023侵害の急迫性(最一決昭和52・7・21刑集31巻4号747号)
【事案の概要】
A派に属する被告人ら(X・Y)は、某ホールにいたところ、対立するB派から襲撃を受けたため、木刀や鉄パイプなどで反撃し、撤退させた。被告人Xらは、B派が再び襲撃してくると予期し、同ホールの入口にバリケードを築いていたところ、予期していたとおりB派が来襲し、バリケード越しに鉄パイプを投げ込むなどした。そのため、被告人Yらも鉄パイプで突くなど応戦した。被告人Xらは、警察官に逮捕された。
第1審は、Xの行為について、凶器準備集合罪、暴力行為等処罰法1条違反の罪の成立を認めた。Yの行為については、B派による不正の侵害が予期されていたとはいえ、それによって不正の侵害の急迫性が否定されるわけではないとして、正当防衛の成立を認めた。
第2審は、YらがB派の襲撃を予期していたので、予期された不正の侵害には急迫性は認められないとして、第1審判決を破棄し、差し戻した。被告人・弁護人は、上告した。
【争点】
不正の侵害を予期しながら、それを待ち構え、その侵害が行われたときに、それに反撃した場合でも、「急迫不正の侵害」に対する反撃である以上、正当防衛として扱われるのか。それとも、不正の侵害が予期されていたのであるから、それはもはや急迫ではなかったとして、正当防衛の成立の前提要件は否定されるのか。そもそも急迫不正の侵害にいう急迫とは、どのような意味か。
急迫という要件を「突然に」、「不意に」と解するならば、行為者が不正の侵害が行われることを予期して場合には、急迫性は否定されることになろう。これに対して、急迫性とは、不正の侵害が自己または他人の権利に対して切迫した状況をいうのであるから、たとえ行為者にそれが予期されていても、なおも急迫性が認められる余地はあるのではないだろうか。
ただし、予期された侵害が現実にしかけられてきたとき、それに乗じて積極的に侵害を加える意思(積極的加害意思)で行為に出た場合、つまり防衛行為を仮装して行為に出た場合は、それは急迫不正の侵害に対して行った防衛行為とはいえない。その限りでは、不正の侵害の急迫性は否定される。
【裁判所の判断】
刑法36条が正当防衛については侵害の急迫性を要件としているのは、予期された侵害を避けるべき義務を課す趣旨ではないから、当然またはほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではないと解するのが相当であり、これとは異なる原判断(第2次襲撃はYらが予想していたものであって、急迫性は認められない。従って暴力行為等処罰法1条違反の罪が成立する)は、その限度において違法というほかない。しかし、同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて、予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機会を利用して積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である。そうして、原判決によると、被告人Yは、相手の攻撃を当然に予想しながら、単なる防衛の意図ではなく、積極的攻撃、闘争、加害の意図をもって臨んだというのであるから、これを前提とする限り、侵害の急迫性の要件を満たさないというべきものであって、その旨の原判断は、結論において正当である。
【解説】
刑法36条1項は、急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しないと定めている。たとえ、被害者の生命や健康を害する行為を行っても(殺人罪や傷害罪の構成要件該当為を行っても)、自己または他人の生命や健康を防衛するために必要で相当な行為であった場合には、その違法性が阻却され、処罰されない。これが正当防衛である。
正当防衛にあたる行為の場合、それを行う者には、自己または他人が侵害者の急迫で不正な侵害の危機にさらされていると認識し、その侵害から権利を守る意思に基づいて、侵害者に防衛行為を行なっているというのが一般である。防衛行為者が、その行為から侵害者の負傷や死亡が発生することを認識している場合もあれば、認識していない場合もあるが、そのような認識があっても、(故意の)傷害罪や殺人罪の構成要件に該当する行為の違法性は阻却される。
しかしながら、被害者との間に対立・抗争状態が続いているため、不正の侵害が予想される場合もある。いつ、誰によって、どのような侵害が加えられるかといった具体的な内容までは予想できなくても、過去の経験から、おおよその侵害が予想される場合がある。このように予期された不正な侵害を急迫不正の侵害ということができるだろうか。判例では、侵害が予期されていたことを理由に、ただちに不正な侵害の急迫性が否定されるわけではないと解している。ただし、予期された不正の侵害に乗じて(侵害に対する防衛を仮装して)、侵害者に対して積極的に害を加える目的で行為を行った場合(積極的加害意思がある場合)、侵害者による不正の侵害の急迫性は否定されると判断している。急迫性が否定されれば、もはや正当防衛にあたるか否かを論ずることはできない。
なお、行為者が、不正の侵害を予期しておらず、たんに相手方に害を加えるつもりでしかなかった場合、防衛の意思がないので、主観的には正当化できなくても、客観的には正当防衛が成立しているといえるのではないかと争いがある。これが「偶然防衛」の問題である。客観的には急迫不正の侵害があるが、行為者はそれを認識していなかった。客観的には正当防衛であるが、主観的には防衛の意思に基づいていなかった。正当防衛の成立には防衛の意思が必要であるとする判例の立場(防衛の意思必要説)からは、正当防衛の成立は否定される。これに対して、防衛の意思は不要であるとする立場(防衛の意思不要説)からは、正当防衛が認められる。
023侵害の急迫性(最2決平29・4・26刑集71巻4号275頁)
【事実の概要】
被告人は、犯行前日の午後4時30分頃、知人のAに自宅(マンション6階)の玄関扉を消火器で何度も叩かれ、その頃から翌日の午前3時頃までの間、繰り返し電話で怒鳴られるなど、身に覚えのない因縁を付けられ、立腹していた。同日午前4時2分頃、自宅にいた被告人は、Aから、マンションの前に来ているから降りてくるよう呼び出されて、自宅にあった包丁をにタオルを巻き、それをズボンの腰部右後ろに差し込んで、自宅マンション前の路上に赴いた。被告人を見つけたAがハンマーをもって被告人の方に駆け寄ってきたが、被告人は、Aに包丁を示すなどの威嚇的行動をとることなく、Aに近づき、ハンマーで殴りかかってきたAの攻撃を防ぎながら、包丁を取り出し、殺意をもってAの胸部を包丁で1回強く刺して殺害した。
弁護人は正当防衛・過剰防衛の成否を争ったが、第1審(大阪地裁)は、被告人には積極的加害意思があったとして、それを排斥した。控訴審(大阪高裁)はも侵害の予期と積極的加害意思を認めて、被告人の控訴を棄却した。これに対して被告人が上告を申し立てた。
【争点】
正当防衛が成立するためには、急迫不正の侵害に対する行為であることを要する。この急迫性は、侵害が切迫しているとか、それが現に行われている場合に認めることができる。たとえ、侵害が予期されていても、それを理由に侵害の急迫性が否定されるわけではない。ただし、予期された侵害が現実のものとなり、それに乗じて積極的に害を加える意思に基づいていた場合には、侵害の急迫性が否定されると解されている。
このような判断が示されたのは、凶器準備集合罪や暴力行為等処罰法違反罪の事案であった。A派に属する被告人ら(X・Y)が対立するB派を反撃し、撤退させた後、被告人Xらは、B派が再び襲撃してくると予期し、同ホールの入口にバリケードを築いていたところを応戦したという事案である。この事案の特徴は、A派の被告人らは、ある場所にとどまって、B派が襲撃をかけてくるのを予期していた事案であり、被告人らがわざわざB派のところに出向いたのではなかった。その限りにおいて侵害が予期されただけでは、急迫性が否定されないと判断された。しかし、事案が異なれば、予期された侵害の急迫性の認定も変わる可能性もある。
本件では、被告人は、Aが凶器を用いるなどして暴行を加えてくること、しかもAの呼び出しに応じて現場に赴けば、Aから凶器を用いるなどした暴行を加えられることを十分に予期していていた。では、被告人はAの帯びだしに応じる義務があったのかというと、Aの呼び出しに応じる必要はなく、自宅にとどまって警察の援助を受けることができた。それにもかかわらず、包丁を準備した上、Aの待つ場所に出向いていったのである。これは予期された侵害を自宅で迎え撃つというのではなく、予期された侵害の場所に出向いて、自ら臨んで攻撃をしかけたといえる。そして、Aがハンマーで攻撃してくると、包丁を示すなどの威嚇的・警告的な行動をとって対峙することなく、そのままAに近づき、Aの左側胸部を強く刺突したのである。
被告人がAの胸部を刺突する行為に先行する事情を含め、本件行為全般の状況に照らすと、被告人の本件行為は、刑法36条の趣旨に照らし、違法性が阻却される状況にあったといえるか。つまり、急迫不正の侵害に対する防衛行為といえるか。
【裁判所の判断】
上告棄却。
