刑法Ⅰ(07)違法性の錯誤と規範的構成要件要素の錯誤
1具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤
行為者が実現しようとした犯罪と客観的に実現した犯罪との間に食い違いがあることを「錯誤」といいます。この錯誤には、具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤の2種類があります。
具体的事実の錯誤とは、錯誤が同一の構成要件の内部で生じている場合です。例えば、Xが、ベッドで寝ているAを殺害しようとして発砲しましたが、そこに寝ていたのはBであり、Bを殺害しました(客体の錯誤)。また、Xが、ベッドで寝ているAを殺害しようとして発砲し、重傷を負わせましたが、弾丸は隣で寝ていたBにも命中し、Bを死亡しました(方法の錯誤)。さらには、XはAを溺死させるために橋の上から突き落としましたが、Aは橋脚に頭部を打ちつけて打撲により死亡した場合です(因果関係の錯誤)。このような場合、Xが実現しようとした犯罪と客観的に実現した犯罪との間には、客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤があります。ただし、Xは殺人罪を実現しようとして、殺人罪を実現したので、これらの錯誤は殺人罪という同一の構成要件の内部で生じているだけです。この錯誤によって、「B殺人の故意」は否定されるでしょうか(客体の錯誤と方法の錯誤)。また、「A打撲死の故意」が認められるでしょうか(因果関係の錯誤)。
抽象的事実の錯誤とは、錯誤が異なる構成要件にまたがって生じている場合です。例えば、Xが、ベッドに放置されているマネキン人形を処分したところ、そのなかにはAが入っていたため、Aを死亡させました。また、Xは公園のベンチに放置されていたカバンを持ち去りましたが、それはトイレ休憩中のAのカバンでした。さらに、Xはコカインだと思って購入して所持したところ、それは覚醒剤でした。このような場合、Xが実現しようとした犯罪(軽い罪)と客観的に実現した犯罪(重い罪)との間に食い違い=錯誤があります。また、Xが主観的に実現しようとしたのは、器物損壊罪、占有離脱物横領罪、麻薬(コカイン)所持罪でしたがが、客観的に実現したのは、殺人罪、窃盗罪、覚醒剤所持罪でした。錯誤は、異なる構成要件にまたがって生じています。では、Xが客観的に実現した殺人罪、窃盗罪、覚醒剤所持罪の故意は認められるでしょうか。刑法38条2項によれば、重い罪の故意を認めて、重い罪で処断することはできません。では、軽い罪の限度で構成要件が符合しているとして、軽い罪について故意の成立を認め、その罪が成立するといえるでしょうか。
2法定的符合説(構成要件的符合説)に基づく問題解決
具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤のいずれの問題についても、通説・判例は法定的符合説(構成要件的符合説)の立場から解決を図ります。法的的符合説とは、行為者が実現しようとした犯罪と実際に実現した犯罪の2つの犯罪の構成要件を比較検討して、その間に重なり合いがある限度で、故意の犯罪を認める立場です。
具体的事実の錯誤の場合、錯誤は同一の構成要件の内部で生じているので、構成要件の重なり合いが認められ、B殺害の故意が認められ(客体の錯誤・方法の錯誤)、A殺害の故意も認められます(因果関係の錯誤)。なお、方法の錯誤の事案のAに対しては、殺人未遂が成立します。したがって、方法の錯誤の事案では、A殺人未遂罪とB殺人既遂罪の2罪が成立します。この場合、1回の意思決定に基づく1個の行為によって2個の故意犯が成立していることになりますが、このような立場を数故意犯説といいます。これに対して、故意は重い結果に対して符合するとして、殺人既遂罪はBに対して成立し、Aには過失致傷罪が成立するという立場を「一故意犯説」といいます。いずれの説からも成立する2罪は観念的競合になります。
抽象的事実の錯誤の場合、錯誤は異なる構成要件にまたがっているので、構成要件が異なる以上、形式的な重なり合いはありませんが、2つの犯罪の構成要件の重なり合いの有無について実質的に判断することになります。その基準は、実行行為の態様・方法の共通性と保護法益の共通性の有無です。器物損壊罪と殺人罪、占有離脱物横領罪と窃盗罪、麻薬(コカイン)所持罪と覚醒剤所持罪は、それぞれ構成要件が異なりますが、実行行為の方法・態様が共通していれば、さらに保護法益にも共通性があれば、その重なる限度において故意が成立が認められ、故意犯が成立します。器物損壊罪と殺人罪では、財物の効用の損壊と生命侵害という実行行為には共通性はありません、保護法益にも共通性はありません。したがって、軽い方の器物損壊罪の故意は認められません。これに対して、占有離脱物横領罪と窃盗罪では、財物を自己の占有下に移転するという実行行為、財物の占有という保護法益の共通性を認めることができるので、軽い方の占有離脱物横領罪の成立を認めることができます。また、麻薬(コカイン)所持罪と覚醒剤所持罪では、所持という実行行為は同じであり、保護法益の国民の健康・公衆衛生という点で共通しているので、軽い方の麻薬(コカイン)所持罪の成立を認めることができます。
