Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅰ(15)判例

2021-07-17 | 日記
083教唆の意義(最3小決平成18・11・21刑集60巻9号770頁)


【事実の概要】
 被告人Xは、虚偽の過少納税申告を行い、運営する格闘技のイベント会社・Kの法人税をほ脱したところ、国税犯則調査を受けた。Xは、逮捕・処罰を免れるための対応を知人のYに相談した。Yは、Xに対して、納税額を少なくみせるために、架空の簿外経費を作成して、国税局に認めてもらうしかないと述べ、契約不履行に基づく違約金が経費として認められることを悪用して、著名な外国人プロボクサーの招聘計画にからめて、違約金条項を盛り込んだ契約書を作成すればよいと教示し、この方法でなければ所得金額の大きい時期の利益を隠すことはできないと提案した。XはYの提案を受け入れ、Yに対して協力者Zにも説明するようYに求め、X、Y、Zが集まった場で、YがZに提案し、Zがそれを了承した上で、XがY・Zに虚偽内容の契約書を作成することを依頼し、Y・Zはこれを了承した。
 Y・Zは、共謀して、K・Zの内容虚偽の違約金条項付契約書を用意し、Zがそれに署名し、Kの代表者のXにも署名させ、内容虚偽の契約書を完成させ、Kの法人税脱税に関する証拠偽造を遂げた。
 なお、Yは、Xから上記証拠偽造その他の工作資金の名目で、多額の資金を引き出し、その多くを自ら利得しているものの、Xが証拠偽造に関する提案を受け入れなかったり、その実行を自分に依頼してこなかったりした場合にまで、本件の証拠偽造を遂行しようとするような動機その他の事情があったことをうかがうことはできないとされた。
 Xは、法人税法違反の罪のほか、Yにその事件に関する証拠偽造を教唆したとして起訴された。
 Xは、Yに相談した際、Yから違約金条項付契約書の作成という証拠偽造を提案された。そしてXは、Y・Zに虚偽内容の契約書を作成することを依頼した。この依頼によって、Yが証拠偽造を行うことを新たに決意したかというと、そうではない。証拠偽造を提案したのはYであって、Xの依頼によってYが証拠偽造の犯意を抱いたわけではないから、XがYを教唆して証拠偽造を行わせたとはいえないとして、教唆の成立を否定した。
 第1審は、Xが法人税のほ脱の罪により逮捕・処罰を免れるためにYに相談し、Yが相談相手として証拠偽造の方法を考案して、Xに提案したのであって、XがYに証拠偽造をそそのかしたのではないが、それをYが正犯として実行しようという意思を抱いたのは、Xの相談の働き掛けによって初めて生じたのであるから、XにはYに対する証拠偽造の教唆が成立すると認定した。Xの弁護人が控訴したが、控訴審は、X側の控訴を棄却した。
 Xの弁護人は、教唆犯が成立するためには、被教唆者において、教唆者からの教唆行為によって犯意を形成することが必要であるが、Xの行為は、すでに内容虚偽の契約書等を作成する犯意を固めているYおよびZに対して、事実行為として最終的にそれを依頼したにすぎないと主張して、上告した。


【争点】
 人を唆して犯罪を決意させ、それを実行させた場合には、実行者には犯罪の正犯が、唆した者には犯罪の教唆犯が成立する(刑61)。すでに犯罪を実行することを決意している人に、物理的または心理的に援助し、その実行を促進したり容易にしたりすれば、援助した者には犯罪の幇助犯が成立する(刑62)。
 Xは脱税による逮捕・処罰を免れるために、妙案がないかとYに相談したところ、Yが証拠偽造しか方法はないと提案した。Xが自ら脱税の罪の証拠を偽造したならば、それは自己の刑事事件に関する証拠の偽造なので、証拠偽造罪にはあたらない。証拠偽造罪は、他人の刑事事件に関する証拠が行為客体なので、自己の刑事事件の証拠を隠滅・偽造しても、証拠隠滅偽造罪にはあたらない(被疑者による防御権行使の一環として行われた行為であるといえる。また、適法行為の期待可能性の欠如を理由に超法規的に責任が阻却される行為である。したがって、そもそも犯罪として類型化されなかった)。ただし、これをXがYに依頼して、行わせるのは、防御権の濫用であり、適法行為の期待可能性が欠如しているとはいえない)。
 では、XはYに証拠偽造を行うよう依頼したか。証拠偽造によって脱税の逮捕を免れると提案したのは、むしろYである。Yはすでに証拠偽造を行う意思を形成していたといえる。そうすると、XがYの提案に係る証拠偽造の実行をYに依頼しても、教唆にはあたらないといえそうである。ただし、問題は、YがXに依頼される前にすでに証拠偽造を行う意思を形成していたかどうかである。犯罪を行う意思とは、このような場合、どのように理解すべきか。