刑法36条は、急迫不正の侵害という緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることができないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したものである。したがって、行為者が侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合、侵害の急迫性の要件については、侵害を予期していたことから、直ちにこれが失われると解すべきではなく………対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきである。具体的には、事案に応じ、①行為者と相手方との従前の関係、②予期された侵害の内容、③侵害の予期の程度、④侵害回避の容易性、⑤侵害場所に出向く必要性、⑥侵害場所にとどまる相当性、⑦対抗行為の準備の状況(特に、凶器の準備の有無や準備した凶器の性状等)、⑧実際の侵害行為の内容と予期された侵害との関係、⑨行為者が侵害に及んだ状況、および⑩その際の意思内容等を考慮し、行為者がその機会を利用し積極的に相手方に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだとき………など前記のような刑法36条の趣旨に照らして許容されるものとはいえないような場合には、侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである。
前記………事実関係によれば、被告人は、Aの呼び出しに応じて現場に赴けば、Aから凶器を用いるなどした暴行を加えられることを十分に予期していながら、Aの呼び出しに応じる必要はなく、自宅にとどまって警察の援助を受けることが容易であったにもかかわらず、包丁を準備した上、Aの待つ場所に出向き、Aがハンマーで攻撃してくるや、包丁を示すなどの威嚇的行動をとることもしないままAに近づき、Aの左側胸部を強く刺突したものと認められる。このような先行事情を含めた本件行為全般の状況に照らすと、被告人の本件行為は、刑法36条の趣旨に照らし許容されるものとは認められず、侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである。
【解説】
本件の判断は、侵害が予期されていた場合でも、それを理由に侵害の急迫性は否定されず、それに乗じて積極的加害意思に基づいた場合には急迫性が否定されるとした従前の判例を踏襲しながら、判例の事案とは異なる本件の事案の特徴に即して、侵害の急迫性の存否を判断するための方法を示した。具体的には、事案に応じ、①行為者と相手方との従前の関係、②予期された侵害の内容、③侵害の予期の程度、④侵害回避の容易性、⑤侵害場所に出向く必要性、⑥侵害場所にとどまる相当性、⑦対抗行為の準備の状況(特に、凶器の準備の有無や準備した凶器の性状等)、⑧実際の侵害行為の内容と予期された侵害との関係、⑨行為者が侵害に及んだ状況、および⑩その際の意思内容等を考慮し、行為者がその機会を利用し積極的に相手方に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだとき………など前記のような刑法36条の趣旨に照らして許容されるものとはいえないような場合には、侵害の急迫性の要件を充たさないものと判断した。
024防衛の意思(最三判昭和50・11・28刑集29巻10号983頁)
【事案の概要】
被告人は、友人Aとともに乗用車で走行中、人違いによりBらに声をかけたことから因縁をつけられ、酒食を強要された後、Bらを自動車で送り届けた。ところが、車から降りたBらが一斉にAに襲いかかり、一方的かつ執拗な暴行を加え始めた。被告人は、そのまま放置すればAの生命が危ういと考え、Aを救助する目的で自宅にあった散弾銃を携えて現場に駆け戻ったが、AおよびBらが見当たらず、Aの所在を探していた。
すると、Bに発見されて、「このやろう、殺してやる」などと追い掛けられたため、自分もBにつかまって暴行されると思い、Bが死亡するかもしれないことを認識しながら、散弾銃を発砲し、Bに加療4ヶ月を要する傷害を負わせた。
第1審は、被告人の行為について殺人未遂罪の成立を認め、刑法36条2項の過剰防衛の規定を適用した(Bからの急迫不正の侵害に対して、自分の生命を守るために、散弾銃を発砲し、加療4ヶ月を要する傷害を負わせた。被告人の行為は、Bからの急迫不正の侵害に対して、自己の生命・身体を防衛する意思に意思に基づいた行為であったが、防衛の程度を超えた過剰防衛であった。殺人未遂罪が成立するが、その刑を減軽または免除することができる)。
これに対して、第2審は、第1審判決を破棄し、防衛の意思を否定し、さらに急迫不正の侵害もなかったとして、殺人未遂罪の成立のみ認め、それに刑法36条2項を適用することを否定した(殺人未遂罪の刑を減軽または免除することはできない)。
被告人が上告した。
【争点】
正当防衛が成立するためには、「防衛するため」に行われていなければならない。この「防衛するため」とは、通説や判例では、防衛の意思に基づいていることと理解されている。つまり、行為者は自己または他人の権利を防衛する意思に基づいて行っているのであって、侵害者に対する攻撃の意思に基づいていないということである。
しかし、防衛するためには、侵害を排除する必要があり、そのためには侵害者を攻撃することもありうる。つまり、一方で防衛の意思に基づきながら、他方で侵害の意思も併存している場合もある。このように防衛の意思と攻撃の意思が併存する場合、攻撃の意思があったという理由から防衛の意思が否定されるのか。それとも防衛の意思を肯定できるのか。
本件の被告人の行為は、殺人未遂罪の構成要件に該当する。しかし、それは急迫不正の侵害から自己の権利を防衛するために行った行為であった(第1審の事実認定)。では防衛の意思に基づいていたのか。基づいていたというのであれば、あとは防衛行為の相当性を問題にし、防衛の程度を超えていれば、過剰防衛として扱えばよい。しかし、そもそも防衛の意思がなかったのであれば、防衛行為の相当性を検討する必要はない。したがって、過剰防衛の余地もなくなる。
【裁判所の判断】
原判決は、侵害者に対する攻撃の意思があったことを理由として、これを正当防衛のための行為にあたらないと判断し、ひいては被告人の本件行為を正当防衛のためのものにあたらないと評価した。そして、過剰防衛行為にあたるとした第1審判決を破棄した。
急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為は同時に侵害者に対する攻撃的な意図に出たものであっても、正当防衛のためにした行為にあたる。……なるほど、防衛に名を借りて侵害者に対して積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評することができる。
【解説】
正当防衛は、緊急避難とならんで、緊急行為の一種と言われている。急迫不正の侵害や現在の危難に見舞われている最中に、とっさの判断で行なった行為が、ある犯罪の構成要件に該当しても、正当防衛や緊急避難の要件をそろえている場合には、その違法性が阻却される。たんに不正の侵害や危難に見舞われているというだけでは、だめである。急迫な侵害、危難が現在していなければならない。それゆえに、正当防衛も緊急避難も緊急行為といわれている。
緊急状況下においては、とっさの判断で行動に出るので、その行為からどのような結果が発生するかを正確に認識していない場合が多い。しかし、用いる方法や手段の特性から、発生する結果が自ずと明らかな場合もある。つまり、防衛の意思で行いながらも、それによって相手方が被害を被るという攻撃の意思が併存している場合もある。このように防衛の意思と攻撃の意思が併存している場合、防衛の意思を認めることができるか。本件は、その問題に対して、最高裁として一定の立場を示したものである。
025防衛行為の相当性(最二判平成元・11・13刑集43巻10号823頁)
【事案の概要】
被告人Xが路上に停めていた自動車によって、自車の進行に困難を感じたA(39才)が、Xに対して怒号を浴びせるなどしたため、これに立腹したXが、「言葉使いに気をつけろ」と言ったところ、Aは「お前、殴られたいのか」と言いつつ、手拳を前に突き出し、足蹴りを上げる動作をしながらXに近付いた。怖くなったXは、自車の方へ後ずさりすると、Aはさらに目前まで迫ってきた。
そのときXは、普段から果物の皮むきなどに用いている刃体の長さ約17・7センチメートルの菜切り包丁が自車のなかにあることを思い出し、Aを脅して危害から逃れるために、これを車内から取り出して、右手で腰のあたりに構えた上、約3メートル離れてAと対峙し、Aに対して、「殴れるのなら殴ってみい」と言った。Aは、これに動じることなく「刺すんやったら、刺してみい」と言いながら、2、3歩近づいてきた。被告人Xは、Aに対して、「切られたいんか」と申し向けた。
Xは示凶器脅迫罪(暴力行為等処罰法1条)および刃物不法携帯罪(銃砲刀剣類等取締法22条)で逮捕、起訴された。
【争点】
手拳を突き出し、足蹴りの動作をして迫り来る相手に対して、菜切り包丁で構える行為は、正当防衛にあたるか。
AがXに手拳を突き出すなどする行為は、Xにとって急迫不正の侵害にあたる。
Xは自己の権利を防衛するために行為に出た。その行為は、菜切り包丁を腰に当てて、Aに近づかないよう脅迫する行為であった。
この行為は、Xが自分の身を守る意思に基づいて行われた。
では、防衛行為の相当性は?
