第03週 不作為犯論 (2014.04.21-23)
(1)行為主義の原則――「犯罪は行為である」
・刑法の目的としての法益保護
犯罪 形式的に理解すると、刑法が刑罰を科すと定めた行為
実質的に理解すると、法益を侵害(または危殆化〔危険にさらす〕)する行為
刑法の目的 法益侵害である犯罪を防止・回避すること=法益を保護すること
・刑法が法益保護のために犯罪を規定する方式→「~~した者は」
「~~をして、行為客体の状態を変化させ、その法益を侵害または危殆化した者は」
結果犯と行為犯(単純行為犯・挙動犯)
結果犯 行為は行為客体に向けられ、その状態を変化・悪化させる(殺人罪)
行為犯 行為は行為客体に向けられるが、その状態を変化させない(住居侵入罪)
実質犯と形式犯
実質犯 行為による法益の侵害・危殆化が要件(殺人罪・遺棄罪)
実質犯の2類型 「法益の侵害」(侵害犯)と「法益の危殆化」(危険犯)
侵害犯 殺人罪 生命の侵害により既遂。生命侵害の危険みの場合、殺人未遂。
危険犯 遺棄罪 要扶助者の生命・身体の危険によって既遂に達する。
形式犯 行為による法益侵害・危殆化は不要(道交法の免許不携帯罪)
・法益の侵害または危殆化の発生要因としての行為
行為主体が、行為客体に対して、外部から作用・影響を与えることによって、
行為客体が担っている法益を侵害する
外部からの物理的または因果的な作用は行為主体による「行為」によって与えられる
犯罪は行為である(行為主義)
・法益を侵害する行為の類型化=犯罪構成要件(構成要件要素としての構成要件的行為)
構成要件=違法行為類型(=法益を侵害または危殆化する行為の類型)
(2)結果犯の成立要件――行為の物理的・因果的作用
・犯罪は行為である → 行為による法益の侵害ないし法益の危殆化
行為 法益を侵害・危殆化する物理的・因果的な作用を有している
法益 行為の物理的・因果的な作用によって侵害・危殆化される
・行為の2類型としての「作為」と「不作為」
作為による法益侵害 → 犯罪として処罰されるのは原則として作為犯(~~した者は)
ただし、例外としての不作為犯(~~をしなかった者は)
→騒乱罪(106条)=作為犯、 多衆不解散罪(107条)=不作為犯
住居侵入罪(130条前段)=作為犯、 不退去罪(130条後段)=不作為犯
保護責任者遺棄罪(218条前段)=作為犯、同不保護罪(218条後段)=不作為犯
・作為犯と不作為犯の相違と共通性
相違 「~~をした」という身体の動(作為)
「~~をしなかった」という身体の静(不作為)
直接的な物理的・因果的な作用の有無という点において決定的に異なる
共通性 物理的・因果的な作用の「有」(作為)と「無」(不作為)を同視できるか?
作為の場合 法益侵害の(積極的)惹起(法益に対して危険な作用を加える)
不作為の場合 法益侵害の(消極的な)不防止(法益の危機を除去しない)
作為と不作為は同視できる!
