ホセ・クーラは、フェイスブック(FB)で様々な試みをしています。ファンとの交流を大事にして、双方向にしてゆくために、2016年の6月には、FBで以前から予告していた新セクション、質問コーナーを開始しました。
話題は私生活を除く仕事の面で、誰でもFBのコメント欄に書き込むことで質問ができ、それに対しては基本的に、直接クーラから回答がアップされるというもの。
約1カ月くらい続いたこの質問コーナーには、さまざまな問いかけが多くのファンから寄せられ、その多くに対して、結果的にはチーズの好み(笑)にまで、1つ1つ丁寧に答えてくれました。実は、私も拙い英語でいくつかチャレンジしてみたのです。それにも、しっかり回答してくれました!
ということで、今回は、質問回答コーナーでのファンとクーラとのやりとりから、いくつか抜粋して紹介したいと思います。
クーラの人柄、考え方がよくわかり、また一般のインタビューなどに比べても、編集が介在しない直接のクーラの声であり、いっそう率直に語っている様子で、とても興味深いです。
私の質問への回答についても、おって紹介したいと思います。テーマはアトランダム、日時も質問者もバラバラです。
いつもどおり、日本語訳は不十分であり、誤訳、ニュアンスの違い等、あるかと思いますが、大意をつかんでいただくということで、どうかご容赦ください。原文は、クーラのFBの6月4日以降のポストをご参照ください。
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――芸術のために死ねるか
Q、芸術のためには死をもいとわない?
A、私は自分の愛する仕事をする。自分自身が非常に多くの才能を受け、それにより生活の糧を稼ぐことができのは、特権であると考えている。
私は非常にロマンチックな人間だ。私の才能は、お互いを補完し、豊かにする。
しかし、それらのために死ねるかと問われるなら、私の答えはNOだ。
私は、家族のため、友人のため、正義を守り、よりよい社会のためになら、死ぬだろう。しかし、もし芸術を続けられなくなったとき、私は死ぬことはない。
もちろん非常に落ち込むだろうが、私は、私の人生を他の活動とともに歩むだろう。我々の、苦しんでいる地球のために、やるべきことは山ほどある。
私は理解する。あなたが人生のなかで、芸術を離れて何ももたないなら。もし友人も家族もなく、社会的な関係をもたない、など、あなたが芸術という唯一のものを失うなら、あなたは死ぬだろう。
(芸術のための死という)このロマンチックな芸術へのアプローチは、非常に「映画的」だが、何百万人もの人々が「現実の」理由で、時々刻々、死んでいる世界においては、未熟で不公平だ。
――演出家としての活動について
Q、ヴェルディの4幕イタリア語版ドン・カルロを計画している時に、演出家が5幕フランス語版に変更することはできる?
A、超強力な演出家が望むなら可能かもしれないが、私はそのようなことを見たことはない。
Q、演出家の自由度は?
A、劇場との契約に保護条項がある。
コンセプトが良くないと思うなら劇場は拒否権を持っている...ただ非常に悪いものも見かけるが、これがこれまで適用されたのかどうかわからない....。
Q、演出家として、必要とするリハーサル時間は?
A、自分が新プロダクションをつくる場合、ピアノとのステージングで4週間、オーケストラとステージングのリンクのために1週間。そして、ドレスリハーサル。
もちろんこれは、実際のリハーサルについての話だ。しかし準備期間には、事前に2年をついやしている。構想のために1年、構築するために1年。
――「ホセ・クーラの歌が嫌い」に対して
Q、クーラの歌い方が嫌いという人がいるが?
A、音楽、歌、絵画などは他者とコミュニケートする言葉だ。これは、誰もがあなたと同様の方法ですべきだということを意味しない。
ある者はそうするし、ある者はそうでない。間違いは、「過剰に嫌う」ことが「憎む」になること。人々は、何かを好きでないことは、それが間違っていることを意味するものではないことを忘れてしまう。
「過剰な愛」と同様に、人々を、彼らが好きな人を「世界で最高」であるふりをするように駆り立てる。どちらの行為も、ファナティシズム(狂信)に結びつく。そして、どこにも導かない・・。
ある者の行為、思考、そして歌、指揮などを、そうすべきものとして真似することは、自分たちだけが正しいと主張していることだ。
ノー。もしそれがエゴイズムでなければ、エゴイズムとは何だろうか。
――タンホイザーとピーター・グライムズについて
Q、2017年に、初のワーグナーに挑戦、ブリテンのピーター・グライムズにデビューするが?
A、タンホイザーの音楽、一般にワーグナーは、私のように、音楽と演技とのリアルな結びつきを求める者にとっては、理想的とはいえない。しかしこれはスタイルの問題であり、私が解決すべき問題だ。
それには関係なく、ワーグナーの音楽は、信じがたいほどの音のモニュメントだ。残念なことに、台本は愚かしいけれど...。
とにかく私は、タンホイザーをやってみたかった。
なぜなら、私は少なくとも一生に一度は、ワーグナーのオペラを演じたかったからだ。ドイツ語は私には手が出せないので、この「フランス語上演」のチャンスを手放すことはできなかった。
ピーター・グライムズについては、私の“深い思い”を伝えるにはまだ早すぎる。いま進行中だからだ。しかしそれは、私にとって、理想的なオペラだ。次のような理由によって。
ピーター・グライムズは、音楽とドラマの完全な結合だ。もし仮にそこから音楽を削除し、台詞だけを語ったとしても、それらは完璧に意味をなしているだろう・・。
――出演を決める基準について
Q、オファーを受けるか、拒否するか、何によって決める?
