札に、自社のカタカナの社名を入れている事を思い出した。

しかし、まあ、

(ゴールドマン・サックスとか、そういう銀行みたいな名前なら
 ともかく、株・コムリンクスなんて外人、いる訳ねーだろ?)

と心の中で叫んだ憶えはあるが、その女性2人が何しに来たのか?
は、全く記憶にない。

後で知ったが、そのマンションの住民の8割方が、
俺達を「外人」と思っていたらしい。

で?一体、何人のつもりだったんだよ?その「株さん」はよ?
(今考えると、社名も社名だけど)

東南アジア方面に行くと、
レオポルド・ポンとか、デニス・マロン・ハオとか、
家系が複雑そうな人達が大勢いるが、
漢字とカタカナが混ざっているなんて、
日本じゃ、「お笑い芸人」くらいだろうが。

もし、写真の男を見かけたら、
「いよ!コムリンクス・カブ!」
とでも声をかけてくれ。

椰子の木は残った

2005年01月21日 00時47分36秒 | 古い日記
今日は昨日の似顔絵に続いて、
「自分の顔でも晒そうか?」と思っていたが、やめだ。

妙な「出会い系」のプログへの書き込みが集中している為か、
新しい画像がアップできないし。

で、代わりと言っては何だが、
昨年末に鬼籍に入った「無き祖父」を晒す。

ご存知の通り、能舞台の背景には「松ノ木」が描かれている。
演目によって変わる事は無い。
舞台で使われる道具も、いたってシンプルかつ抽象的で、
「病人」を床に置いた赤い布切れ一枚で表現したりする。
(意味はわからぬが、恐い演出だ)

こういう舞台にふさわしいのは、こういう老人だろう。

背景が「松ノ木」では無く、
「椰子の木」だったりしたら、こうはいかない。

逆に想像してみるといい。
サーフボードを載せたアメ車が、海岸ではなく、
崖の松ノ木を背景にしていたら、いかに違和感があるのかを。

よって、日本人にとって、「松ノ木」がいかに特別な木で、
伝統的であるか?理解できると思う。

ところで、話は、文化の世界から、
植物学的な話題に切り替わる。

普通、松葉は 2 本一組で束になっているが、
「五葉松」(ゴヨウマツ)では、5 本の松葉が束になっているのをご存知だろうか?
それがこの松の木の名前の由来だ。

「じゃあ、何で御用松って書くの?」
と思われる方もおられよう。

確かに正月のしめ飾りに使う松などは「御用松」と書くようだ。

うーん。それは多分「御用を待つ」で縁起がいいから、
という語呂合わせだと思う。
本で調べても五葉(御用)松、ゴヨウマツ、なんて書いてある。

めでたいで、鯛、とか、よろこぶで昆布とか、
そういうもんと一緒だろう。

だいたい日本の伝統や風習なんて、そんなもんだな。

「夜釣りのドヒ」伝説

2005年01月19日 23時49分16秒 | 古い日記
さて、「顔を見た事がない」知人や友人を持っている人
はいるだろうか?今時なら珍しくは無いかも知れない。

「交際を申し込まれて、付き合う事になり、彼女ができた。
 もっとも、ネット上の付き合いなので、会った事はないし、
 顔も知らないけど。」

と、どっかでカキコしている子がいたっけな。
(暫くして、価値感の違いで分かれたそうだけど)

まあ、例によって「色恋沙汰」は書かないプログなので、
これで、この話は終わりだが、昔、俺にも「夜釣りのドヒ君」
という友達(?)がいた。

ドヒ君は「土肥」と書くそうだが、
俺の親しい友人(というか後輩)の同級生だった。

初めて会った時、
「土肥です。よろしく」
と挨拶されたが、真っ暗闇の中で、顔は全然見えない。
が、上の方から声がしたので、背が高い事だけは確かだった。

「夜釣り」と言っても、釣糸を川に投げ込んで、
鯉がかかるのを待っているだけで、後は、テトラポットの上で、
飲んだり、世間話をしたり、して過ごしていた。

(で、結局何も釣れなかった気がするけど)

その「夜釣り」は年中行事化し、鯉が産卵期になる頃、
毎年行われていたが、結局、ドヒ君の顔は見た事がない。
(話は何度もしたけど)

