ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

いもフライ

2006年04月30日 23時26分53秒 | 古い日記
今日はわざわざ取材に出かけた。(ウソだけど)

「何?ブロガーの李参堂とな?」
「はい。主にオサーンを笑い者にするのが得意なフトドキなヤローです。」
「して、そやつ、何用じゃ?」
「何でも『いもフライ』の話を聞きたいとか...。」
「あ?このワシに..『いもフライ』じゃと?」
「そうです。追い返しますか?」
「かまわん。...通せ。」

-----猪脅しの音-----

「まず、大きさじゃな。決して一口サイズを越えてはならぬ。」
「それは衣とのバランスを考えて、ですか?」
「そうじゃ。イモが大きすぎるとイモの味しかしない。」
「なるほど。パン粉付きとパン粉のない天麩羅風がありますが?」
「パン粉付きはソース。パン粉なしは醤油が合う。ただし...」
「ただし?」
「衣に玉子が入っているか?否か?にもよる。」
「玉子が入っていると...どういう事になるので?」
「揚げたてなら、塩で頂くのが通じゃな。」

-----猪脅しの音-----

「今日は色々とありがとうございました。ところで、近年、ますますその確信を深めつつありますが...。」
「何じゃ?」
「貧乏臭い食べ物って、だいたい...この辺の固有の食べ物ですよね?」
「...。」
「別の言い方すれば、この辺の名物ってみんな貧乏臭いって言うか...。」
「...。」
「海は無いし、土地は痩せてるし、昔からロクなもんないって言うか...。」
「...。」
素材で勝負できないから醤油やソースをドバドバかけて食べるとか...。」
「...。」

-----猪脅しの音-----

「...李参堂、それは、お主も同じ事じゃ。」
「はぁ?」
「いつも、いつも...ロクな話じゃ無いのに無理やりネタにしとるだろう?」
「...。」
話の素材で勝負できんから、毎回、強引にオチを作っとるだろ?」
「...。」
「そもそも...お主の話は全く、元手がかかっておらんわ!」
「...。」

-----猪脅しの音-----

そういう訳で、今日は説教をされて帰ってきた。

よって「いもフライ」については→ここをクリック。

オサーンの王国

2006年04月29日 23時39分17秒 | 古い日記
建物の基礎の部分(建物の土台)は普通、コンクリートで作る。
どうやって作るか?と言えば、別に原理的には難しい事はない。

コンパネなどで形枠を作り、そこに「生コン」を流し込む訳だよ。

(以下、イメージ写真)



で、改築するにあたっては、
「基礎の部分」を削ったり、追加しなければならない場合もある。

「削る」のはまあ、いいとして。

すでに固まっている「コンクリート」に生コンを「継ぎ足し」するのは、
大変難しい・・・と言うか、コストがかかる・・・方法だった。
(ただ、単純に『継ぎ足し』すると剥離してしまうらしい。)

いっそ、「全部壊して、最初から作り直す?」
というくらい、やっかいな問題だった。

(いつ頃まで、そうだったのか?は不明。
 が、10年や20年じゃない程の昔...らしい。)

で、今はどうするのか?と言うと...。

まず、古い方(固まっている方)のコンクリートにそれ用の接着剤を塗る。
(なんか、白い液体で木工用のボンドみたいだったな)
それから生コンを「継ぎ足し」すると、固まっても剥離せずに「一体化」する。

えーと。よく憶えていないが、「生コン」の方にもその接着剤を混ぜるんだっけかな?

