Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

第12回・現代の人権(講義録)

2018-12-18 | 日記
 2018年度 現代の人権
 第12回(1214)ロシアの現状
 白村直也「家庭の暴力にみる犯罪と社会福祉の揺れる境界」

(1)はじめに
 今回は、ロシアにおける家庭内暴力の問題、特に女性が被害者となる家庭内暴力の問題を検討します。家庭内暴力と一言で言っても、親に対する子どもの暴力、児童虐待、配偶者からの暴力など様々です。外部から見えにくいのも特徴的です。いずれも暴行、傷害、傷害致死、殺人などの犯罪に該当します。刑事司法では裁判で有罪の認定をすることで「解決」しますが、それ以前に何らかの対策をとれなかったのかと悔やまれます。日常的な相談・支援の体制と福祉と教育による予防が必要です。
 配偶者からの暴力については、日本では平成13年に配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(DV防止法)が制定されました。平成24年は2805件、27年は4971件、28年は6819件と認知件数が増加しています。泣き寝入りしない、見て見ぬふりをしない社会意識が強まっているといえます。ロシアではどうかというと、同じように告発する個人・団体が増えていますが、現状は深刻です。ロシアでは年間14000人の女性がDVにより死亡しているそうです。アメリカでは、2001年から2012年にまでに11000人の女性が夫・恋人のDVにより死亡しているという統計があります。ロシアの状況は深刻です。家庭内の暴力は「犯罪」であり、各国において起こっている共通の現象ですが、ロシアではその現象には特殊な事情があるようです。

(2)ロシアにおける家族のあり方
 1991年にロシア連邦が成立する以前は、社会主義のソ連の時代でした。家庭の問題、女性の問題は、「新しく出現した出来事」と言われています。財産の国有化から私有化へ移行したことで、経済の単位が企業・組合から個人・家庭へと変わりました。1992年の経済改革によって、経済の自由主義化を進めるために経済的・社会的指標が公開されました。過去の社会主義のヴェールに覆われていたロシアの実情が明らかにされました。婚姻率、離婚率、少子化、男女の同棲、婚外子、子どもの保育環境、犯罪など国家や社会の否定的評価につながる指標が公開され、1996年には国家家族政策の基本指針として家庭・家族の経済的自立が目ざされました。経済的自立は個人の責任に委ねられました。このようにして旧社会主義時代には「無かった出来事」が自由化により「新しく出現」しました。女性の失業問題、健康問題、就職差別、貧困、家庭内暴力などの問題は深刻に受け止められました。
 結婚の状況は1990年132万件、2000年89万7千件、11年132万件、15年116万件でしたが、離婚は1990年56万件、2011年67万件、その後は60万件で推移しています。離婚原因としては、不貞行為、貧困、失業、利己主義、けんか等が挙げられています。婚姻年齢も上昇し、25才以上で婚姻するのが通例になり、以前には多かった学生結婚が減少しています。法律婚ではなく、事実婚の増加も顕著です。パートナーを選択する自由が広がり、夫婦・家族の観念が自由化とともに変化しつつあるようです。しかし、経済的・社会的な自由を謳歌できる人々は社会の一部だけです。多くは、自由化の波について行けず、競争から脱落します。低賃金、失業、生活の困窮など家庭に対する行政の支援が急務になってきます。

(3)DVのとらえ方
 配偶者からの暴力の問題に取り組む「アンナ・センター」によると、DVとは、被害者を権力(実力)と統制下に置くために、身体的・性的・言語的・心理的・経済的な侮辱と圧力をエスカレートさせ、反復する行為であると定義されています。暴力は多様であり、加害者・被害者間に緊密な関係があり、被害者の多くが女性です。このような問題が社会的に明らかになったのは、1980年代後半のソ連時代のグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再建)です。それがロシアへと継承されましたが、レイプや家庭内の殺人などの被害の原因は「被害者自身の挑発的な行為」にあるという認識から抜け出せない状況が続きました。
 変改の始まりは1995年の世界女性会議(北京会議)でした。それをきっけかに、アンナ・センターなど家庭・女性・子どもの問題に取り組む公私の団体設立が設立されました。2015年には団体総数は3000以上、DVの被害女性の問題に取り組む団体は201あります。DVの被害女性のためのシェルター、避難所、宿泊施設などが全国95ヵ所にもうけられていますが、数が少ないため、また広域にまたがっているため、施設利用のアクセスは被害の重大性と支援の緊急性の順に決められ、利用のハードルが高いようです。

