073 共同正犯と幇助犯の区別
甲は、A国からの大麻密輸入を計画したBから、その実行担当者になってほしい旨を持ちかけられ、自分自身大麻を入手したい欲求にかられたが、自らは執行猶予中の身であったので、それを理由に断ったが、代わりの者を紹介することを約束した。甲は、知人の乙に対し事情を明かして協力を求めたところ、乙もこれを承諾したため、甲は乙をBに引き合わせるとともに、Bに大麻輸入の資金の一部として金20万円を提供し、それに見合う大麻をもらい受けることを約束した。乙は、Bがさらに誘った知人・丙とともにA国に渡航し、大麻を購入し、日本国内に密輸入した。
(1)本件では、乙と丙には、大麻輸入罪(大麻取締24①、4①)と無許可輸入罪(関税111①1)の(実行)共同正犯が認められるが、甲にもそれらの罪の(共謀)共同正犯が認められるか。それとも、幇助犯の成立が認められるか。
(2)共同正犯と幇助犯の区別の基準は何か。
(1)正犯とは、犯罪の構成要件該当行為を行うことであり、共犯とはそれ以外の行為によって犯罪の構成要件の実現に関与することです。2人以上が共同して犯罪の構成要件該当行為を行った場合、その全員が正犯になります。構成要件の結果を発生させる危険な行為を一部でも分担して実行していれば、その全部に対して正犯が成立します。犯罪の共謀に関与しただけの人であっても、他の共犯者がその共謀にかかる犯罪を実行した場合には、共同正犯が成立します。
甲は、Bの大麻輸入のために資金として20万円を提供しました。これは大麻輸入を財政的・物理的に促進しているといえます。従って、その幇助にあたるといえます。しかし、甲は20万円に見合う大麻をもらい受ける約束をしています。これは、Bの大麻輸入が甲にも利益をもたらすこと、つまり甲自身の犯罪であることを窺わせます。甲は、大麻輸入の計画を資金面から具体化したとして、その共謀にあたると判断することができます。
(2)正犯と共犯を区別するために、構成要件該当行為を基準に立てて形式的に判断すると、正犯は犯罪の構成要件該当行為を行う者、これに対して共犯はそれ以外の行為によって犯罪の実現に関与する者というふうに簡単に区別することができます。
しかし、構成要件該当行為を行うとはどういう意味かは必ずしも明瞭ではありません。とりわけ、実行共同正犯だけでなく、共謀共同正犯が認められている判例や学説においては、構成要件該当行為を直接的に行っていなくても、その実行に対して重要な影響を与えたり、重要な役割を担った場合には、正犯にあたると認定されています(重要な役割説)。さらには、関与者の認識を基準に正犯・共犯を区別しようとするものもあります。つまり、構成要件該当行為以外の行為を行って犯罪の実現に関与したが、その際に正犯意思を有していた場合には、その正犯性を認めることができると言います。逆に、構成要件該当行為を行ったが、正犯意思がなかった場合にはせいぜい幇助にとどまると論ずるものもあります。関与者の主観的な認識によって正犯と共犯を区別するというのは問題があるように思います。やはり、犯行計画全体において、どのような役割を担ったのか、その重要度に応じて、正犯か幇助犯かを区別するのが妥当なように思います。
079 片面的共犯
甲は、甲の夫である乙が、隣家で1人暮らしをするAの旅行中にA宅に侵入し、Aが自宅で保管している金銭を奪う計画を持っていることを知った。日頃よりAの行動を見ていた甲は、Aが定期的に遠隔地から来る息子のために、自宅の玄関ドアの鍵をドアの前にある植木鉢の下に隠していることを知っていた。甲は、乙による犯行当日の朝、乙が犯行を早く完了できるように、乙が知らない間に、植木鉢の下にある鍵を利用して、A宅の玄関ドアの鍵を開けておいた。その後、A宅に来た乙は、最終的には窓ガラスを割ってでもA宅に侵入する予定であったが、侵入路を探しているうちに、玄関ドアが施錠されていないことに気づき、そのドアを開けてA宅に立ち入った。そして、A宅から現金10万円を持ち出した。
(1)この事例において、甲に窃盗罪の幇助(刑62①、235)が成立する可能性はあるか。
(2)甲が、玄関ドアの鍵に加えて、A宅の中にある現金の入った金庫の鍵も開けておき、乙がその金庫の中の現金を持ち出したとき、甲に窃盗罪の共同正犯(刑60、235)が成立する可能性はあるか。
(1)共同正犯の成立には、共同して犯罪または行為を実行する意思に基づいて、それを実行した事実が認められる場合に成立します。共同実行の意思については、犯罪共同説は故意に犯罪を共同実行する意思を要件とし、行為共同説は行為の共同実行の意思で足りるといいます。犯罪の故意であれ、行為の意思であれ、いずれであっても、共同正犯の成立には共同実行の意思が必要であると解されています。そうすると、一方にしか共同実行の意思がない場合、共同正犯は成立しなくなります。例えば、XがAを狙撃するために銃の引き金を引こうとした瞬間に、Yがそれに協力・加担するために、同じ型の銃をAに向けて同時に発砲し、弾丸はAに命中し、Aが死亡しましたが、誰が発砲した弾丸が命中して死亡したかが不明な場合、XとYには共同実行の意思がないので、両者には殺人未遂罪の単独正犯しか成立しません。これに対して、少なくともYにはXと共同実行する意思(一方的な意思)があったので、Yには殺人既遂罪の共同正犯が成立すると解することもできます。これを片面的共同正犯といいます。判例では、片面的共同正犯が認められた事例はありません。
