人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2016年 ホセ・クーラ ドイツとルクセンブルクでラテンアメリカの曲コンサート / Jose Cura gala Concert in Saarbrucken

2016-12-11 | アルゼンチンや南米の音楽



ホセ・クーラは、2016年11月、母国アルゼンチンの音楽を中心とする南米音楽のコンサートに出演しました。
11月6日がドイツのザールブリュッケン、翌7日がルクセンブルクでした。

たいへんうれしいことに、ザールブリュッケンのコンサートはラジオで生中継され、しばらくの間、オンデマンドでも聴くことができました。残念ですが、すでに終了しています。
  → プログラムやインタビューなどのページ

〈成功したコンサート〉

チケットは完売、レビューも好評でした。

「ホセ・クーラ ―― 世界の主要なステージで、有名な歌手であるだけでなく、オペラディレクターで、作曲や指揮も学んでいる。そしてザールブリュッケンのコンサートにおいて、彼が今、何をしているのか、非常にフレンドリーな方法で聴衆と話す才能を持っている。彼の偉大な声は、ピアノでほとんど聞こえないほどの音の美しさと強さを広げ、その後、空間に満ちる表現力を発揮するフォルテによって(驚嘆すべき「オーロラ」のアリア)、聴衆を魅了した。」
(「Kultur und Sport an der Saar」)





〈プログラムについて〉

コンサートは、オーケストラの曲と、クーラの歌が交互に演奏される形ですすめられました。
指揮者は、ペルー出身のミゲル・ハース=ベドーヤ。
オケは、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニーです。

Deutsche Radio Philharmonie Saarbrücken Kaiserslautern
Miguel Harth-Bedoya direction
José Cura ténor


以下のような南米の作曲家の曲によるプログラムに組まれました。

ダニエル・アロミア・ロブレス
 (1871-1942 ペルー)
クラウディオ・レバリアーティ (1843-1909 ペルー)
カルロス・グアスタビーノ (1912-2000 アルゼンチン)
アルベルト・ヒナステラ (1916-1983 アルゼンチン)
エステバン・ベンゼクライ (1970~ アルゼンチン)
ホセ・クーラ (1962~ アルゼンチン)
ジミー・ロペス (1978~ ペルー)
エットレ・パニッツァ (1875-1967 アルゼンチン)

曲目 (クーラが歌った曲は、赤字にしています)
●Daniel Alomía Robles: El cóndor pasa
●Claudio Rebagliati: Rapsodia Peruana «Un 28 de julio en Lima»
●Carlos Guastavino: «Jardín antiguo»
●Carlos Guastavino: «Alegría de la soledad»

●Alberto Ginastera: «Los trabajadores agrícolas»
●Alberto Ginastera: «Danza del trigo»
●Carlos Guastavino: Riqueza
●Carlos Guastavino: Se equivocó la paloma
●Carlos Guastavino: «Pájaro muerto»
●Alberto Ginastera: Canción del árbol del ovido
●Alberto Ginastera: «Los peones de hacienda»
●Alberto Ginastera: Malambo
●Esteban Benzecry: Colores de la Cruz del Sur
●José Cura: «De Noche, amada...»
●José Cura: «Pensé morir»
●Jimmy López: Perú
●Héctor Panizza: Intermezzo épico

グアスタビーノやヒナステラなど、日本でも比較的知られている作曲家もいますが、あまり知られていない曲、まだ若い作曲家もふくめ、ドイツの観客にとって、たいへん刺激的で興味深いコンサートになったようです。

なんといってもハイライトは、クーラがパブロ・ネルーダの「愛と死のソネット」の詩に作曲した音楽劇、「もし私が死んだら」から、2曲を自ら歌ったことです。
この曲は、2015年10月に、プラハ交響楽団とのコンサートで、首席指揮者のピエタリ・インキネンの指揮により、クーラが歌い、世界初演を果たしています。7つの歌曲からなり、オーケストラと、ネルーダ役の男声と妻マティルデ役の女声で構成されているそうです。
この時の様子は、ブログの以前の記事で紹介しています。
  → 「2015年 ピエタリ・インキネンとホセ・クーラ プラハ響とクーラ作曲作品を初演」


〈コンサートの録音紹介〉

そして、プラハの公演は放送されませんでしたが、今回は、そのうちの2曲だけですが、はじめて放送されました。
すでにオンデマンド放送は削除されていますが、クーラのファンページ「ブラボ・クーラ」のHPに録音が掲載されていますので、いくつか、リンクを紹介します。

クーラ作曲の「もし私が死んだら」は、非常に切なく美しいメロディです。特に後半の2曲目がエモーショナルで印象的です。
クーラがこのような曲を作曲する音楽家であるということを、ぜひ多くの方に知って聴いていただきたいと思います。
 
 → ホセ・クーラ作曲 「もし私が死んだら」から2曲  (2曲あわせて6分ちょっとです)

 → もうひとつ、カルロス・グアスタビーノの曲から2曲

  (Bravo Cura のページに飛びます。 Many thanks for BravoCura.com! )


 


クーラ作曲の「もし私が死んだら」の歌詞は、チリの国民的詩人パブロ・ネルーダの「愛と死のソネット」からのものです。
ネルーダは、ノーベル文学賞を受賞した世界的にも有名な詩人ですが、実はチリの自由と独立のためにたたかったチリ共産党員で、民主的な選挙によって誕生したアジェンデ政権を支えた1人でした。アジェンデ政権が軍事クーデターによって倒されると、ネルーダも弾圧され、混乱のなかで亡くなりました(病死とされているが疑問の声もあるようです)。南米の苦難とたたかいの歴史における偉大な人物の1人なのですね。

クーラはお隣のアルゼンチン出身。やはり青年期に軍事独裁政権の時代を経験しています。クーラの経験や、ネルーダの詩へ作曲するきっかけ、また母国語であるスペイン語について、南米の音楽についてなど、インタビューから抜粋してみました。

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〈アーティストは、母国のための文化大使――インタビューから〉

――2016年、コンサートにむけたインタビューより
Q、ラテンアメリカの音楽がプログラムで、歌詞はスペイン語。あなたの母国語だが、どの言語が、歌手として一番快適?