【裁判所の判断】
原判決が……防衛行為としての相当性の範囲を逸脱した……と判断したのは、刑法36条1項の「已ムコトヲ得サルニに出タル行為」の解釈適用を誤ったものと言わざるをえない。……被告人は、年齢も若く体力にも優れたAから、「お前、殴られたいのか」と言って、手拳を前に突き出し、足を蹴り上げる動作を示されながら近づかれ、後ずさりするXを追いかけられて目前に迫られたため、その接近を防ぎ、同人からの危害を逃れるため、やむなく本件菜切包丁を手に取った上、腰あたりに構え、「切られたいんか」などと言ったというものであって、Aからの危害を避けるための防御的な行為に終始していたものであるから、その行為をもって防衛手段としての相当性の範囲を超えたものということはできない。
【解説】
かつて判例は、暴行や傷害、傷害致死、殺人などの行為について正当防衛の正否が問題になった事案では、いわゆる「武器対等の原則」に基づいて、防衛行為の相当性を判断してきた。すなわち、急迫不正の侵害が素手で行われた場合には、防衛行為もまた素手で行うべきであり、凶器のようなものを用いた場合には、そのことをもって防衛行為の相当性を否定し、過剰防衛としてきた。本件事案の原審もまた、この判断基準に基づいて、相当性を否定し、過剰防衛にした。
これに対して、最高裁は、この「武器対等の原則」を機械的・形式的に適用せず、それを修正ないし実質化して、防衛行為の相当性を判断した。つまり、侵害者と防衛者の関係、例えば性別、年齢、肉体的・身体的な相違、体力・腕力の差、侵害者と防衛者の距離関係、侵害者が素手の場合の防衛者による凶器の用い方などを考慮に入れて、防衛行為の相当性を判断する方法を採用した。そもそも正当防衛は、防衛行為を行って相手方に与えた侵害が、相手方による急迫不正の侵害よりも大きくても正当化される。そうすると、侵害の方法・程度と防衛の方法・程度は、武器対等の原則を機械的に適用して、対等性・平等性を求める必要はないといえる。
AがXに対して、手拳を前に突きだし、足蹴りをするなどして接近してきたが、これによってXは後づさりすることを余儀なくされ、さらにAが目前にまで迫ってきた。これは、Xの身体に対する急迫不正の侵害にあたると解される。Xは、それに対して、自己の身を守るために、一定の防衛行為を行なう必要があったが、菜切包丁を腰のあたりにかまえて、「着られたいんか」と述べた行為が、防衛行為として相当であるといえるかは、必ずしも明らかではない。長さ17センチメートルもの刃物を構えて、脅迫するのは、やりすぎということもできるが、Aが39才で(Xよりも)若く、体力にも優れていることから、Xが菜切包丁で対抗するのもありえ、また攻撃的な動作ではなく、防御的な動作に終始していたというのであるから、防衛行為の相当性を超えていたということはできないであろう。
026自招侵害(最二決平成20・6・20刑集62巻6号1786頁)
【事案の概要】
被害者Aは、自転車にまたがったまま、歩道に設置されたごみ集積所にごみを捨てていたところ、徒歩で帰宅途中の被告人Xが、その姿を不審に感じて声をかけるなどしたところから、両者は言い争いになった。Xは、いきなりAの左ほおを手拳で1回殴打し、直後に走って立ち去った(Xの第1暴行)。Aは、「待て」などと言いながら、自転車でXを追いかけ、現場から26・5メートル先を左折して約60メートル進んだ歩道上でXに追い付き、自転車に乗ったまま、水平に伸ばした右腕で、後方から被告人の背中の上部または首付近を殴打した(Aの第2暴行)。Xは、Aの攻撃によって前方に倒れたが、起き上がり、護身用に携帯していた特殊警棒を衣服から取り出し、Aの顔面や左手を数回殴打する暴行を加え、加療約3週間を要する顔面挫傷、左手小指中間接骨折の傷害を負わせた(被告人の本件行為)。Xは傷害罪で起訴された。
第1審は、本件は一連のケンカ決闘というべきであるから、原則的に正当防衛の観念を入れる余地はなく、またAの素手での攻撃に対して、被告人は特殊警棒を用いているので、正当防衛として論ずることはできないとした(防衛行為の相当性が否定されるので、正当防衛として論ずることはできないという意味か? そうであれば、過剰防衛として論ずることはできる余地はあえるということか?)。
これに対して被告人が控訴した。第2審は、Aの被告人に対する第2暴行は、被告人のAに対する第1暴行によって招かれたものであり、第2暴行は第1暴行と時間的・場所的にも接着し、継続性があり、Aが第2暴行に出ることは被告人の第1暴行との関係で通常予想される範囲を超えているとまでは言い難いから、Aの被告人に対する第2暴行は不正な侵害であるとしても、急迫性を認めることはできないから、正当防衛を論ずることはできないと判断した。
これに対して、被告人が上告した。
【争点】
伝統的には、ケンカは「喧嘩両成敗」の考えに基づいて、双方ともに処罰されることで問題を解決してきた。従って、先に手を出した方だけが処罰されるとか、後から反撃したから処罰を免れるといったことはなかった。つまり、ケンカについては正当防衛は問題になりえなかった。
しかし、ケンカであることで、正当防衛を論じられないのはなぜか。その理由ははっきりしなかった。ケンカが正当防衛にならないのであれば、それは正当防衛の要件を満たしていないからだと考えざるをえないが、ケンカは正当防衛のどの要件を満たしていないのか。それを考えなければならない。
ケンカの最中では、相手の侵害が不正でないから、正当防衛は成立しえないからなのか。あるいは、ケンカである以上、相手の侵害は予期され、それに乗じて反撃するのだから、急迫性がなく、それゆえ正当防衛は問題にならないからなのか。急迫不正の侵害であっても、それに対する反撃は不必要だから、正当防衛にあたらないのか。これらの点は明瞭ではない。
ケンカの場合、反撃行為者が相手方から不正の侵害を自ら招いていることが多い(XがAに因縁をつけて、Aの侵害を誘発する)。これを自招防衛という。自招防衛に正当防衛が認められない場合、それは正当防衛のどの要件を欠いているからか。
【裁判所の判断】
被害者Aの攻撃は、被告人Xの暴行に触発された、その直後における近接した場所での一連、一体の事態ということができ、XはAの攻撃を自ら招いたものといえるから、Aの攻撃がXの前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては、被告人の本件傷害行為は、被告人において何らかの反撃に出ることが正当とされる状況における行為とはいえないというべきである。そうすると、正当防衛の成立を否定した原判断は、結論において正当である。
【解説】
急迫不正の侵害のなかには、防衛行為者によって故意または過失によって招かれたものがある。このような自招侵害に対して、防衛行為を行うことができるのか。これが自招防衛の問題である。侵害者の急迫不正の侵害を招いたのは、防衛者なのであるから、それを甘んじて受け入れるべきであり、反撃した場合には、正当防衛として違法性を阻却することはできない、と考えることもできる。しかし、防衛行為者が侵害者を挑発し、想定されていた程度を越える侵害が加えられてきた場合にまで、正当防衛が許されないと考えるのは妥当ではない。従って、通常予想される程度の侵害については、不正の侵害であっても、急迫性が否定され、それを超える部分の侵害については、なおも急迫性を認める余地があろう。その場合、侵害の全体に急迫性を認めるのではなく、あくまでも通常予想される程度を越えた部分の侵害についてのみ急迫性を認めるべきであろう。
027過剰防衛の成否(最一平成20・6・25刑集62巻6号1859頁)
【事案の概要】
Xは、AおよびBと一緒にいたVから呼び止められ、それに応じて、Vと共に犯行現場に移動した。するとVがXにいきなり殴りかかったため、Xはそれに応戦した。
そのころ、AおよびBが犯行現場に近づくなどしたため、Xは、1対3の関係にならないよう、Aらに対して「おれはやくざだ」などど述べて威嚇した。VはXを押さえつけていたが、XがVを離すようにしながら、その顔面を1回殴打した。
すると、Vは、その場にあったアルミ製灰皿を持ち上げ、Xに向けて投げつけた。Xは、それを避けながら、灰皿を投げた反動で大勢を崩したVの顔面を殴打したところ、Vは頭部から落ちるように転倒し、後頭部をタイル敷きの地面に打ち付け、仰向けに倒れたまま意識を失ったように動かなくなった(第1暴行)。
Xは、Vの状態を認識したが、憤激のあまり、「おれを甘く見ているな。おれに勝てるつもりでいるのか」などと言って、Vの腹部を足蹴りにしたり、足で踏みつけたり、さらに腹部に膝をぶつける等の暴行を加えた(第2暴行)。その後、Vは付近の病院に搬送されたが、第1暴行に起因する頭部殴打による頭蓋骨骨折に伴うクモ膜下出血により死亡した。なお、第2暴行の結果、Vは肋骨骨折等の傷害を負った。
第1審は、第1暴行は傷害罪の構成要件に該当するが、正当防衛にあたり、その後、Vからの急迫不正の侵害は終了しているので、第2暴行は傷害罪にあたり、2個の行為を全体として評価して、傷害致死罪が成立し、過剰防衛が成立すると判断した。
第2審は、第1暴行は正当防衛が成立し、第2暴行は正当防衛が成立しないと判断した点では第1審と同じであったが、Vによる侵害が継続していなかった点、Xは防衛の意思に基づいていなかった点を踏まえ、2個の行為を一体のものとして評価できる基礎を欠いているので、第1暴行と第2暴行を別個のものとして扱い、(死亡結果が第2暴行と因果関係があると認められないので)第2暴行を傷害罪として認定するにとどめ、それに過剰簿上の規定を適用しなかった。
被告人・弁護人が上告した。
【争点】
XとVが口論になったとはいえ、VがXにいきなり殴りかかるというのは、Xにとっては急迫不正の侵害に他ならない。それに対して、反撃し、顔面を殴打するなどの行為(第1暴行)は、自分の身を守るための防衛行為として相当性があると認めてよいように思われる。では、意識を失い動かなくなり、もはや急迫不正の侵害が終わった後に、Vの腹部を膝でけるなどした暴行(第2暴行)はどのように扱われるのか。第1暴行と第2暴行は、急迫不正の侵害の中断前後で2個に分かれるが、その関係はどのように扱われるべきか。
本件は、XがVの侵害が終わったことを認識しながら、(防衛の意思ではなく)攻撃の意思で暴行を継続した事案である。
【裁判所の判断】
