ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

画像ネタ

2004年12月30日 23時09分39秒 | 古い日記
12月10日のプログにも書いたが、書道家の「相○み○を」さん
の家が近所にある。(もう、お亡くなりになってはいるが)

12月11日に放映されたテレビドラマ「人間だもの」を、
を見た方もいるかも知れない。

そのドラマの中でエピソードとして、売れない頃の相○氏が、
市内を自転車で廻って、仕事を取ってくるシーンがあった。

御菓子屋の○○堂の包装紙のデザインを請け負うが、
これが大ヒットで、一躍、地元では少し名が知られるようになった。
(って言うか、地元では、氏=お菓子の包装紙ってイメージ)

もしかして、ひっとしたら、そんなシーンを記憶している方も
いるかも知れない。(いないか)

まあ、また、前振りが長くなったが、
その○○堂の店舗がこれまた近所に移転してきた。

この不景気に随分立派な建物を作ったもんだ、と感心したが、
俺の住んでいる付近は、何故か?「一等地化」している気がする。

綺麗な自然は残っているし、東京へも電車で1時間強、
近所の本屋、レンタル屋も夜中までやっているから、
田舎で不便という事も感じない。
地価も比較的安いが、その割に人出は見込める。

要するに
「いい場所」なのである。(昔はそうじゃなかったけど)

が、最近、引っ越してきた人が妙な事を言っていた。

「餡子(アンコ)の臭いに絶えられなかった」
「ハァ?」
「最近できた○○堂の新店舗ですよ。
 すぐ隣は、やっぱり辛かったですね。私だけじゃない」

しかし、アンコの臭いで「引っ越す人」なんて、いるのだろうか?

が、近所で聞いてみたら、
「何人か本当に具合が悪くなった」という噂だった。
(これ以上書くと問題になるから止めるか)

誰だっていい場所で生活したいだろうけど、
アンコを作っている時の臭いってそんなに辛いもんなのだろうか?

その人の家の壁を見ると、例の書が目に入った。

危なかった。

2004年12月29日 19時21分56秒 | 古い日記
円広志と言う人をご存知だろうか?
「飛んで飛んで飛んで...」の唄を歌っていた人、
あるいは「越冬ツバメ」等の作曲者として知られる人だ。

まあ、あまりテレビに出る人ではないけれど、
(関西方面では出ているのかな?)
今日、偶然見かけた。

何でも、「パニック障害」という病気だったそうな。
(昔の言い方だと不安神経症と言う事らしい)

その中で、気になる話が出てきた。

自動車に乗っている時に、
「停車している筈なのに、周囲の景色が流れ出す。
 必死でブレーキを踏むが、止まらない。」
と言う。

これは俺にも最近、あった。(2004-11-25のプログを参照)
「動いている筈の物が止まり、止まっている物が動いて」
いるように見えるのである。

あの時は、
「戦場にいる兵士の3.34倍のストレスがかかる」
(あー、本気にして根拠とか追求しないで。適当な話だから)
と言われている俺の職場で、ついに俺もおかしくなったか?
と思ったよ。

いや、本当に危なかったのかも知れない。
11月中に何とか「ケリがついた」から良かったようなものの、
もう少しで「飛んで逝ってしまう」所だった、のかも知れない。

円広志氏が言う、
「現実離れした、身体の浮遊感」とか、
「言いようの無い不安と恐怖」とか、
良くわかるような気がした。

ついでに書いておくか。

「幻覚」を見るのはそう難しい事では無い、と思う。
一番簡単な「幻覚」は「夢」だ。
また、長時間睡眠をとらないでいれば、
覚醒時でも「幻覚」を見られるようになる。
(見たくもないだろうけど)

また、柔道部の奴が言っていたが、「締め落とされる時」
恍惚となって、幻覚を見る事がしばしばあるそうだ。
(馬鹿になるぞ。しまいにゃ)

上記の事を考え合わせてみると、
「脳の一部が覚醒していて、別の一部が機能停止」
している時なら「幻覚」を見やすいのだろう。

まあ、そういう話は専門家に任せるとして。

「パニック障害」と言う言葉、病名は憶えておいて損はなさそうだ。
現在の医学では、鬱病などと同じく、薬物で抑える方法も
生み出されているらしい。

「心の病気」と言われているものは、
「脳の機能障害」なのだろうから、医者に頼るしかない。

↓ここの説明がわかりやすくて良いと思う。
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/panic.html

でも、「脳科」というのは無いから「精神科」だろうな。

グローバル化について。

2004年12月29日 00時58分42秒 | 古い日記
それが、かつてアメリカが発展途上国だった時代の名残なのか?
どうかは知らないが、彼等はインチとかヤードとか、
ポンドとか、ガロンとか滅茶苦茶な単位を使う。

何故、滅茶苦茶かと言えば、12進法だったり10進法だったりと
ややこしい事この上も無い。
1cmがわかれば、1ccも判るし、1gも判る。が、
1インチがわかった所で、1ポンドや1ガロンはわからない。

