ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

告白

2005年04月21日 22時41分53秒 | 古い日記
お、来たか。でも、李参堂なら来ないぜ。

今日、俺が「腰が痛い」って言ったら...。
アイツ、ムキになって一人で働いて、クタクタさ。もう、寝ちまったろうよ。

今日は俺が代わりに書く。まあ、付き合えよ。

今の若い奴にはわかんねーだろうけどよ。

俺の若い頃は貧乏学生で、色々なバイトをやったさ。
一番、割が良いのは...アレだな。うん。

名前はえーと。「遺体処理」って言うのかな?

聞いた事あるだろ?ホルマリンのプールに遺体が沢山沈めてあってな。

いや、ホルマリンかどうか?良く知らねーけど。
そう。直径13メートルくらいの丸いプールだったかな。
遺体は麻の袋かなんかに入っていたと思う。

それが時々、上の方に浮いてくるんだ。体の中にガスか何かが発生するんだとよ。

それでな、時々、竹の棒で突っついて、また、下に沈めるんだ。
一晩中、一人でそれをやるんだぜ。

袋が破けていてさ。そこから顔が見えて
仰向けで浮かんでくる死体もあるから、そりゃ、気持ちいいもんじゃないな。

そんなの「都市伝説だろ?」って?違う違う。
実際にやった俺が言うんだから間違いない。
そーだよ。現にここにそれをやった奴がいるんだよ。

なにせ、当時はベトナム戦争があったろ?
アメ兵の遺体が沢山日本に持ち込まれてな。

立川の基地じゃ、毎日が「御巣鷹山状態」さ。
多分、ベトナムで死んだ兵隊さんは、全部一旦、日本を経由したんじゃねーか?
そんな訳で、俺と同じバイトをした連中はたくさんいた筈だぜ。

さて。俺の仕事は普通はそこまでだけど。

さらに金が欲しい時は、もっと悲惨なのをやった。
「兵隊さんを元通りに復元して、葬式に出せるようにする。」

この仕事が一番時給が良かった。

けどな。戦死した遺体なんか完全に元に戻る筈なんかない。
持ち込まれるのは、「死体らしきもの」ハッキリ言えば「肉塊」で、
どれが、誰の手足なんだか?さっぱりわからねえんだ。実際。

疲れてきて、面倒になると、適当になってな。
上半身が金髪の白人なのに、下半身が黒人だったりと...いい加減なもんさ。
まあ、最後はミイラみたいに包帯で巻いてしまうから、わかりっこ無いけどな。

畳職人が使うようなデカイ針と、凧糸みたいな太い糸で、手足を繋げたもんだ。

しかし...

今は、俺達に適当に繋ぎ合わせられているけれど、

この死体達も、元はと言えば、
誰かの、かけがいの無い、亭主だったり、お父さんだったり、息子だったり、恋人だったりするわけだ。

...なんて事、考えた事は無いよ。当時は俺達も生きるのに必死...だった気がする。

最後は綺麗に軍服を着せてやって、棺おけに入れたら、
なんとか御遺族にお見せできる姿になる。
それでご帰還って訳さ。

その仕事を終えてからな。
風呂に入って、相棒と飯を食いに出かけたらな。

店に入った瞬間、店のオヤジがこう言うんだ。

「お客さん。帰って下さい。他のお客の迷惑になりますんで。」
「何でだよ?」と俺が訊くと、
「御自分では解からないかも知れませんが、臭うんですよ。」って言うんだ。
いくら風呂に入って、体を洗っても、臭いが染み付くらしいんだ。
相棒と、「こんな仕事、つまでも、やるもんじゃなえーな。」って話したよ。

まあ、そんな時代だった。

ところで、さあ。一つだけ訊きてえ事があるんだ。

今、「何か食いたいもの」ってあるかい?
俺達の若い頃は即答できた。いつも飢えていたからな。

今じゃ、俺も言えないよ。別に特に今、食いたいもんなんて無い。
それが、悲しいって言やあ、悲しいよね。

じゃあ。機会があったら、またな。

あとがき:
この話は、ある人物から聞いた話を「言葉使い」などを脚色して、
私が編集したものです。
実際には、あまり語りたがらないのを、無理して聞きだしました。

「ある病院の地下室に、ホルマリンのプールがあって、
そこに遺体を保管している、云々」
という都市伝説はこれが元になっているようです。

(実際は、病院ではなく米軍の施設内だったようです。)

李参堂