第1暴行により転倒したVが、Xに対し更なる侵害行為に出る可能性はなかったのであり、Xは、そのことを認識した上で、専ら攻撃の意思に基づいて第2暴行に及んでいるのであるから、第2暴行が正当防衛の要件を満たさないことは明らかである。そして、両暴行は、時間的、場所的に連続しているものの、Vによる侵害の継続性およびXの防衛の意思の有無という点で、明らかに性質を異にし、Xが前記発言(おれを甘く見ているな。)をした上で抵抗不能の状態にあるVに対して相当に激しい態様の第2暴行い及んでいることにかんがみると、その間には断絶があるというべきであって、その反撃が量的に過剰になったものと認められない。そうすると、両暴行を全体的に考察して、1個の過剰防衛を認めるのは相当ではなく、正当防衛にあたる第1暴行については、罪に問うことはできないが、第2暴行については、正当防衛はもとより過剰防衛を論ずる余地もないのであって、これによりVに負わせた傷害につき、Xは傷害罪の責任を負うというべきである。以上と同旨の原判断は正当である。
【解説】
刑法36条2項は、急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するために、やむを得ずにした行為であっても、防衛の程度(防衛行為の相当性)を超えた場合には、違法性は阻却されない。これを過剰防衛という。違法性は阻却されないが、急迫不正の侵害に対処している部分については違法ではないので、全体として違法性が減少することになり、また過剰な防衛行為を行っているという認識がもてない場合もあり、責任が減少することになり、それゆえに刑を減軽または免除することができる。
この過剰防衛には2種類の形態がある。1つは、少額の商品を盗む窃盗行為に対して、殺傷能力のある防衛行為を行うといったような、急迫不正の侵害に対して、それを超えるような性質の防衛行為を行った場合である。これを質的過剰という。さらに、急迫不正の侵害に対して相当な防衛行為を行った後、不正の侵害が終了したにもかかわらず、防衛行為を継続して行ったような場合である。これを量的過剰という。
量的過剰の場合、前半部分(第1行為)は、急迫不正の侵害に対する応永であり、純然たる正当防衛といえるが、後半部分(第2行為)は、急迫不正の侵害は終了しているので、それに対する行為は正当防衛ということはできないはずである。しかしながら、客観的には第1暴行と第2暴行が、時間的・場所的に連続・近接して行われ、また主観的にも防衛行為者が防衛の意思で行い、後半部分の第2行為についても、正当防衛にあたるという認識がある場合には、前半部分の第1行為と後半部分の第2項を一連・一体の1個の過剰防衛として扱うことができる。
本件の事案については、時間的・場所的に連続・近接して行われているといえるが、行為者の認識としては、後半部分の第2行為については、専ら攻撃の意思に基づいて行われていたのであるから、前半部分の第1行為との間には断絶があるいえる。従って、第1行為の傷害致死については、正当防衛ゆえに違法性を阻却できても、第2行為の傷害罪については、正当防衛を論ずる余地はない。
028誤想防衛の一種とされた事例(大阪高判平成14・9・4判タ1114号293頁)
【事案の概要】
被告人XとPは、Aを含む7名余りの者から木刀などで殴りかかられた。Xは自動車に逃げ込んだが、Pは木刀で2発殴打されたうえ、さらにAから木刀で襲いかかられた。PはAと木刀を取り合っい、XはPを助けるために、自動車をAに向けて急発進させて追い払おうとした。その結果、Aの右手に同車左後部を衝突させたが、無傷であり、同時にPを轢過し、出血性ショックにより死亡させた。
大阪地裁堺支部は、Xが故意にAに向けて自動車を急発進させ、その結果、意図していなかったPを死亡させたとしても、「Aに自動車を衝突させる意図」は「人を傷害する故意」であり、「人を傷害する故意」をもってPという人に傷害を負わせ、よって死亡させた以上、Xには傷害致死罪が成立すると認定した。
【争点】
急迫不正の侵害に対する防衛行為が、侵害者だけではなく、第三者に向けられ、そこで結果が発生した場合、侵害者に対しては正当防衛が認められるが、第三者に対しても正当防衛になるか。おそらくならない。なぜならば、第三者は防衛者に対して急迫不正の侵害を行っていないからである。ではどうなるか。
【裁判所の判断】
被告人が本件車両を急発進させる行為は(Aの急迫不正の侵害からPを防衛する)正当防衛であると認められ、それを前提にすると、その防衛行為の結果、全く意図していなかったPに本件車両を衝突させて、轢いてしまった行為について、どのように考えるべきかが問題となる。
かりにPが誰かに対して急迫不正の侵害を行っていれば、その誰かを救うために、Pに危害を与える行為は傷害致死罪の構成要件に該当しても、正当防衛ゆえに、その違法性が阻却されるが、Pは不正の侵害を行っていないので、Pに対する侵害を客観的に正当防衛だとすることはできない。また、Aが誰かに侵害を加え、その誰かを救うために、やむを得ずPに危害を転嫁したというのであれば、緊急避難ゆえに、その違法性が阻却されるが、そのような状況にはなかったことは明らかである。
Xはこのように正当防衛にも、また緊急避難にもあたらない傷害致死の客観的な違法行為を行っているが、主観的には正当防衛である(ゆえに違法性が阻却される)と認識していたのである。つまり、Xは一種の誤想防衛の状況にあったのである。このようなXの認識には、故意の責任非難を向けうる事情は存在するかといえば、それは存在しない。なぜならば、故意とは、行為者が違法な行為であることを知りながら行ったという反規範的な主観的・人格的な態度をいうのであるから、この場合のXに故意の責任非難を向けうる事情は存在しないというべきである。従って、XがAに自動車を衝突させようという認識があり、それが暴行・傷害の認識であるとしても、それが暴行や傷害という違法な行為であるという認識がなかったのであるから、暴行や傷害の故意を認めることはできない。ただし、自分の行為がPに対する暴行・傷害にあたるという客観的な事実を認識することは、注意深く行動していたならば、できたはずである。その限りでは、Pに対する暴行・傷害の過失を認め、過失致死罪の成立を肯定することは可能である。
【解説】
正当防衛のつもりで行った行為が、予期せぬ第三者に対して及び、犯罪結果が発生するよう場合がある。Xが、人質にとられた被害者Bを救出するために、犯人Aに向けて投石したことろ、石がBに命中し、Bが負傷したような場合である。XはAに向けて発砲し、死亡させるに至らなかったので、この行為は暴行罪の構成要件に該当し、違法性が阻却される。他方で、この行為はBを負傷させているので、傷害罪の構成要件に該当する。では、違法性が阻却されるか。阻却されない。なぜならば、Xの行為は、Bとの関係において、正当防衛の要件を満たしていないからである。従って、Xの行為はAに対する暴行罪であり、かつBに対する傷害罪であり、この2つの罪は観念的競合の関係に立つ(刑54)。そして、Aに対する暴行は正当防衛ゆえに違法性が阻却されるが、Bに対する傷害罪の違法性は阻却されない。
では、Xを故意の傷害罪を行ったとして非難できるか。この問題を考えるためには、事実の錯誤の問題について前提の知識が必要である。XがAに傷害を負わせる故意で、Bに傷害を負わせた場合、XはAという人に傷害を負わせようとしていたので、予期していなかったからといっても、Bという人への傷害の故意が否定されるわけではない(法的的符合説)。従って、B傷害の故意を認めることができる。しかし、Xは防衛の意思に基づいて行った。つまり、違法性が阻却される、正当化されると認識しながら行ったのである。このようにXはBという人を負傷させる行為を行っているという認識と同時に、その違法性が阻却される、正当化されるという認識も持っていたのである。このようなXの認識を、傷害の故意であると非難することができるか。判例は、この事案については、誤想防衛の一種として扱い、暴行という違法な行為を行っている認識(違法性の認識または違法性の認識の可能性)はなかったして、暴行の故意の成立を阻却している。
029誤想過剰防衛(最一決昭和62・3・26刑集41巻2号182頁)
【事案の概要】
Bは、酩酊したA女をなだめていたが、揉み合うようになり、Aが鉄製のシャッターにぶつかって尻餅をついた。それを目撃した被告人Xは、BがAに暴行を加えているものと誤解し、Aを助けるために、AとBの間に割って入った。XはAを起こし、Bに両手を差し出して近づいた。するとBが防御のために手を握って胸の前あたりにあげた。Xはこれをファイティングポーズと誤解し、Bが自分に殴りかかってくると誤信し、自己およびAの身体を防衛しようと考え、とっさに回し蹴りをし、頭蓋骨骨折の傷害を負わせ、8日後に死亡させた。
【争点】
酒に酔ってふらついている女性に対して男性の友人が手助けしたら、女性が倒れて、「キャー」と叫んだ。事情を知らない第三者が見れば、男性が女性に襲い掛かっていると見えても仕方ない。
ある人物が、その女性を助けるために、男性に反撃して、殺害する意思はなかったが(過剰性の認識はなかったが)、死亡させた。客観的には「傷害致死罪」である。しかし、急迫不正の侵害から女性を防衛する意思で行った(誤想防衛)。ただし、防衛行為としては過剰であった(過剰防衛)。このような事案を誤想過剰防衛という。
本件は、過剰性の認識のなかった誤想過剰防衛の事案である。かりに、男性を殺してでも、女性を守るつもりであったというなら、殺害する意思があったので、過剰性の認識があった誤想過剰防衛になる。
【裁判所の判断】
右事実関係のもとにおいて、本件回し蹴り行為は、被告人が誤信したBによる急迫不正の侵害に対する防衛手段として相当性を逸脱していることは明らかであるとし、被告人の所為について傷害致死罪が成立し、いわゆる誤想過剰防衛に当たるとして、刑法36条2項により刑を減軽した原判断は、正当である(最高裁昭和40年(あ)第1988号同41年7月7日第2小法廷決定・刑集20巻6号554頁参照)。
【解説】
急迫不正の侵害が存在しないにもかかわらず、それが存在していると誤信して、犯罪構成要件(殺人罪)に該当する行為を行うことを「誤想防衛」という。誤想防衛の場合、殺人罪の違法性は阻却されないが、その故意が阻却され、殺人罪は成立しない。ただし、被害者に傷を負わせる認識は認められるので、傷害致死罪が成立する。