【裁判所の判断】
 なるほど、Yは、Xの相談相手というにとどまらず、自らも実行に深く関与することを前提に、Kの法人税法違反事件に関し、違約金条項を盛り込んだ虚偽の契約書を作出するという具体的な証拠偽造を考案し、これをXに積極的に提案した……。(その限りでいえば、Yは、Xに教唆されて証拠偽造罪を実行したようには見えない)。しかし、本件において、Yは、Xの意向にかかわりなく、本件犯罪を遂行するまでの意思を形成していたわけではない(Xの相談と無関係に、すでに犯意を形成していたわけではない)。Yが証拠偽造を実行する意思を確定したのは、YがXに証拠偽造を提案し、Xがこれを承諾して、提案に係る証拠偽造の実行をYに依頼したことによると認められる。そうすると、Xの行為は、Yに証拠偽造という特定の犯罪を実行する意思を生じさせたとして、教唆にあたるというべきである。


【解説】
 Yは、Xの相談相手であるが、たんに意見や提案をするだけの存在ではなかった。提案するにとどまらず、自らも、その提案を実行に移すために、それに深く関与するつもりがあった。たしかに、YはXから相談を受けて、Kの法人税法違反事件の逮捕・処罰を免れるために、違約金条項を盛り込んだ虚偽の契約書を作出するという具体的な証拠偽造を考案し、これXに積極的に提案し、自ら証拠偽造を行ったので、その限りでいえば、Yは、Xに教唆されて証拠偽造罪を実行したようには見えない。しかし、本件において、Yは、Xの意向にかかわりなく、本件犯罪を遂行する意思を形成していたわけではない。Xの相談と無関係に、すでに犯意を形成していたわけではない。Yが証拠偽造を実行する意思を確定したのは、どの時点であったかというと、YがXに証拠偽造を提案し、Xがこれを承諾して、提案に係る証拠偽造の実行をYに依頼した時点である。それまでは、Yはその実行を留保していたといえすそうすると、Xの行為は、Yに証拠偽造という特定の犯罪を実行する意思を生じさせたとして、教唆にあたるというべきである。


084幇助の意義(最3小決平成25・4・15刑集67巻4号437頁)


【事実の概要】
 被告人A・B(40才代半ば)は、運送会社に勤務する同僚であった。同会社に勤務するC(30代前半)は、その後輩で、仕事の指導などをする同僚であり、また職場内の遊び仲間であった。A・Bは、Cを含めて複数人で飲食店で飲食した。その際、A・Bは、Cが高度に酩酊した様子を認識した。さらにCは、飲酒するため、別の場所に向かってスポーツカータイプの自動車(本件車両)を疾走した。A・Bは、それを追いかける自動車の車内でそれを見ながら、「あんなに飛ばして大丈夫かな」などと話し、Cの運転を心配した。A・Bは、目的の店に到着した後、同店の駐車場に自動車を駐車し、本件車両でCとともに店が開店するのを待った。A・Bは、Cと開店を待つうち、午後7時10分頃、Cから「まだ時間あるんですよね。1回りしてきましょうか」などと、開店までの待ち時間に、本件車両をにA・Bを同乗させて付近の道路を走行させることの了解を求められた。AはCに向かってうなずき、Bは「そうしようかな」などと答え、それぞれCに了承を与えた。
 これを受けてCは、アルコールの影響により正常な運転が困難な状態で、上記駐車場から本件車両を発進させて、本件車両を時速100~120キロメートルで走行させて対向車線に進出させ、対向車2台に順次衝突させて、その乗員のうち2名を死亡させ、4名に傷害を負わせた。A・Bは、その間、先に了解を与えた際の態度を変えず、Cの運転を制止せずに、本件車両に同乗し、これを黙認し続けた。
 第1審は、A・Bに対して、黙認し続けた点について不作為による共犯の構成を採用し、了解(Aがうなずき、Bが「そうしようかな」などと答えたのは作為)と黙認の不作為の一連の幇助にあたると認定し、Cの危険運転致死傷罪の幇助の成立を肯定した。第2審もまた、その結論を支持した。A・Bが上告した。


