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Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅰ(07)判例

2021-05-24 | 日記
047規範的構成要件要素の認識(最大判昭和32・3・13刑集11巻3号997頁)
【事実の概要】
 出版社社長Xは、D・H・ロレンス著『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳・出版を企画し、Yにその翻訳を依頼し、その内容に性的描写のあることを知りながらこれを出版した。XとYは、わいせつ文書販売罪で起訴された。
 第1審は、本件翻訳書が「わいせつ文書」に該当するとして、Xにわいせつ文書販売罪につき有罪、Yには共犯は成立しないとして、無罪を言い渡した。これに対して検察官とXが控訴した。
 第2審は、Xが出版した翻訳書は、客観的に見てわいせつ文書に該当することを認めた上で、わいせつ文書販売罪の故意の成立について、本書に描かれている性的描写が「わいせつ性」を有することの認識は必要ではなく、性的な描写が記載されているることを認識し、その翻訳書を販売することの認識があれば、本罪の故意として足りると判断した。つまり、わいせつ文書販売罪を犯す意思として、当該翻訳書が「わいせつ文書」に該当することの認識を要しない、性的描写のあることを知っていれば足りると判断した。従って、Xが当該翻訳書がわいせつ文書に該当しないと錯誤したとしても、それはわいせつ文書販売罪の故意を阻却する事実の錯誤ではなく、違法性の錯誤でしかない。刑法38条3項によれば、違法ではないと錯誤していても、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、違法性を錯誤したことに情状がある場合には、その刑を減軽することはできる。このように判断して、X・Yに対して、わいせつ文書販売罪の共同正犯の成立を認めた。
 これに対して、X・Yが上告した。
【争点】
 「わいせつ文書」とは何か。どのような意味か。行為者にどのような認識があれば、わいせつ文書頒布罪の故意があるといえるか。刑法学は、「わいせつ性」の概念に関して専門的に定義している。わいせつ文書販売罪の故意の成立には、このような専門的な概念的な認識が必要なのかか。それとも、法律学の専門家ではなく法律学の素人のあいだで共有されている「わいせつ性」の認識で足りるのか。前者の立場からは、わいせつ文書販売罪の故意が厳格に認定され、後者の立場からは、わいせつ文書販売罪の故意は比較的広く認定されることになる。
 刑罰権の濫用やその恣意的な行使を制限するために、犯罪の成立は厳格に認定することが求められる。犯罪の構成要件に該当するかどうか、違法性が阻却されるかどうかなどは、事実に即して判断する必要がある。さらに、故意の成否も、行為者が認識していた事実的な内容を踏まえて、可能な限り限定的に判断するのが望ましい。
 しかし、限定的すぎると、故意の成立が否定されてしまい、法益の保護や社会秩序の維持が手薄になってしまう。とくに、わいせつ性のような高度な専門的な概念は、一般の素人には理解が難しく、「この雑誌はわいせつ文書であるが、あの雑誌は違う」と区別することは困難である。わいせつ文書販売罪の故意として、法学的な高度で専門的な概念的認識が必要であるとするならば、わいせつ文書販売罪の故意が成立することは、ほとんどなくなってしまう。ただし、行為者がある雑誌を「わいせつ文書」と認定していなくても、その雑誌の意味、そこで描かれている事柄の意味を認識していれば、違法性を認識しうる可能性がある場合もある。そのような「意味の認識」がある場合には、わいせつ文書販売罪の故意の成立を認めることができるのではないか。
【裁判所の判断】
 刑法175条の罪における犯意の成立については、問題となる記載が存在することを認識し、これを頒布販売することを認識していれば足り、これが記載された文書が同条所定のわいせつ性を具備することの認識まで必要ではない。かりに主観的に刑法175条のわいせつ文書に該当しないと誤信して文書を販売しても、販売した文書は客観的にわいせつ性を有しており、その錯誤は主観的には法律の錯誤であり、犯意の成立を阻却するものではない。問題となる記載が存在することを認識していた以上、わいせつ性に関して完全に認識していたとか、未必的な認識にとどまっていたとか、また全く認識していなかったというのは、刑法38条3項の但書の情状の問題にすぎず、犯意の成立には関係ない。従って、この趣旨を認める原判決は正当である。
【解説】
 犯罪の客観的構成要件は、行為主体と行為、行為客体と法益侵害結果、行為と結果の因果関係から成り立っている。その要素のうち、行為客体につき、事実的な要素と規範的な要素の二種類がある。
 事実的要素とは、「人」のように、条文に書き表された事実的なものである。目の前にいる「A君」が「人」にあたることは、事実の問題として、誰にでも容易に認識できる。
 規範的要素とは、「わいせつ文書」のように、条文に書き表されているが、必ずしも事実的なものではない。目の前に置かれている「雑誌」が「わいせつ文書」にあたるかどうかは、「わいせつ」とはどのような意味かという価値や評価の基準を理解していなければ、容易に認識することはできない。これは「雑誌である」という事実の問題を超えた、その雑誌の性質の問題である。「わいせつ文書」は、このような意味から規範的構成要件要素と呼ばれている。