判例では、片面的共同正犯は認められていませんが、片面的幇助が認められた事例はあります。刑法62条は、「正犯を幇助した者は従犯とする」と規定し、正犯の実行を物理的または心理的に援助・促進すれば幇助犯が成立します。ただし、幇助の成立には、物理的な援助・促進だけで足りるのか、それとも心理的な援助や犯意の強化なども要するのかという点をめぐっては、争いがあります。因果的共犯論・惹起説の立場からは、物理的な援助・促進があれば、それだけで幇助は成立するといいます。つまり、正犯が幇助者から援助を受けていることを認識していることは必ずしも必要ではありません。それは、正犯を幇助した以上、幇助犯が成立するという条文に解釈としては問題はありませんが、心理的な援助・促進の要件と不要とする理由は必ずしも明らかではありません。
かりに幇助の要件として心理的な援助・促進が必要とすると、甲は一方的に乙による住居侵入と窃盗を手助けしただけで、心理的な促進をしていないので、甲にはその幇助は成立しません。また、直接住居に侵入し、現金を盗んだわけでもないので、その正犯にもあたりません。この結論が妥当でないならば、妥当な結論(住居侵入罪と窃盗罪の幇助犯の成立)が出されるよう、幇助の概念を再構成する必要があるでしょう。そのような意味において、幇助は物理的な援助・促進で足りると解されています。
なお、人をそそのかして犯罪を決意させ、それを実行させる教唆の場合、教唆者は人に犯罪を実行するようそそのかし、被教唆者のところでは、そそのかされていることを認識しているので、教唆者と被教唆者(正犯)の間には相互の関係について認識があるので、片面的な幇助という問題は生じないように思います。ただし、「そそのかして人を犯罪を実行させる」という教唆の意義について、被教唆者が犯罪の意思(犯罪の故意)を生じることは必ずしも必要ではないと定義するならば、片面的教唆の成否が問題になりえます。
(2)乙は、甲が玄関と金庫の鍵を開けたことを知らないので、片面的共同正犯の成立を否定する立場からは、甲と乙の間に共同実行の意思を認めることはできないので、甲に住居侵入罪と窃盗罪の(片面的)共同正犯の成立を認めることはできません。甲が行った行為は、乙の犯行を物理的に容易にしたと評価できるので、その幇助が成立するにとどまります。
080 不作為と共犯
甲は、A(3歳)の母親であるが、前夫との離婚後、乙と知り合い、3ヶ月ほど前から、乙とともに3人で暮らしていた。ところが、短気な性格の乙は、日頃からAが言うことを聞かなかったときに、Aを寝室に連れて行き、Aの顔を平手でたたいたり、投げ飛ばしたりするなどの暴行を加えていた。甲は、乙による暴行を認識していたが、乙があくまで「しつけ」と言って正当化したため、とがめることをしなかった。ある日の夕食の際、Aがシチューを食べたくないと拒んだことから乙が立腹し、Aの手を引っ張って、暴行をするために寝室に連れて行った。甲は、乙がAに暴行を加えようとしていると認識したが、乙に「もう、やめとき」と言うにとどまり、それ以上、乙の行為を阻止することはしなかった。乙がAを投げ飛ばしたとき、Aは頭部を床に強く打ちつけ、意識を失った。その後、Aは、頭部の強打により生じた急性硬膜下血腫のため死亡した。
(1)乙に成立する傷害致死罪(刑205)に関し、甲に作為による共犯が成立する可能性はないか。
(2)甲の罪責として、傷害致死罪に関する不作為による共犯の成否を問題にしたとき、甲に乙の暴行を阻止する作為義務はあるか。
(3)甲に不作為による共犯が成立するのは、乙の暴行を確実に阻止できる可能性があった場合に限られるか。
(4)甲に成立するのは、不作為による共同正犯か、それとも幇助か。
(1)乙がAを投げ飛ばすなどして死亡させたので、傷害致死罪が成立します。かりに甲が寝室のドアに鍵をかけ(作為)、Aを寝室に閉じ込めるなどして、それによって乙がAを捕らえ、投げ飛ばしたならば、甲は乙の傷害致死罪を「作為によって幇助した」といえます。この事案では、甲は、乙に「もう、やめとき」と言うにとどまり、それ以上、乙の行為を阻止することはしなかったので、作為による幇助は成立しないといえます。