解像度を表すdpiはドットパーインチなので、
デジタル機器の時代になってもこの悪癖は続いている。

まあ、前振りはこのくらいにして、本題に移ろう。
前の会社(電子、機械、ソフトの会社)
にいた時の話だ。

朝、俺がいつものように会社に行くと、入り口の所で、
先輩社員達が、騒いでいる。

「困ったな」
「困りましたね」
「ケトーだな」

何かと思えば、ドアのネジが一本抜けて、施錠部分が壊れていた。
機械の専門家もいるし、
いつもなら、簡単に直してしまう人達が往生していたのが不思議だった。
理由を聞くと、
「ケトーだからだめだ」(普通のネジじゃないから)
だと言う。

「あ!もしかしてこれですか?来る途中で拾ったんですけど」
俺は階段の下の方に落ちていたネジを差し出した。
一見、何の変哲もないネジだが、差し込むとスルスルと入った。

「でかした!これだ!これ毛唐ネジだよ。やっぱり」

毛唐ネジ?って何だそりゃ?

「インチネジの事だよ。日本の規格には無いネジだ」

ネジ山のピッチが、mmじゃなくてインチだそうだ。
そこに無理押ししてミリネジを入れたりすると、
ネジ山が壊れて永久に使えなくなるらしい。

しかし、まあ、言うに事欠いて「毛唐ネジ」は無いだろう。
何故、ネジの世界にだけ「毛唐」などという好ましくない表現が
残っているのか?

察するに、「国際単位」に準じないアメリカの横暴に散々悩まされた
技術者の「怨念や憎しみ」に違いない、と思っている。

ちなみに、今日再びおきてるくがやって来た。
ポーリーさん達は今度は「タイ」に赴任するそうだ。

残念なのは、写真の「置手紙」の現物が残っていない事。
二回目に遭った時、没収されてしまった。

まあ、持っていたからと言っても何の得も無いけどね。
だからこそ価値があるんだけど。

喫煙権について。

2004年12月28日 02時20分10秒 | 古い日記
煙草というのは、実に便利な麻薬だと思う。
(麻薬の定義については深く知らんが)
「集中して考え事をする時」その逆に「緊張から開放された時」
ダブルで効く。

こういう麻薬は、あまり無いだろう。
強いていうなら、カフェインを含んだ嗜好品が近いだろうか?

一方でアルコールは?
神経弛緩系の麻薬、と言えるだろう。
「緊張から開放されい時」や「何かを忘れたい時」にはいいが、
「何かを操縦する時」や「真剣にやる必要がある時」には向かない。

マリファナとかは、作用としてはほぼ、アルコールと一緒らしい。
ただ、副作用は若干、少なく、依存性も低いようだ。

一方、人類の歴史の中で、アルコールを禁止する事は、
「この上ない悪法」として知られている。
(近代では米国の禁酒法とか)

で、何故、マリファナがダメで、アルコールが許されるのか?
その辺を考えてみる事にしよう。

米国の禁酒法で、何が起きたのか?ズバリ、「密造」だ。
アルコールを作るのは別に難しくはない。
穀物でも果物でも何でもいいから、
発酵すれば、糖分→アルコールだ。

つまり、原材料を選ばずできるので、
密造され(味の方は保障できない)
マフィアなどの資金源になりやすい。

結局「酒造は許可制、密造は違法」というあたりで
折り合いが付いた。

コカイン、マリファナ、大麻は、「その植物」を栽培しなければならず、
「密造」は困難だ。こっそり裏庭で作るわけにもいかない。
こっちは取り締まりも簡単だ。

以上の理由で「神経弛緩系の麻薬」でありながら、
アルコールだけは「認めざるえない地位を得た」というのが、
俺の見解だ。

さて、思い出したついでに書いておく。
バリでの島の話だ。

ある場所に、怪しげな風体の日本人男性が長期滞在していた。
そいつに頼めば「マリファナ」が手に入る、
という噂がまことしやかに日本人観光客の間に広まった。

そいつは、三日と空けず、
「マリファナを売って下さい。」
とやってくるニーちゃんネーちゃんにウンザリしていた。

その日も、頭の軽そうなネーちゃんがやってきたので、
彼は、面倒になって近くにいた相棒にふった。
「おい。”草”だってよ。」
いきなり、「売人の相方」にされた方は、驚いたが、
黙って奥の方に行って、暫くすると”草”を持ってきた。
「イッポン、100エン、ニホンエン、オーケーヨ」
本当に売ってしまった。

「おい。何売ったんだ?」
「あん?手巻き煙草だよ。」
「お前が持ってたジタンか?」
「ああ。どーせわかりゃしないだろ?」

自分はバリでマリファナや大麻を吸った、
という人は、良く思い出してみるといい。
売ったのは、
怪しげな日本語を喋る「ニセ現地人」じゃなかったか?