例:作為犯である保護責任者遺棄罪(218前)から→同致死傷罪(219)に至る
遺棄行為から要扶助者の生命・身体の危険が生じ、要扶助者が負傷・死亡する
*遺棄 保護責任者が要扶助者から場所的に離れ、間隔を生じさせること
不作為犯である保護責任者不保護罪(218後)からも同致死傷罪(219)に至る 保護責任者の不保護から要扶助者の生命・身体の危険が生じ、要扶助者が死傷
*不保護 生命の維持に必要な保護をなさないこと
遺棄は作為形式であり、不保護は不作為形式であり、身体の動と静の形式は異なる。
しかし、作為だけでなく、不作為も、要扶助者の健康・生命の侵害の原因となりうる
ゆえに、作為と不作為を同視でき、作為犯と不作為犯は同一の章に規定できる。
・刑法は作為犯と「真正不作為犯」を条文において定めている
法文において作為が犯罪として処罰されることが明示されている(〔真正〕作為犯)
法文において不作為が犯罪として処罰されることが明示されている(真正不作為犯)
(3)真正不作為犯と不真正不作為犯
・作為と不作為の同視可能性
作為も不作為犯も法益侵害との関係において同視可能。→犯罪として処罰可能
いかなる作為・不作為がいかなる結果を発生させた場合に犯罪?→明確な規定が必要
あらかじめ法文でそれを明記することが必要である(罪刑法定主義上の要請)
従って、重大な結果が発生したことを理由に、明文規定なしに、
ある作為を処罰すること、またある不作為を処罰することは、罪刑法定主義に違反
→作為犯・不作為犯の双方にも処罰規定が必要(不作為犯は原則的に真正不作為犯)
・しかし、明文規定なしに不作為を処罰する「不真正不作為犯」を認めることが必要
乳児のミルクを取り上げて、衰弱させ、死亡させた場合→作為による殺人
乳児にミルクを与えず、衰弱させ、死亡させた場合
→作為なし。ゆえに殺人は不成立? それとも不作為による殺人が成立?
刑法199条は「人を殺した」と規定。この「人を殺した」とは、「作為によって人の
死の結果を発生させた」と解釈される。つまり、殺人罪の構成要件的結果は作為であり、
人の死という構成要件的結果は作為によって実現される。従って、199条の殺人罪の規
定は、作為による殺人を想定しているだけで、不作為には適用できない。
199条をこのように解釈すると、人の死の結果を不作為によって発生させた場合、
199条が不作為を処罰する規定ではないので、殺人罪として処罰できなくなる。
果たして、それでよいか。それとも、199条を不作為に適用して処罰するか?
処罰できない→作為による殺人の規定を不作為に適用するのは罪刑法定主義違反
殺人罪(199)は、その明文規定の形式から見れば、
人の生命を侵害しうる客観的に危険な行為=作為(殺人罪の構成要件的行為)によって
人の死(殺人罪の構成要件的結果)を惹起した場合に、その作為に適用され処罰される
そのような作為がなされていない不作為に作為犯の処罰規定を適用するのは問題
処罰できる→法文は「人を殺した」と規定し、「作為によって人を殺した」と規定して
いない。 確かに、人の生命は外部からの作用によって侵害される場合がほとんどであり、
「人を殺した」という条文は、まずもって「作為」による場合を意味している。しかし、
そのことを理由にして、「不作為」に殺人罪の条文の適用ができないとするのは妥当では
ない。ある人の生命が危険にさらされているにもかかわらず、それを除去する措置を講じ
ずに、死亡させた場合、危険除去の措置を講じなった不作為を殺人として処罰すべきであ
るし、また処罰することができる。
このように、通常は作為によって実現される犯罪の結果を不作為によって実現させた場
合の不作為犯を「不真正不作為犯」といい、それに作為犯の処罰規定を適用する。
(4)不真正不作為犯論の課題
・作為と不作為の物理的・因果的な構造の相違。
結果の惹起と結果発生の不防止の点において同視可能。
罪刑法定主義の観点から、条文において処罰される不作為を明記(真正不作為犯)
しかし、「不真正不作為犯」に適用される条文は、誰の、どのような不作為が処罰され
るかを明記していない。例えば、不作為の態度をとった人が複数人いるような場合、結果
の発生を防止しなかったのは誰なのか、誰の不作為が結果の発生と因果関係があるのかは、
明らかではない場合がある。
従って、不真正不作為犯という不作犯の形態を認める必要性があっても、重要なことは、
誰の、どの不作為が、作為による殺人と同じと見なすことができるのか、その不作為が殺
人罪の構成要件的行為といえるには、どのような要件を備えていることが必要であるのか
を「条文解釈」」を通じて明らかにすることである。
・不真正不作為犯論の課題
Aは海で溺れているXを助けずに、その場を立ち去った(不作為)
「立ち去る」というのは、身体の動であり、作為のようにも見えるが、
その作為は、溺死という殺人罪の構成要件的結果を発生させる危険な作為ではない。
論ずるべきは、溺死を防止する義務(救助義務)に反して何もしなかった不作為
しかし、浜辺にはAのみならず、B、C、D……も居合わせた。誰も救助しなかった。
誰に救助義務が課せられていたのか? 誰の不作為が殺人罪の構成要件的行為なのか?