3違法性の錯誤と違法性阻却事由の錯誤
違法性の錯誤とは、行為者が行おうとした行為と客観的に行った行為との間に錯誤はありませんが、行為者はその行為が違法ではないと誤信して行った場合です。客観的には犯罪を行っていますが、違法ではないと認識していました。違法性の意識がなかった場合、故意は成立するのでしょうか。
刑法38条3項は、「法律を知らなかったとしても、そのことによって罪を犯す意思がなかったとすることはできない」と定めています。この条文を、その行為を処罰する法律の存在を知らなかったため、違法であると意識していなかったとしても、それによって罪を犯す意思がなかったとすることはできないと解釈するならば、故意の成立には違法性の意識は不要です。現在のところ、これが判例の立場です。これに対して、その行為を処罰する法律の存在を知らなかったが、違法であると意識していた場合には、罪を犯す意思がなかったとすることはできないと解釈するならば、故意の成立には違法性の意識は必要になります。
類似の問題に違法性阻却事由の錯誤があります。いわゆる誤想防衛や誤想避難の場合です。すでに説明したように、誤想防衛は故意の成立を否定するというのが通説・判例の立場です。急迫不正の侵害が存在しないにもかかわらず、それが存在すると誤想して行為を行い、被害者を負傷させた場合、傷害罪の構成要件に該当する行為の違法性は阻却されません。行為者は被害者を負傷させることを認識していたので、その部分だけを見れば、傷害罪の事実の認識があるように思われます。しかし、行為者は同時に急迫不正の侵害の存在を認識(誤想)していたので、正当防衛の認識しかありませんでした。このような場合、他人を傷害してはならないという刑法の規範に直面することはできません。したがって、行為者に傷害罪の故意ありと非難できません(故意阻却)。
4規範的構成要件要素の錯誤
刑法の条文は、日本語で書かれています。それが何を意味しているか、一応理解できます。しかし、自分が行っている行為がそれに該当しているかどうか、判断に迷う場合があります。わいせつ文書を頒布してはならない刑法の禁止規範の内容は理解できても、自分が頒布している文書が「わいせつ文書」に該当しているかどうか、判断困難な場合もあります。「わいせつ文書」のように法学的な規範的判断を踏まえなければ、その該当性を判断できないものを規範的構成要件要素といいます。その該当性を誤った場合を規範的構成要件の錯誤といいます。この場合、故意の成立には、法律の専門家的な概念的認識は不要です。素人的な意味の認識で足ります。
1具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤
行為者が実現しようとした犯罪と客観的に実現した犯罪との間に食い違いがあることを「錯誤」といいます。この錯誤には、具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤の2種類があります。
具体的事実の錯誤とは、錯誤が同一の構成要件の内部で生じている場合です。例えば、Xが、ベッドで寝ているAを殺害しようとして発砲しましたが、そこに寝ていたのはBであり、Bを殺害しました(客体の錯誤)。また、Xが、ベッドで寝ているAを殺害しようとして発砲し、重傷を負わせましたが、弾丸は隣で寝ていたBにも命中し、Bを死亡しました(方法の錯誤)。さらには、XはAを溺死させるために橋の上から突き落としましたが、Aは橋脚に頭部を打ちつけて打撲により死亡した場合です(因果関係の錯誤)。このような場合、Xが実現しようとした犯罪と客観的に実現した犯罪との間には、客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤があります。ただし、Xは殺人罪を実現しようとして、殺人罪を実現したので、これらの錯誤は殺人罪という同一の構成要件の内部で生じているだけです。この錯誤によって、「B殺人の故意」は否定されるでしょうか(客体の錯誤と方法の錯誤)。また、「A打撲死の故意」が認められるでしょうか(因果関係の錯誤)。
抽象的事実の錯誤とは、錯誤が異なる構成要件にまたがって生じている場合です。例えば、Xが、ベッドに放置されているマネキン人形を処分したところ、そのなかにはAが入っていたため、Aを死亡させました。また、Xは公園のベンチに放置されていたカバンを持ち去りましたが、それはトイレ休憩中のAのカバンでした。さらに、Xはコカインだと思って購入して所持したところ、それは覚醒剤でした。このような場合、Xが実現しようとした犯罪(軽い罪)と客観的に実現した犯罪(重い罪)との間に食い違い=錯誤があります。また、Xが主観的に実現しようとしたのは、器物損壊罪、占有離脱物横領罪、麻薬(コカイン)所持罪でしたがが、客観的に実現したのは、殺人罪、窃盗罪、覚醒剤所持罪でした。錯誤は、異なる構成要件にまたがって生じています。では、Xが客観的に実現した殺人罪、窃盗罪、覚醒剤所持罪の故意は認められるでしょうか。刑法38条2項によれば、重い罪の故意を認めて、重い罪で処断することはできません。では、軽い罪の限度で構成要件が符合しているとして、軽い罪について故意の成立を認め、その罪が成立するといえるでしょうか。