【争点】
 アルコールなどの影響によって正常な運転が困難な状態で自動車を運転する行為を「危険運転」という。その運手行為から、対向車の運転者・乗員・乗客や歩行者を死傷させた場合、危険運転致死傷罪が成立する(正犯)。
 A・Bが、Cがアルコールなどの影響によって正常な運転が困難な状態にあることを認識しながら、Cに対して、自動車の運転をそそのかし、人身事故を発生させれば、危険運転致死傷罪の教唆が成立する。あるいは、 A・Bが、自動車を貸して欲しいと依頼するCに対して自動車を貸し与えるなどし、Cが人身事故を発生させれば、危険運転致死傷罪の幇助が成立する(有形的な方法による物理的な幇助)。
 では、、A・Bが、Cが運転する自動車に同乗する提案に対して、「うなずき」また「そうしようかな」と答えて同乗し、Cの自動車運転を制止することなく、黙認し続け、Cが人身事故を発生させた場合、Cの危険運転致死傷罪の幇助(無形的な方法による心理的な幇助)にあたるか。Aがうなずき、Bが「そうしようかな」と答えたことで、Cは本件車両の運転の意思を強化したといえる。それゆえ幇助の成立を認めることができる。では、A・Bが同乗中にCの運転を制止しなかった、またそれを黙認し続けた不作為もまた、幇助にあたるか。A・BにCの運転を制止する義務があるならば、それに違反した不作為によってCの運転を助長した限りにおいて、幇助にあたるということができる。
 A・Bは、同じ会社に勤務する同僚であり、Cの先輩であり、かつ職場内の遊び仲間であった。そのようなA・BとCの関係を踏まえると、A・BはCの本件車両の運転を制止すべき義務があったといえるか。


【裁判所の判断】
 刑法62条1項の従犯(幇助犯)とは、他人の犯罪に加功する意思をもって、有形、無形の方法により、これを幇助し、他人の犯罪を容易ならしむるものである……ところ、……Cと被告人両名との関係、Cが被告人両名に本件車両発進につき了解を求めるに至った経緯及び状況、これに対する被告人両名の応答態度等に照らせば、Cが本件車両を運転するについては、先輩であり、同乗している被告人両名の意向を確認し、了解を得られたことが重要な契機となっている一方、被告人両名は、Cがアルコールの影響により正常な運転が困難な状態であることを認識しながら、本件車両発進に了解を与え、そのCの運転を制止することなく、そのまま本件車両に同乗してこれを黙認し続けたと認められるのであるから、上記の被告人両名の了解(作為)とこれに続く黙認という行為(不作為)が、Cの運転の意思をより強固なものにすることにより、Cの危険運転致死傷罪を容易にしたことは明らかであって、被告人両名に危険運転致死傷罪の幇助が成立する。


【解説】
 刑法62条1項の従犯(幇助犯)とは、他人の犯罪に加功する意思をもって、有形、無形の方法により、これを幇助し、他人の犯罪を容易にする行為をいう。被告人両名とCの関係は、勤務する会社の先輩と後輩の関係にあった。また、酩酊中のCは、A・Bに本件車両を発進につき了解を求めたのは、3名で飲食する店の開店時間までまだ時間があるからであった。A・Bは、本件車両の同乗を求めるCに対して、うなずき、また「そうしようかな」と応答した。これらを踏まえるならば、Cが本件車両を運転したきっかけは、先輩であるA・BがCの運転を制止せず、それを了解し、同乗したからである。さらに、A・Bは、Cがアルコールの影響により正常な運転が困難な状態であることを認識しながら、これを黙認し続けた。このようにA・Bの了解(作為)とこれに続く黙認(不作為)が、Cの運転の意思をより強固なものにすることにより、Cの危険運転致死傷罪を容易にしたことは明らかである。最高裁は、このような理由からA・Bに危険運転致死傷罪の幇助が成立すると判断した。
 Cは、30代の男性会社員である。それが乗車する自動車は、スポーツカータイプであり、高級車のようである。それに先輩を同乗させて運転するときの気分は、「まんざらでもない」、「オレは先輩を超えた」、「おれがこの会社の出世頭だ」というような感情なのかもしれない。A・Bは、40代の男性会社員であって、ある程度は世間の厳しさを知っている存在であろう。会社員の生活は、経済の契機に左右される。今日は良くても、明日はどうなるか分からない。そのことをよく知っているであろう。そうであるならば、A・BはCの先輩として、Cの仕事だけでなう、その私生活面においても、アドバイスをすべき立場にあり、A・Bしかそのような対応をできる者はいなかったのではなだろうか。A・BとCの間の関係は、そのような関係ではないかと思われる。A・Bは、同じ会社に勤務する同僚であり、Cの先輩であり、かつ職場内の遊び仲間であった。そのようなA・BとCの関係を踏まえると、A・BはCの本件車両の運転を制止すべき義務があったといえる。