○保障人的地位に基づく作為義務の発生(保障人的地位+作為の可能性・容易性)
作為義務(Xを救助する義務)は、法益の確保と維持を保障すべき人(保障人)の義務
法律、契約・事務管理、慣習・条理(先行行為)→一定の作為義務の発生を根拠づける
作為の可能性と容易性
Aの身体能力、海の状況などを踏まえ、泳いで救助することが可能・容易であったか
○保障人の不作為(作為義務に反した不作為)と結果との因果関係
その不作為と結果の因果関係をいかにして認定するか?
期待された作為を尽くして救助していたならば、結果の発生は回避できたのであろう
保護責任者遺棄致死罪の事案に関する最高裁の立場
Aはホテルの客室で少女Xに覚せい剤を注射したところ、錯乱状態になったので、放置
して、その場を離れた。その後、Xは死亡した。
覚せい剤の注射(先行行為)からXの生命・身体の安全を確保する保護義務が発生
保護義務を果たさなかった不作為(保護責任者による遺棄(218))と死亡の因果関係は?
「直ちに被告人が救急医療を要請していれば、……十中八九同女の救命が可能」であり、
同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であった」(最決平成元・12・15刑集43
巻13号879頁)。措置を講じていたなら、救命は確実であり、それを疑う合理的な理由は
ない。→「十中八九(高い確立で)救命できた」(「確実に救命できた」ではない)
(5)判例の動向
・不作為による放火罪
Aは、義父Xを室内で殺害後、その際に投げた木片の火が内庭のわらに引火していたに
もかかわらず、義父の殺害の罪跡を隠滅するために、消火せず、住宅を焼損した。
住宅の占有者・所有者はAであり、Aに消し止めるべき法律上の義務あり、かつ容易に
消し止め得る地位にあった。さらに、既発の火力を利用する意思があった。
(大判大正7・12・18刑録24輯1558頁)
Aは自己が点火したロウソクが神符(しんぷ)の方に傾いているのを認識しながら、火
事になれば保険金が手に入ると考えて、そのまま外出した
過失により火のついたロウソクが傾いた先行行為と家屋の管理・支配状態→消火義務
(大判昭和13・3・11刑集17巻237頁)
*既発の火力の利用意思(住宅が焼損することの認識)=構成要件的故意?