A、1番は演目、作品。 私が良い仕事を行うことができるかのかどうか、確認する必要がある。
2番目は、場所(プロダクションを含む)と、カンパニー(劇場や主催者のことか?)。
出演料については、市場における製品と同じように、我々の価格は固定され、独自に動く。だからアーティストに連絡を取る人は、あらかじめ彼の価格を自分の手のうちで知っている。
――伝統的演出と読替え
Q、オペラの物語の時代を変更する作品をどう思う?
A、問題は時間の枠ではなく、コンセプト。最初から最後まで関心を保持できる良いコンセプトこそ、舞台を成功させる唯一の方法だ。
演出コンセプトが、作品をリアルタイムに置くかどうかは、二次的なこと。私たちが「伝統的」とよんでいるものでも、いくつかの公演は、実にひどいものがあり、その逆も同様だ。
芸術を保護するために箱の中にしまい込むなら、空気の不足によって、それを殺してしまいかねない。
私たちは一度、理解する必要がある。アーティストに対して、同意したり反対したりする必要はないことを。
好きか嫌いかがあるだけだ。もしそれが好きなら、私たちはそれを求める。そうでなければ無視する。
しかしアーティストにとって、聴衆が求めるものを行うふりをすることは、芸術の本質を殺すことだ。
時の経過は、誰が正しいか、誰がそうでなかったか、教えてくれる。それは常にそうだった。いま我々が巨匠とみなす芸術家たちに対する、当時のレビューを読んでみればわかる・・。
――ストレスについて
Q、キャリアの中で最もストレスフルなステージ状況とは何?
A、あなたはステージ上の事故などを想定するかもしれないが、それはストレスではない。
舞台上の事故は、人々が思っているよりも、実ははるかに多い。時には、観客はまったく気づいていない。
それは多かれ少なかれ危険だが、しかし抜本的な何かが起こる場合を除いて、それは面白いエピソードとしてとどまる。
ステージの上で常に観察される存在であること、それは、生きる糧を稼ぐためのストレスの多い道だ。バランスのとれた虚栄心(それがなければ苦しむ)と言うべき信念を必要とする。そうでなければ、なぜ、そこにいるのか?
パフォーマーは物語を伝える人だ。伝えるべき物語を何も持たなければ、そして本当の人生がどのようなものかを知ることができないならば、舞台で生き残る方法はない。
もしくは、生き残ることができても、あなたは、誰の心にも触れることはできない。もし多くの人の心に触れることを望まないのなら、それも悪くないだろう。だが、とにかく、それは私のスタイルではない。
先日、私の友人から、他の誰かと言い争いになったと聞いた。その人は、「私はクーラが好きじゃない。演技が見たければオペラではなく演劇に行く。オペラに行くとき、私はただ歌を聞きたいのだ...」と言ったと。
私は賛辞として受け取ったが、それはオペラで何が起こっているかを多く語っている。演劇、映画は1960年代に大きな革命を行った。しかしオペラはいまだ、多くが1900年代のままだ。
同僚や私は、「手法」のアップデートのためたたかっているが、「象」は動かない。もし今日、エロール・フリンのように演じるなら笑われる。しかし今も多くは、過去のレジェンドたちのやり方を、歌の唯一の方法とする。
過去の伝説的な歌手たちは、素晴らしかった。そして我々は、彼らに多くを負っている。しかし、もし我々が生き残るために彼らをコピーするなら、彼らは私たちと一緒に、真っ先に怒っただろう。
結局、伝説的な歌手たちを模倣することは、彼らの仕事への侮辱になる。当時、彼らは、彼ら自身の革命を導くためにリスクをとった。その結果、オペラが前進することができた。
我々が彼らを模倣することは、彼らが始めた前進を阻止する。彼らの努力とリスクが無価値となってしまう。
Now, that's stress ―― 今、それがストレスだ。
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オペラ歌手として、演出家として、歌唱と演技のスタイルなど、芸術活動の中身に関する質問に加えて、公演を選ぶ優先順位や、出演料決定の仕組み、演出にかける準備期間など、ちょっと興味深い、内輪話的な回答もあり、どれもおもしろいやりとりです。
「芸術のために死ねるか」についても答えも、いかにもクーラらしいと思いました。いつも、社会の現実と離れた芸術至上主義を戒め、常に社会との関係で芸術と自らの活動を考える視点をもっています。正義と、より良い世界を守るためなら死ねると断言するのは、シェニエかカヴァラドッシか・・(*^_^*)
まだまだ、クーラが答えた質問はたくさんあります。興味のある方は、ぜひクーラのフェイスブック(2016年6月頃)を直接のぞいていただきたいと思います。
ひきつづき、私の質問への回答を含め、また紹介したいと思っています。
問題は、日本語訳がなかなか追いついていかないこと・・(苦笑)