085不作為による幇助(札幌高判平成12・3・16判時1711号170頁)
【事案の概要】
 被告人は、離婚したXと再び同棲し、自己が親権を有していたAとBを連れて内縁関係に入った。Xは、BがXの言うことを聞かないと思いこみ、Bに対して暴行を加えるなどした。被告人は、いつものせっかんが始まったと思ったが、何にもせずに無関心を装っていた。その後、Bは硬膜下出血という傷害による脳機能障害のために死亡した。Xは、傷害致死罪で有罪になった。被告人については、「何もせずに無関心を装った」という不作為の態度が、Xの傷害致死罪を促進・助長したとして、幇助にあたるかが問われた。
 原審釧路地裁は、被告人が傷害致死罪を不作為によって幇助したか否かにつき検討した。不作為による幇助は、正犯の実行を阻止すべき(犯罪を阻止すべき)保障者の地位にある者が、その作為義務をなすことが可能であり、かつ容易であったにもかかわらず、それを行わずに、その犯行を助長した場合に成立する。保障者の地位にある者が作為義務を尽くすことができ、またそれが容易である場合、作為義務の程度や要求される作為が容易であったことなどを踏まえて、その不作為が作為による幇助と同視しうるものでなければならない。
 検察官は、被告人がXの行動を監視したり、それを言葉で制止するなどしていれば、Xの行為を阻止しえたと主張した。
 裁判所は、検察官が主張する行為は、監視や言葉による制止などの行為であるが、「いずれもそれ自体では」、Xの行為をほぼ確実に阻止し得るものであったとはいえないこと、またXのこれまでの態度や被告人が妊娠6カ月であったこと、男女の体格差などがあったことなどを踏まえるとと、被告人が身を挺してXの行為を阻止することは著しく困難であったとして、被告人にXの行為を阻止すべき保障者の地位にあることを認めた上で、本件の状況においては、その作為に出ることは著しく困難であり、被告人に作為義務(犯罪阻止義務)を認めることはできないと判断し、幇助の成立を否定した。


【争点】
 被告人の作為義務は、XのBに対する暴力を阻止する義務であるか、あるいはそれを阻止できなくても、それを弱めれるなら、そおうする義務も求められるか。それは、被告人とBとの関係(母子関係)、被告人とXとの関係(内縁関係)などを踏まえながら、保障者の地位と義務の履行可能性および容易性の有無を判断することによって明らかになる。
 また、犯罪阻止義務の内容は、犯罪を阻止しうる唯一の方法・手段に限られるのか、それともいくつかの方法・手段を前後して行って、あるいは比較的容易に取りうる方法から順に行って犯罪を阻止または抑制するという方法でもよいのか。


【裁判所の判断】
 原判決は、不作為による幇助の成立要件として、「犯罪の実行をほぼ確実に阻止しえたこと」を挙げているが、それは不要である。さらに、被告人に要求される作為が、Xの暴力を実力で阻止する作為のみを想定して、監視や言葉による制止という作為ではXの暴行を阻止しえなかたっとして、そのような作為を想定していないことも誤っている。むしろ、被告人は、監視や言葉による制止など比較的容易なものから段階的に行ない、あるいは複合的に行なうことによって、Xの暴行を阻止することが可能であった。その点を検討しなかった原判決の法令適用には、判決に及ぼす重要な誤りがある。


 不作為による幇助は、正犯の犯罪を防止すべき義務のある者が、一定の作為によって正犯の犯罪を防止することが可能であるのに、それを認識しながら、その作為を行なわずに、それによって正犯の犯罪の実行を容易にした場合に成立する。被告人の不作為は、Xの暴行を阻止しうる可能性のある監視や言動による制止が行なわれた場合と比べると、Xの暴行を容易にしたということは明らかであり、それを認識しつつ、あえて認容したと認められる。被告人の不作為は、Xの傷害致死を幇助したものといえる。


【解説】
 不作為には、真正不作為犯と不真正不作為犯である。
 真正不作為犯は、不作為の形式でめられた犯罪であり、多衆不解散罪、不退去罪、保護責任者不保護罪などがある。これに対して、不真正不作為犯は、作為の形式で定められた犯罪を不作為によって実行する場合である。真正不作為犯は、その条文において、誰の、どのような不作為が処罰されるのかが明記されているが、不真正不作為犯は、誰の不作為が処罰されるのかが条文で明記されていないため、その成立要件について争いがある。