(2)では、甲に「不作為による幇助」が成立するでしょうか。幇助とは、正犯を物理的・心理的に援助し、その犯行を促進・容易にすることです。それは、正犯の結果の発生に対して因果的な作用を及ぼす作為によって行われると一般に解されます。では、それは不作為によっても可能でしょうか。作為の形式で定められた幇助を不作為によっても行うことは可能でしょうか。これは「不真正不作為犯論」の幇助犯における問題です。
不真正不作為犯とは、作為形式で定められた犯罪を不作為によって行う場合のことです。例えば、殺人罪は「人を殺すこと」であり、人の生命を侵害すること定義されるので、作為犯形式の犯罪ですが、これを不作為によって実行することができます。被害者の生命を保護すべき地位にある人(保障者)が、その保護のための作為に出ることが可能であり、かつ容易である場合には、保障者に対して被害者の保護のために作為義務が課されます(保障者+作為の可能性・容易性=作為義務の肯定)。そして、その義務を故意に行わない不作為の態度をとった場合には、その不作為が殺人罪の実行行為にあたり、被害者が死亡した場合に、その結果は殺人罪の法益侵害結果にあたると認定されます。ただし、作為義務を尽くしても、被害者の死亡結果を回避することができない場合もありうるので、作為義務を尽くしたなら、被害者の死亡結果を十中八九、回避することが可能であたっといえる場合にだけ作為義務に反した不作為と死亡結果の間の因果関係を認めることができます。以上から、不作為による殺人罪の成立を認めることができます。
これを幇助に応用すると、甲はAの母親であり、しかも家の中にいるのは、乙以外には甲だけであり、Aの身体の安全や健康の維持に尽くすべき立場にあったのは甲だけでした(保障者)。乙がAを投げ飛ばすなど暴行を加えているので、Aの身体・健康を保護するためには、乙の暴行を制止し、あるいはAを侵害から遠ざけるなどの作為を行う必要があります。その作為を行うことは可能だったでしょうか。また、容易だったでしょうか。甲一人で行うことができなくても、隣家の住人に協力を求めることはできたのではないでしょうか。そうすると、甲にはAを乙の暴行から保護する作為義務が課されます。甲は乙に「もう、やめとき」と言うにとどまり、それ以上、乙の行為を阻止することはしませんでした。その不作為は作為義務に反します。
では、甲の不作為は乙の暴行の幇助にあたるでしょうか。甲が不作為の態度をとったことによって、乙の暴行が促進・容易になったといえるならば、それは幇助にあたります。甲が作為義務を尽くして、乙の暴行を阻止し、また阻止できなくても、それを弱めるなどしていたならば、Aが急性硬膜下血腫で死亡することは(十中八九)なかったと思われます。そうすると、甲の不作為は乙の傷害致死罪の幇助にあたると解されます。
(3)甲は、Aを乙の暴行から守る義務があるので、甲にはまずは乙の暴行を「阻止」することが求められます。それが可能であったかどうかの判断は容易ではありません。乙のような気性の激しい男性の暴行を女性の甲が「阻止」できないこともあるでしょうし、またできたとしても、それは容易ではないと想像できるからです。そうすると、甲が乙の暴行を「阻止」することが不可能であった、また困難であったというなら、甲にはAを保護する作為義務はないことになります。ただし、甲には乙の暴行を「阻止」する可能性はなくても、それを「困難化」することは可能であったと思います。その「困難化」の義務を尽くしていたならば、少なくともAの死亡を回避することができたのではないかと思います。
甲に不作為による幇助が成立するのは、「乙の暴行を確実に阻止できる可能性」があった場合に限る必要はありません。
(4)乙のAに対する傷害致死罪(作為犯)に対して、甲が乙の暴行を阻止しない不作為によって関与した場合、その不作為に傷害致死罪の共同正犯が成立するでしょうか。この事案では、甲に傷害致死罪の共同正犯は成立しないと思います。甲は、Aに対する暴行を共同して実行する意思はありませんでしたし、また共同して実行した事実もないからです。ただし、作為犯に対して不作為の態度で関与した場合でも共同正犯が認められる場合があります。
医師・Xは、看護師・Yが患者・Aを毒殺することを計画していることを知り、それを止めるよう忠告したが、Yがそれを聞き入れなかった。Yは、Xに対して、Aの術後の経過が思わしくなく、Xの手術の失敗の責任を問われることを回避するために、Aを殺害するのだと述べた。それを聞いて、XはYの行動を放任した(不作為)。このようなXの不作為は、Yの犯行を助長・促進したというだけでなく、その関わり方からも、正犯性を認める余地が出てくるように思います。
081 幇助の因果性
(1)甲は、知人であるAと居酒屋で酒を飲んでいたところ、数日後にAとその中間が宝石店Mから貴金属を盗み出す計画を立てていることを聞いた。甲には多額の借金があったため、Aに仲間に入れてほしい旨申し出てみると、Aは、「Mの周辺を人がこないように見張ってくれれば、分け前をやろう」と言い、窃盗の計画を実行する日時を紙に書いて甲に手渡した。しかし、Aはその際かなり酔っており、翌日には甲に見張りを頼んだこと自体を忘れていた。