2法定的符合説(構成要件的符合説)に基づく問題解決
具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤のいずれの問題についても、通説・判例は法定的符合説(構成要件的符合説)の立場から解決を図ります。法的的符合説とは、行為者が実現しようとした犯罪と実際に実現した犯罪の2つの犯罪の構成要件を比較検討して、その間に重なり合いがある限度で、故意の犯罪を認める立場です。
具体的事実の錯誤の場合、錯誤は同一の構成要件の内部で生じているので、構成要件の重なり合いが認められ、B殺害の故意が認められ(客体の錯誤・方法の錯誤)、A殺害の故意も認められます(因果関係の錯誤)。なお、方法の錯誤の事案のAに対しては、殺人未遂が成立します。したがって、方法の錯誤の事案では、A殺人未遂罪とB殺人既遂罪の2罪が成立します。この場合、1回の意思決定に基づく1個の行為によって2個の故意犯が成立していることになりますが、このような立場を数故意犯説といいます。これに対して、故意は重い結果に対して符合するとして、殺人既遂罪はBに対して成立し、Aには過失致傷罪が成立するという立場を「一故意犯説」といいます。いずれの説からも成立する2罪は観念的競合になります。
抽象的事実の錯誤の場合、錯誤は異なる構成要件にまたがっているので、構成要件が異なる以上、形式的な重なり合いはありませんが、2つの犯罪の構成要件の重なり合いの有無について実質的に判断することになります。その基準は、実行行為の態様・方法の共通性と保護法益の共通性の有無です。器物損壊罪と殺人罪、占有離脱物横領罪と窃盗罪、麻薬(コカイン)所持罪と覚醒剤所持罪は、それぞれ構成要件が異なりますが、実行行為の方法・態様が共通していれば、さらに保護法益にも共通性があれば、その重なる限度において故意が成立が認められ、故意犯が成立します。器物損壊罪と殺人罪では、財物の効用の損壊と生命侵害という実行行為には共通性はありません、保護法益にも共通性はありません。したがって、軽い方の器物損壊罪の故意は認められません。これに対して、占有離脱物横領罪と窃盗罪では、財物を自己の占有下に移転するという実行行為、財物の占有という保護法益の共通性を認めることができるので、軽い方の占有離脱物横領罪の成立を認めることができます。また、麻薬(コカイン)所持罪と覚醒剤所持罪では、所持という実行行為は同じであり、保護法益の国民の健康・公衆衛生という点で共通しているので、軽い方の麻薬(コカイン)所持罪の成立を認めることができます。
3違法性の錯誤と違法性阻却事由の錯誤
違法性の錯誤とは、行為者が行おうとした行為と客観的に行った行為との間に錯誤はありませんが、行為者はその行為が違法ではないと誤信して行った場合です。客観的には犯罪を行っていますが、違法ではないと認識していました。違法性の意識がなかった場合、故意は成立するのでしょうか。
刑法38条3項は、「法律を知らなかったとしても、そのことによって罪を犯す意思がなかったとすることはできない」と定めています。この条文を、その行為を処罰する法律の存在を知らなかったため、違法であると意識していなかったとしても、それによって罪を犯す意思がなかったとすることはできないと解釈するならば、故意の成立には違法性の意識は不要です。現在のところ、これが判例の立場です。これに対して、その行為を処罰する法律の存在を知らなかったが、違法であると意識していた場合には、罪を犯す意思がなかったとすることはできないと解釈するならば、故意の成立には違法性の意識は必要になります。
類似の問題に違法性阻却事由の錯誤があります。いわゆる誤想防衛や誤想避難の場合です。すでに説明したように、誤想防衛は故意の成立を否定するというのが通説・判例の立場です。急迫不正の侵害が存在しないにもかかわらず、それが存在すると誤想して行為を行い、被害者を負傷させた場合、傷害罪の構成要件に該当する行為の違法性は阻却されません。行為者は被害者を負傷させることを認識していたので、その部分だけを見れば、傷害罪の事実の認識があるように思われます。しかし、行為者は同時に急迫不正の侵害の存在を認識(誤想)していたので、正当防衛の認識しかありませんでした。このような場合、他人を傷害してはならないという刑法の規範に直面することはできません。したがって、行為者に傷害罪の故意ありと非難できません(故意阻却)。
4規範的構成要件要素の錯誤
刑法の条文は、日本語で書かれています。それが何を意味しているか、一応理解できます。しかし、自分が行っている行為がそれに該当しているかどうか、判断に迷う場合があります。わいせつ文書を頒布してはならない刑法の禁止規範の内容は理解できても、自分が頒布している文書が「わいせつ文書」に該当しているかどうか、判断困難な場合もあります。「わいせつ文書」のように法学的な規範的判断を踏まえなければ、その該当性を判断できないものを規範的構成要件要素といいます。その該当性を誤った場合を規範的構成要件の錯誤といいます。この場合、故意の成立には、法律の専門家的な概念的認識は不要です。素人的な意味の認識で足ります。