紫露草
風がありますが、よい天気です。昨日は雨でした。
雨の中を市民フォーラムへ出かけていって、ハコミ自主勉強会を3人でしました。
広い和室が借りられましたので、いつもの雰囲気とまたちがったハコミタイムでした。
一人が話しをして残りの2人が話し手の持っている強さにフォーカスして感じたことをシェアするというのから始めました。
私は前日、泣いてしまったできごとについって話しました。
胃がんで亡くなった65才女性の告別式で、その方の遺影を見ていると、坊さんの日本語のお経(と言うのでしょうか?)を聞いていると涙が止まらなくなりました。
参列者が御棺の中へ花で埋める時、最後の別れの時、友人らしき数人の方々が声を出して泣いておりました。
ああよかったと私も泣いていいのだと、かなり泣いてしまいました。
遠くへ旅立つ彼女の姿と私の母が重なり私は泣いていました。
ものすごくがんばって、がんばって生きてきたにちがいない彼女の人生が私の母と重なってしまい涙があふれる!
仕事も家事も一生懸命にこなして、誰かのために生きた女性なのかと、私は勝手に想像し、(そういう女性って、他にも大勢いますが、)そんな人たちに対する悲しさかもしれませんが・・私は泣かせてもらったことを話しました。
話すということは「離す」ことでもあり、自分の心が整理されていきます。
私は母のことを重ねて、思い出して泣いていたのですが、私の中のある部分は彼女はもしかしてそういう人生しかできないし、また選んでそう生きたのかもしれないし・・・などと感じている部分も確かにあるのです。
勝手に私は泣くのです。本人は充分やることをしたのかもしれない。
本人はこれでいいのだと思ってるかもしれない。私の人生をまっとうしたと感じてるかもしれない。
想像するしかないのだけれど・・・
少し前のサイコドラマ風な場面で私は若くして亡くなってしまった若い女性の役となり、横たわってみた。縁のある人々が来て嘆いても「うるさいわね!静かにして!せっかく穏やかになったのに、安らかにねむらせてよ!」
というセリフが私の口から出て、以外でしたね!
そんなことを言うつもりないのに!
そういうことを言ってしまうのです。
もしかして、この世を去るということはそれに近いことなのかもしれない。
と言うか、私はふっと上方の、どこかから聞こえてくる声を口にすると、思ってもいないセリフになる・・そういう体験を何回かしました。
で、今回もまた、昨日話したことを思いだして書いていると・・話すことで整理できるのだけれど・・・またそれを書くことにより、またいっそう整理できる!
もしかして、私は母の死のみならず、幼くして他界した弟のことを悲しんで、悲しみつくしていないのかもしれない。
他の人の告別式で泣くのは弟の時に充分に泣きつくし、悲しみを手離していないからかもしれない。
弟の死を語りつくしていないのかもしれない。
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
近所を歩いていましたら、紫露草が咲いていましたので撮りました。
風がありますが、よい天気です。昨日は雨でした。
雨の中を市民フォーラムへ出かけていって、ハコミ自主勉強会を3人でしました。
広い和室が借りられましたので、いつもの雰囲気とまたちがったハコミタイムでした。
一人が話しをして残りの2人が話し手の持っている強さにフォーカスして感じたことをシェアするというのから始めました。
私は前日、泣いてしまったできごとについって話しました。
胃がんで亡くなった65才女性の告別式で、その方の遺影を見ていると、坊さんの日本語のお経(と言うのでしょうか?)を聞いていると涙が止まらなくなりました。
参列者が御棺の中へ花で埋める時、最後の別れの時、友人らしき数人の方々が声を出して泣いておりました。
ああよかったと私も泣いていいのだと、かなり泣いてしまいました。
遠くへ旅立つ彼女の姿と私の母が重なり私は泣いていました。
ものすごくがんばって、がんばって生きてきたにちがいない彼女の人生が私の母と重なってしまい涙があふれる!
仕事も家事も一生懸命にこなして、誰かのために生きた女性なのかと、私は勝手に想像し、(そういう女性って、他にも大勢いますが、)そんな人たちに対する悲しさかもしれませんが・・私は泣かせてもらったことを話しました。
話すということは「離す」ことでもあり、自分の心が整理されていきます。
私は母のことを重ねて、思い出して泣いていたのですが、私の中のある部分は彼女はもしかしてそういう人生しかできないし、また選んでそう生きたのかもしれないし・・・などと感じている部分も確かにあるのです。
勝手に私は泣くのです。本人は充分やることをしたのかもしれない。
本人はこれでいいのだと思ってるかもしれない。私の人生をまっとうしたと感じてるかもしれない。
想像するしかないのだけれど・・・
少し前のサイコドラマ風な場面で私は若くして亡くなってしまった若い女性の役となり、横たわってみた。縁のある人々が来て嘆いても「うるさいわね!静かにして!せっかく穏やかになったのに、安らかにねむらせてよ!」
というセリフが私の口から出て、以外でしたね!
そんなことを言うつもりないのに!
そういうことを言ってしまうのです。
もしかして、この世を去るということはそれに近いことなのかもしれない。
と言うか、私はふっと上方の、どこかから聞こえてくる声を口にすると、思ってもいないセリフになる・・そういう体験を何回かしました。
で、今回もまた、昨日話したことを思いだして書いていると・・話すことで整理できるのだけれど・・・またそれを書くことにより、またいっそう整理できる!
もしかして、私は母の死のみならず、幼くして他界した弟のことを悲しんで、悲しみつくしていないのかもしれない。
他の人の告別式で泣くのは弟の時に充分に泣きつくし、悲しみを手離していないからかもしれない。
弟の死を語りつくしていないのかもしれない。
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近所を歩いていましたら、紫露草が咲いていましたので撮りました。