数日後、Aは実際に窃盗を実行し、甲はその際にM付近を見張っていたが、特に人が通ようなことはなかった。翌日、甲はAに電話をかけ、見張りをしたから分け前をよこすよう言ったが、Aは「なんだっけ?」と首をかしげるだけだった。甲の罪責について論じなさい。
(2)(1)の事案で、仮にAが甲に見張りを頼んだことを覚えており、それによってAとその仲間は邪魔が入る心配をすることなく窃盗計画を実行できた場合、甲の罪責はどうなるか。なお、甲が見張っていた際に、通行人が1人も通らなかった点は変わらないものとする。
(1)幇助とは、正犯の実行を促進し、容易にすることです。正犯の実行が物理的に容易になっていれば、幇助が成立します。その際、正犯が幇助されている事実を認識していることを要しません(片面的幇助)。
この事案では、甲がAの犯行当日、Mの周辺を見張ったので、幇助にあたるようにも思えますが、それが幇助にあたるには、それによってAの犯行が促進されたとか、容易になたっといえなければなりません。Aの犯行中に、Mの周辺には1人の通行人もいなかったので、甲は見張りをしましたが、それはAの犯行に物理的な影響をおよぼしたとはいえません。さらに、Aは甲が見張りをすることを忘れていますので、甲によって幇助されているという認識もありません。甲の見張りには「幇助の因果性」(幇助による正犯の物理的・心理的な促進効果)は認められないので、甲にはAの建造物侵入と窃盗罪の幇助犯は成立しません。
(2)かりに、Aが甲に見張りを頼んだことを覚えており、それによってAとその仲間は邪魔が入る心配をすることなく窃盗計画を実行できた場合、Mの周辺に通行人がいなくても、Aは甲の見張りによって犯行を心理的に促進されたといえるので、甲には幇助が成立します。
082 中立的行為と幇助
甲は、ファイル共有ソフトであるWを開発し、その改良を繰り返しながら順次ウェブサイト上で公開し、インターネットを通じて不特定多数の者に提供していた。某日、Wを入手したAはWを用いて、法定の除外事由なく、かつ著作権者の許諾を受けないで、著作物であるゲームソフトFの情報をインターネット利用者に対し自動公衆送信しうるようにし、著作権者の有する著作物の公衆送信権を侵害する著作権法違反の行為を行った。
以上のような事実関係のもと、次の(1)または(2)の事情がそれぞれ存在した場合、甲がWを公開・提供した行為にAの著作権法違反の幇助犯(刑62、著作119①、23①)が成立するか。
(1)Wは、たしかにそれを入手した利用者の間で、著作権を侵害する態様で用いられることがあったが、それは例外といえる程度のごく限られた範囲にすぎなかった。
(2)Wは、それを入手した利用者の間で、著作権を侵害する態様で現実に広く利用されていたが、甲は、利用者のほとんどがWを著作権を侵害する方法では利用しないであろうと考えていた。
(1)幇助とは、正犯の実行を促進し、また容易にする行為です。それは物理的な方法だけでなく、心理的な方法によっても行うことができます。ただし、正犯の実行を物理的・心理的に促進する行為のすべてが、幇助にあたるわけではありません。
XがAを殺すために刃物店Yで包丁を購入し、Zの運転するタクシーに乗ってAの家に行き、そしてAを殺した場合、Xに刃物を販売したYの行為も、XをAの家に運んだZの行為も、XのA殺人を物理的・心理的に容易にしているといえます。しかし、刃物屋が刃物を販売し、タクシー運転手が客を運ぶのは、それは日常的に反復継続して行われる行為であり、社会生活はそのような業務によって成り立っています。Y・Zは、XがAを殺す計画を立てていることを知らないので、幇助の故意はありません。しかし、それ以前に、Y・Zの行為は、日常的に反復継続して行われる行為であることを理由に、そもそも幇助の類型に該当しない行為であると解すべきでしょう。主観的に幇助の故意がないだけでなく、そもそも客観的に幇助にあたらないので、幇助犯の成立が否定されるというべきです。
ファイル共有ソフトWは、著作権侵害の行為に利用されることがありますが、それはWを入手した人のごく限られた範囲にすぎないということは、Wは著作権侵害用のソフトではないということです。したがって甲がWを公開・提供し、それを入手した人が著作権侵害行為を行っても、甲の行為はその幇助にはあたらず、また幇助の認識もないので、幇助犯は成立しません。
(2)これに対して、Wを入手した利用者の間で、著作権を侵害する態様で現実に広く利用されている場合には、甲がそれを公開・提供する行為は、著作権侵害を物理的に促進していると言わざるを得ません、ただし、甲は利用者のほとんどがWを著作権を侵害する方法では利用しないであろうと考えていたので、幇助の故意があたっといえないので、甲には幇助は成立しません。