A、実は、私が歌手として最も快適に感じるのは、イタリア語。
しかし、このような歌や軽い歌の場合には、スペイン語は、その甘さにおいて比類がない。
私が選んだプログラムは、今年2016年に生誕100周年を迎えたアルベルト・ヒナステラへのオマージュでもある。

また、パブロ・ネルーダの詩集から7つのソネットに作曲した私の一連の作品から、2曲を取り上げることは大変うれしい。
この"Si muero, sobrevíveme!"(「もし私が死んだら」)は、何年も前に私が作曲したもので、詩人の妻、マティルデ・ネルーダとパブロとの間の、詩の形による、25分間の対話だ。

Q、アルゼンチンで生まれ、1991年に母国を離れたが、現在のアルゼンチンとの関係は?

A、アーティスト、特に成功したアーティストは、母国のための文化大使として行動するべきだ。
私が母国語である言葉で自分の国の音楽を歌うとき、それは喜びであり、私の責務でもある。
また、ラテンアメリカの曲のクオリティは非常に良く、何人かの作曲家たち、特にカルロス・グアスタビーノは、ルービンシュタインがかつて表現したように、シューベルトやシューマンに匹敵する。





――2007年、アルゼンチンでのインタビューより
Q、「もし私が死んだら」は、あなた自身の声のために作ったもの?

A、ハイ・バリトンのために書いた。なぜなら、私は、バリトンの声は、室内楽にとって最も美しいものと考えているからだ。女性にとってのメゾ・ソプラノのように。
ミドルゾーンは、声がより甘く、より柔らかく流れる場所だ。これは私自身のボーカルを反映している。高い音を歌うことができる暗い声だ。
普通の歌のように歌うことはできない。聞くだけでは学ぶことができないという意味で、それらは知的で、音楽をよく読み、深く理解することが必要であり、実際には、ピアノと歌による長いデュエットだ。

Q、あなたはどのようにしてその歌詞の音楽性を歌声に?

A、ネルーダの詩は感覚を目覚めさせ、昔ながらの方法で演劇的だ。それぞれの言葉には演劇とドラマが満載されている。選択肢は、言葉にそってメロディーを書いたり、音楽を書くこと、しかしそれは、ネルーダの魅惑的な世界を開く感覚的な豊かさをともなうことが必要だ。
音楽の複雑さはテキストの複雑さに関係しているので、純粋なメロディーを聴く必要はない。メロディーそれ自体を提示することから離れて、詩に集中しなければならない。





――2016年、プラハでのインタビューより
Q、ネルーダについて?

A、残念なことに、私が子どもだったとき、パブロ・ネルーダの仕事や、彼がどういう人であるのか、私に話してくれる人は誰もいなかった。
私がラテンアメリカの詩を発見し、学んだのは、すでに大人になってからだった。私が学校に行った40年前、その時、アルゼンチンは軍事独裁政権が支配していたことを覚えておいてほしい。
私たちは、パブロ・ネルーダの詩を知らなかった。なぜなら彼が共産主義者や社会主義者の思想をもっていたためだ。私たちは、ガルシア・マルケスやその他の革新的な文学偉業を読むことはできなかった。
当時、情報へのアクセスは非常に限られており、これらの人々は国家の敵とみなされていたからだ。


――2015年、プラハでの世界初演の際のインタビューより

●色彩、透明でクリスタルなサウンドを心がけた
曲は、もともと歌手、女優とピアノのために書いた。オーケストラ・バージョンの作曲は大きな課題だった。非常に親密な音楽なので、主に色彩と、透明でクリスタルなサウンドを心がけ、仕事をした。
パブロ・ネルーダの詩は非常にエモーショナルであり、ステージ上であまりにそれに入り込みすぎないよう、注意深くする必要があった。詩の言葉が、本当に観客の胸を打つように、私は音楽に妥協点を見つけたと思う。

●私の心と魂にふれてほしい
ネルーダの詩に曲をつける時、きわめて注意深くなればいけない。クリスタルガラスの間を歩くようなもの。彼の言葉、詩はとても豊かで、完璧だから、すべての音が聴衆の注意をそらすリスクを負う。
作曲のきっかけは1995年、パレルモでフランチェスカ·ダ·リミニに出演していた時。幕間に楽屋に差し入れられた一冊の詩集が、ネルーダのものだった。感動し、すぐに作曲した。
私の曲で、私の心と魂にふれてほしい。ネルーダのドラマの中で、親密な愛の物語を描きたかった。
この作品は音楽だけでなくドラマ。パブロと妻との会話だ。人間が書くことができる最もロマンチックで官能的な言葉。




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美しく、切なく、エモーショナルでドラマティック・・クーラの歌う南米音楽のコンサート中継を聴いての感想です。オペラでの歌声とはまた違って、ささやくように、声色を変化させ、心に訴えかけるように歌うクーラには、独特の声の魅力と豊かな表現力がありました。

繰り返しになりますが、南米、アルゼンチンの音楽の魅力を教えてくれる、こうしたコンサートの録音や録画を、ぜひCDやDVDなどで出してほしいと思います。とりわけクーラ作曲「もし私が死んだら」の全曲がリリースされることを願っています。





*写真は、Kultur und Sport an der SaarのHPなどからお借りしました。

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