詐欺に遭っているかもしれないから。

ここより永久に。

2004年12月27日 01時02分23秒 | 古い日記
クローン猫の事を書いたら、2つトラックバックを頂戴した。
やはり「時事ネタ」は強いな。(何が強いのか?よくわからんけど)

さて、再び「アクセス、コメント、トラバ無し」になりそうな
話題に戻ろう。

山田元四郎
の事だ。(参照:12/24、婿養子、元四郎)
写真の一つも上げたい所だが、無理なので、
「恐い顔した大橋キョセン」でもイメージしてもらいたい。

彼の業績は、「武闘派でならした」事だけではない。
彼に関する記事を読んでわかったが、先見の明のある頭脳派でもあった。

戦争から帰ってきて、「日本国の復興」について彼はこう考えた。

「わが国は、これから、
 発展する都市と過疎化する都市で、2極化するだろう。
 発展する都市とは、『空襲で焼け野原になった都市』で、
  過疎化するのは、『戦災の被害に遭わなかった都市』だ。
 残念ながら、この街は後者に属する。」

こう主張して回っていた。

何故、焼け野原になってしまった都市の方が発展性があるか?
と言えば、「建物が無いから」である。

「今、建物があって、新都市を計画する場合、
 立ち退きの交渉やら、立ち退き料やらで、膨大な時間と金がかかる。
 道路も建物も無くなった場所なら、未来を見据えた街作りができる。」

が、戦災に遭わなかった街は、
「戦前と同じく、平和な生活ができれば良し」
と考えているので、旧態然とした街に甘んじ、
10年後には過疎化する、と言う意見の持ち主だった。

当時の街の写真を見ればわかるが、
「車道と歩道と商店街」という概念が全くなかった。
「店を出たら即国道」で、当たり前だった。

今でもそういう場所があるが、
一体どうやって買い物するのか?わからない。
歩きで行くのも危険だし、自動車も止められない。
すたれるのは当然だ。

「籠も馬も飛脚も町人も」同じ一つの道を共有していた
「江戸時代の名残り」としか、言いようが無い。

しかし、当時の日本では、「自動車が今日のように普及する」
状況は予測できなかったし、元四郎氏の言葉に賛同する者は
少なかった。

結局、元四郎氏は少々強引な手を使って、街の区画整理を押し進める。
(いくら資産家とは言え、一個人でどうしてそんな事が出来たのか?
不思議だけど)
その結果は5年もせずに現れ、元四郎は一時神のように崇められた。

勢いに乗った元四郎は「市長選」に打って出るが、ここに
落とし穴があった。
100%の自信を持っての出馬なので、会社も息子に譲り、
自分は引退してしまった。

しかし、選挙の結果は...自分が予想以上に他人から、
「恨み」や「妬み」を買っていた事を思い知る事になった。

戦国時代なら、名のある武将にでも成ったであろう彼の人生は、
ここで終わった、と言えるかも知れない。

会社を譲られた息子、と言うのが今の俺の社長だ。
元四郎氏が亡くなって、3年後、俺はその社長に頼まれて、
元四郎氏の家の後片付けを手伝った事がある。

その時、「あ!」と思った。
すっかり忘れていたが、俺は子供の頃、ここで良く遊んだ。
この近所に友達がいたのだ。現場に来て、思い出した。

元四郎氏の家の前の大きな駐車場、
ここで、テニスボールを使って野球をしたものだ。

たまたま、打ったボールが家に入ってしまった事があった。
「どうする?」
「取りに行くか?」
「恐い人かい?」
「いやあ。選挙で市長になりそこねた人の家だからねえ。」
「そりゃ、かなり機嫌が悪いんじゃない?今?」
「でも、俺達、選挙権ないしな。関係ないよ。」
そんな事をブツブツ言いながら、大きな門のドアフォンを鳴らした。
「ハイ」
出てきたのは、やさしそうなお婆さんで、事情を話したら
庭を探させてくれたが、結局ボールは出てこなかった。

あれから○十年、こんな形で、この庭と再会するとは。

手入れする人もおらず、荒れ果てた庭で、俺はそんな事を考えた。

あのやさしそうなお婆さん(誰だかわからず)はもちろん、
一緒に遊んだ友達の一人も不慮の事故でこの世を去った。
(この友達の事も書けば相当長くなるな)
元四郎氏もそう...

人生って、本当にわからねえ。

最後に、「あの時無くしたボール」と「奇跡の再会」でもしたら、
見事だけど、それは無かった。

長くなったので、また。

ヤクザとコンビニ

2004年12月26日 00時26分25秒 | 古い日記
年末に向けて、暴力団員がコンビ二に、
門松などを売りつけている、と言う。

警察では「勇気を持って断わりましょう」
と指導しているらしいが、コンビ二やファミレスで、
「シノギ」をする、というのは、
やっている本人(ヤクザ)も恥ずかしいそうだ。

が、そんな事までしなければならないとは、
かの業界も相当苦しいのだろう。

...それで思い出したけど...