その後、ドヒ君は結婚したらしい。

俺はその知らせを聞いて言った。

「えーと。ドヒ君って誰だっけ?」
「『夜釣りのドヒ』ですよ。」
「ああ、彼か。顔は知らないけど、何回か会ったよな。」
「そういえば、そうですね。」
「どんな顔なのかなあ?」
「えーっと。そりゃあ、『ドヒ』って顔ですよ。」

いや、実に変な会話だ。

結局、そんな事もあって、皆、自由もきかなくなり、
「夜釣り」はやらなくなってしまった。

が、今でも時々、彼の噂は聞く。

「『夜釣りのドヒ』から合鴨の胸肉もらったんですよ。」
とか、
「『夜釣りのドヒ』の奥さん、メグミに顔が似てますよ。」
とか、
「『夜釣りのドヒ』、ついに資格取りましたよ。」
とか。

その度に、彼の姿を想像するが、イマイチわからない。
(あたりまえか?)

ところで、「似顔絵描きツール」で自画像を描いてみた。

まあ、これだけ「隠し所」が多けりゃ、似てると言えば似てるかもしれない。

ちょっと昔の話

2005年01月19日 00時27分30秒 | 古い日記
憶えている人はいないだろうか?

もう、何年くらい前の事かも忘れていたが、
こんなニュースをやっていた。

「世界で始めて、どんなパソコン上でも動く基本ソフト(OS)が
 誕生しました。」

俺は、我が耳を疑ったが、確かにそう言った。(と思う)

次の日、職場でも話題になった。
主に、メカ屋、電気屋、などのソフトの専門家じゃない人達が
騒いでいた。

「あれ、どういう意味?」
「さあ。」
「NHKのニュースでも言っていたし、本当だよね。」
「『仕事の能率が20倍上がる』とも、言っていたぜ。」
「どういう根拠だろうね。」
「何がどう、変わっても、タイピングの速度が20倍になる筈ないしな。」

今考えると...いや、今考えてもヘンだ。

1:パソコンの種類を選ばない。
2:作業効率が20倍。

という話は何なんだったんだろう?

でもね。確かにそういう表現だったんだよ。
Windows(バージョンは忘れたが初期型)が出た時はね。

で、結局、それはIBM-PC互換機(DOS/Vマシン?)
でしか使えなかったし、作業中フリーズしまくり、
で、作業効率は1/20になった...

いや、導入した会社が20くらい潰れた。(かもしれない)

まあ、なんとかWindowsが落ち着いた頃、
周辺機器もそろい始めた。

その頃のチラシには「カラープリンター Windows対応」
なんて書いてあった。

が、DOSマシンがまだメインで活躍していた頃なので、
ここでも一悶着あった。

「Windows対応」とは、
「Windowsじゃなきゃ使えません」という意味で、
「Windowsでも使えます」じゃなかったのである。

当時、俺はデザインをする関係上、マック(アップル社)
を使っていたが、とにかく、Windowsは使う気がしなかったね。
マックは高価だったが、それなりに使いやすく、
フリーズも少なかったよ。

が、当時から、マイクロソフト社の営業力で、
「Windowsがマックを越すのは時間の問題」
と言われていた。

そこで(と思ったのかは知らないが)アップル社は戦術を変えてきた。

外見をさらに可愛らしくして、「使い方」は、
1:電源を入れる。以上。
というような、「誰でも使える」面を強調してきた。
(テレビCMでやってたな)

そこで、問題だ。

初めてパソコンを買った女の子が、この写真のような
「三極の電源コード」を見て、どう思うだろうか?
「真ん中の棒」が何なのか?理解できるだろうか?