-----さて、以下本文-----

「タイル馬鹿一代」に間違いがあったので訂正する。

20cmの厚さをコテで仕上げたわけではない。

例によって「改築」で、
15cmの厚さしかなかった部分に「5cmの厚さを付加」しなければならない状況だった。

しかし、「5cm」の厚さの型枠ってのはちょっと無理がある。

「2cmをこえる大きさの砂利が入った生コン」じゃあ、
型にならって流れ込むには...狭過ぎるというか、薄すぎるんだ。

「どうする?」
「じゃあ、モルタル(砂利が入っていないコンクリ)使う?」
「モルタル使うんなら、左官屋に頼もう。型枠を作らずに済むし。」

その結果、腕のよい「左官屋」だったので、
型枠で作ったような「フラットな仕上がり」になった、とそういう事だった。

素人が5cmも塗りこむと、(型枠を使わない限り)
モルタルが硬化する前に、だんだんと垂れ落ちてくるので、
「下にいくほど、厚い壁」になるそうだ。

-----以下、余談-----

コンクリート形成に於いて、「型枠」を使う場合、
「生コン」の重さに型枠が歪んでしまい、「いびつな壁面」ができてしまう事がある。

こういう時はどうするか?

まず、召喚されるのは「ハツリ屋」である。
かれらはノミなどの道具で、ガリガリと削り、表面の凹凸をすべて消し去る。
いや、「表面上の凹凸」なんて生易しいモンじゃなく、壁の形を変えてしまうくらいの勢いで削る。

その後、「左官屋」が現れて表面をモルタルで平らにならしてしまう。

よって、腕の良い「ハツリ屋」と「左官屋」がいれば、
「型枠屋」や「生コン屋」の失敗は、ある程度リカバーできる。

さて、最後に登場した職種をまとめておく。

1:生コン屋(生コンを練って、運んでくる職業)
2:型枠屋(コンクリートの型枠を作る専門の業者)
3:ハツリ屋(正直、よく知らないが、『削り』のプロ)
4:左官屋(まあ、いわゆる左官屋だよ)

一口に「オサーン」と言うが...。

このほかにも、色々な種族がいて、それぞれ
「助け合ったり、喧嘩をしたり」して生活している。

しかし、まあ、それらを観察しては...。

その様子を記録している俺って何なんだろう?

格言

2006年04月29日 00時31分01秒 | 古い日記
「いやあ。あなたの周囲には、変わった人が多いですね。」
とよくいわれる人は...一回疑ってみた方がいい。

「類は友を呼ぶ」と言うよりも...。

別にどうって事はない、他人のプチ不幸を
「おもしろおかしく書く」自分の方に問題があるのかも知れない...と。

By トルストイ




(...嘘です。)

タイル馬鹿一代

2006年04月27日 23時14分38秒 | 古い日記
パチンコ、酒、競馬、そういうものは除いて、

普段、何事にも関心を示さない彼等には珍しい事だと思うが...。

オサーン達は改築中の建物の土台(普通の家で言えば縁の下みたいな所)
を覗き込んだり、触ったりしている。

「さすがだね。あいつは。言うだけの事はある。」
「なかなかこうはできない。」
「触ってみろ。これが『ホンモノの左官屋』の仕事だ。」

俺も表面を撫でてみたが、そう言われれば...そんな気がしないでもない。

オサーンは語り始める。

1:壁はともかく、こういう縁の部分を地面から垂直に立てる、のは難しい事。
2:たいていは中が脹らむが、定規で当てたようにビシッとしている事。
3:20cm近い厚さでも、型を使わないで「コテ一本」で仕上げた事。

見る人が見ないとわからないらしいが、まとめると、そんな感じかなあ。

そんな風に物事を...いや「コテ一本」を見た事が無い俺には、
かなりのカルチャー・ショックだった。

-------肉屋のコロッケ--------

俺は昔、実家の傍にあった肉屋の事を思い出した。

そこのコロッケは近所でも評判だった。

「サイズが大きい。」
「ひき肉をタップリ使っている。」
「これで値段が安いのだから言う事が無い。」

数年後...結局、その肉屋は廃業した。

まあ、直接的な理由ではないにしろ、
その遠因は御近所の「ホメ殺し作戦」にあったのではないか?
と思っている。

肉屋さんは手を抜く訳にも、値段を上げる訳にもいかなくなったんだろう。

-------本題--------

現在、我が国が抱えている問題点を2,3挙げる。

1:働かない若者、ニートの増加。
2:ホリエモンの仮釈放。
3:強度偽装マンション。

それも、これも...。
射幸心(意味わからん人は辞書ひいてね)ばかりを煽るマスコミが悪い。

株や虚業で一攫千金を得る輩のみが脚光を浴び、
「本当にいい仕事をする奴」が正当に評価されない。

挙句、旭肉屋なんかは潰されてしまったりする。

この問題を解決する為にはどうすればいいか?