 女性や男性の裸体を写した写真集などの場合、事実の問題としては「裸体の写真集」であるということしか認識できないが、その写真が好色的趣旨を含んだもの、またひわいなものである場合、法は健康的な性風俗を維持するために、それを「わいせつ文書」として販売を禁止するなどしている。しかし、裸体の写真集にも様々なものがあるので、段階的な区別をしなければならない。例えば、健康美を映し出した写真集、肉体的芸術美を描いた写真集、好色的趣旨を含んだ写真集、わいせつな写真集などがあり、刑法で禁止されているのは「わいせつな文書」だけである。従って、わいせつな文書にあたることを知りながら販売した場合、わいせつ文書販売罪の故意があると認められる。
 しかし、わいせつとは何か、という基準は、明らかではないので、人によっては、「この写真集は、たんなる好色的趣旨しかない」と軽く認識することもある。この人は、「わいせつ文書にあたる」と認識しなかったので、わいせつ文書販売罪の故意はないと判断されるのか。最高裁は、本件に関して重要な判断を示した。
 刑法175条のわいせつ文書販売罪の故意とは、何か。それは、販売している翻訳書のなかに、男女の性的な描写があることを認識していれば、それが175条の「わいせつ性」を備えていることまで認識していなくてもよい。販売した文書は客観的にわいせつ性を有しており、かりに「わいせつ性」はないと誤信して、その翻訳書を販売した場合、その錯誤は「法律の錯誤」であり、故意の成立を阻却するものではない。
048違法性の意識(最一決昭和62・7・16刑集41巻5号237頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、自己の経営する飲食店の宣伝のため、100円紙幣と同じ寸法で、同じ絵柄の三種類のサービス券を作成し、客らに配布した。Xは、通貨及証券模造法1条違反の罪(通貨模造罪)で起訴された。
 第1審は、Xを同罪で有罪にした。被告人は控訴したが。第2審は、Xの控訴を棄却した。
【争点】
 真正の通貨と見間違うような物を作成すると、刑法上の通貨偽造罪が成立する。真正な通貨に手を加えて、別の通貨と見間違うような物を作成すると、通貨変造罪が成立する。
 これに対して、真正の通貨ではないことは明らかであるが、紛らわしい物を作成すると、通貨模造罪が成立する。模造の模造は、一見して真正の通貨とは異なること明らかであっても、紛らわしいことはいうまでもない。このような行為もまた処罰される(もちろん、通貨偽造や通貨変造よりも法定刑は軽い)。
 しかし、子ども向けのゲームなどでは「子ども銀行券」のようなものが使われたり、また飲食店のサービス券などでも1000円札を模した割引券が作成されることがある。それらは一見して真正の通貨と異なることは明らかである。しかし、紛らわしいものである。紛らわしいからとはいえ、刑事罰を加える必要のないものもあるある。行為者は、1000円札に模したサービス券を作成していることを認識している場合、行為者に通貨模造の認識があるといえるか。
 行為者が「サービス券を作成している認識」だけであれば、「通貨を模造している認識」はない。ただし、「」真正の通貨に模したサービス券を作成している認識」があったならば、「通貨を模造している認識」があったと判断され、通貨模造罪の故意があったと認定されるおそれがある。ただし、そのような場合、行為者が、「真正の通貨に似せた方が、お客さんに喜んでもらえると思ったので、そのようなサービス券を作成した認識しかなかった。違法だとは思わなかった」と主張した場合、どのように考えるべきか。それでも「通貨を模造している認識」があったので、通貨模造罪の故意があったと認定してもよいか。
【裁判所の判断】
 原判決は、違法性の意識を欠いていたとしても、それにつき、相当の理由がある場合には故意が阻却されることがありうるが、本件は相当の理由がある場合には当たらないので、故意が阻却されないと判断したが、この故意が阻却されないとした判断は、結論的に是認することができる。
 原判断は、結論的に妥当であるので、行為の違法性の意識を欠くにつき、相当の理由があれば(故意が阻却されて)犯罪は成立しないとの見解の採否についての立ち入った検討をまつまでもなく、本件の行為を有罪とした原判決の結論には誤りはない。
*最高裁の判断について、若干の解説をつけておく。
 刑法38条3項は、法律の存在を知らなくても、そのことをもって、罪を犯す意思がなかったとすることはできないと定めている。これは、自己の行為が違法であることを知らなくても、それを理由に犯罪の故意の成立を否定するものではないと解釈されている。つまり、故意の成立には違法性の意識は不要である。最高裁は、一応この立場に立っている。しかし、下級審には、違法性を意識していなければ、故意があったとはいえないはずであるという立場から、38条3項の条文を、自己の行為を処罰する法律が存在することを知らなくても、それが違法であると意識していた場合には、または少なくとも違法であると意識しえた場合には、故意がなかたっとすることはできない、ただし違法であることの意識を欠いたことにつき、相当の理由があれば故意を阻却すると解釈しています。