急迫不正の侵害が存在し、それに対して防衛行為を行い、その相当性の程度を超えた場合を「過剰防衛」という。過剰防衛は、急迫不正の侵害に対して行っているので、その違法性が減少する(殺人の違法性が減少するが、違法である)。また、過剰な防衛をしているという認識(違法な行為を行っているという認識)がないことが多いので、殺人の故意が阻却される(過失がある場合、傷害致死罪)。違法性が減少し、過失でしかないので、その刑が免除される可能性が高い。かりに、過剰な行為を行っているという認識、違法性の認識があり、殺人罪の故意が認められても、通常の殺人罪の場合に比べると強く非難することができず、刑が減軽される可能性が高い。
この誤想防衛と過剰防衛が結合したものが「誤想過剰防衛」である。BはAともみ合いになっていただけで、侵害をしていたわけではなかった。Xはそれを誤解して、BがAに「侵害」を加えていると認識したのである。Bの「侵害」からAを守るためには、回し蹴りが必要であり、相当であると認識していたならば、違法であると認識していなかったので、傷害の故意はない。過失もないというならば、完全に無罪になる(第1審判決)。
これに対して、回し蹴りは危険であり、それは過剰であり、かつ過剰であると認識していたならば、違法であることを認識していたのであるから、傷害の故意が認められる。しかし、傷害の故意があるとはいえ、正当防衛のつもりで行っていたのであるから、傷害の故意の責任は減少するといえる。したがって、傷害致死罪の故意責任が減少する。これによって、被告人の刑が軽くなると思われるが、それを根拠づける直接の条文があればよいが、それはないので、裁判官の自由な裁量に委ねざるをえない。しかし、もしも被告人の傷害致死罪の責任の減少による刑の減軽を認める条文があれば、裁判官に対して法律上の根拠を示して減軽するよう求めることができる。そのような条文はあるか。それは直接にはないが、刑法36条2項(過剰防衛を「違法減少」と「責任減少」の点から任意的に減軽する)を活用することができる。この条文は過剰防衛に関する規定なので、誤想過剰防衛に「適用」できないが、過剰防衛の点で共通している。誤想過剰防衛は、違法性の減少はないが、責任の減少は認められる。つまり、過剰防衛と誤想過剰防衛とは、責任減少という点で共通しているので、この点に関して刑法36条2項を「準用」して、その刑を減軽することができる(控訴審)。最高裁は、この控訴審の判断を正当なものとして維持した。
【事案の概要】
A派に属する被告人ら(X・Y)は、某ホールにいたところ、対立するB派から襲撃を受けたため、木刀や鉄パイプなどで反撃し、撤退させた。被告人Xらは、B派が再び襲撃してくると予期し、同ホールの入口にバリケードを築いていたところ、予期していたとおりB派が来襲し、バリケード越しに鉄パイプを投げ込むなどした。そのため、被告人Yらも鉄パイプで突くなど応戦した。被告人Xらは、警察官に逮捕された。
第1審は、Xの行為について、凶器準備集合罪、暴力行為等処罰法1条違反の罪の成立を認めた。Yの行為については、B派による不正の侵害が予期されていたとはいえ、それによって不正の侵害の急迫性が否定されるわけではないとして、正当防衛の成立を認めた。
第2審は、YらがB派の襲撃を予期していたので、予期された不正の侵害には急迫性は認められないとして、第1審判決を破棄し、差し戻した。被告人・弁護人は、上告した。
【争点】
不正の侵害を予期しながら、それを待ち構え、その侵害が行われたときに、それに反撃した場合でも、「急迫不正の侵害」に対する反撃である以上、正当防衛として扱われるのか。それとも、不正の侵害が予期されていたのであるから、それはもはや急迫ではなかったとして、正当防衛の成立の前提要件は否定されるのか。そもそも急迫不正の侵害にいう急迫とは、どのような意味か。
急迫という要件を「突然に」、「不意に」と解するならば、行為者が不正の侵害が行われることを予期して場合には、急迫性は否定されることになろう。これに対して、急迫性とは、不正の侵害が自己または他人の権利に対して切迫した状況をいうのであるから、たとえ行為者にそれが予期されていても、なおも急迫性が認められる余地はあるのではないだろうか。
ただし、予期された侵害が現実にしかけられてきたとき、それに乗じて積極的に侵害を加える意思(積極的加害意思)で行為に出た場合、つまり防衛行為を仮装して行為に出た場合は、それは急迫不正の侵害に対して行った防衛行為とはいえない。その限りでは、不正の侵害の急迫性は否定される。
【裁判所の判断】
刑法36条が正当防衛については侵害の急迫性を要件としているのは、予期された侵害を避けるべき義務を課す趣旨ではないから、当然またはほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではないと解するのが相当であり、これとは異なる原判断(第2次襲撃はYらが予想していたものであって、急迫性は認められない。従って暴力行為等処罰法1条違反の罪が成立する)は、その限度において違法というほかない。しかし、同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて、予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機会を利用して積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である。そうして、原判決によると、被告人Yは、相手の攻撃を当然に予想しながら、単なる防衛の意図ではなく、積極的攻撃、闘争、加害の意図をもって臨んだというのであるから、これを前提とする限り、侵害の急迫性の要件を満たさないというべきものであって、その旨の原判断は、結論において正当である。
【解説】
刑法36条1項は、急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しないと定めている。たとえ、被害者の生命や健康を害する行為を行っても(殺人罪や傷害罪の構成要件該当為を行っても)、自己または他人の生命や健康を防衛するために必要で相当な行為であった場合には、その違法性が阻却され、処罰されない。これが正当防衛である。
正当防衛にあたる行為の場合、それを行う者には、自己または他人が侵害者の急迫で不正な侵害の危機にさらされていると認識し、その侵害から権利を守る意思に基づいて、侵害者に防衛行為を行なっているというのが一般である。防衛行為者が、その行為から侵害者の負傷や死亡が発生することを認識している場合もあれば、認識していない場合もあるが、そのような認識があっても、(故意の)傷害罪や殺人罪の構成要件に該当する行為の違法性は阻却される。
しかしながら、被害者との間に対立・抗争状態が続いているため、不正の侵害が予想される場合もある。いつ、誰によって、どのような侵害が加えられるかといった具体的な内容までは予想できなくても、過去の経験から、おおよその侵害が予想される場合がある。このように予期された不正な侵害を急迫不正の侵害ということができるだろうか。判例では、侵害が予期されていたことを理由に、ただちに不正な侵害の急迫性が否定されるわけではないと解している。ただし、予期された不正の侵害に乗じて(侵害に対する防衛を仮装して)、侵害者に対して積極的に害を加える目的で行為を行った場合(積極的加害意思がある場合)、侵害者による不正の侵害の急迫性は否定されると判断している。急迫性が否定されれば、もはや正当防衛にあたるか否かを論ずることはできない。
なお、行為者が、不正の侵害を予期しておらず、たんに相手方に害を加えるつもりでしかなかった場合、防衛の意思がないので、主観的には正当化できなくても、客観的には正当防衛が成立しているといえるのではないかと争いがある。これが「偶然防衛」の問題である。客観的には急迫不正の侵害があるが、行為者はそれを認識していなかった。客観的には正当防衛であるが、主観的には防衛の意思に基づいていなかった。正当防衛の成立には防衛の意思が必要であるとする判例の立場(防衛の意思必要説)からは、正当防衛の成立は否定される。これに対して、防衛の意思は不要であるとする立場(防衛の意思不要説)からは、正当防衛が認められる。
023侵害の急迫性(最2決平29・4・26刑集71巻4号275頁)
【事実の概要】
被告人は、犯行前日の午後4時30分頃、知人のAに自宅(マンション6階)の玄関扉を消火器で何度も叩かれ、その頃から翌日の午前3時頃までの間、繰り返し電話で怒鳴られるなど、身に覚えのない因縁を付けられ、立腹していた。同日午前4時2分頃、自宅にいた被告人は、Aから、マンションの前に来ているから降りてくるよう呼び出されて、自宅にあった包丁をにタオルを巻き、それをズボンの腰部右後ろに差し込んで、自宅マンション前の路上に赴いた。被告人を見つけたAがハンマーをもって被告人の方に駆け寄ってきたが、被告人は、Aに包丁を示すなどの威嚇的行動をとることなく、Aに近づき、ハンマーで殴りかかってきたAの攻撃を防ぎながら、包丁を取り出し、殺意をもってAの胸部を包丁で1回強く刺して殺害した。
弁護人は正当防衛・過剰防衛の成否を争ったが、第1審(大阪地裁)は、被告人には積極的加害意思があったとして、それを排斥した。控訴審(大阪高裁)はも侵害の予期と積極的加害意思を認めて、被告人の控訴を棄却した。これに対して被告人が上告を申し立てた。
【争点】
正当防衛が成立するためには、急迫不正の侵害に対する行為であることを要する。この急迫性は、侵害が切迫しているとか、それが現に行われている場合に認めることができる。たとえ、侵害が予期されていても、それを理由に侵害の急迫性が否定されるわけではない。ただし、予期された侵害が現実のものとなり、それに乗じて積極的に害を加える意思に基づいていた場合には、侵害の急迫性が否定されると解されている。
このような判断が示されたのは、凶器準備集合罪や暴力行為等処罰法違反罪の事案であった。A派に属する被告人ら(X・Y)が対立するB派を反撃し、撤退させた後、被告人Xらは、B派が再び襲撃してくると予期し、同ホールの入口にバリケードを築いていたところを応戦したという事案である。この事案の特徴は、A派の被告人らは、ある場所にとどまって、B派が襲撃をかけてくるのを予期していた事案であり、被告人らがわざわざB派のところに出向いたのではなかった。その限りにおいて侵害が予期されただけでは、急迫性が否定されないと判断された。しかし、事案が異なれば、予期された侵害の急迫性の認定も変わる可能性もある。