それには...「包丁人、味平」以来の流れをくむ職人漫画だ。



しかし、「庭勝負」なんてものが本当に「良い仕事」なのか?

何か本質的な物を見落としていないか?

職人の「自己満足の押し売り」に過ぎないんじゃないか?

おもしろおかしけりゃ、漫画は何でもアリなのか?

...と考えさせる作品ではあるな。

男前タイル屋

2006年04月26日 21時51分20秒 | フィクション
そういえば中野じゃあ、昔ながらの「豆腐屋」があったな。

ジイさんとバアさんが2人して朝からやってるような。

調べてみると、あった。○田屋豆腐店・・・ここも今でも営業中だ。

うん。かえって東京の方がこういう店は残っているよね。

こっちじゃ、1人1台自動車体制だし、何屋にせよ、駐車場のない店舗は消えたね。

そもそも「街の商店街」が消えたね。

時間の問題だったのかも知れないが、
この方↓がいなくなったから、それに余計に拍車がかかったね。



ところで...。「豆腐屋」で検索したら。

なんだ? この「男前豆腐店」ってのは?



「耳輪土人」よりも、意味がわからねえ。

調べようとしても「アクセス集中」で入れねえし。

誰か教えてくれ。

忘れ物

2006年04月25日 23時58分13秒 | 古い日記
「懐かしい」とか「思い出」とかではなく、
むしろ「忘れ物を取りに行くような気持ち」で書くけど。

その昔、俺は中野に住んでいた。

木造3階建てで、家賃一万六千円(キッチン・風呂なし)
という、当時としても・・・悪いほうの意味でかなり記録的な所・・・
に住んでいたね。

その時、よく行っていた銭湯は今でもあるらしい。 詳細 → ここ。

この写真のおかみさん(当人?だと思うけどなあ?)当時は俺と同い年だったよ。

いや、そんな筈は絶対ないけど「気持ち的には」それくらいに見えた。

それと...。多分、小学生だったと思うけど。

その息子らしき子供をよく見かけたな。

なんか、夜9:00頃になると、その子は一般客とは別に・・・
「風呂の裏の方」から入ってくるんだ。

で、体と頭を洗ってお湯にしばらくつかった後、また「風呂の裏の方」に帰っていく。

(あれえ? もしかして...銭湯やってる家って、内風呂は無いのか?)

まあ、江戸時代から続く「銭湯文化」の奥深さを垣間見たような気がするが...。

あえて、それ以上、真相を追求する気にはなれず、今日に至っている。

竹島問題

2006年04月24日 23時43分23秒 | 古い日記
その昔、こんな話を聞かされた。

竹島やら独島なんて日本じゃ誰も知らない頃の話だよ。

何だか良くわからないが...。彼女の国では、

その島の近辺では「日本のアーミー」に捕まるので、漁ができなくなるんだそうだ。

「日本のアーミーが来るたびに、魚の値段が上がる。」

多分、この言葉の意味は...。

「アーミー」は、魚の「網」じゃなくて、ARMYだろうな。

正確にはNAVY...いや、それですらない。海上保安庁だろうな。

まあ、日本語が未熟な彼女にそれを言え!ってのも、酷ってもんだ。

しかし、俺はこれだけは言っておきたかった。

「そりゃ、漁業組合の『便乗値上げ』だろ?」

---あ。これ以上、その話題に触れるのはやめて下さい---

ここで、某方面からストップがかかった。

あれから○年経つ。

こうやって話をナアナアにして誤魔化すから、一向に物事が解決しない。

まあ、何だね。歴史を振り返ってみても...。

「庶民の台所事情に直結するような出来事」なら「誰でも関心を持つ」

のは間違いないね。

032

2006年04月24日 22時29分03秒 | 英語
サウス・ボストンについて何か知っている事はありますか?