Aは残業中に事務室で仮眠したが、その間に自分の机の下に放置した火鉢から書類や机
に火が燃え移っているにもかかわらず、自己の失策の発覚を恐れて、そのまま立ち去った
残業職員として事務室を使用し管理していたこと、消火の必要性・容易性→消火義務
ただし、既発の火力の利用意思は消火義務の発生要件としては挙げられていない。
(最判昭和33・9・9刑集12巻13号2882頁)
・不作為による殺人罪
○食物の不給付
貰い受けた嬰児に食事を与えなかった→死亡(大判大正4・2・10刑録21輯90頁)
生後8ヵ月の子どもに食事を与えなかった→死亡
(名古屋地岡崎支昭和43・5・30下刑集10巻5号580頁)
○嬰児の不救助
子どもを便槽内に産み落とし、殺意に基づき助けなかった→死亡
(福岡地久留米支昭和46・3・8判タ264号403頁)
作為義務の発生根拠
子どもが被告人の支配下にあること、子どもの生活が被告人に依存していること
○医療措置の不給付
住み込みの従業員に暴行を加え、重篤になったにもかかわらず放置→死亡
(東京地八王子支昭和57・12・22判タ494号142頁)
作為義務の発生根拠
暴行という先行行為、従業員との雇用関係、被害者が行為者の支配領域にいたこと(住
み込み)、生活が被告人に依存していた、医師の治療を受けさせることが容易であった
暴行→医師の措置を与えずに、放置→死亡
行為後に行為者の行為が介入した事例の因果関係の問題として考えるべき
○置去り
交通事故を起こし、負傷者を車に乗せ、病院に向かう途中で、事故の責任が問われるの
を恐れ、負傷者を適当な場所に置去りにして、死亡させた
(東京地判昭和40・9・30下刑集7巻9号1828頁)
(東京高判昭和46・3・4高刑集24巻1号168頁)
交通事故を起こし、負傷者を車に乗せたという先行行為とそれによって負傷者が被告人
の支配下にあるという状態が救命義務を根拠づけている
交通事故→放置→死亡
行為後に行為者の行為が介入した事例の因果関係の問題として考えるべき
第3週 練習問題
・不真正不作為犯論の重要な課題として「作為義務の発生根拠」をめぐる問題がある。
作為義務が発生するための要件と結果との因果関係の認定方法について述べなさい。
・「不真正不作為を認めることは罪刑法定主義に違反する」という主張を論証しなさい。
・交通事故を起こし、負傷者を助けずにま逃走し、負傷者を死亡させた場合、何罪?
交通事故を起こし、負傷者を車に乗せ、その後、適当な場所に放置して死亡させた場合?
・不作為による保護責任者遺棄から死亡結果が発生した場合(覚せい剤の事例)と不作為
による殺人の場合を比べて、作為義務の内容・程度は同じか、それとも異なるか?
次回は「違法性と違法性阻却」です。
レジュメをできるだけ早くブログ「かのようにの法哲学」で見れるようにします。
(1)行為主義の原則――「犯罪は行為である」
・刑法の目的としての法益保護
犯罪 形式的に理解すると、刑法が刑罰を科すと定めた行為
実質的に理解すると、法益を侵害(または危殆化〔危険にさらす〕)する行為
刑法の目的 法益侵害である犯罪を防止・回避すること=法益を保護すること
・刑法が法益保護のために犯罪を規定する方式→「~~した者は」
「~~をして、行為客体の状態を変化させ、その法益を侵害または危殆化した者は」
結果犯と行為犯(単純行為犯・挙動犯)
結果犯 行為は行為客体に向けられ、その状態を変化・悪化させる(殺人罪)
行為犯 行為は行為客体に向けられるが、その状態を変化させない(住居侵入罪)
実質犯と形式犯
実質犯 行為による法益の侵害・危殆化が要件(殺人罪・遺棄罪)
実質犯の2類型 「法益の侵害」(侵害犯)と「法益の危殆化」(危険犯)
侵害犯 殺人罪 生命の侵害により既遂。生命侵害の危険みの場合、殺人未遂。
危険犯 遺棄罪 要扶助者の生命・身体の危険によって既遂に達する。
形式犯 行為による法益侵害・危殆化は不要(道交法の免許不携帯罪)
・法益の侵害または危殆化の発生要因としての行為
行為主体が、行為客体に対して、外部から作用・影響を与えることによって、
行為客体が担っている法益を侵害する
外部からの物理的または因果的な作用は行為主体による「行為」によって与えられる
犯罪は行為である(行為主義)
・法益を侵害する行為の類型化=犯罪構成要件(構成要件要素としての構成要件的行為)
構成要件=違法行為類型(=法益を侵害または危殆化する行為の類型)
(2)結果犯の成立要件――行為の物理的・因果的作用
・犯罪は行為である → 行為による法益の侵害ないし法益の危殆化
行為 法益を侵害・危殆化する物理的・因果的な作用を有している
法益 行為の物理的・因果的な作用によって侵害・危殆化される
・行為の2類型としての「作為」と「不作為」
作為による法益侵害 → 犯罪として処罰されるのは原則として作為犯(~~した者は)
ただし、例外としての不作為犯(~~をしなかった者は)
→騒乱罪(106条)=作為犯、 多衆不解散罪(107条)=不作為犯
住居侵入罪(130条前段)=作為犯、 不退去罪(130条後段)=不作為犯
保護責任者遺棄罪(218条前段)=作為犯、同不保護罪(218条後段)=不作為犯
・作為犯と不作為犯の相違と共通性
相違 「~~をした」という身体の動(作為)
「~~をしなかった」という身体の静(不作為)
直接的な物理的・因果的な作用の有無という点において決定的に異なる
共通性 物理的・因果的な作用の「有」(作為)と「無」(不作為)を同視できるか?