甲は、A国からの大麻密輸入を計画したBから、その実行担当者になってほしい旨を持ちかけられ、自分自身大麻を入手したい欲求にかられたが、自らは執行猶予中の身であったので、それを理由に断ったが、代わりの者を紹介することを約束した。甲は、知人の乙に対し事情を明かして協力を求めたところ、乙もこれを承諾したため、甲は乙をBに引き合わせるとともに、Bに大麻輸入の資金の一部として金20万円を提供し、それに見合う大麻をもらい受けることを約束した。乙は、Bがさらに誘った知人・丙とともにA国に渡航し、大麻を購入し、日本国内に密輸入した。
(1)本件では、乙と丙には、大麻輸入罪(大麻取締24①、4①)と無許可輸入罪(関税111①1)の(実行)共同正犯が認められるが、甲にもそれらの罪の(共謀)共同正犯が認められるか。それとも、幇助犯の成立が認められるか。
(2)共同正犯と幇助犯の区別の基準は何か。
(1)正犯とは、犯罪の構成要件該当行為を行うことであり、共犯とはそれ以外の行為によって犯罪の構成要件の実現に関与することです。2人以上が共同して犯罪の構成要件該当行為を行った場合、その全員が正犯になります。構成要件の結果を発生させる危険な行為を一部でも分担して実行していれば、その全部に対して正犯が成立します。犯罪の共謀に関与しただけの人であっても、他の共犯者がその共謀にかかる犯罪を実行した場合には、共同正犯が成立します。
甲は、Bの大麻輸入のために資金として20万円を提供しました。これは大麻輸入を財政的・物理的に促進しているといえます。従って、その幇助にあたるといえます。しかし、甲は20万円に見合う大麻をもらい受ける約束をしています。これは、Bの大麻輸入が甲にも利益をもたらすこと、つまり甲自身の犯罪であることを窺わせます。甲は、大麻輸入の計画を資金面から具体化したとして、その共謀にあたると判断することができます。
(2)正犯と共犯を区別するために、構成要件該当行為を基準に立てて形式的に判断すると、正犯は犯罪の構成要件該当行為を行う者、これに対して共犯はそれ以外の行為によって犯罪の実現に関与する者というふうに簡単に区別することができます。
しかし、構成要件該当行為を行うとはどういう意味かは必ずしも明瞭ではありません。とりわけ、実行共同正犯だけでなく、共謀共同正犯が認められている判例や学説においては、構成要件該当行為を直接的に行っていなくても、その実行に対して重要な影響を与えたり、重要な役割を担った場合には、正犯にあたると認定されています(重要な役割説)。さらには、関与者の認識を基準に正犯・共犯を区別しようとするものもあります。つまり、構成要件該当行為以外の行為を行って犯罪の実現に関与したが、その際に正犯意思を有していた場合には、その正犯性を認めることができると言います。逆に、構成要件該当行為を行ったが、正犯意思がなかった場合にはせいぜい幇助にとどまると論ずるものもあります。関与者の主観的な認識によって正犯と共犯を区別するというのは問題があるように思います。やはり、犯行計画全体において、どのような役割を担ったのか、その重要度に応じて、正犯か幇助犯かを区別するのが妥当なように思います。
079 片面的共犯
甲は、甲の夫である乙が、隣家で1人暮らしをするAの旅行中にA宅に侵入し、Aが自宅で保管している金銭を奪う計画を持っていることを知った。日頃よりAの行動を見ていた甲は、Aが定期的に遠隔地から来る息子のために、自宅の玄関ドアの鍵をドアの前にある植木鉢の下に隠していることを知っていた。甲は、乙による犯行当日の朝、乙が犯行を早く完了できるように、乙が知らない間に、植木鉢の下にある鍵を利用して、A宅の玄関ドアの鍵を開けておいた。その後、A宅に来た乙は、最終的には窓ガラスを割ってでもA宅に侵入する予定であったが、侵入路を探しているうちに、玄関ドアが施錠されていないことに気づき、そのドアを開けてA宅に立ち入った。そして、A宅から現金10万円を持ち出した。
(1)この事例において、甲に窃盗罪の幇助(刑62①、235)が成立する可能性はあるか。
(2)甲が、玄関ドアの鍵に加えて、A宅の中にある現金の入った金庫の鍵も開けておき、乙がその金庫の中の現金を持ち出したとき、甲に窃盗罪の共同正犯(刑60、235)が成立する可能性はあるか。
(1)共同正犯の成立には、共同して犯罪または行為を実行する意思に基づいて、それを実行した事実が認められる場合に成立します。共同実行の意思については、犯罪共同説は故意に犯罪を共同実行する意思を要件とし、行為共同説は行為の共同実行の意思で足りるといいます。犯罪の故意であれ、行為の意思であれ、いずれであっても、共同正犯の成立には共同実行の意思が必要であると解されています。そうすると、一方にしか共同実行の意思がない場合、共同正犯は成立しなくなります。例えば、XがAを狙撃するために銃の引き金を引こうとした瞬間に、Yがそれに協力・加担するために、同じ型の銃をAに向けて同時に発砲し、弾丸はAに命中し、Aが死亡しましたが、誰が発砲した弾丸が命中して死亡したかが不明な場合、XとYには共同実行の意思がないので、両者には殺人未遂罪の単独正犯しか成立しません。これに対して、少なくともYにはXと共同実行する意思(一方的な意思)があったので、Yには殺人既遂罪の共同正犯が成立すると解することもできます。これを片面的共同正犯といいます。判例では、片面的共同正犯が認められた事例はありません。
