台風の合い間の晴れでしょうか?
空の一角には雲が広がり、風がアルミサッシに当たってビュウビュウ音をたてています。
こんな日は暑いですね!
一昨日はハコミの自主勉強会でした。
5人集まりました。
ある人の言葉・・「母のように生きたくない」に私は反応してしまい、そうだ!そうだ!
と私のなかで声が響きわたりました。
そう!
あんなふうにがんばって生きるのは私には無理です。
がまんして、がまんし続けて・・・
子どもの時から、誰かのために働き続けて・・・
もうゆっくり休んでもよい時にいたっても、休むということがどういうことかわからず・・・ぼけることしかできなくて・・・
☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。
母は長女だったので、いなくなってしまった父親のかわりをして弟妹のめんどうをみた。
結婚したら、嫁として、がんばって働いた。
戦後の苦しい時をなんとかきりぬけて、バブル崩壊のころにはもうかなり弱ってしまっていた。
母のような働き者がやはり、バブルを支えたのだろうか?
その子の私はああいう働きができなくなっている。
体の弱い時期が長かった。
60代になって、それなりに元気な日々を送っているが・・・
☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。
一昨日のハコミでは私は次のような言葉の数々を皆様に言ってもらった。
がまんしなくていいですよ!
無理しなくていいですよ!
自分を犠牲にして人の世話をしなくていいですよ!
そして、上の言葉を聞いて、私のなかからさらに言ってほしくなったことを、次のような言葉を何回も言ってもらいました。
ゆっくりしていいですよ!
気楽にしていいですよ!
休んでもいいですよ!
私は小さな子どもになり、そういう言葉を聞いていた。
小さい時に子どもらしい暮らしができないと、子どもらしくわめいたり泣いたりしていないと、大人になって苦労する。
幸いにそのメカニズムに気づくことができ、私は癒しの日々を送る。
花や空などの自然で癒され、やさしい人々の言葉や心で癒され・・
私は癒しの日々を送っている。
☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。
母は私が10代の終わり頃、東京に出たいと言った時、そんなに行きたいのならば行けば!
と言ってくれた。
父が反対していたけれど、その頃の母には父の言葉を押し切る力があった。
それから母は少しづつ強くなっていき、父との力関係が変化した。
(母は和裁教室をきりもりし、金を稼ぎ出す人となっていった。)
私が子どもの頃の母は口数が少なくて、おとなしい人なんだと信じて疑わなかった。
父が時々、怒り出す人だったので、機嫌が悪くならないようにとの母の対処術だったのだ。
男女平等推進センターのフェスティバルに関わったりするのは母が父から不当な扱いを受けたことに対する怒りが、私の中に燃えさかっているからだ!
嫁は家事をし、家業をし、子どもを生む・・・それだけの存在か!
どんなにがんばっても感謝とかいたわりとかの言葉のない父を見てぃると男にたいする怒りが沸いてくる。
最近、男がそういう父のような人ばかりじゃないことが次第にわかってきています。
男一般に怒りをむけなくてもいいよ!
という気持ちになっています。
逆におとなしい男の存在が気になることもあります。優しい男が増えたかも。
私は夫に期待できないからと息子に理想の男を期待してしまった!
そんな母から、息子は逃げる力があり、時おり、年に1回程度、顔をだしてくれます。
それで私は充分に幸せを感じます。
息子につきまとう母は卒業しました。
その後、娘につきまとう母をやってしまった時期があります。
このやり方は母から学んだものです。
私は子どもにつきまとう母をしたくはないと思うようになっています。
しかし、なかなか習慣をかえることはむずかしいですね!
意識して、少しだけ努力しています。
(気づいただけでも、すごい!)
癒し系ワークショップにでるのはとても役にたちます。
女が男から、ひどい目にあったから、じゃあそれはやめて男を支配してやろう!
という発想でいくと、なんじゃこりゃ・・でしょう!