俺が、高校生くらいの時の話だが、近所のコンビニで、
「ヤクザ」と遭遇した事がある。

いや、その時は明らかに彼等は「客」として
来ていただけだが、やはり異彩を放っていた。

兄貴分らしいオッサンと、
若くてホストっぽい雰囲気の子分の二人連れだった。

オッサンの方が、酒とか肴とか、
「オイ、アレ。それも買っとけ。」
と、色々指示を出す。

それを若い方が「ハイ、ハイ」
と言いながら、買い物籠に入れている様子は、
コンビニでは、あきらかに普通じゃない。

(場所がスーパーや、八百屋でも普通じゃない)

それが面白くて、近くで聞いている俺も普通じゃないけど。

「俺のはそんな所だ。お前も何か好きなもん買え。」

「ハイ。」

「あ!忘れてた。何だっけ?○○が好きなやつ。
 えーと。ピーーーー」

それから暫く、オッサンは放送終了後のテレビ
みたいにピーピー言っていたが、やがて
若い方がドスのきいた低い声で、呟いた。

「味噌ピーです。」

「それや!それも買っとけ。」

「ハイ。」

それから二人はレジの所へ行くと、
若い方は買い物籠を、
オッサンの方は万札を出して言った。

「オウ、つりはいらんぞ。とっとけ。」

店員さんは困ったような顔をして苦笑いをしていたが、
結局、「スミマセン」と礼を言って受け取った。

二人が出て行くと、店に居た人達全員が、
おかしな「笑い」の雰囲気に包まれた。
(実際に声を出して笑っている人はいなかったが)

「何だったんだ?ありゃ?」
皆、そんな事を小声で言っていた。

が、突然、コンビ二の入り口がガァと乱暴に開いたか
と思うと、あのオッサンがまた、入ってきて、
店内は、緊張した雰囲気になった。

オッサンは、急ぎ足でレジの前に来ると、
渦高く、重なりあっている、スポーツ新聞を、
グイっと一部引き抜き抜いた。

店員が驚いているのも構わず、オッサンは、
そのまま新聞片手に出ていこうとする。

が、最後の最後で、クルリと振り返って、
新聞をレジの店員の方に向けてこう言った。
「オウ。これ、さっきのつりでな。」

暫くすると、駐車場から、ベンツが出ていった。

こんなコテコテヤクザがコンビにに来たのを見たのは、
後にも先にもこの1回きりだった。

クローン猫

2004年12月25日 14時13分47秒 | 古い日記
また、時事ネタだが、クローンペットについて。

http://www.asahi.com/science/update/1223/002.html

かつて、その筋の研究者が、

「自然に生まれる一卵性の双子は、完璧なクローンです。
 人間の技術ではそこまで及びません。」

と言っているのを聞いて、
「そんなもんか?」
と思った。

一卵性の双子は、何組か知っているが、
「顔から体から性格まで」
全部同じ、というのは見た事がない。

そっくりな所はあっても、全く違う部分もある。

要するに遺伝子が同じでも、
同じ人間になるわけでは無いし、
多分彼等は「違う人間になろう」と(無意識の内に)
努力しているのだと思う。

同じ家で生まれて、同じ学校へ行って、
「姿形まで同じ」では、誰だって
いや、周囲も、区別が付かなくて迷惑だろう。


さて、世界初のクローン猫「リトルニッキー」は、
姿形も性格も「ニッキー」にソックリと飼い主は言う。

「猫にしては珍しく、水が好き」な所も共通しているそうだ。

ところで、写真の猫は以前飼っていた俺の猫だが、
コイツも、水が好きだった。

庭で水を撒いていれば、突進してきて、ずぶ濡れになるし、
雨でも小雨の日なら平気で外出していた。

帰ってくると、濡れた体を人間に体を拭いてもらうのが好きだった。

問題は、ニッキーもコイツも、「キジトラ」だ、
と言う事で、前から気になっていた疑問を思い出した。

「猫の性格は『柄』である程度わかる」という説。

確かに「キジトラ」は野性味が強い感じがする。

三毛や鉢かぶりはそうでもなく、
黒猫、白猫はさらにペット的で、
一番、家猫っぽいのが「アメショー」みたいなタビー班だ。

理由?さあ? 性格をつかさどる遺伝子と、
班の遺伝子が関係あるのかも知れない。

ちなみに、参考URLにも書いてあったが、
三毛猫などは、クローンでも
「全く同じ柄にはならない」そうだ。

500万円以上かけて、クローンを作って、
「違う!」
といわれても、責任は持てないだろうな。コリャ。

それに、一番問題だと、思うのは...