判例では、片面的共同正犯は認められていませんが、片面的幇助が認められた事例はあります。刑法62条は、「正犯を幇助した者は従犯とする」と規定し、正犯の実行を物理的または心理的に援助・促進すれば幇助犯が成立します。ただし、幇助の成立には、物理的な援助・促進だけで足りるのか、それとも心理的な援助や犯意の強化なども要するのかという点をめぐっては、争いがあります。因果的共犯論・惹起説の立場からは、物理的な援助・促進があれば、それだけで幇助は成立するといいます。つまり、正犯が幇助者から援助を受けていることを認識していることは必ずしも必要ではありません。それは、正犯を幇助した以上、幇助犯が成立するという条文に解釈としては問題はありませんが、心理的な援助・促進の要件と不要とする理由は必ずしも明らかではありません。
かりに幇助の要件として心理的な援助・促進が必要とすると、甲は一方的に乙による住居侵入と窃盗を手助けしただけで、心理的な促進をしていないので、甲にはその幇助は成立しません。また、直接住居に侵入し、現金を盗んだわけでもないので、その正犯にもあたりません。この結論が妥当でないならば、妥当な結論(住居侵入罪と窃盗罪の幇助犯の成立)が出されるよう、幇助の概念を再構成する必要があるでしょう。そのような意味において、幇助は物理的な援助・促進で足りると解されています。
なお、人をそそのかして犯罪を決意させ、それを実行させる教唆の場合、教唆者は人に犯罪を実行するようそそのかし、被教唆者のところでは、そそのかされていることを認識しているので、教唆者と被教唆者(正犯)の間には相互の関係について認識があるので、片面的な幇助という問題は生じないように思います。ただし、「そそのかして人を犯罪を実行させる」という教唆の意義について、被教唆者が犯罪の意思(犯罪の故意)を生じることは必ずしも必要ではないと定義するならば、片面的教唆の成否が問題になりえます。
(2)乙は、甲が玄関と金庫の鍵を開けたことを知らないので、片面的共同正犯の成立を否定する立場からは、甲と乙の間に共同実行の意思を認めることはできないので、甲に住居侵入罪と窃盗罪の(片面的)共同正犯の成立を認めることはできません。甲が行った行為は、乙の犯行を物理的に容易にしたと評価できるので、その幇助が成立するにとどまります。
080 不作為と共犯
甲は、A(3歳)の母親であるが、前夫との離婚後、乙と知り合い、3ヶ月ほど前から、乙とともに3人で暮らしていた。ところが、短気な性格の乙は、日頃からAが言うことを聞かなかったときに、Aを寝室に連れて行き、Aの顔を平手でたたいたり、投げ飛ばしたりするなどの暴行を加えていた。甲は、乙による暴行を認識していたが、乙があくまで「しつけ」と言って正当化したため、とがめることをしなかった。ある日の夕食の際、Aがシチューを食べたくないと拒んだことから乙が立腹し、Aの手を引っ張って、暴行をするために寝室に連れて行った。甲は、乙がAに暴行を加えようとしていると認識したが、乙に「もう、やめとき」と言うにとどまり、それ以上、乙の行為を阻止することはしなかった。乙がAを投げ飛ばしたとき、Aは頭部を床に強く打ちつけ、意識を失った。その後、Aは、頭部の強打により生じた急性硬膜下血腫のため死亡した。
(1)乙に成立する傷害致死罪(刑205)に関し、甲に作為による共犯が成立する可能性はないか。
(2)甲の罪責として、傷害致死罪に関する不作為による共犯の成否を問題にしたとき、甲に乙の暴行を阻止する作為義務はあるか。
(3)甲に不作為による共犯が成立するのは、乙の暴行を確実に阻止できる可能性があった場合に限られるか。
(4)甲に成立するのは、不作為による共同正犯か、それとも幇助か。
(1)乙がAを投げ飛ばすなどして死亡させたので、傷害致死罪が成立します。かりに甲が寝室のドアに鍵をかけ(作為)、Aを寝室に閉じ込めるなどして、それによって乙がAを捕らえ、投げ飛ばしたならば、甲は乙の傷害致死罪を「作為によって幇助した」といえます。この事案では、甲は、乙に「もう、やめとき」と言うにとどまり、それ以上、乙の行為を阻止することはしなかったので、作為による幇助は成立しないといえます。