本件では、被告人は、Aが凶器を用いるなどして暴行を加えてくること、しかもAの呼び出しに応じて現場に赴けば、Aから凶器を用いるなどした暴行を加えられることを十分に予期していていた。では、被告人はAの帯びだしに応じる義務があったのかというと、Aの呼び出しに応じる必要はなく、自宅にとどまって警察の援助を受けることができた。それにもかかわらず、包丁を準備した上、Aの待つ場所に出向いていったのである。これは予期された侵害を自宅で迎え撃つというのではなく、予期された侵害の場所に出向いて、自ら臨んで攻撃をしかけたといえる。そして、Aがハンマーで攻撃してくると、包丁を示すなどの威嚇的・警告的な行動をとって対峙することなく、そのままAに近づき、Aの左側胸部を強く刺突したのである。
被告人がAの胸部を刺突する行為に先行する事情を含め、本件行為全般の状況に照らすと、被告人の本件行為は、刑法36条の趣旨に照らし、違法性が阻却される状況にあったといえるか。つまり、急迫不正の侵害に対する防衛行為といえるか。
【裁判所の判断】
上告棄却。
刑法36条は、急迫不正の侵害という緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることができないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したものである。したがって、行為者が侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合、侵害の急迫性の要件については、侵害を予期していたことから、直ちにこれが失われると解すべきではなく………対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきである。具体的には、事案に応じ、①行為者と相手方との従前の関係、②予期された侵害の内容、③侵害の予期の程度、④侵害回避の容易性、⑤侵害場所に出向く必要性、⑥侵害場所にとどまる相当性、⑦対抗行為の準備の状況(特に、凶器の準備の有無や準備した凶器の性状等)、⑧実際の侵害行為の内容と予期された侵害との関係、⑨行為者が侵害に及んだ状況、および⑩その際の意思内容等を考慮し、行為者がその機会を利用し積極的に相手方に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだとき………など前記のような刑法36条の趣旨に照らして許容されるものとはいえないような場合には、侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである。
前記………事実関係によれば、被告人は、Aの呼び出しに応じて現場に赴けば、Aから凶器を用いるなどした暴行を加えられることを十分に予期していながら、Aの呼び出しに応じる必要はなく、自宅にとどまって警察の援助を受けることが容易であったにもかかわらず、包丁を準備した上、Aの待つ場所に出向き、Aがハンマーで攻撃してくるや、包丁を示すなどの威嚇的行動をとることもしないままAに近づき、Aの左側胸部を強く刺突したものと認められる。このような先行事情を含めた本件行為全般の状況に照らすと、被告人の本件行為は、刑法36条の趣旨に照らし許容されるものとは認められず、侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである。
【解説】
本件の判断は、侵害が予期されていた場合でも、それを理由に侵害の急迫性は否定されず、それに乗じて積極的加害意思に基づいた場合には急迫性が否定されるとした従前の判例を踏襲しながら、判例の事案とは異なる本件の事案の特徴に即して、侵害の急迫性の存否を判断するための方法を示した。具体的には、事案に応じ、①行為者と相手方との従前の関係、②予期された侵害の内容、③侵害の予期の程度、④侵害回避の容易性、⑤侵害場所に出向く必要性、⑥侵害場所にとどまる相当性、⑦対抗行為の準備の状況(特に、凶器の準備の有無や準備した凶器の性状等)、⑧実際の侵害行為の内容と予期された侵害との関係、⑨行為者が侵害に及んだ状況、および⑩その際の意思内容等を考慮し、行為者がその機会を利用し積極的に相手方に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだとき………など前記のような刑法36条の趣旨に照らして許容されるものとはいえないような場合には、侵害の急迫性の要件を充たさないものと判断した。
024防衛の意思(最三判昭和50・11・28刑集29巻10号983頁)
【事案の概要】
被告人は、友人Aとともに乗用車で走行中、人違いによりBらに声をかけたことから因縁をつけられ、酒食を強要された後、Bらを自動車で送り届けた。ところが、車から降りたBらが一斉にAに襲いかかり、一方的かつ執拗な暴行を加え始めた。被告人は、そのまま放置すればAの生命が危ういと考え、Aを救助する目的で自宅にあった散弾銃を携えて現場に駆け戻ったが、AおよびBらが見当たらず、Aの所在を探していた。
すると、Bに発見されて、「このやろう、殺してやる」などと追い掛けられたため、自分もBにつかまって暴行されると思い、Bが死亡するかもしれないことを認識しながら、散弾銃を発砲し、Bに加療4ヶ月を要する傷害を負わせた。
第1審は、被告人の行為について殺人未遂罪の成立を認め、刑法36条2項の過剰防衛の規定を適用した(Bからの急迫不正の侵害に対して、自分の生命を守るために、散弾銃を発砲し、加療4ヶ月を要する傷害を負わせた。被告人の行為は、Bからの急迫不正の侵害に対して、自己の生命・身体を防衛する意思に意思に基づいた行為であったが、防衛の程度を超えた過剰防衛であった。殺人未遂罪が成立するが、その刑を減軽または免除することができる)。
これに対して、第2審は、第1審判決を破棄し、防衛の意思を否定し、さらに急迫不正の侵害もなかったとして、殺人未遂罪の成立のみ認め、それに刑法36条2項を適用することを否定した(殺人未遂罪の刑を減軽または免除することはできない)。
被告人が上告した。
【争点】
正当防衛が成立するためには、「防衛するため」に行われていなければならない。この「防衛するため」とは、通説や判例では、防衛の意思に基づいていることと理解されている。つまり、行為者は自己または他人の権利を防衛する意思に基づいて行っているのであって、侵害者に対する攻撃の意思に基づいていないということである。
しかし、防衛するためには、侵害を排除する必要があり、そのためには侵害者を攻撃することもありうる。つまり、一方で防衛の意思に基づきながら、他方で侵害の意思も併存している場合もある。このように防衛の意思と攻撃の意思が併存する場合、攻撃の意思があったという理由から防衛の意思が否定されるのか。それとも防衛の意思を肯定できるのか。
本件の被告人の行為は、殺人未遂罪の構成要件に該当する。しかし、それは急迫不正の侵害から自己の権利を防衛するために行った行為であった(第1審の事実認定)。では防衛の意思に基づいていたのか。基づいていたというのであれば、あとは防衛行為の相当性を問題にし、防衛の程度を超えていれば、過剰防衛として扱えばよい。しかし、そもそも防衛の意思がなかったのであれば、防衛行為の相当性を検討する必要はない。したがって、過剰防衛の余地もなくなる。
【裁判所の判断】
原判決は、侵害者に対する攻撃の意思があったことを理由として、これを正当防衛のための行為にあたらないと判断し、ひいては被告人の本件行為を正当防衛のためのものにあたらないと評価した。そして、過剰防衛行為にあたるとした第1審判決を破棄した。
急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為は同時に侵害者に対する攻撃的な意図に出たものであっても、正当防衛のためにした行為にあたる。……なるほど、防衛に名を借りて侵害者に対して積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評することができる。
【解説】
正当防衛は、緊急避難とならんで、緊急行為の一種と言われている。急迫不正の侵害や現在の危難に見舞われている最中に、とっさの判断で行なった行為が、ある犯罪の構成要件に該当しても、正当防衛や緊急避難の要件をそろえている場合には、その違法性が阻却される。たんに不正の侵害や危難に見舞われているというだけでは、だめである。急迫な侵害、危難が現在していなければならない。それゆえに、正当防衛も緊急避難も緊急行為といわれている。
緊急状況下においては、とっさの判断で行動に出るので、その行為からどのような結果が発生するかを正確に認識していない場合が多い。しかし、用いる方法や手段の特性から、発生する結果が自ずと明らかな場合もある。つまり、防衛の意思で行いながらも、それによって相手方が被害を被るという攻撃の意思が併存している場合もある。このように防衛の意思と攻撃の意思が併存している場合、防衛の意思を認めることができるか。本件は、その問題に対して、最高裁として一定の立場を示したものである。
025防衛行為の相当性(最二判平成元・11・13刑集43巻10号823頁)
【事案の概要】
被告人Xが路上に停めていた自動車によって、自車の進行に困難を感じたA(39才)が、Xに対して怒号を浴びせるなどしたため、これに立腹したXが、「言葉使いに気をつけろ」と言ったところ、Aは「お前、殴られたいのか」と言いつつ、手拳を前に突き出し、足蹴りを上げる動作をしながらXに近付いた。怖くなったXは、自車の方へ後ずさりすると、Aはさらに目前まで迫ってきた。
そのときXは、普段から果物の皮むきなどに用いている刃体の長さ約17・7センチメートルの菜切り包丁が自車のなかにあることを思い出し、Aを脅して危害から逃れるために、これを車内から取り出して、右手で腰のあたりに構えた上、約3メートル離れてAと対峙し、Aに対して、「殴れるのなら殴ってみい」と言った。Aは、これに動じることなく「刺すんやったら、刺してみい」と言いながら、2、3歩近づいてきた。被告人Xは、Aに対して、「切られたいんか」と申し向けた。
Xは示凶器脅迫罪(暴力行為等処罰法1条)および刃物不法携帯罪(銃砲刀剣類等取締法22条)で逮捕、起訴された。
【争点】
手拳を突き出し、足蹴りの動作をして迫り来る相手に対して、菜切り包丁で構える行為は、正当防衛にあたるか。
AがXに手拳を突き出すなどする行為は、Xにとって急迫不正の侵害にあたる。
Xは自己の権利を防衛するために行為に出た。その行為は、菜切り包丁を腰に当てて、Aに近づかないよう脅迫する行為であった。
この行為は、Xが自分の身を守る意思に基づいて行われた。
では、防衛行為の相当性は?