「性格までソックリ」というのは、
「クローンである事」とは、
直接関係ないのかも知れんぞ。

まあ、俺が責任感じる筋合いじゃないけど。

2004年12月24日 23時42分00秒 | 古い日記
さて、いつも読んで下さっている、
皆様に於かれましては、やれ「クリスマスだ、イブだ」
と浮かれ騒いでおる輩は、よもやおらぬと思いますが、
一応念を押しておきます。

たとえ、世の中がどうなろうと、
このプログは、「恋なし、色なし、情けない」の方針を崩しません。
それでも、構わない方だけ、読んで下さい。

まあ、でも時事ネタにするか。

アラスカでエスキモーとして暮らした事がある人なら
ご存知だと思うが(いねーよ。そんな奴)
12/25日は1年で一番大切なお祭りの日だ。

この日(あたり)を境に、暗黒の世界がその頂点に達し、
「太陽の復活」が始まる。つまり冬至ってやつだ。

「12/25=祭り」は、北半球での共通の認識だが、
これが何故?キリストの誕生日と結びついてしまったのか?
その辺の謎を解明しよう。(学術的な責任は持てない)

ローマ世界で、キリスト教がはやりだした頃、
その最大のライバルは、太陽崇拝のゾロアスター教だった。
(英語的に言うとツラツーストラか?)

ゾロアスター教の最大のセールスポイントは、
年に一度(12/25)の「馬鹿騒ぎ祭り」だった。(らしい)
この日だけは、どんなランチキ騒ぎも許された。(ようだ)

それを見た、キリスト教の布教家達は、真似をする事を
思いつき、12/25をキリスト生誕の祭りにしてしまった。(と言われている)

では、キリストの誕生日はいつだったのか?
これは記録が全く残っていない。

ただ、「馬小屋」で生まれた、と聖書にあるので、
その「馬小屋」にヒントがある。
日本語で「馬小屋」と訳されたこの言葉は、
ヘブライ語で「野外に建てる仮の住まい」
の事で、当時の遊牧民は普通、それを春~夏にかけて作る。

ゆえに、生まれたのもその辺ではないか?
という説を聞いた事があるな。

たいした話じゃなくてすまない。

ちなみに、今回のタイトルの漢字が読める人は
長尾さん(Do as infinity)のファンだろう。
1年なんて早いもんだな。

以下記録。
マリちゃんの目覚まし時計。
イルミネーションは室内。

婿養子、元太郎

2004年12月24日 00時25分34秒 | 古い日記
さて、祖父の死をきっかけに、
「偉大な先人の業績」について考えた。

本名を出すと、差障りがありそうなので、仮にその人の苗字は山田とする。

初めて会ったのは、俺がまだ出向社員として今の会社で
働いていた時だった。

パソコンに向かって一人黙々と仕事をしている俺の傍に、
一人の眼光鋭い老人が、杖を突きながら歩いてきて、
こう言った。

「こいつは、何をしている?」

俺は全くわけがわからなかったが、
暫くして「お世話係り」みたいなオバサンが現れた。

彼女(彼女といっても老婆に近い)は、
「アラアラ、こんな所に来て」と笑いながら言い、
その老人を連れ去ってしまった。

俺が後で、
「さっき、背の高い、恐そうなジイサンが来ましたよ。」
と部長に言うと、
「ああ、先代の社長、つまり会長だよ。そりゃ。」
との事だった。

しかし、会長とはその後、会う事は無かった。
病院で「寝たきり」状態だったらしいが、
なかなか死なず、4年後くらいにようやく亡くなった。

葬式は、盛大なもので、香典が一千万くらい集まった記憶がある。
(一応、香典は喪主の意向でお断りだったんだけど)

当時、
俺がこの「先代社長」山田元太郎氏について知っている事は、
以下の事くらいだった。

1:元々、山田家の家督を継ぐ人ではなく、養子だった。
2:市長選に出て落選した。
3:今の社長とは、仲が悪かった。

・・・時は流れる(半年くらいかな?)・・・

その後、俺は社内の片付けをしている最中に、「会長遺品」
と書いてあるダンボールを発見した。

中を見ると、会長(元太郎)についての記事が載っている
雑誌、新聞の類、が出てきた。
(おや?、インタビュー記事か?)
俺はその中の一冊を手にし、腰を下ろし、しばし読み耽った。

「まず、山田さんの若い頃の武勇伝など、お聞かせ下さい。」

「まあ、当時は戦中という事でしてな。
 『強い奴が幅を効かす』時代でした。
 私が養子として、叔父の家の家督を継いだ理由も、
 それが一番大きな理由だったわけです。」

・・・何なんだ?これは。先代は「切れ者」の筈じゃあ・・・

「私が専務として入社した当時、
 昼休みに愚連隊の連中が相撲をしておりましてな。
 私にこう言うんです。
 『専務、体格がよろしいですな。ひとつ、我々と相撲をしてみませんか?』
 と。」

 「ほう。山田さんの事を全く知らずにですか?(笑)」

 「はい。婿養子として山田家に入り、専務として入社した私を
  皆の前で恥をかかせてやろう、と言う魂胆ですな。
  私はシメシメと思いましたがね。」

・・・一体、何者なんだよ?アンタ?・・・

 「で、最初の一人は『張り手』で、工場の壁に叩きつけてやり、
  壁が抜けましたわ。もう一人、市の大会で優勝した奴も、
  おったのですが、『さば折り』でしとめてやりました。」

・・・あ?・・・

略歴を見てみた。
専修大学で相撲の選手として活躍後、○○部屋入門?
元、関取かよ?