(2)では、甲に「不作為による幇助」が成立するでしょうか。幇助とは、正犯を物理的・心理的に援助し、その犯行を促進・容易にすることです。それは、正犯の結果の発生に対して因果的な作用を及ぼす作為によって行われると一般に解されます。では、それは不作為によっても可能でしょうか。作為の形式で定められた幇助を不作為によっても行うことは可能でしょうか。これは「不真正不作為犯論」の幇助犯における問題です。
不真正不作為犯とは、作為形式で定められた犯罪を不作為によって行う場合のことです。例えば、殺人罪は「人を殺すこと」であり、人の生命を侵害すること定義されるので、作為犯形式の犯罪ですが、これを不作為によって実行することができます。被害者の生命を保護すべき地位にある人(保障者)が、その保護のための作為に出ることが可能であり、かつ容易である場合には、保障者に対して被害者の保護のために作為義務が課されます(保障者+作為の可能性・容易性=作為義務の肯定)。そして、その義務を故意に行わない不作為の態度をとった場合には、その不作為が殺人罪の実行行為にあたり、被害者が死亡した場合に、その結果は殺人罪の法益侵害結果にあたると認定されます。ただし、作為義務を尽くしても、被害者の死亡結果を回避することができない場合もありうるので、作為義務を尽くしたなら、被害者の死亡結果を十中八九、回避することが可能であたっといえる場合にだけ作為義務に反した不作為と死亡結果の間の因果関係を認めることができます。以上から、不作為による殺人罪の成立を認めることができます。
これを幇助に応用すると、甲はAの母親であり、しかも家の中にいるのは、乙以外には甲だけであり、Aの身体の安全や健康の維持に尽くすべき立場にあったのは甲だけでした(保障者)。乙がAを投げ飛ばすなど暴行を加えているので、Aの身体・健康を保護するためには、乙の暴行を制止し、あるいはAを侵害から遠ざけるなどの作為を行う必要があります。その作為を行うことは可能だったでしょうか。また、容易だったでしょうか。甲一人で行うことができなくても、隣家の住人に協力を求めることはできたのではないでしょうか。そうすると、甲にはAを乙の暴行から保護する作為義務が課されます。甲は乙に「もう、やめとき」と言うにとどまり、それ以上、乙の行為を阻止することはしませんでした。その不作為は作為義務に反します。
では、甲の不作為は乙の暴行の幇助にあたるでしょうか。甲が不作為の態度をとったことによって、乙の暴行が促進・容易になったといえるならば、それは幇助にあたります。甲が作為義務を尽くして、乙の暴行を阻止し、また阻止できなくても、それを弱めるなどしていたならば、Aが急性硬膜下血腫で死亡することは(十中八九)なかったと思われます。そうすると、甲の不作為は乙の傷害致死罪の幇助にあたると解されます。
(3)甲は、Aを乙の暴行から守る義務があるので、甲にはまずは乙の暴行を「阻止」することが求められます。それが可能であったかどうかの判断は容易ではありません。乙のような気性の激しい男性の暴行を女性の甲が「阻止」できないこともあるでしょうし、またできたとしても、それは容易ではないと想像できるからです。そうすると、甲が乙の暴行を「阻止」することが不可能であった、また困難であったというなら、甲にはAを保護する作為義務はないことになります。ただし、甲には乙の暴行を「阻止」する可能性はなくても、それを「困難化」することは可能であったと思います。その「困難化」の義務を尽くしていたならば、少なくともAの死亡を回避することができたのではないかと思います。
甲に不作為による幇助が成立するのは、「乙の暴行を確実に阻止できる可能性」があった場合に限る必要はありません。
(4)乙のAに対する傷害致死罪(作為犯)に対して、甲が乙の暴行を阻止しない不作為によって関与した場合、その不作為に傷害致死罪の共同正犯が成立するでしょうか。この事案では、甲に傷害致死罪の共同正犯は成立しないと思います。甲は、Aに対する暴行を共同して実行する意思はありませんでしたし、また共同して実行した事実もないからです。ただし、作為犯に対して不作為の態度で関与した場合でも共同正犯が認められる場合があります。
医師・Xは、看護師・Yが患者・Aを毒殺することを計画していることを知り、それを止めるよう忠告したが、Yがそれを聞き入れなかった。Yは、Xに対して、Aの術後の経過が思わしくなく、Xの手術の失敗の責任を問われることを回避するために、Aを殺害するのだと述べた。それを聞いて、XはYの行動を放任した(不作為)。このようなXの不作為は、Yの犯行を助長・促進したというだけでなく、その関わり方からも、正犯性を認める余地が出てくるように思います。
081 幇助の因果性
(1)甲は、知人であるAと居酒屋で酒を飲んでいたところ、数日後にAとその中間が宝石店Mから貴金属を盗み出す計画を立てていることを聞いた。甲には多額の借金があったため、Aに仲間に入れてほしい旨申し出てみると、Aは、「Mの周辺を人がこないように見張ってくれれば、分け前をやろう」と言い、窃盗の計画を実行する日時を紙に書いて甲に手渡した。しかし、Aはその際かなり酔っており、翌日には甲に見張りを頼んだこと自体を忘れていた。