 不真正不作為犯に関しては、これまで形式的三分説という学説が有力に主張されてきた。すなわち、誰の、どの不作為が作為犯の構成要件を実現したかは、法律上の作為義務、契約・事務管理に基づく作為義務、先行行為・条理に基づく作為義務を基準に判断するというものである。これらによって、不真正不作為犯の成立範囲を特定することができると解されてきた。しかし、これらは非刑法的な基準であり、それから刑法上の作為義務を根拠づけることは困難であるとの批判が出された。


 このような批判を受けて、現在では「保障者」が有力に主張されている。すなわち、殺人罪を例にとれば、被害者の生命保護やそれへの侵害を阻止する義務を負う者が、そのための作為をなさなかった場合、作為による生命侵害と同視することができるという説である。誰が被害者の生命保護などをなす作為義務を負っているかというと、それは被害者との緊密な生活関係の有無や程度から判断される。ただし、保障者の地位にある者であっても、その作為義務が履行可能・容易であり、またその不作為と生命侵害の間に因果関係)(十中八九、結果の発生を回避しえたであろう)がなければならない。


 このような保障者説の議論は、一般に正犯について議論されてきたが、それは幇助などの共犯にも妥当する。ある行為者が被害者に対して直接的な暴行を行っているときに、その被害者と緊密な生活関係にある者は、被害者を保護するか、行為者の暴行を阻止するなどの作為義務を負う。その作為義務を履行することが可能で、さほど困難でなく(容易であり)、かつ作為義務を履行したならば、行為者の暴行を阻止ないし弱めることが「十中八九」できたであろうといえるならば、その不作為は行為者の行為を幇助したと認定することができる。
086間接幇助(最一決昭和44・7・17刑集23巻8号1061頁)


【事案の概要】
 わいせつフィルムを所有するXは、Aに対して、顧客へサービスするのであれば、フィルムをいつでも貸すと述べた。Aは、顧客の名前を明らかにせずに、Xからフィルムを借りた。AはこれをBに渡し、Bは某所においてCらに閲覧させた。Xは、わいせつ図画公然陳列罪の幇助にあたるとして起訴された。


 B・Cらは、フィルムを閲覧した。この行為は、わいせつ図画公然陳列罪(の正犯)にあたる。Aは、そのフィルムをBに貸した。その行為は、わいせつ図画陳列罪の(直接)幇助にあたる。Xは、幇助犯Aにフィルムを貸した。これによって、B・Cのわいせつ図画陳列罪を間接的に手助けしたとして、幇助の規定を適用できるか。


 刑法61条1項は、教唆犯の規定であり、その2項は「教唆者を教唆した」ことを処罰する規定である。例えば、XがAに対して「Bに犯罪を実行させよ」と教唆した場合(間接教唆①)と、XがAに犯罪の実行を命じたが、Aはそれを自分で行わず、Bに命じて実行させた場合(間接教唆②)、Xには61条2項の「間接教唆」の規定を適用することができる。


 刑法62条は、幇助犯の規定である。XがAの犯罪を援助した場合である。Bの犯罪を援助しようとしているAに対して、Xがそれを知りながら援助した場合(間接幇助①)、またXがAの犯罪の援助したつもりが、Aはそれを自分で行わず、Bを援助した場合(間接幇助②)、このような「間接幇助」を処罰する明示的な規定はない。


 彦根簡易裁判所によれば、XがAにフィルムを貸し、AがそれをBに又貸ししたことを知らなくても、人がわいせつ図画を公然と閲覧するなどして陳列することを知りながら、その実行を容易にしたと認定して、Xはわいせつ図画公然陳列罪の(直接)幇助が成立すると判断した。


 しかし、XはAを幇助したのであって、Bや何者かを幇助した事実はない。従って、控訴審・大阪高裁は、本件は彦根簡裁が認定したような直接幇助ではなく、間接幇助の事案であると判断した。すなわち、XがAまたは得意先の何者かが不特定多数人に対して閲覧させるであることを知りながら(Aが閲覧すれば直接幇助)、XはAにフィルムを貸したのであるから「間接幇助①」にあたる。第1審判決が「直接幇助」の表現を用いたのは妥当ではないとしながらも、この程度の誤認は判決に影響を及ぼすものではないと述べて、Xの控訴を棄却した。


【裁判所の判断】
 Xが、Aまたはその得意先の者において、不特定の多数人が、本件フィルムを閲覧するであろことえを知りながら、それをAに貸与し、そのフィルムがAからBに貸与されて、BにおいてCらに閲覧させたのであるから、Xは正犯Bの犯行を間接に幇助したものとして、幇助犯の成立を認めた原判決の判断は相当である。