【裁判所の判断】
原判決が……防衛行為としての相当性の範囲を逸脱した……と判断したのは、刑法36条1項の「已ムコトヲ得サルニに出タル行為」の解釈適用を誤ったものと言わざるをえない。……被告人は、年齢も若く体力にも優れたAから、「お前、殴られたいのか」と言って、手拳を前に突き出し、足を蹴り上げる動作を示されながら近づかれ、後ずさりするXを追いかけられて目前に迫られたため、その接近を防ぎ、同人からの危害を逃れるため、やむなく本件菜切包丁を手に取った上、腰あたりに構え、「切られたいんか」などと言ったというものであって、Aからの危害を避けるための防御的な行為に終始していたものであるから、その行為をもって防衛手段としての相当性の範囲を超えたものということはできない。
【解説】
かつて判例は、暴行や傷害、傷害致死、殺人などの行為について正当防衛の正否が問題になった事案では、いわゆる「武器対等の原則」に基づいて、防衛行為の相当性を判断してきた。すなわち、急迫不正の侵害が素手で行われた場合には、防衛行為もまた素手で行うべきであり、凶器のようなものを用いた場合には、そのことをもって防衛行為の相当性を否定し、過剰防衛としてきた。本件事案の原審もまた、この判断基準に基づいて、相当性を否定し、過剰防衛にした。
これに対して、最高裁は、この「武器対等の原則」を機械的・形式的に適用せず、それを修正ないし実質化して、防衛行為の相当性を判断した。つまり、侵害者と防衛者の関係、例えば性別、年齢、肉体的・身体的な相違、体力・腕力の差、侵害者と防衛者の距離関係、侵害者が素手の場合の防衛者による凶器の用い方などを考慮に入れて、防衛行為の相当性を判断する方法を採用した。そもそも正当防衛は、防衛行為を行って相手方に与えた侵害が、相手方による急迫不正の侵害よりも大きくても正当化される。そうすると、侵害の方法・程度と防衛の方法・程度は、武器対等の原則を機械的に適用して、対等性・平等性を求める必要はないといえる。
AがXに対して、手拳を前に突きだし、足蹴りをするなどして接近してきたが、これによってXは後づさりすることを余儀なくされ、さらにAが目前にまで迫ってきた。これは、Xの身体に対する急迫不正の侵害にあたると解される。Xは、それに対して、自己の身を守るために、一定の防衛行為を行なう必要があったが、菜切包丁を腰のあたりにかまえて、「着られたいんか」と述べた行為が、防衛行為として相当であるといえるかは、必ずしも明らかではない。長さ17センチメートルもの刃物を構えて、脅迫するのは、やりすぎということもできるが、Aが39才で(Xよりも)若く、体力にも優れていることから、Xが菜切包丁で対抗するのもありえ、また攻撃的な動作ではなく、防御的な動作に終始していたというのであるから、防衛行為の相当性を超えていたということはできないであろう。
026自招侵害(最二決平成20・6・20刑集62巻6号1786頁)
【事案の概要】
被害者Aは、自転車にまたがったまま、歩道に設置されたごみ集積所にごみを捨てていたところ、徒歩で帰宅途中の被告人Xが、その姿を不審に感じて声をかけるなどしたところから、両者は言い争いになった。Xは、いきなりAの左ほおを手拳で1回殴打し、直後に走って立ち去った(Xの第1暴行)。Aは、「待て」などと言いながら、自転車でXを追いかけ、現場から26・5メートル先を左折して約60メートル進んだ歩道上でXに追い付き、自転車に乗ったまま、水平に伸ばした右腕で、後方から被告人の背中の上部または首付近を殴打した(Aの第2暴行)。Xは、Aの攻撃によって前方に倒れたが、起き上がり、護身用に携帯していた特殊警棒を衣服から取り出し、Aの顔面や左手を数回殴打する暴行を加え、加療約3週間を要する顔面挫傷、左手小指中間接骨折の傷害を負わせた(被告人の本件行為)。Xは傷害罪で起訴された。
第1審は、本件は一連のケンカ決闘というべきであるから、原則的に正当防衛の観念を入れる余地はなく、またAの素手での攻撃に対して、被告人は特殊警棒を用いているので、正当防衛として論ずることはできないとした(防衛行為の相当性が否定されるので、正当防衛として論ずることはできないという意味か? そうであれば、過剰防衛として論ずることはできる余地はあえるということか?)。
これに対して被告人が控訴した。第2審は、Aの被告人に対する第2暴行は、被告人のAに対する第1暴行によって招かれたものであり、第2暴行は第1暴行と時間的・場所的にも接着し、継続性があり、Aが第2暴行に出ることは被告人の第1暴行との関係で通常予想される範囲を超えているとまでは言い難いから、Aの被告人に対する第2暴行は不正な侵害であるとしても、急迫性を認めることはできないから、正当防衛を論ずることはできないと判断した。
これに対して、被告人が上告した。
【争点】
伝統的には、ケンカは「喧嘩両成敗」の考えに基づいて、双方ともに処罰されることで問題を解決してきた。従って、先に手を出した方だけが処罰されるとか、後から反撃したから処罰を免れるといったことはなかった。つまり、ケンカについては正当防衛は問題になりえなかった。
しかし、ケンカであることで、正当防衛を論じられないのはなぜか。その理由ははっきりしなかった。ケンカが正当防衛にならないのであれば、それは正当防衛の要件を満たしていないからだと考えざるをえないが、ケンカは正当防衛のどの要件を満たしていないのか。それを考えなければならない。
ケンカの最中では、相手の侵害が不正でないから、正当防衛は成立しえないからなのか。あるいは、ケンカである以上、相手の侵害は予期され、それに乗じて反撃するのだから、急迫性がなく、それゆえ正当防衛は問題にならないからなのか。急迫不正の侵害であっても、それに対する反撃は不必要だから、正当防衛にあたらないのか。これらの点は明瞭ではない。
ケンカの場合、反撃行為者が相手方から不正の侵害を自ら招いていることが多い(XがAに因縁をつけて、Aの侵害を誘発する)。これを自招防衛という。自招防衛に正当防衛が認められない場合、それは正当防衛のどの要件を欠いているからか。
【裁判所の判断】
被害者Aの攻撃は、被告人Xの暴行に触発された、その直後における近接した場所での一連、一体の事態ということができ、XはAの攻撃を自ら招いたものといえるから、Aの攻撃がXの前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては、被告人の本件傷害行為は、被告人において何らかの反撃に出ることが正当とされる状況における行為とはいえないというべきである。そうすると、正当防衛の成立を否定した原判断は、結論において正当である。
【解説】
急迫不正の侵害のなかには、防衛行為者によって故意または過失によって招かれたものがある。このような自招侵害に対して、防衛行為を行うことができるのか。これが自招防衛の問題である。侵害者の急迫不正の侵害を招いたのは、防衛者なのであるから、それを甘んじて受け入れるべきであり、反撃した場合には、正当防衛として違法性を阻却することはできない、と考えることもできる。しかし、防衛行為者が侵害者を挑発し、想定されていた程度を越える侵害が加えられてきた場合にまで、正当防衛が許されないと考えるのは妥当ではない。従って、通常予想される程度の侵害については、不正の侵害であっても、急迫性が否定され、それを超える部分の侵害については、なおも急迫性を認める余地があろう。その場合、侵害の全体に急迫性を認めるのではなく、あくまでも通常予想される程度を越えた部分の侵害についてのみ急迫性を認めるべきであろう。
027過剰防衛の成否(最一平成20・6・25刑集62巻6号1859頁)
【事案の概要】
Xは、AおよびBと一緒にいたVから呼び止められ、それに応じて、Vと共に犯行現場に移動した。するとVがXにいきなり殴りかかったため、Xはそれに応戦した。
そのころ、AおよびBが犯行現場に近づくなどしたため、Xは、1対3の関係にならないよう、Aらに対して「おれはやくざだ」などど述べて威嚇した。VはXを押さえつけていたが、XがVを離すようにしながら、その顔面を1回殴打した。
すると、Vは、その場にあったアルミ製灰皿を持ち上げ、Xに向けて投げつけた。Xは、それを避けながら、灰皿を投げた反動で大勢を崩したVの顔面を殴打したところ、Vは頭部から落ちるように転倒し、後頭部をタイル敷きの地面に打ち付け、仰向けに倒れたまま意識を失ったように動かなくなった(第1暴行)。
Xは、Vの状態を認識したが、憤激のあまり、「おれを甘く見ているな。おれに勝てるつもりでいるのか」などと言って、Vの腹部を足蹴りにしたり、足で踏みつけたり、さらに腹部に膝をぶつける等の暴行を加えた(第2暴行)。その後、Vは付近の病院に搬送されたが、第1暴行に起因する頭部殴打による頭蓋骨骨折に伴うクモ膜下出血により死亡した。なお、第2暴行の結果、Vは肋骨骨折等の傷害を負った。
第1審は、第1暴行は傷害罪の構成要件に該当するが、正当防衛にあたり、その後、Vからの急迫不正の侵害は終了しているので、第2暴行は傷害罪にあたり、2個の行為を全体として評価して、傷害致死罪が成立し、過剰防衛が成立すると判断した。
第2審は、第1暴行は正当防衛が成立し、第2暴行は正当防衛が成立しないと判断した点では第1審と同じであったが、Vによる侵害が継続していなかった点、Xは防衛の意思に基づいていなかった点を踏まえ、2個の行為を一体のものとして評価できる基礎を欠いているので、第1暴行と第2暴行を別個のものとして扱い、(死亡結果が第2暴行と因果関係があると認められないので)第2暴行を傷害罪として認定するにとどめ、それに過剰簿上の規定を適用しなかった。
被告人・弁護人が上告した。
【争点】
XとVが口論になったとはいえ、VがXにいきなり殴りかかるというのは、Xにとっては急迫不正の侵害に他ならない。それに対して、反撃し、顔面を殴打するなどの行為(第1暴行)は、自分の身を守るための防衛行為として相当性があると認めてよいように思われる。では、意識を失い動かなくなり、もはや急迫不正の侵害が終わった後に、Vの腹部を膝でけるなどした暴行(第2暴行)はどのように扱われるのか。第1暴行と第2暴行は、急迫不正の侵害の中断前後で2個に分かれるが、その関係はどのように扱われるべきか。
本件は、XがVの侵害が終わったことを認識しながら、(防衛の意思ではなく)攻撃の意思で暴行を継続した事案である。
【裁判所の判断】
第1暴行により転倒したVが、Xに対し更なる侵害行為に出る可能性はなかったのであり、Xは、そのことを認識した上で、専ら攻撃の意思に基づいて第2暴行に及んでいるのであるから、第2暴行が正当防衛の要件を満たさないことは明らかである。そして、両暴行は、時間的、場所的に連続しているものの、Vによる侵害の継続性およびXの防衛の意思の有無という点で、明らかに性質を異にし、Xが前記発言(おれを甘く見ているな。)をした上で抵抗不能の状態にあるVに対して相当に激しい態様の第2暴行い及んでいることにかんがみると、その間には断絶があるというべきであって、その反撃が量的に過剰になったものと認められない。そうすると、両暴行を全体的に考察して、1個の過剰防衛を認めるのは相当ではなく、正当防衛にあたる第1暴行については、罪に問うことはできないが、第2暴行については、正当防衛はもとより過剰防衛を論ずる余地もないのであって、これによりVに負わせた傷害につき、Xは傷害罪の責任を負うというべきである。以上と同旨の原判断は正当である。
【解説】