作為の場合 法益侵害の(積極的)惹起(法益に対して危険な作用を加える)
不作為の場合 法益侵害の(消極的な)不防止(法益の危機を除去しない)
作為と不作為は同視できる!
例:作為犯である保護責任者遺棄罪(218前)から→同致死傷罪(219)に至る
遺棄行為から要扶助者の生命・身体の危険が生じ、要扶助者が負傷・死亡する
*遺棄 保護責任者が要扶助者から場所的に離れ、間隔を生じさせること
不作為犯である保護責任者不保護罪(218後)からも同致死傷罪(219)に至る 保護責任者の不保護から要扶助者の生命・身体の危険が生じ、要扶助者が死傷
*不保護 生命の維持に必要な保護をなさないこと
遺棄は作為形式であり、不保護は不作為形式であり、身体の動と静の形式は異なる。
しかし、作為だけでなく、不作為も、要扶助者の健康・生命の侵害の原因となりうる
ゆえに、作為と不作為を同視でき、作為犯と不作為犯は同一の章に規定できる。
・刑法は作為犯と「真正不作為犯」を条文において定めている
法文において作為が犯罪として処罰されることが明示されている(〔真正〕作為犯)
法文において不作為が犯罪として処罰されることが明示されている(真正不作為犯)
(3)真正不作為犯と不真正不作為犯
・作為と不作為の同視可能性
作為も不作為犯も法益侵害との関係において同視可能。→犯罪として処罰可能
いかなる作為・不作為がいかなる結果を発生させた場合に犯罪?→明確な規定が必要
あらかじめ法文でそれを明記することが必要である(罪刑法定主義上の要請)
従って、重大な結果が発生したことを理由に、明文規定なしに、
ある作為を処罰すること、またある不作為を処罰することは、罪刑法定主義に違反
→作為犯・不作為犯の双方にも処罰規定が必要(不作為犯は原則的に真正不作為犯)
・しかし、明文規定なしに不作為を処罰する「不真正不作為犯」を認めることが必要
乳児のミルクを取り上げて、衰弱させ、死亡させた場合→作為による殺人
乳児にミルクを与えず、衰弱させ、死亡させた場合
→作為なし。ゆえに殺人は不成立? それとも不作為による殺人が成立?
刑法199条は「人を殺した」と規定。この「人を殺した」とは、「作為によって人の
死の結果を発生させた」と解釈される。つまり、殺人罪の構成要件的結果は作為であり、
人の死という構成要件的結果は作為によって実現される。従って、199条の殺人罪の規
定は、作為による殺人を想定しているだけで、不作為には適用できない。
199条をこのように解釈すると、人の死の結果を不作為によって発生させた場合、
199条が不作為を処罰する規定ではないので、殺人罪として処罰できなくなる。
果たして、それでよいか。それとも、199条を不作為に適用して処罰するか?