【解説】
 正犯が犯行を実行するにあたり、それを物理的・心理的に援助し、その実行を容易にする行為を行なった者は、幇助として処罰される。正犯が実行に至るまでに、様々な関与が考えられる。正犯の実行を直接的に物理的・心理的に援助するのが「直接幇助」、幇助犯に対して物理的・心理的に援助するのが「間接幇助」である。


 上記に述べたように、間接幇助には2つの形態がある。1つは、AがB(Xからすれば、何者か)の犯罪を援助しようとしているとき、Xがそれを知りながら援助した場合(幇助①)、もう1つは、、XがAの犯罪の援助したつもりが、Aはそれを自分で行わず、行おうとしているBに援助した場合(幇助②)である。


 刑法62条は、幇助を「正犯を幇助した者」と規定している。これは、「直接幇助」であって、「間接幇助」のような形態の行為を処罰する規定でない。従って、間接幇助を処罰することはできないはずであるが、判例・学説は、このような間接幇助を認めている。


 なお、(直接)幇助犯も処罰される行為であるという意味では「犯罪」である。この(直接)幇助を2人以上で行った場合、(北摂)幇助犯の共同正犯になるならば、(直接)幇助もまた、ある意味では「正犯」である。この正犯である(直接)幇助を幇助した場合には、刑法62条をストレートに適用して、「正犯」の幇助と解することができる。ただし、正犯と共犯(幇助犯)を区別するのが構成要件該当行為であると解すると、正犯は構成要件該当行為を行った者であり、幇助犯はその実現を援助した者であるので、(直接)幇助を「正犯」と呼ぶことはできないのであるが。


087片面的幇助(東京地判昭和63・7・27判時1300号153頁)


【事案の概要】
 A、B、Cの3人は、日本に拳銃等を密輸するために、マニラで木製のテーブルに拳銃を隠し入れた。被告人は、実兄Cから依頼を受け、B名義でマニラから日本のDに「木製テーブル」の発送手続をとった。このとき、被告人は、テーブルのなかに拳銃等が隠されている可能性があることを認識していた。数日後、テーブルが日本に届けられたが、そのなかに拳銃が隠されていることが発見され、日本の空港で押収された。


 被告人は、発送手続をとった翌日に、Aから交通費と500ドルを受け取り、東京に行くよう依頼された。テーブルに拳銃等が隠されていること、東京での役割を知らされたのは、テーブルが押収された翌日であった。Aらは、それまで被告人がテーブルに拳銃等が隠されていることを知らないと思っていた。


【裁判所の判断】
 被告人は、テーブルに拳銃等が隠されていることについて未必の認識があった。A、B、Cは、被告人がテーブルに拳銃などが入っていることを知らないと思っていた。被告人は、B名義でテーブルを日本のDに送る手続をとった。その行為は、拳銃の密輸のための重要な行為である。しかし、被告人でなくてもできる行為であり、形式的・機械的な行為でしかなかった。その後、被告人は、渡航費と500ドルを受け取り、東京での役割を告げられた。それは、テーブルが日本で押収された後であった。
 これらの点を考慮すると、被告人がテーブルの発送手続をとったのは、Cらと共謀して密輸を実行したというよりは、実兄のCから依頼されて、拳銃が隠されていることを未必的に認識しながら、それを幇助する意思のもとに行なったと認められる。従って、被告人の行為はそれ自体として拳銃の密輸入行為の正犯であるが、Aらの密輸入行為の全体計画において位置付けて見るならば、それは幇助に過ぎない。


【評価】
 この事案には、2つの論点がある。


 第1は、拳銃が入っていることを知りながら、その密輸のための発送手続をとった行為は、密輸の実行行為ではなく、その幇助であるという点。本人として密輸の実行行為を行っている認識(故意)があるが、実質的に見れば背後にいる実行行為者を手助けした幇助犯でしかない。これを「故意ある幇助的道具」と呼ぶ。


 第2は、正犯Aらが被告人に幇助されていることを知らなくても(意思連絡がなくても)、つまり被告人が一方的な幇助意思に基づいていても、幇助犯が成立するという点である。


 第1の点。被告人が、単独で拳銃を密輸するために、本件のような発送手続をとったならば、それは拳銃密輸の構成要件該当行為であり、被告人がその正犯である。しかし、A、B、Cに依頼されて行なった、しかもCが被告人の実兄であったなどの諸事情を踏まえると、たとえ被告人がテーブルの中身を知って、発送手続をとったとしても、被告人の行為は、密輸の全体的な計画のうちにおいて、幇助的な意味しかないといえる場合もある。