はい。そこにはアイルランド系のカソリックが沢山住んでいます。

(英訳↓)

Do you know anythig about South Boston?

Yes. That's where a lot of Irish Catholics live.

寸評:

写真のように「丸い輪」と合体したような「十字架」は、
Irish(アイルランド系)の教会や墓で良く目にする。

今や、世界中で行われている、
「湧き水」や「池」などにコインを投げ込む風習も、
元々は彼等の「お賽銭」に由来する。(らしい)

残光

2006年04月23日 22時52分50秒 | 古い日記
「何も、本当に沈める事はなかったんじゃないか?」

と、後々言われた、
アルゼンチンの巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」について
英海軍はこう述べている。

「あの状況になればわかるよ。大砲はやっぱり恐い。」

知らない?

1982年のフォークランド紛争でイギリスの原子力潜水艦に
撃沈されたアルゼンチンの艦だよ。

まあ、いいや。

とにかくそのアルゼンチンの巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」
の元の名前は「ディエシシエテ・デ・オクトブレ」だった。

さらに、その船の前身は...。

米海軍の巡洋艦「フェニックス」であり、
ニューギニア沖にて日本軍機の攻撃を受け損傷している。

もっとその前には...
1941年の「真珠湾攻撃」の時、真珠湾内に停泊していた。
(何故か?その時は無傷)

「ヘネラル・ベルグラーノ」を沈めたのは英国の原潜「コンカラー」(HMS Conqueror)

手段は魚雷による攻撃。

しかも、その魚雷は第二次世界大戦の時の「MK8直進魚雷」で、
英海軍の武器弾薬在庫処分の意味も兼ねていた、という。

以下、巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」略歴。

1982年 フォークランド紛争で英原潜「コンカラー」(HMS Conqueror)の雷撃を受け沈没。
1956年 「ヘネラル・ベルグラーノ」[General Belgrano]と改名 。
1951年 米からアルゼンチンへ売却、「ディエシシエテ・デ・オクトブレ」[Diecisiete de Octobre]と改名。
1946年 米海軍退役。保管船となる 。
1944年 ニューギニア沖にて日本軍機の攻撃を受け損傷 。比島沖海戦に参加 。
1941年 日本海軍の真珠湾攻撃に遭遇するも無傷。
1938年 竣工
1935年 4月15日 ニューヨーク造船にて起工

以下、不確かな記憶だが。

「フォークランド紛争」でも、「グルカ兵」が最前線で戦っていた。

水中ポンプ

2006年04月22日 00時40分06秒 | 古い日記
別に面白くもない話だが、記録として残しておくか。

昨日、会社の電動シャッターがすべて降りなくなる、
という惨事にみまわれた。

以前にも、似たような事があった。

その時は、うろ覚えの知識で、
天井裏に入り、鎖(電動シャッターには必ず付いている)
を回そうと努力した。

「...。」

でも、降りない。そもそも、鎖(輪になっている)は回るようにはなっていない。

さんざん悩んだ挙句、その鎖を思いっきり真下に引き下げると、
「モーターの電磁ブレーキが外れる事」に気付いた。

結果、なんとかシャッターは降りたが...。

帰宅できたのは夜中(ちょっと大袈裟)だった。

しかし、その時は「そのシャッターだけの故障」だったが、
今回は「全部」なので何か電源系の故障に違いない。

そう考えた俺は社内で電気工事をしている(改装中なので)
業者の人に訊いた。

「あのう。何か電源のブレーカーをおとしたりしてないでしょうか?」

「ああ。しました。けど、もう入っている筈ですよ?」

「表のシャッターが4箇所、全て降りないんですが。」

「え?おかしいなあ。」

あちこちテスターを当てて調べたその結論から言うと...。

200Vの配電盤の中で二箇所、ヒューズがとんでいた。

そこがたまたまシャッターの電源だったらしい。

「これか。でも、このヒューズ、どこで買えますかね?」

俺はおそろしく旧式っぽい...その壊れたヒューズを見て言った。

「特殊なもんですし、第一、もう、売ってないですよ。これ。」

「...。」

まいったね。

何でこんな下らん事で、時間を浪費せにゃならんのだろう?