写真も色々出てきた。
周囲の人間より、首一個分背が高く、横幅は倍くらいある。

ジイサンにしては大きな人だな、とは思ったが、
俺の見た元太郎は、ヨボヨボで痩せており、
とても想像がつかない姿だった。

「ま、女子社員も大勢見ておりましたし、
 以来、私に逆らう者は社にいなくなりましたな。」

・・・そりゃいないだろうな。
   「女子社員も大勢見ておりましたし」は意味不明だけど。・・・

それにしても、こういう「武闘派」の人間が、
サラリーマンになって、出世する、
なんて話は、本宮ひろしの漫画の世界だけか?
と思っていた。(なんだっけ?ナントカ金太郎とか?)

この山田元太郎氏の業績は、相撲だけでは無い。
が、長くなったので、詳しい話は、次の機会に譲ろう。

勝手にしやがれ!

2004年12月22日 22時44分16秒 | 古い日記
先月離職した営業のヤツに代わり、
中途採用で50代の方が入社した。

と、言っても俺や社長とは古くからの顔なじみ、
系列会社の人なので、対応で特に苦労する事はない。

社長曰く、
「まず、パソコンに慣れなさい」
と言う事で、昨日から教則本を片手にWORDと格闘している。

幸い、ワープロは打てるので、キーボードには慣れているが、
15分くらいおきに、俺が呼ばれる。

実を言えば、俺もWORDはやった事がない。
聞かれても良くわからない。

今までの経験から推測して色々試してみると、
なんとかなるが、非常に違和感を感じる。

このWORDの違和感は何なのか?
考えてみると、まるで「アメリカ制のワープロ」
のような気がする。

と、言うより、実際アメリカ生まれだし、
もろに「タイプライター文化」のソフトウェアだ。

キャリッジリターン、タブ、インデント等々、
日本語ワープロしか知らない人には理解できない概念だろう。

そもそも、
日本人は、「原稿用紙の升目」を埋めるように文字を書く
のが当たり前だと、思っているが、アルファベットの文字を持つ
文字文化では、その常識も通用しない。

「文字の大きさが揃わない」場合があるので、非常に
ストレスがたまる。

それと、色々な「おせっかい機能」が付いていて、
さっきと同じようにやったつもりでも結果が違う場合がある。

いっぺんにやろうとしてもこれは無理だ。

「インデントって何ですか?」
「えーと。行をそろえる事ですよ。多分」
「右インデント、左インデント、あれ?ぶらさがりインデントって何?」
「......」

「ああ、なんだか知らないけど、表がバラバラになった!
 こういう場合、どうすれば...。」

「こういう場合って、何をしたんですか?」

「いや、自分でもわからないけどね。」



休み時間に色々話をして、彼(50代の方)の息子さん達は、
工専の電子制御科で、かなりの「パソコンの使い手」だと判明した。

「息子さんに教わればいいじゃないですか?
 WORDなんて、きっとマスターしていますよ。」

「いや、聞きたくない。馬鹿にされるから。
 それに、パソコンも触らせてくれない。
 何だか知らないけど、いつもゲームやってるんだ。」

「どんなゲームですか?」

「何でも、ネット上に架空の国があって、そこで土地を探しているらしいんだ。
 誰も住んでいない土地を探して、家を建てると、そこに所有権が発生して、
 自分の土地になるらしいんだよ。」

「ああ、そういうゲームがあるそうですね。よく知らないですけど」

「どーも、その土地が実際に売買されているらしくてねえ。」

「ええ?現実世界の現金で、ですか?」

「そうだよ。先月見つけた土地で、
 40万円の利益を出したとか言ってたよ。」

確かに、それで、親父さんが安月給で、
WRODでヒーヒー言っていたら、
父親の権威も何もあったもんじゃない。

こんな状況から一刻も早く脱出したいよ。俺も。

婉曲的に語る

2004年12月21日 23時42分17秒 | 古い日記
えーと。「今年の10月に予定していた転職」が何故消えたか?
書くが、詳しく書くのもマズイ...簡単に(と言うより抽象的に)
記す。