(4)犯罪行為のなかのDVと被害者への対応
 ロシアの犯罪情勢は、2015年の犯罪の認知件数は238万8500件(42.6%は窃盗)でした。殺人・殺人未遂は15000件(母親による嬰児殺72件)、強制性交・同未遂3900件(202件は未成年者による行為)、暴行・傷害36万7300件(女性被害16万6000人、未成年被害5万700人)でした。
 女性の被害者は、「アンナ・センター」に相談することができます。相談システムの利用者は20代-40代が多く、利用者の半数が配偶者と子どものいる女性です。相談内容はDV(70%身体的暴力。その他、道徳的・心理的暴力、性的暴力)です。電話による相談から始まり、内容の特定、離婚などの手続、刑事告発・起訴・裁判へとつながります。しかし、相談の時点で女性たちはすでに心身ともに疲弊していることが多く、離婚訴訟や刑事訴訟の途中で請求や被害届の取り下げることもあるようです。

(5)DVをめぐる世論と改正刑法116条
 日本などでは、DVは犯罪であり、防止の対象であることは共通の社会認識になっていますが、ロシアでは必ずしもそうではありません。「妻を殴ることは、妻を愛していることを意味する」というある国会議員の発言は論外ですが、一方で繰り返される暴力への社会的非難が強まりながら、「初めての暴力」に対して寛容な態度を示す社会感情は小さくありません。その背景にはロシアの家父長権を表す伝統「ドムストロイ」(家庭訓――夫が妻を、父が子をしつけつ)があるようです。2006年以降、社会や女性、子どもの意識の変化が見られるようになりましたが、意識の変化に社会がついていけていない状況もあります。DVを誰に相談するのかと問われ、警察に相談すると答える女性は多くありません。DVは家庭内の問題であり、警察が介入できないということです。証拠を押収することも難しいでしょう。子どもに証言してもらえるかというと、難しい問題があります。かりに夫・父の行為を犯罪として立件した場合、夫婦・家族の関係は崩壊します。それならな我慢しようと考える女性も多いようです。女性の意識のなかに「ドムストロイ」が残っているのかもしれません。
 2016年に刑法改正が実施され、いわゆるヘイトクライムと同時にDVも処罰する規定(「身近な者」の規定)が導入されましたが、2017年に再び刑法改正され、「身近な者」の規定が削除されました。DVは軽い暴力、平手打ちのようなものでしかないという意味で「平手打ち法」と批判されています。
 2016年には、政治、思想、人種、国籍または宗教的憎悪や敵意からの暴行と併せて、身近な者への暴行には2年以下の禁錮刑が科されることになりましたが、「身近な者」の規定が削除され、1年以内の身近な者への数回の暴行にだけ刑罰が科されることになりました。従って、初回の行為には刑罰ではなく、行政処分のみです。もちろん、身近な者への流血を伴う暴行は処罰されますが、罰金(6万円程度または15日間の禁錮)どまりになっています。DVの脱犯罪化によって、家庭内暴力を容認する社会的風潮が助長されるおそれがあります。これに対しては、女性に対する暴力をなくす社会運動が対抗的に進められ、ています。しかし、今なお社会に根深く残るロシアの伝統的な価値観が、それにブレーキをかけているといえます。どのようにすれば、そのような状況を越えていけるか。考え留べき課題は多いといえます。

(6)DVの問題をめぐるいくつかの弊害
 ロシアだけでなく、日本においても一般的にDVの刑事事件化は困難です。証拠関係を明らかにすることだけでなく、被害者が告発しにくい状況があります。とりわけロシアにおいては、ジェンダー論、フェミニズム運動に対するステレオタイプ化された認識があるようです。ロシア社会が「前」に進めない状況、伝統への回帰といったものもあるのかもしれません。同性愛をめぐる世論の動向に対しては、伝統的な価値観が対抗し、非営利組織の活動に対しては「外国のエージェント」であると決めつけ、行政的規制の対象とする動きもあります。このような状況を乗り越えて、徐々に進められつつあるロシアの女性の権利擁護運動に注目したいと思います。(20181214)
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