Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2015年度前期刑法Ⅰ(総論) 試験問題と解説(改訂)

2015-07-31 | 日記
 2015年度前期刑法Ⅰ(総論)問題と解説

 次の問題のなかから、1問選択して答えてください(選択した問題の番号を明示すること)。
(1)Aは、実子のXに対して内縁の夫Bが虐待を繰り返すのを発見したが、Bと不仲になるのをおそれて、警察に通報したり、近隣の住民に助けを求めたりするなどしなかった。Bはそれをいいことに、虐待をエスカレートさせ、Xを死亡させた。BとAの罪責を論じなさい。

(2)AとBは、会社からの帰宅途中で、暴力団員Xに因縁をつけられ、Xが「金をよこせ」などと言って、Aの胸ぐらをつかんだため、AとBは身を守るために、共同してXに暴行を加え、死亡させた。その際、AにはXに対して積極的に害を加える意思があったが、Bにはなかった。AとB罪の罪責を論じなさい。

(3)Aは、12才の実子Bに対して、「この毒入りウィスキーをXの家に届けなさい」と命じた。Bはそれを断りきれないまま、Xの家に行き、郵便受けに入れた。その直後にXの息子Yが帰宅し、配達品があることを知り、それを開封して飲み、死亡した。Xは海外出張中であった。BはAから日常的に虐待を受け、精神的に支配された状態にあった。AとBの罪責を論じなさい。

 いずれの問題も、「事実関係と問題の所在」、「前提となる議論」、「展開・応用」、「結論」の順に答案を作成してください。

(1)について。「事実関係と問題の所在」は、Bの傷害致死罪を成立を指摘した上で、Aにそれに対する「不作為による幇助」が成立するかどうかを問題提起します。そして、「前提的議論」としては、幇助は条文上「作為」の形式で定められていますが、それは不作為によってもなしうることを述べます。ただし、それは作為義務に反した不作為でなければなりません。その作為義務の成立根拠として、①保障者的地位、②作為の可能性、③作為の容易性の要件が必要です。さらに、不作為の正犯結果への因果性の要件として、④正犯を促進したり、その意思を強化するなどの因果的な作用が必要であることを論じます。つまり、作為義務を尽くしていたならば、「十中八九」、正犯結果を回避することができたと言える場合に、不作為の幇助性を肯定することができます。そのうえで、「展開」として、これらの要件がAの不作為に当てはまるか否かを論じます。Aは、Xの生命・身体の安全を保護すべき保障者の地位にあったのか、あるいはBの暴行を制止すべき地位にあったのか、その作為を行なうことは客観的に可能であったのか、また容易であったのか。さらに、その作為をなさなかったことが、Bの暴行を助長・促進したり、それを行なう意思を強化したのか。そして、作為を行なっていたならば、Xの生命の侵害を十中八九、回避しえたと判断できるか。これらの問題を論ずる必要があります。ここでは、「なるほど確かに……だが、しかし」のフレーズを用いてください。例えば、「AがBの暴行を直接的に阻止することは不可能に近く、その点を考慮するならば、AはXの生命・身体の安全を保護すべき保障者の地位にあったといえるが、その作為は非常に困難であり、容易であったとは決して言えないようにも思われる。しかし、Aは、Bの暴行を直接阻止するのではなく、警察に通報するとか、近隣の住民に助けを求めるなどの措置を取りうる余地はあり、それによってBの暴行を抑制することもできたといえる」というような感じです。最後に「結論」として、BとAの罪責をまとめます。

