フランスのチャンピオンとチェスをする羽生。
結果は「引き分け」だったらしいが、なんか……相手も(容姿が)羽生っぽかった。
○月×日
今日、犬を拾った。
○月×日
両親に「犬は飼えない。年金も先延ばしになるし、これ以上、扶養家族は持てない」
と言われた。
○月×日
明日、おじいちゃんが犬を捨てに行く事になった。
○月×日
何故か?……犬だけ帰って来た。
ヤ○コーにて。買い物をしていると、
やけに体格の良い女の子がこっちに向ってやって来た。
「おじちゃーん!」
ひょうちゃん2号だ。
なんか……彼女が来ている服に見覚えがある。
「あれ? 俺もこれと同じTシャツで色違いの持ってるぞ」
と言うか……
以前から「着ているモノがひょうちゃん2号と被る」事が多いのが、疑問だった。
「そうだよ。ある意味ペア・ルックだよ。おじちゃんとあたし」
「はぁ?」
さらに、彼女は俺のTシャツを指差して言った。
「てか、これも元々は私のだし」
「……」
要するにあれか。
長い間、○に
「姪っ子の”お下がり”を色々と着させられている」という事実にようやく気付いた。
余談だが……この台湾出身の本因坊(ホウインボウ)
ひょうちゃん2号に似ている。
一時は東京の各地に高濃度汚染地があるのではと疑わせる事態にまでなった世田谷の放射能騒動。しかし、福島第一原発によるものではなく、原因はこの家にあったラジウムの瓶だった。
騒動の舞台となった民家は、築60年ほどの木造平屋建て。現在は空き家になっているが、今年2月まで、92才の女性・A子さんがひとりで住んでいた。
「A子さんが引っ越してきたのは、50年ほど前の、昭和35年ごろのことです。瓶自体も同じくらい古いものなので、当時からあったとみられています」(全国紙記者)
ということは、この「放射能おばあさん」、ラジウムの上で50年も生きてきたことになるのだが、放射能の影響は受けなかったのだろうか。
A子さんは、証券会社に勤める夫とともに、この家に引っ越してきたという。現在、彼女は介護老人保健施設に入所しているが、特に病気ということはなく、夫も10年ほど前に亡くなったが、放射能を受けた人がなりやすい白血病やがんが死因ではなかった。夫妻には、2男1女がいるが、その子供たちもここで育った。次男の妻・B子さんがいう。
「お義父さんは、82才のときに老衰で亡くなりました。義母も耳は遠いし、記憶もぼやけていますが、重い病気にはかかっていません」
子供たちがこの世田谷の家を出て久しいが、ときには、庭の手入れや掃除などに来ることもあったという。現在、子供たちは3人とも50~60代だが、「みんな健康体」だという。
「主人も姉も弟も結婚して家を出るまで、その家で過ごしましたが、全員健康でいます。私には娘がいますけど、娘も健康です。放射能がこれだけ騒がれていて、私たちも普段から食べるものとか気をつけていたのに、まさか身近でこんなことが起こるなんて…」(B子さん)
青天の霹靂といった感じだが、ラジウム入りの瓶が発見された場所は、A子さんの寝室だった。
「和室で畳の部屋なのですが、義母はベッドを置いてそこで寝ていたんです。ちょうどベッドの斜め下あたりが床下収納になっていたんですね。誰も触らないし、そんなモノがはいっていたこともまったく知らなかったようです」(B子さん)
つまり、A子さんはラジウム入り瓶の木箱のすぐ上で毎日寝起きをしていたのだ。計測された放射線量から推測すると、A子さんは1年間で30ミリシーベルト近く外部被曝していた計算になるという。これは震災後、国が計画的避難区域の基準とした20ミリシーベルトを上回っている。
この家に50年間住んでいたということは、単純計算すると、これまでに浴びた総被曝量は1500ミリシーベルトにもなる。放射性物質に詳しい中部大学教授の武田邦彦氏によると、実際にこれだけの量を被曝しているならば、「白血病になってもおかしくない」という。だが、それでもA子さんは90才を超えたいまも健康体。
「外部被曝のみをしていたと考えられます。確かに高濃度ではありますが、1年30ミリシーベルトといった放射能の影響を示す数値は、あくまで目安です。健康被害を受けない人もいるということなんです」(武田氏)
※女性セブン2011年11月3日号
反対派:
「その内、怪我人や死人が出ますよ」
推進派:
「カネが欲しいなら文句いうな!」
折衷派:
(てか、どっちにしろ、生きていけないし……)
あ、原発の話ですけどね。
あれ? どうも……エマさんは日本にいるらしい。
てか、前任者の○○さん(名前は忘れた)が帰国。
代わりに来日したニュー・カマー米国人女性が「エマさん」って事らしい。
まあ、それだけなら自転車の名前の問題だけなんだけど。
話の行き違いだか、なんだかで……
どうやら俺が「勝手に他人の自転車を使っていた」
という最悪の可能性が浮上した。