1:電源を入れる。って、簡単に言うが、

その時点で、「アウト!」だろうな。

(一般家庭の家のコンセントに入る筈が無い)

案の定、マックはアウトになったけど。

石焼芋とタイル業

2005年01月17日 22時43分14秒 | 古い日記
「だれだ! 電気炉で石焼芋焼作ろうとしたのは?」
「ええ? 何でわかったんですか?」
「この上昇(温度の)カーブで、それ以外、焼けるか?」
...そんな台詞が似合う季節になった。
(未遂で終わったけど)

そこで、今日は、サツマイモという、
原爆以上に人類の歴史を変えた植物について書こう。
(いや、学者や先生たちがどう言うかはしらんけど)

以下、司馬遼太郎風に書いてみる。

不幸な品種があった。名を「沖縄100号」と言う。
早掘りに適し、多収で、栽培も容易な品種だった。
でも、「二度と食いたくはない」
と、戦後の食糧難を経験した人はそう語るであろう。

要するに、「沖縄100号」が流行ったのは、
「戦後の食料難を乗り切る為」であって、
多くの人にとって、「辛い記憶の象徴」であった。

...話は日中戦争当時の華北地方に跳ぶ...

日本国が国策としてその運営にあたっていた、
華北交通株式会社にとって最大の悩みは、
「鉄道を破壊される事」だった。
「抗日ゲリラ」の仕業なのだが、それを防ぐ為、四六時中、
鉄道に沿って、兵隊さんをズラッと並べておく訳にもいかない。

とりあえず、「鉄道沿線の農村は全員、華北鉄道の味方」
と言う事になれば、ゲリラも近寄れないんじゃないか?
怪しげな輩が近づいても、農民が通報してくれるだろう。

そこで、「農民に愛される鉄道」として、華北交通は、
中国で「近代的農業指導を行う、最初の組織」となり、
(ゲリラの破壊工作活動の対策になったかどうか?はともかく)
それは、一応の成功を収めた。

日本の敗戦、中華人民共和国設立後、
「沖縄100号」は、「勝利100号」と言う名前で、中国に広まった。

ロクに肥料を与えなくても、収量が極めて多く、栽培もやさしかった
「勝利100号」は、農民達に多くの利益をもたらし、
中国10億人の民を食料危機から救った。

鉄道を守り、アジアの人民を餓死から救ったのは、
武器でも、政治家でも、ある特定の思想でも無い。
アメリカ大陸原産で、沖縄で品種改良された蔓科の植物だったのである。

後書き:

普通、「タイル用の電気炉で石焼芋を作った」
という話の方が、プログとしては面白いんだが、
未遂に終わってしまったのだから仕方が無かろう。

黄金の番人

2005年01月16日 17時42分07秒 | 古い日記
期せずして、余計な仕事をするハメになったが、
(意味わからん人は昨日のプログ参照)
予定より早く終わったので、今から書く。

さて、美術的な絵タイルと言えば、
イスラムの寺院のような「華やかできらびやかなスタイル」
を想像しがちだが、たまには地味目なものを紹介しよう。

写真右側は、11~12世紀ごろのイギリスの...
何だっけ?まあ、なんたら言う寺院の舗床に
使われたタイルで、今でも現存する。
(まあ、『現存する』に、今も、は余計か?)

黒っぽい粘土に、型を押し込んで、凹んだ所に
黄色っぽい粘土をはめこんだだけのシンプルな絵。

モチーフは、定番の「獅子とグリフォン」だ。
ちなみに、グリフォンとは、ドラゴンの親戚みたいな奴で、
姿形は「鳥と獣」の合体、
職業は「黄金の番人」である。
...だと思う。(良く知らんけど)

で、こういうヨーロッパのタイルは同時代のイスラムのタイル
に比べて、悪く言えば貧乏臭く、良く言えば「素朴」である。

日本の焼き物で言えば、民芸風の味わい、とでも言えようか?

そう言えば、あのハリーポッターとか言う映画の闘技場みたいな
場所に貼ってあった「茶色×黄色」タイルもそんな感じかな?

とにかく、俺はこの「グリフォン」の絵柄が気に入ったので、
真似して作ってみた。
(て、言うか、簡単にできそうだったから)

左側がその試作品だ。

結論から言うと、「ダメ」だ。

この、「いい加減で、適当な感じ」が、表現できない。

そう思って、もう一回、わざと荒らした感じで作ってみた。
(下の灰色の方)

でも、これでも絵の輪郭がハッキリしすぎてしまい、
今ひとつだった。

うーん。
そもそも、本物の方は植木鉢みたいな素焼きっぽい粘土
のようだな。

本の写真で見ただけなので、わからないけど。

まあ、いずれ機会があれば、また取り組んでみよう、と思う。