男も女も人は皆幸せに生きていこう!
という表現は使ってもいいのではないかと思うようになりました。
人は誰も幸せに生きてよいのです。
幸せに向かって、日々を暮らしてよいのです。
ただ、幸せとは何?どのような状況?
ひとつ言えることは、幸せは自分が感じることであって、他人からこれが幸せだと押し付けられるものではないでしょう!
私の場合、母は私の幸せを願って、母の理想の幸せを私のうえにイメージした感があります。
私の幸せは私が感じるものだと思います。
だから、その人それぞれの幸せがあるのでしょう!
それでいいのでは・・・
だから、自分の感情を取り戻す・・・という作業が必要な人がいるかも・・・
私は自分の感情に気づいたり、表現できない人生が長かったので、今、自分の気持ちを素直に率直に表現する練習をしています。
このブログもその一つかな?
言葉でしゃべるのが苦手な私にとって。
それでも最小限の会話を練習する機会も作ったり・・・
やり直し、生きなおしもなかなか楽しいわけです。
公民館の自主男女共生学級に今年は「私を生きる」という学級名で参加します。
「男も女も共に生きる」という趣旨の公民館事業です。
そいう方向で学習していこうという市民参加の企画です。
つい子どもとか誰か他の人のめんどうをみることにより、誰かの迷惑になっているのに気がつかない状況を私は何とか回避し逃げ出そうとした。
けれど、人との付き合いの仕方にいつもギクシャクしたものを感じ・・・最近は一人で過ごす時間を大切にするようになった。
すごい!
対人関係がまだ練習途上だけれど・・もしかして、私だけではないかも・・・
*~*~~*~~*~~~*~~~*~~~*~~*~~*~*
夕方の公園に咲く花を撮りました。
調べた範囲では空木(うつぎ)らしい。
確信がもてないけれど・・・
空木とはまあ!
偶然・・何か・・もしかして・・
母の悲しい人生を表現しているようで・・・
空の一角には雲が広がり、風がアルミサッシに当たってビュウビュウ音をたてています。
こんな日は暑いですね!
一昨日はハコミの自主勉強会でした。
5人集まりました。
ある人の言葉・・「母のように生きたくない」に私は反応してしまい、そうだ!そうだ!
と私のなかで声が響きわたりました。
そう!
あんなふうにがんばって生きるのは私には無理です。
がまんして、がまんし続けて・・・
子どもの時から、誰かのために働き続けて・・・
もうゆっくり休んでもよい時にいたっても、休むということがどういうことかわからず・・・ぼけることしかできなくて・・・
☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。
母は長女だったので、いなくなってしまった父親のかわりをして弟妹のめんどうをみた。
結婚したら、嫁として、がんばって働いた。
戦後の苦しい時をなんとかきりぬけて、バブル崩壊のころにはもうかなり弱ってしまっていた。
母のような働き者がやはり、バブルを支えたのだろうか?
その子の私はああいう働きができなくなっている。
体の弱い時期が長かった。
60代になって、それなりに元気な日々を送っているが・・・
☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。
一昨日のハコミでは私は次のような言葉の数々を皆様に言ってもらった。
がまんしなくていいですよ!
無理しなくていいですよ!
自分を犠牲にして人の世話をしなくていいですよ!
そして、上の言葉を聞いて、私のなかからさらに言ってほしくなったことを、次のような言葉を何回も言ってもらいました。
ゆっくりしていいですよ!
気楽にしていいですよ!
休んでもいいですよ!
私は小さな子どもになり、そういう言葉を聞いていた。
小さい時に子どもらしい暮らしができないと、子どもらしくわめいたり泣いたりしていないと、大人になって苦労する。
幸いにそのメカニズムに気づくことができ、私は癒しの日々を送る。
花や空などの自然で癒され、やさしい人々の言葉や心で癒され・・
私は癒しの日々を送っている。
☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。
母は私が10代の終わり頃、東京に出たいと言った時、そんなに行きたいのならば行けば!