俺は200Vの配電盤を見回した。

こういう消耗品はその辺、どこかに隠してある事が多いんだ。

しかし...どこにもそれらしき物は無い。

仕方が無いので俺は、
配電盤の中の「水中ポンプ」と書いてある場所からヒューズをブッこ抜いた。

「これを、シャッターの所のヒューズに使って下さい。同じ種類でしょ?」

「え?でも、いいんですか?これ抜いちゃって?」

電気工事の業者さんは驚いて俺に尋ねた。

まあ、当然だ。ヒューズを抜いてしまえば通電しなくなる。

「知らね。でも、俺は『水中ポンプ』なんて見た事ないもんね。」

「見た事なくても、どっかで使ってるんじゃ...。」

「いいよ。ここの会社の歴史は知らねーが、こんなもん関係ねーよ。
 水槽もプールも無いんだから。」

「いいの?」

「責任は持つ。『水中ポンプ』 = イ・ラ・ネ」

「わかった。」

無事、シャッターは作動したが、こうして、
おそらくは数十年の歴史を持つ我が社の「水中ポンプ」の歴史は幕を閉じた。

そして、今日。

何かが起きるんじゃないか?とヒヤヒヤしながら過ごしたが、
例の「水中ポンプ」が止まったからといって、別に(社内的には)困った事も起きなかった。

でも...。
さっき、思い出したんだ。以前、会社の古参社員から聞いた噂を。

「この会社の地下にはね。巨大なポンプがあるんだ。」

「何をしているポンプですか?」

「『水中ポンプ』さ。水をくみ上げる...」

「水をくみ上げてどうするんですかね?」

「さあ。それ以上は知らないけどね。その昔...(以下、忘却の彼方)」

今さら、どうーしょもないが。

俺が気付いていないだけで、どこかで何か、
恐ろしい事が「始まった」のかも知れない...。

シェーン

2006年04月21日 00時33分27秒 | 古い日記
俺の勝手な偏見かもしれないが...。

西部劇の舞台になるのは...テキサスとかの「サボテンと荒野のある場所」と決まっている。
背景に「椰子の木」とか「ジャングル」があってはいけない。
また、「インディアン」と「バッファロー」はアリだが、「エスキモー」と「犬ぞり」もダメだ。

(じゃあ、この映画の雪を頂いた山は何なんだ?)



そこで「シェーン」の設定について調べてみた。

時代設定 1889年(南北戦争後)
場所    ワイオミング州(ラストシーンの山はグランド・テトン山)

(この山、4000メートル超級で富士山より高い。万年雪だ。)

主人公、シェーンの出身地は以下の台詞から南部だ、とわかる。

「お察しのとおりです、奥さん。私の一族はミシシッピーを出て、アーカンザスに住み着きました。
私は腰を落ち着けることのできない人間で、15歳の時、家を出てしまいました。」

うーむ。だからヤンキーが嫌いなのか?南北戦争で何かあったんだろうな。

南部に行った事のあるヤツが、彼の顔を見ただけでビビる、とか。
色々と思わせぶりなシーンはあるが...。
結局、シェーンはシェーンとしか言わないし、自分の素性を語る事は無く映画は終わる。

ヒットしたからと言って映画をシリーズ化して「彼の過去」を描いたりはしない。

「カムバック!」と言われても帰ってこない。

それが単に著作権等の問題なのか?

シェーンを演じたアラン・ラットが断ったからか?

拝金主義のハリウッドもこの映画だけは神聖化して見ていたからか?

俺は知らないけどね。