(2)について。「事実関係と問題の所在」は、A・Bの行為が「傷害致死罪」(構成要件的故意の立場)の構成要件に該当することを踏まえ、Aの傷害致死罪について、過剰防衛の規定を適用できるかを問題提起します。そして、「前提的議論」としては、正当防衛の成立要件として、①Xの暴行がA・Bのに対して急迫不正の侵害であったこと、②A・Bの身体の安全や財産などの権利を防衛する意思があったこと、③やむを得ない行為であったこと、④防衛行為の相当性を超えていないことを整理したうえで、正当防衛の問題においては、防衛者に「積極的加害意思」がある場合、相手方の侵害の急迫性が否定されるのか、それとも防衛者の防衛の意思が否定されるのが問題になりますが、いずれであっても、正当防衛の問題として論ずることはできません。判例によれば、防衛者が侵害を予期していた場合に、それに乗じて積極的に害を加える意思があった場合には侵害の「急迫性」が否定されます。本件の事案は、Aは侵害を予期していたわけではないので、それにはあたりませんが、防衛の意思が否定される可能性があります。判例では、防衛の意思と攻撃の意思が併存していても、防衛の意思は否定されませんが、加害の意思が主要であれば防衛の意思が否定されると解することもできるように思います。その上で、「展開」として、(a)AとBが共同して行なった行為は、傷害致死罪の構成要件に該当することを述べ、(b)Aには防衛の意思がなく、正当防衛の問題にはあたらず、Bには防衛の意思があったので、Bの行為についてのみ正当防衛(ないし過剰防衛)として論ずることができることを指摘し、(c)それを論証するために、共同正犯の関与者間において、その行為の「違法の相対性」を認めうるかどうかを論ずる必要があることを指摘します。ここで、「なるほど確かに」のフレーズを用いてください。「共同正犯者間における犯罪の成立要件については、違法性は連帯し、責任は個別化されると考えることもでき、本件の事案では、A・Bの反撃行為はともに急迫不正の侵害に対する防衛行為と捉えることができる。しかし、防衛の意思のない反撃行為を防衛行為と解することができるか。相手に害を加える行為を「防衛」な為として扱うことができるであろうか。防衛の意思に基づいていたとはいえないような行為については、そもそも正当防衛として論ずることができない。それが通説・判例の見方であり、妥当であると思われる」という感じです。そして、(d)Xを死亡させたことは、防衛行為としては過剰であることを論証する必要があります。最後に「結論」として、防衛の意思のないAの傷害致死罪は正当防衛の要件を満たしていないので、過剰防衛(刑36)は問題にはなりえないこと、Bの傷害致死罪には、防衛行為の相当性を超えた場合の過剰防衛の規定が適用できると述べます。

(3)について。「事実関係と問題の所在」としては、AはBにX殺害を命じ、BがY殺害を行なったという事実関係において、Aの行なったのがBによる殺人の教唆なのか、Bを「道具」として利用した殺人の間接正犯なのかという問題、そしてXを殺害しようとして、Yを殺害した錯誤が殺人の故意を否定するのかという問題があることを指摘します。この問題は論点が2個あるので、それぞれに「前提的議論」と「展開」を書く必要があります。
 「前提的議論」として、いわゆる間接正犯は、責任無能力者を「道具」として利用して、犯罪を行なう行為であり、一定の年齢に達した子どもの場合、是非善悪を判断する能力があり、違法性の認識があるため、間接正犯論でいうところの「道具」にはなりえないが、精神的な支配を長く受けてきた場合などには「道具」とみなしうる場合があり、間接正犯の「道具」にあたると解する余地があることを述べます。それを受けて、「展開」として、12の子どもには、是非善悪を判断する能力があるので、一般的には間接正犯における「道具」にはあたらず、Y殺害の実行行為者はBであると解することができるが、しかしBはAによる日常的な暴行と精神的支配によってAの命令に無条件に従わざるを得ない状況に置かれていたので、たとえ責任能力があったとしても、BはAの道具として行動せざるを得ない立場にあり、間接正犯における「道具」と評価することができると述べます。ここで、第1の「結論」として、Aが行なった行為がYに対する殺人罪の構成要件に該当することになります。
 そして第2の論点として、AはXを殺害する意思があったので、錯誤の問題が生じていることを指摘します。「前提的議論」としては、この錯誤が客体の錯誤ではなく、方法の錯誤であることを述べます。そこに住んでいるXを殺害しようとして、Yを殺害したので、方法の錯誤と解することができます。問題は、AにY殺害の故意を認めることができるかという点です。ここでは、具体的符合説と法定的符合説の対立があり、法定的符合説の立場から故意の成立を論証するならば、「なるほど確かに」のフレーズは、例えば「故意の成立を具体的な客体ごとに事実に即して判断するならば、Yに対しては故意は成立せず、せいぜい過失でしかない。しかし、故意の成立は事実の問題ではなく、法的評価の問題であり、行為者の認識が犯罪の故意にあたるかという価値判断の問題である。Aの認識は「Xを殺害する」というものであり、それは「殺人の故意」と評価することができる。そのような認識に基づいて、「Yを殺害した」以上、Y殺害に対して殺人の故意を認めても、問題はないであろう」といった感じです。さらに、通説・判例の数故意犯説の立場からは、Xに対する殺人未遂の成立が認められそうですが、Xは外国にいたので、その生命に対する具体的な危険は及んでいるとはいえないので、殺人未遂を認めるのは妥当ではないと思います。最後に「結論」として、AにはYへの殺人既遂罪が成立し、Xへの殺人未遂は成立しないと結論づければよいと思います。