処罰できない→作為による殺人の規定を不作為に適用するのは罪刑法定主義違反
殺人罪(199)は、その明文規定の形式から見れば、
人の生命を侵害しうる客観的に危険な行為=作為(殺人罪の構成要件的行為)によって
人の死(殺人罪の構成要件的結果)を惹起した場合に、その作為に適用され処罰される
そのような作為がなされていない不作為に作為犯の処罰規定を適用するのは問題
処罰できる→法文は「人を殺した」と規定し、「作為によって人を殺した」と規定して
いない。 確かに、人の生命は外部からの作用によって侵害される場合がほとんどであり、
「人を殺した」という条文は、まずもって「作為」による場合を意味している。しかし、
そのことを理由にして、「不作為」に殺人罪の条文の適用ができないとするのは妥当では
ない。ある人の生命が危険にさらされているにもかかわらず、それを除去する措置を講じ
ずに、死亡させた場合、危険除去の措置を講じなった不作為を殺人として処罰すべきであ
るし、また処罰することができる。
このように、通常は作為によって実現される犯罪の結果を不作為によって実現させた場
合の不作為犯を「不真正不作為犯」といい、それに作為犯の処罰規定を適用する。
(4)不真正不作為犯論の課題
・作為と不作為の物理的・因果的な構造の相違。
結果の惹起と結果発生の不防止の点において同視可能。
罪刑法定主義の観点から、条文において処罰される不作為を明記(真正不作為犯)
しかし、「不真正不作為犯」に適用される条文は、誰の、どのような不作為が処罰され
るかを明記していない。例えば、不作為の態度をとった人が複数人いるような場合、結果
の発生を防止しなかったのは誰なのか、誰の不作為が結果の発生と因果関係があるのかは、
明らかではない場合がある。
従って、不真正不作為犯という不作犯の形態を認める必要性があっても、重要なことは、
誰の、どの不作為が、作為による殺人と同じと見なすことができるのか、その不作為が殺
人罪の構成要件的行為といえるには、どのような要件を備えていることが必要であるのか
を「条文解釈」」を通じて明らかにすることである。
・不真正不作為犯論の課題
Aは海で溺れているXを助けずに、その場を立ち去った(不作為)
「立ち去る」というのは、身体の動であり、作為のようにも見えるが、
その作為は、溺死という殺人罪の構成要件的結果を発生させる危険な作為ではない。
論ずるべきは、溺死を防止する義務(救助義務)に反して何もしなかった不作為
しかし、浜辺にはAのみならず、B、C、D……も居合わせた。誰も救助しなかった。
誰に救助義務が課せられていたのか? 誰の不作為が殺人罪の構成要件的行為なのか?
○保障人的地位に基づく作為義務の発生(保障人的地位+作為の可能性・容易性)
作為義務(Xを救助する義務)は、法益の確保と維持を保障すべき人(保障人)の義務
法律、契約・事務管理、慣習・条理(先行行為)→一定の作為義務の発生を根拠づける
作為の可能性と容易性
Aの身体能力、海の状況などを踏まえ、泳いで救助することが可能・容易であったか
○保障人の不作為(作為義務に反した不作為)と結果との因果関係
その不作為と結果の因果関係をいかにして認定するか?
期待された作為を尽くして救助していたならば、結果の発生は回避できたのであろう
保護責任者遺棄致死罪の事案に関する最高裁の立場
Aはホテルの客室で少女Xに覚せい剤を注射したところ、錯乱状態になったので、放置
して、その場を離れた。その後、Xは死亡した。
覚せい剤の注射(先行行為)からXの生命・身体の安全を確保する保護義務が発生
保護義務を果たさなかった不作為(保護責任者による遺棄(218))と死亡の因果関係は?