と言ってくれた。
父が反対していたけれど、その頃の母には父の言葉を押し切る力があった。
それから母は少しづつ強くなっていき、父との力関係が変化した。
(母は和裁教室をきりもりし、金を稼ぎ出す人となっていった。)
私が子どもの頃の母は口数が少なくて、おとなしい人なんだと信じて疑わなかった。
父が時々、怒り出す人だったので、機嫌が悪くならないようにとの母の対処術だったのだ。
男女平等推進センターのフェスティバルに関わったりするのは母が父から不当な扱いを受けたことに対する怒りが、私の中に燃えさかっているからだ!
嫁は家事をし、家業をし、子どもを生む・・・それだけの存在か!
どんなにがんばっても感謝とかいたわりとかの言葉のない父を見てぃると男にたいする怒りが沸いてくる。
最近、男がそういう父のような人ばかりじゃないことが次第にわかってきています。
男一般に怒りをむけなくてもいいよ!
という気持ちになっています。
逆におとなしい男の存在が気になることもあります。優しい男が増えたかも。
私は夫に期待できないからと息子に理想の男を期待してしまった!
そんな母から、息子は逃げる力があり、時おり、年に1回程度、顔をだしてくれます。
それで私は充分に幸せを感じます。
息子につきまとう母は卒業しました。
その後、娘につきまとう母をやってしまった時期があります。
このやり方は母から学んだものです。
私は子どもにつきまとう母をしたくはないと思うようになっています。
しかし、なかなか習慣をかえることはむずかしいですね!
意識して、少しだけ努力しています。
(気づいただけでも、すごい!)
癒し系ワークショップにでるのはとても役にたちます。
女が男から、ひどい目にあったから、じゃあそれはやめて男を支配してやろう!
という発想でいくと、なんじゃこりゃ・・でしょう!
男も女も人は皆幸せに生きていこう!
という表現は使ってもいいのではないかと思うようになりました。
人は誰も幸せに生きてよいのです。
幸せに向かって、日々を暮らしてよいのです。
ただ、幸せとは何?どのような状況?
ひとつ言えることは、幸せは自分が感じることであって、他人からこれが幸せだと押し付けられるものではないでしょう!
私の場合、母は私の幸せを願って、母の理想の幸せを私のうえにイメージした感があります。
私の幸せは私が感じるものだと思います。
だから、その人それぞれの幸せがあるのでしょう!
それでいいのでは・・・
だから、自分の感情を取り戻す・・・という作業が必要な人がいるかも・・・
私は自分の感情に気づいたり、表現できない人生が長かったので、今、自分の気持ちを素直に率直に表現する練習をしています。
このブログもその一つかな?
言葉でしゃべるのが苦手な私にとって。
それでも最小限の会話を練習する機会も作ったり・・・
やり直し、生きなおしもなかなか楽しいわけです。
公民館の自主男女共生学級に今年は「私を生きる」という学級名で参加します。
「男も女も共に生きる」という趣旨の公民館事業です。
そいう方向で学習していこうという市民参加の企画です。
つい子どもとか誰か他の人のめんどうをみることにより、誰かの迷惑になっているのに気がつかない状況を私は何とか回避し逃げ出そうとした。
けれど、人との付き合いの仕方にいつもギクシャクしたものを感じ・・・最近は一人で過ごす時間を大切にするようになった。
すごい!
対人関係がまだ練習途上だけれど・・もしかして、私だけではないかも・・・
*~*~~*~~*~~~*~~~*~~~*~~*~~*~*
夕方の公園に咲く花を撮りました。
調べた範囲では空木(うつぎ)らしい。
確信がもてないけれど・・・
空木とはまあ!
偶然・・何か・・もしかして・・
母の悲しい人生を表現しているようで・・・