刑法36条2項は、急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するために、やむを得ずにした行為であっても、防衛の程度(防衛行為の相当性)を超えた場合には、違法性は阻却されない。これを過剰防衛という。違法性は阻却されないが、急迫不正の侵害に対処している部分については違法ではないので、全体として違法性が減少することになり、また過剰な防衛行為を行っているという認識がもてない場合もあり、責任が減少することになり、それゆえに刑を減軽または免除することができる。
この過剰防衛には2種類の形態がある。1つは、少額の商品を盗む窃盗行為に対して、殺傷能力のある防衛行為を行うといったような、急迫不正の侵害に対して、それを超えるような性質の防衛行為を行った場合である。これを質的過剰という。さらに、急迫不正の侵害に対して相当な防衛行為を行った後、不正の侵害が終了したにもかかわらず、防衛行為を継続して行ったような場合である。これを量的過剰という。
量的過剰の場合、前半部分(第1行為)は、急迫不正の侵害に対する応永であり、純然たる正当防衛といえるが、後半部分(第2行為)は、急迫不正の侵害は終了しているので、それに対する行為は正当防衛ということはできないはずである。しかしながら、客観的には第1暴行と第2暴行が、時間的・場所的に連続・近接して行われ、また主観的にも防衛行為者が防衛の意思で行い、後半部分の第2行為についても、正当防衛にあたるという認識がある場合には、前半部分の第1行為と後半部分の第2項を一連・一体の1個の過剰防衛として扱うことができる。
本件の事案については、時間的・場所的に連続・近接して行われているといえるが、行為者の認識としては、後半部分の第2行為については、専ら攻撃の意思に基づいて行われていたのであるから、前半部分の第1行為との間には断絶があるいえる。従って、第1行為の傷害致死については、正当防衛ゆえに違法性を阻却できても、第2行為の傷害罪については、正当防衛を論ずる余地はない。
028誤想防衛の一種とされた事例(大阪高判平成14・9・4判タ1114号293頁)
【事案の概要】
被告人XとPは、Aを含む7名余りの者から木刀などで殴りかかられた。Xは自動車に逃げ込んだが、Pは木刀で2発殴打されたうえ、さらにAから木刀で襲いかかられた。PはAと木刀を取り合っい、XはPを助けるために、自動車をAに向けて急発進させて追い払おうとした。その結果、Aの右手に同車左後部を衝突させたが、無傷であり、同時にPを轢過し、出血性ショックにより死亡させた。
大阪地裁堺支部は、Xが故意にAに向けて自動車を急発進させ、その結果、意図していなかったPを死亡させたとしても、「Aに自動車を衝突させる意図」は「人を傷害する故意」であり、「人を傷害する故意」をもってPという人に傷害を負わせ、よって死亡させた以上、Xには傷害致死罪が成立すると認定した。
【争点】
急迫不正の侵害に対する防衛行為が、侵害者だけではなく、第三者に向けられ、そこで結果が発生した場合、侵害者に対しては正当防衛が認められるが、第三者に対しても正当防衛になるか。おそらくならない。なぜならば、第三者は防衛者に対して急迫不正の侵害を行っていないからである。ではどうなるか。
【裁判所の判断】
被告人が本件車両を急発進させる行為は(Aの急迫不正の侵害からPを防衛する)正当防衛であると認められ、それを前提にすると、その防衛行為の結果、全く意図していなかったPに本件車両を衝突させて、轢いてしまった行為について、どのように考えるべきかが問題となる。
かりにPが誰かに対して急迫不正の侵害を行っていれば、その誰かを救うために、Pに危害を与える行為は傷害致死罪の構成要件に該当しても、正当防衛ゆえに、その違法性が阻却されるが、Pは不正の侵害を行っていないので、Pに対する侵害を客観的に正当防衛だとすることはできない。また、Aが誰かに侵害を加え、その誰かを救うために、やむを得ずPに危害を転嫁したというのであれば、緊急避難ゆえに、その違法性が阻却されるが、そのような状況にはなかったことは明らかである。
Xはこのように正当防衛にも、また緊急避難にもあたらない傷害致死の客観的な違法行為を行っているが、主観的には正当防衛である(ゆえに違法性が阻却される)と認識していたのである。つまり、Xは一種の誤想防衛の状況にあったのである。このようなXの認識には、故意の責任非難を向けうる事情は存在するかといえば、それは存在しない。なぜならば、故意とは、行為者が違法な行為であることを知りながら行ったという反規範的な主観的・人格的な態度をいうのであるから、この場合のXに故意の責任非難を向けうる事情は存在しないというべきである。従って、XがAに自動車を衝突させようという認識があり、それが暴行・傷害の認識であるとしても、それが暴行や傷害という違法な行為であるという認識がなかったのであるから、暴行や傷害の故意を認めることはできない。ただし、自分の行為がPに対する暴行・傷害にあたるという客観的な事実を認識することは、注意深く行動していたならば、できたはずである。その限りでは、Pに対する暴行・傷害の過失を認め、過失致死罪の成立を肯定することは可能である。
【解説】
正当防衛のつもりで行った行為が、予期せぬ第三者に対して及び、犯罪結果が発生するよう場合がある。Xが、人質にとられた被害者Bを救出するために、犯人Aに向けて投石したことろ、石がBに命中し、Bが負傷したような場合である。XはAに向けて発砲し、死亡させるに至らなかったので、この行為は暴行罪の構成要件に該当し、違法性が阻却される。他方で、この行為はBを負傷させているので、傷害罪の構成要件に該当する。では、違法性が阻却されるか。阻却されない。なぜならば、Xの行為は、Bとの関係において、正当防衛の要件を満たしていないからである。従って、Xの行為はAに対する暴行罪であり、かつBに対する傷害罪であり、この2つの罪は観念的競合の関係に立つ(刑54)。そして、Aに対する暴行は正当防衛ゆえに違法性が阻却されるが、Bに対する傷害罪の違法性は阻却されない。
では、Xを故意の傷害罪を行ったとして非難できるか。この問題を考えるためには、事実の錯誤の問題について前提の知識が必要である。XがAに傷害を負わせる故意で、Bに傷害を負わせた場合、XはAという人に傷害を負わせようとしていたので、予期していなかったからといっても、Bという人への傷害の故意が否定されるわけではない(法的的符合説)。従って、B傷害の故意を認めることができる。しかし、Xは防衛の意思に基づいて行った。つまり、違法性が阻却される、正当化されると認識しながら行ったのである。このようにXはBという人を負傷させる行為を行っているという認識と同時に、その違法性が阻却される、正当化されるという認識も持っていたのである。このようなXの認識を、傷害の故意であると非難することができるか。判例は、この事案については、誤想防衛の一種として扱い、暴行という違法な行為を行っている認識(違法性の認識または違法性の認識の可能性)はなかったして、暴行の故意の成立を阻却している。
029誤想過剰防衛(最一決昭和62・3・26刑集41巻2号182頁)
【事案の概要】
Bは、酩酊したA女をなだめていたが、揉み合うようになり、Aが鉄製のシャッターにぶつかって尻餅をついた。それを目撃した被告人Xは、BがAに暴行を加えているものと誤解し、Aを助けるために、AとBの間に割って入った。XはAを起こし、Bに両手を差し出して近づいた。するとBが防御のために手を握って胸の前あたりにあげた。Xはこれをファイティングポーズと誤解し、Bが自分に殴りかかってくると誤信し、自己およびAの身体を防衛しようと考え、とっさに回し蹴りをし、頭蓋骨骨折の傷害を負わせ、8日後に死亡させた。
【争点】
酒に酔ってふらついている女性に対して男性の友人が手助けしたら、女性が倒れて、「キャー」と叫んだ。事情を知らない第三者が見れば、男性が女性に襲い掛かっていると見えても仕方ない。
ある人物が、その女性を助けるために、男性に反撃して、殺害する意思はなかったが(過剰性の認識はなかったが)、死亡させた。客観的には「傷害致死罪」である。しかし、急迫不正の侵害から女性を防衛する意思で行った(誤想防衛)。ただし、防衛行為としては過剰であった(過剰防衛)。このような事案を誤想過剰防衛という。
本件は、過剰性の認識のなかった誤想過剰防衛の事案である。かりに、男性を殺してでも、女性を守るつもりであったというなら、殺害する意思があったので、過剰性の認識があった誤想過剰防衛になる。
【裁判所の判断】
右事実関係のもとにおいて、本件回し蹴り行為は、被告人が誤信したBによる急迫不正の侵害に対する防衛手段として相当性を逸脱していることは明らかであるとし、被告人の所為について傷害致死罪が成立し、いわゆる誤想過剰防衛に当たるとして、刑法36条2項により刑を減軽した原判断は、正当である(最高裁昭和40年(あ)第1988号同41年7月7日第2小法廷決定・刑集20巻6号554頁参照)。
【解説】
急迫不正の侵害が存在しないにもかかわらず、それが存在していると誤信して、犯罪構成要件(殺人罪)に該当する行為を行うことを「誤想防衛」という。誤想防衛の場合、殺人罪の違法性は阻却されないが、その故意が阻却され、殺人罪は成立しない。ただし、被害者に傷を負わせる認識は認められるので、傷害致死罪が成立する。
急迫不正の侵害が存在し、それに対して防衛行為を行い、その相当性の程度を超えた場合を「過剰防衛」という。過剰防衛は、急迫不正の侵害に対して行っているので、その違法性が減少する(殺人の違法性が減少するが、違法である)。また、過剰な防衛をしているという認識(違法な行為を行っているという認識)がないことが多いので、殺人の故意が阻却される(過失がある場合、傷害致死罪)。違法性が減少し、過失でしかないので、その刑が免除される可能性が高い。かりに、過剰な行為を行っているという認識、違法性の認識があり、殺人罪の故意が認められても、通常の殺人罪の場合に比べると強く非難することができず、刑が減軽される可能性が高い。
この誤想防衛と過剰防衛が結合したものが「誤想過剰防衛」である。BはAともみ合いになっていただけで、侵害をしていたわけではなかった。Xはそれを誤解して、BがAに「侵害」を加えていると認識したのである。Bの「侵害」からAを守るためには、回し蹴りが必要であり、相当であると認識していたならば、違法であると認識していなかったので、傷害の故意はない。過失もないというならば、完全に無罪になる(第1審判決)。
これに対して、回し蹴りは危険であり、それは過剰であり、かつ過剰であると認識していたならば、違法であることを認識していたのであるから、傷害の故意が認められる。しかし、傷害の故意があるとはいえ、正当防衛のつもりで行っていたのであるから、傷害の故意の責任は減少するといえる。したがって、傷害致死罪の故意責任が減少する。これによって、被告人の刑が軽くなると思われるが、それを根拠づける直接の条文があればよいが、それはないので、裁判官の自由な裁量に委ねざるをえない。しかし、もしも被告人の傷害致死罪の責任の減少による刑の減軽を認める条文があれば、裁判官に対して法律上の根拠を示して減軽するよう求めることができる。そのような条文はあるか。それは直接にはないが、刑法36条2項(過剰防衛を「違法減少」と「責任減少」の点から任意的に減軽する)を活用することができる。この条文は過剰防衛に関する規定なので、誤想過剰防衛に「適用」できないが、過剰防衛の点で共通している。誤想過剰防衛は、違法性の減少はないが、責任の減少は認められる。つまり、過剰防衛と誤想過剰防衛とは、責任減少という点で共通しているので、この点に関して刑法36条2項を「準用」して、その刑を減軽することができる(控訴審)。最高裁は、この控訴審の判断を正当なものとして維持した。