「直ちに被告人が救急医療を要請していれば、……十中八九同女の救命が可能」であり、
同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であった」(最決平成元・12・15刑集43
巻13号879頁)。措置を講じていたなら、救命は確実であり、それを疑う合理的な理由は
ない。→「十中八九(高い確立で)救命できた」(「確実に救命できた」ではない)
(5)判例の動向
・不作為による放火罪
Aは、義父Xを室内で殺害後、その際に投げた木片の火が内庭のわらに引火していたに
もかかわらず、義父の殺害の罪跡を隠滅するために、消火せず、住宅を焼損した。
住宅の占有者・所有者はAであり、Aに消し止めるべき法律上の義務あり、かつ容易に
消し止め得る地位にあった。さらに、既発の火力を利用する意思があった。
(大判大正7・12・18刑録24輯1558頁)
Aは自己が点火したロウソクが神符(しんぷ)の方に傾いているのを認識しながら、火
事になれば保険金が手に入ると考えて、そのまま外出した
過失により火のついたロウソクが傾いた先行行為と家屋の管理・支配状態→消火義務
(大判昭和13・3・11刑集17巻237頁)
*既発の火力の利用意思(住宅が焼損することの認識)=構成要件的故意?
Aは残業中に事務室で仮眠したが、その間に自分の机の下に放置した火鉢から書類や机
に火が燃え移っているにもかかわらず、自己の失策の発覚を恐れて、そのまま立ち去った
残業職員として事務室を使用し管理していたこと、消火の必要性・容易性→消火義務
ただし、既発の火力の利用意思は消火義務の発生要件としては挙げられていない。
(最判昭和33・9・9刑集12巻13号2882頁)
・不作為による殺人罪
○食物の不給付
貰い受けた嬰児に食事を与えなかった→死亡(大判大正4・2・10刑録21輯90頁)
生後8ヵ月の子どもに食事を与えなかった→死亡
(名古屋地岡崎支昭和43・5・30下刑集10巻5号580頁)
○嬰児の不救助
子どもを便槽内に産み落とし、殺意に基づき助けなかった→死亡
(福岡地久留米支昭和46・3・8判タ264号403頁)
作為義務の発生根拠
子どもが被告人の支配下にあること、子どもの生活が被告人に依存していること
○医療措置の不給付
住み込みの従業員に暴行を加え、重篤になったにもかかわらず放置→死亡
(東京地八王子支昭和57・12・22判タ494号142頁)
作為義務の発生根拠
暴行という先行行為、従業員との雇用関係、被害者が行為者の支配領域にいたこと(住
み込み)、生活が被告人に依存していた、医師の治療を受けさせることが容易であった
暴行→医師の措置を与えずに、放置→死亡
行為後に行為者の行為が介入した事例の因果関係の問題として考えるべき
○置去り
交通事故を起こし、負傷者を車に乗せ、病院に向かう途中で、事故の責任が問われるの
を恐れ、負傷者を適当な場所に置去りにして、死亡させた
(東京地判昭和40・9・30下刑集7巻9号1828頁)
(東京高判昭和46・3・4高刑集24巻1号168頁)
交通事故を起こし、負傷者を車に乗せたという先行行為とそれによって負傷者が被告人
の支配下にあるという状態が救命義務を根拠づけている
交通事故→放置→死亡
行為後に行為者の行為が介入した事例の因果関係の問題として考えるべき
第3週 練習問題
・不真正不作為犯論の重要な課題として「作為義務の発生根拠」をめぐる問題がある。
作為義務が発生するための要件と結果との因果関係の認定方法について述べなさい。
・「不真正不作為を認めることは罪刑法定主義に違反する」という主張を論証しなさい。
・交通事故を起こし、負傷者を助けずにま逃走し、負傷者を死亡させた場合、何罪?
交通事故を起こし、負傷者を車に乗せ、その後、適当な場所に放置して死亡させた場合?
・不作為による保護責任者遺棄から死亡結果が発生した場合(覚せい剤の事例)と不作為
による殺人の場合を比べて、作為義務の内容・程度は同じか、それとも異なるか?
次回は「違法性と違法性阻却」です。
レジュメをできるだけ早くブログ「かのようにの法哲学」で見れるようにします。