 確かに、拳銃の入ったテーブルを発送することは、密輸の構成要件該当行為であり、テーブルに拳銃が入っていることを知っていれば、その故意も認められる。しかし、Aらの拳銃密輸入の犯行計画全体において、被告人の行為を評価するならば、それは犯行の遂行のための道具としての意義しかなく、密輸を行なうための幇助的な行為でしかない。このような被告人のことを「故意(正犯の認識)ある幇助的道具」という。→判例番号78参照。




 第2の点。幇助と正犯の関係についてである。幇助は、(広義の)犯罪の一形態であるので、基本的に故意のない幇助は、客観的に幇助類型に該当しても、その故意がないので、処罰されない(刑38①)。つまり、幇助の故意は、幇助者が正犯を物理的・心理的に援助していることの認識である。では、正犯のところで、幇助者に援助されていることの認識がなければ、幇助は成立しないのだろうか。判例は、いわゆる片面的幇助を認めている。つまり、正犯に幇助されているという認識は不要であると解している。従って、正犯と幇助犯の間に意思連絡がない場合でも、幇助犯は成立する。


 刑法62条は、正犯を幇助した者は従犯とすると規定しているので、幇助の成立には、客観的に正犯の実行を助長・促進し、幇助者にその認識があれば足りると解釈することができる。これに対して、教唆の場合は、犯罪の意思のない者をそそのかして、犯罪の実行を決意させて、実行させることと解されているので、「片面的教唆」というものはありえない。教唆者が教唆したが、被教唆者に犯罪を実行する意思がなかった場合(つまり犯罪の故意がなかった場合)、それは故意のない者を道具のように利用して、犯罪の結果を発生させた「間接正犯」にあたる(医師が看護師を欺いて、患者を毒殺させた場合)。



088幇助の因果性(東京高判平成2・2・21判タ733号232頁)


【事案の概要】
 Yは、Aから宝石や毛皮衣服などを預かって保管していたが、Aを拳銃で殺害して、その返還を免れようと考えた。


 被告人Xは、Yの犯行に先立って、Yから指示を受けて、犯行予定場所の地下室に行き、そこから拳銃音が建物の外に漏れるのを防止するために、地下室の入口戸の周囲のすきまをガムテープで目張りしたり、換気口を毛布で塞ぐなどした(目張り行為)。


 その後、Xは、Yから計画を変更したことを告げられ、同行を求められた。Xは、同行に応じることは、Yを精神的に力づけ、その強盗殺人の実行を手助けすることになると認識しながら、同行することを決意した。そして、仲間の運転する自動車に同乗して、先を走るYの自動車に追従して、殺害現場にいっしょに向かった(追従行為)。


 Yは、Aを誘い出し、自動車の車内においてAを射殺し、宝石などの返還を免れ、さらに山中においてAの携帯していた現金を奪った(Yは強盗殺人)。


 原審東京地裁は、被告人の目張り行為について、Yの一連の計画に基づいて被害者の生命等の侵害を現実化する危険性を高めたものと評価でき、また被告人の追従行為について、Yの強盗殺人の意図を強化したということができ、いずれも幇助の成立に必要な因果関係を肯定できると判断し、被告人に懲役4年を言い渡した。




【裁判所の判断】
 破棄自判。Xを懲役3年6月に処する。
 刑を減軽した理由は、目張り行為の幇助の因果性、その行為によってYの強盗殺人の意図を強化したと認めることができないことにある。


 Yが犯行計画を変更したため、目張り行為は、本件犯行には全く役に立たなかったが(幇助の物理的因果性はなかったが)、それでもYの犯行の決意を強化するなど役に立ったことが証明されれば、その心理的な幇助性を認めることができる(幇助の心理的因果性)。Xが、Yの指示を受けて、それを承諾したので、そのことがYの意を強くさせたことも推認しうるが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。また、XがYに対して直接的またはBを介して間接的に地下室の目張について報告し、Yがそれを現認したことを認めるに足りる証拠もない。従って、Xの目張り行為がYを心理的に力づけ、強盗殺人の意図を維持または強化したことに役立ったことを認めることはできない。


 従って、被告人Xの目張り行為については、正犯Yの強盗殺人に対して幇助の因果性を認めることはできない。




【解説】
 ある行為が幇助に該当するかどうかは、その行為が正犯を物理的・心理的に援助したかどうか、つまり正犯の犯行を物理的に容易にしたり、またはその決意を心理的に維持・強化したかどうかによって決まる。幇助の行為が行なわれなかった場合と比べて、正犯の遂行が促進され、容易にされた場合に幇助の成立が認められる。正犯の実行に対する幇助の関係を「幇助の因果性」という。