数日後、Aは実際に窃盗を実行し、甲はその際にM付近を見張っていたが、特に人が通ようなことはなかった。翌日、甲はAに電話をかけ、見張りをしたから分け前をよこすよう言ったが、Aは「なんだっけ?」と首をかしげるだけだった。甲の罪責について論じなさい。
(2)(1)の事案で、仮にAが甲に見張りを頼んだことを覚えており、それによってAとその仲間は邪魔が入る心配をすることなく窃盗計画を実行できた場合、甲の罪責はどうなるか。なお、甲が見張っていた際に、通行人が1人も通らなかった点は変わらないものとする。
(1)幇助とは、正犯の実行を促進し、容易にすることです。正犯の実行が物理的に容易になっていれば、幇助が成立します。その際、正犯が幇助されている事実を認識していることを要しません(片面的幇助)。
この事案では、甲がAの犯行当日、Mの周辺を見張ったので、幇助にあたるようにも思えますが、それが幇助にあたるには、それによってAの犯行が促進されたとか、容易になたっといえなければなりません。Aの犯行中に、Mの周辺には1人の通行人もいなかったので、甲は見張りをしましたが、それはAの犯行に物理的な影響をおよぼしたとはいえません。さらに、Aは甲が見張りをすることを忘れていますので、甲によって幇助されているという認識もありません。甲の見張りには「幇助の因果性」(幇助による正犯の物理的・心理的な促進効果)は認められないので、甲にはAの建造物侵入と窃盗罪の幇助犯は成立しません。
(2)かりに、Aが甲に見張りを頼んだことを覚えており、それによってAとその仲間は邪魔が入る心配をすることなく窃盗計画を実行できた場合、Mの周辺に通行人がいなくても、Aは甲の見張りによって犯行を心理的に促進されたといえるので、甲には幇助が成立します。
082 中立的行為と幇助
甲は、ファイル共有ソフトであるWを開発し、その改良を繰り返しながら順次ウェブサイト上で公開し、インターネットを通じて不特定多数の者に提供していた。某日、Wを入手したAはWを用いて、法定の除外事由なく、かつ著作権者の許諾を受けないで、著作物であるゲームソフトFの情報をインターネット利用者に対し自動公衆送信しうるようにし、著作権者の有する著作物の公衆送信権を侵害する著作権法違反の行為を行った。
以上のような事実関係のもと、次の(1)または(2)の事情がそれぞれ存在した場合、甲がWを公開・提供した行為にAの著作権法違反の幇助犯(刑62、著作119①、23①)が成立するか。
(1)Wは、たしかにそれを入手した利用者の間で、著作権を侵害する態様で用いられることがあったが、それは例外といえる程度のごく限られた範囲にすぎなかった。
(2)Wは、それを入手した利用者の間で、著作権を侵害する態様で現実に広く利用されていたが、甲は、利用者のほとんどがWを著作権を侵害する方法では利用しないであろうと考えていた。
(1)幇助とは、正犯の実行を促進し、また容易にする行為です。それは物理的な方法だけでなく、心理的な方法によっても行うことができます。ただし、正犯の実行を物理的・心理的に促進する行為のすべてが、幇助にあたるわけではありません。
XがAを殺すために刃物店Yで包丁を購入し、Zの運転するタクシーに乗ってAの家に行き、そしてAを殺した場合、Xに刃物を販売したYの行為も、XをAの家に運んだZの行為も、XのA殺人を物理的・心理的に容易にしているといえます。しかし、刃物屋が刃物を販売し、タクシー運転手が客を運ぶのは、それは日常的に反復継続して行われる行為であり、社会生活はそのような業務によって成り立っています。Y・Zは、XがAを殺す計画を立てていることを知らないので、幇助の故意はありません。しかし、それ以前に、Y・Zの行為は、日常的に反復継続して行われる行為であることを理由に、そもそも幇助の類型に該当しない行為であると解すべきでしょう。主観的に幇助の故意がないだけでなく、そもそも客観的に幇助にあたらないので、幇助犯の成立が否定されるというべきです。
ファイル共有ソフトWは、著作権侵害の行為に利用されることがありますが、それはWを入手した人のごく限られた範囲にすぎないということは、Wは著作権侵害用のソフトではないということです。したがって甲がWを公開・提供し、それを入手した人が著作権侵害行為を行っても、甲の行為はその幇助にはあたらず、また幇助の認識もないので、幇助犯は成立しません。
(2)これに対して、Wを入手した利用者の間で、著作権を侵害する態様で現実に広く利用されている場合には、甲がそれを公開・提供する行為は、著作権侵害を物理的に促進していると言わざるを得ません、ただし、甲は利用者のほとんどがWを著作権を侵害する方法では利用しないであろうと考えていたので、幇助の故意があたっといえないので、甲には幇助は成立しません。