きっかけ:偶然。(コネ)
 転職先:音楽業界。(新規のレーベル)
駄目理由:良い作曲家が集まらなかったから。

大手レーベルの人達が、1年くらいかけて作曲家候補
の指導をしていたが、結局、1年間やっても、
「進歩なし」との結論だった。

正直、この決断は正しかったように思う。

現在、巷に流れている音楽が「レベルが高過ぎる」とは
思えないが、やはり、それなりのレベルはクリアしている。

実際、音大を出ようが、超人的音感や演奏能力を持っていようが、
ポップスの世界で成功するとは限らない。

金になる曲(ヒットする曲)を作るには、また独自のセンスが
必要で、業界人は、その辺の嗅覚が敏感だ。

今回、候補になった作曲家の多くは、
「凡庸な作曲家」のレベルにまでも達していなかった
ように俺にも思えた。

「アマディウス」という映画がある。

当時、売れっ子だった作曲家「サリエリ」の前に、
稀代の神童「モーツアルト」が現れる。

そこで「サリエリ」は気づく。

「今の時点では、大衆はモーツアルトの凄さがわからない。
 俺の凡庸な音楽の方が売れるだろう。しかし、時代がたてば、
 俺は忘れ去られ、残るのはモーツアルトだ。
 神は俺より、彼を選んだのだ。」

史実はどうだか知らないが、「サリエリ」はそう思い、
モーツアルトに嫉妬し、さらに「神」に憎しみを持つ。

せめて「モーツアルト」を殺害した男として歴史に
名を残し、「神」を欺いてやろう、とまで考える。

この映画を音楽をやっている奴に見せると
だいたい3通りに分かれる。

1:「ああ、俺と同じ気持ちだ」と、サリエリと自分を同化させて泣く。
2:「ああ、自分が売れないのはモーツアルトだからだ。」と思う。
3:「ああ、そりゃ、生きている間、売れた方がいいよな。」と思う。

1:は、そこそこ音楽をやりこんだ連中。
2:は、身の程すらわからない馬鹿。
で、
3:が一番商業音楽家(プロ)に向いているように思う。

最後になるが、映画のタイトルになった、
「アマディウス」とはモーツアルトのミドルネームで、
「神に愛された男」の意味。

現世で成功するのは、
「神に愛される人」より「人に愛される人」だ。

これは間違い無い。

いつか見たあの青い空

2004年12月21日 00時51分05秒 | 古い日記
今日から「技術メモ」というカテゴリを設けた。
興味の無い人には面白く無い話だろうけど、
私の個人的な記録の為に、付ける事にした。

さて、私的な日記としての出来事は、祖父の葬式だ。
故人の事は二日に渡って書いたので、もういいだろう。

だいたい、
親戚が集まると、「今、何やってるの?」てな話になる。

しかし、まあ、俺の親戚だけあって、
大抵まともな職には付いていない。俺も
「会う度に、業種が変わってますねぇ」
とか言われる。

「お前らもだろ?」
と思うけど、本当に「まっすぐな道」を歩んだヤツが少ない。

第一、「今日何時に家を出て、どうやって来たか?」
と聞いたら、「自転車で来た」という従兄弟がいた。
(そいつの家からここまで、約80㌔はある)
帰りも自転車で帰るつもりなのか?この寒空を。

30過ぎて、それが「カッコイイ行為」だと思っている
センスが良くわからん。

まあ、それは置いといて。

長くなるし、結局実現しなかったので、
彼等にも、話さなかったが、
俺は、今年の10月に、本当に
「全く別の業種に転職」する予定だった。

明日はそれについて話そうと思う。
「何故、その話が出たか?何故ポシャッたのか?」等々。
では。

青色LED

2004年12月21日 00時25分34秒 | 技術メモ
東北大金属材料研究所の川崎雅司教授(電子材料化学)らのグループは、
酸化亜鉛を素材とする青色発光ダイオードの開発に成功した。
(従来の素材はより高価な窒化ガリウム)

さらに消費電力は10分の1で済み、寿命は10倍になるという。

川崎教授は
「原料が安くて構造も簡単なので、発光ダイオード生産に応用すれば、生産コストが削減できる。
3年後をめどに実用化させたい。さらに、高性能DVDの開発も期待できる」と話している。


[青色発光ダイオード]
電流を流すと青色に発光する半導体。
商品化により赤、緑と光の三原色がそろったことで、すべての色の表示や光源化が可能になった。
電球や蛍光灯に比べ消費電力が少なく、携帯電話や信号機、大型スクリーンなどに応用されている。
中村修二氏が日亜化学工業に特許権譲渡の対価の一部を求め提訴。東京地裁が同社に200億円の支払いを命じ、話題になった。

参考↓
http://www.kahoku.co.jp/news/2004/12/20041220t15016.htm

感想:
青色発光ダイオード(青色LED)は、紫外線が含まれているので、
俺はむしろ、その機能に期待している。

紫外線と光触媒(酸化チタン等)の技術を組み合わせれば、
強力な殺菌、汚れ防止効果が得られるからだ。

INAXでは、光触媒技術を応用したタイルを発売している。
実は、俺の家でも、実際使っている。
が、効果の程はイマイチだ。

「光触媒技タイル」は、設置場所を選ぶ。
「紫外線(日光)がガンガン当たる野外」で、「雨などの水がかかる場所」
が望ましい。俺の家の設置場所は、室内なので、普通のタイルと変わらない。