 正犯は法益侵害を直接惹起し、共犯はそれを間接的に惹起する。それゆえ、共犯もまた処罰されるのである。従って、教唆も幇助も、法益侵害に対して間接的な因果関係が成り立たなければならない。(惹起説=因果的共犯論)。


 共犯は法益侵害に対して間接的な因果性がなくてもよい、と考える学説もある(堕落説)。その考えでは、共犯はなぜ処罰されるのかというと、正犯の行為者に違法な行為を行わせたからだとか(不法共犯論)、違法で有責な行為を行わせたからだと説明する(責任共犯論)。いずれも、正犯に違法行為または違法で有責な行為を行わせ、堕落させたからだと説明する。


 しかし、共犯の処罰根拠を法益侵害と無関係に説明することには、納得できない。他人を犯罪の世界に引き込むことは「悪いこと」であるが、それが「犯罪」として処罰されるのは、法益侵害に対しる間接的な因果性を持っていなければならないと思われる。その意味で、因果的共犯論が妥当である。


 このように幇助は正犯に対して因果性を有するものでなければならないが、その因果性は、正犯の実行の物理的促進的効果、または正犯の故意の心理的強化性という意味での因果性で足りる。幇助が行なわれても、行なわれなくても、正犯の法益侵害の内容や態様に影響を及ぼさない場合もあるが、そのような場合でも、正犯の実行が物理的に促進され、その故意が心理的に強化されているならば、幇助の因果性を肯定することができる。



089中立的行為と幇助(最三決平成23・12・19刑集65巻9号1380頁)


【事案の概要】
 被告人は、ファイル共有ソフト「Winny」を開発し、ウェブサイトでの公開を通じて、それを不特定多数の者が利用できる状態にして、提供した。そのうち2名がそのソフトを利用して、著作権侵害行為を行なった。被告人はその幇助として起訴された。


 第1審京都地裁は、被告人の行為が著作権侵害行為の幇助にあたり、またその認識もあるとして、幇助犯の成立を認めた。控訴審大阪高裁は、幇助が成立するには、ソフトを違法行為を行なう用途にのみ提供する行為であるとか、またはこれを主要な用途として使用させるようインターネット上で勧めてソフトを提供する行為でなければならないが、被告人の行為はこれにあたらないとして、無罪を言い渡した。


【裁判所の判断】
 本件ソフトを、著作権侵害の用途に利用するか、(合法的な)他の用途に利用するかは、個々の利用者の判断にゆだねられているので、本件ソフトの提供行為が、著作権侵害の幇助にあたるといえるためには、本件ソフトの利用によって著作権侵害が行なわれる一般的な可能性を超える具体的な侵害利用状況が必要であり、また提供者のところでその認識がなければならない。本件において、被告人がWinnyを公開、提供した場合、例外とはいえない範囲の者が(つまり、その利用者の大半が)、それを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを、被告人が認識・認容していたと認めるのは困難である。それゆえ、被告人は著作権侵害の幇助犯の故意を欠くと言わざるを得ない。


【解説】
 日常生活で普通に行なわれている行為や犯罪的な性質を持たない中立的な行為が犯罪の遂行を助長・促進する場合、それを幇助として処罰することが妥当かどうかについては、様々な見解が主張されている。


 例えば、タクシー運転手が客を乗車させて、目的地まで走行する行為や郵便配達員が手紙を配達する行為などがその典型である。運転手Yが乗せた乗客が目的地で降車して、Aを追いかけ、刺殺した場合、Yの行為はXの殺人を幇助したといえるか。Xから配達の依頼を受けた郵便配達員YがAに郵便を届けたところ、それは脅迫状であった場合、YはXの脅迫を幇助したといえるか。


 Yのいずれの行為もXの犯行を助長し、促進し、容易にしているので、客観的に幇助の類型に該当するが、Yにはその認識がなかったので、故意はなく、結論的に幇助の成立は否定されるという考え方もあるが、そもそもYの行為は幇助の類型にあたらないと解することもできる。その理由は、日常的な行為や商取引行為、社会の制度のなかに組み入れられた行為は、それ自体として適法な行為であって、犯罪性を帯びないと考えられるからである。


 本件は、このような問題について、一定の判断を示したという点で意義がある。日常行為・中立的行為は、適法行為に役立つだけでなく、場合によっては犯罪の遂行にも役立つ。このような行為が犯罪の幇助にあたるのは、犯罪に利用されるという一般的な可能性では足りず、それを超えるような具体的な侵害に利用される状況がなければならない。そして、行為者のところでその認識がなければならない。