現在、「殺菌灯」というヤツは、高価で電気代がかかり、
寿命も短いので、一般家庭にまでは普及しない。

たまに見るのはトイレの手洗いの消毒や、病院などだ。
(あの青い光)

青色LEDは、惜しいかな、消毒用には光量が足らない。
ならば、数を増やすしかないが、秋葉原で買っても100個6000円だ。
(100個でもチト足らない)

せめて一個10円の時代になれば、世の中は変わる。

発展途上国でも、安全な水が安価に手に入るようになるだろう。

現在、サマーワにある自衛隊の「浄水機」は高すぎだ。
多分、昔ながらの浄水殺菌システムだな。

青色LEDと光触媒の組み合わせで、コスト十分の一くらいにはなろう。
しかも、寿命は半永久でメンテいらず。

世の中を変えられるのは、こういう「技術」だけだ。

学習院中退居士

2004年12月20日 00時51分41秒 | 古い日記
さて、先日は、他界した祖父の事を美化しすぎた気がするので、
真実も付け加えておこう。

まず、能(謳)を始めた経緯について、
親族に聞いた事を以下に纏める。


実業学校(今で言えば工業高校)卒業後、
運良く石川島重工業に入社した時は若干、18(か17?)歳。

そんな若造が、田舎から出てきて、かなりの給料(当時としては)
を貰う訳だから、「悪い遊び」を覚えるに違いない。

特に資材部は、資材の買い付けを行う所であるから、
接待、賄賂の誘惑が付きまとう。
若者に何か「健全な趣味」を持たせる必要がある。

そう考えた石川島資材部の上司は、祖父を
「半ば強制的に」能の世界に引きずり込んだ。
(能と言っても、舞の方では無く、地謳の方だけど)

そこで渋々謳(うたい)を始めた、のが真相らしい。

「なんでこんな爺臭い事やんなきゃならないんだ?
 麻雀やりてえ。飲みに行きてえ。」

と内心で叫びつつ、「幽玄の美」の世界に落ちて(?)
いったらしい。

簡単に言えば「祖父を教えた上司」が、
後に家元になる程の大家だったと言う事で、
祖父は運が良かったのだろう。


また、性格的な事を言えば祖父は大変頑固な所があった。

息子や娘に「勘当」を言い渡した事も
一度や二度では無いらしい。

母の弟(俺の叔父)が、学習院大学を勝手に中退した時も、
怒りに怒りって「勘当」した。

俺は当時、生まれていなかったが、その勘当された
叔父が後に、こう言っていたのはよく憶えている。

「俺は俺の考えがあって、そうしたわけだし、
 その後は自分一人の力で生きて来た。
 ...(中略)...
 まあ、一生言われるのは覚悟しているが、
 死んでからも『学習院中退居士』なんて
 戒名付けられた日にゃ浮かばれない。」

結局、勘当は、なし崩し的に許されたようだが、
人の一生をそんな戒名で表現されたら、
人権侵害もはなはだしい。

で、祖父の戒名は、えーっと。覚えきれなかった。
「匠」と「謳」と言う字、俗名から一文字、「院」と「居士」
が入っていたのは確かだけど。

学習院中退居士は憶えやすくていいな。

長生きも芸のうち

2004年12月19日 01時11分14秒 | 古い日記
さて、私事ではあるが、祖父(母方)が昨晩他界した。(96歳)

ところで俺は祖父について、どれだけの事を知っているだろう?

とりあえず思いつくのは、
戦争で中国~南方戦線を転々とした事、
戦前戦後を通じて石川島重工業に在籍していた事、
能の金剛流の師範だった事、くらいだ。

さて、一番わからんのは、祖父と伝統芸能「能」との関係だ。
今は「ただの田舎のおじいさん」なのに、
何故「金剛流最後の長老」と言われていたのだろう?

以下のHPを見つけて、納得した。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/7363/histry.htm

昭和初期 :
奥野達也先生 石川島重工業(株)資材部在職 
金剛流の謡曲・仕舞を社内外の方々に指導された

とある。祖父は資材部だったし、この頃から指導を受けていたのだろう。
昭和29年5月には師範になっている。

当時の石川島重工業は確か戦艦大和とかを作った会社で、
極一部の人しか入れない一流企業だった筈だ。
しかも、そこで「能」とも出会い、それなりの地位も得ている。
仕事の面でも趣味の面でも、俺はとても適わない。

ただ、戦争で相当悲惨な思いをしているから
祖父と同じ人生も嫌だけど。

ところで、
俺が死んだら、皆、俺をどんな人物として記憶してくれるのだろうか?
坊さんが戒名をつける時、故人がどんな人間だったか?を考える。
俺の場合は、「生き方に一貫性が無いなあ」と悩んだりしないだろうか?
俺の人生を漢字1文字で表すとしたら、何なんだろう?
まあ、そんな事を考えるのは棺おけに足を半分入れてからでもいいか。