現在のところ、最高裁は、下級審のような解釈を採用していない。したがって、最高裁としては、本件の事案に関して、故意の成立には違法性の意識を要しないという立場から、被告人は100円札に似たものを作成し、またその認識があった以上、違法であることを知らなくても、通貨模造罪を犯す意思がなかったとすることはできない、と判断すれば足りたはずである。しかし、そのように判断せずに、故意が阻却されないとした原判決の判断は、「結論的に是認することができる」とした。通貨模造罪の故意の成立を認めた控訴審の判断を不服とした被告人が上告したので、最高裁としてはそれを棄却するだけで、それ以上の判断を示す必要はなかったのあるが、かりにこれが、控訴審が通貨模造罪の故意を否定し、検察官が判例の立場から上告した事案であったならば、最高裁は控訴審の判断について立ち入った検討をしなければならなかったに違いない。
【解説】
 通貨を偽造または変造すると、刑法の通貨偽造罪または通貨変造罪にあたる。偽造とは、真正な通貨と間違うようなものを作成すること、変造とは、通貨を加工して、真正な通貨と間違うようなものを作成することをいう。模造とは、真正な通貨と間違うほど精巧なものを作るのではなく、紛らわしいものを作成することをいう。
 100円紙幣に似た「サービス券」と書かれたものを作成した場合、通貨に似た、紛らわしいものを作成しているので、通貨模造にあたる。被告人Xにも、その認識はあった。しかし、Xは、これを作成するにあたり、警察署に行き、相談をするなどし、特に問題はないとのアドバイスを受けていた。通貨に似た、紛らわしいものを作成しているが、問題はない、違法ではないと認識していた。
 判例では、伝統的に、故意の成立には違法性の意識は必要でないと解されてきた。本件では、通貨に似た紛らわしいものを作成している事実の認識があれば、通貨模造罪の故意があことになる。たとえ、Xが警察に相談し、問題ないとアドバイスを受けたので、違法性の意識はなかったと主張しても、違法性の意識は故意の成立に必要ではないので、故意の成立は否定されない。せいぜい、刑法38条3項但書の「情状」として、刑の任意的な減軽事由になるだけである。 ただし、Xが(警察署ではなく)弁護士や検察官などの法律専門職に相談に行き、問題ないとアドバイスを受けていたならば、Xの認識としては、作成しているのは通貨に似た紛らわしいものではなく、サービス券であるので、違法ではないと誤信したことに相当の理由があるので、故意が阻却されると解することもできる。弁護人は、このように主張して、最高裁で争ったのである。しかし、判例は、故意の成立に違法性の認識は必要ではないので、たとえ弁護人がこのように主張したとしても、故意の成立を否定することはできない。そうであれば、Xが違法でないと誤信したことにつき、相当の理由があるかどうかについて、最高裁が言及する必要はないはずである。このような点について言及したのは、故意の成立にとって、違法性の意識は何らかの関係があると考えているのではないかと推測される。
049法律の不知(最二判昭和32・10・18刑集11巻10号2663頁)
【事実の概要】
 X・Yは、村のつり橋が腐朽し、車馬の通行が危険になったので、村役場に掛け替えを申し入れたが、それが実現しなかったため、人為的に落下させ、雪害によって落橋したように装うために、ダイナマイトを用いて橋を爆破し、それにより往来を妨害した。
 第1審は、爆発物取締罰則1条違反の罪と往来妨害罪(刑法124条)の成立を認め、酌量減軽し、懲役3年6月に処した(実刑判決)。第2審は、X・Yが爆発物取締罰則1条の法定刑が死刑または無期もしくは7年以上の懲役であることを知らなかったとして、酌量減軽とあわせて、X・Yの犯行動機、性格、素行などを考慮して、刑法38条3項但書による刑の減軽を認め、X・Yに懲役2年、執行猶予3年に処した。
 これに対して、検察官が上告した。検察官は、次のように主張した。刑法38条3項の「法律を知らなかった」というのは、行為が法律上許されない、「違法であることを知らなかった」という意味である。違法であることを知らなくても、罪を犯す意思(故意)がなかったとすることはできない。ただし、違法であることを知らなかったことにつき、情状がある場合には、刑を減軽することができる。このように解釈しなければならない。
 執行猶予をつけた原判決では、X・Yは、「爆発物取締罰則1条の法定刑が死刑……などであるということを知らなかった」と認定し、そのことにつき情状があるとして、刑の減軽を認め、さらに執行猶予を付けたが、被告人らは法定刑に死刑があることを知らなかったといっているだけであって、自己の行為が違法であることを知らなかったとはいっていない。被告人らは自己の行為が違法であることを知っていたのである。そうすると、被告人らに刑法38条3項ただし書きを適用して、刑を減軽することはできないはずである。原判決が、被告人らにただし書きを適用して、減軽したことは、この規定の解釈を誤ったものである。
【争点】
 刑法38条3項は、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思(故意)がなかったとすることはできない」と規定している。ただし、法律を知らなかったことにつき、情状がある場合には、その故意犯の刑を減軽することができる(ただし書き)。この「法律を知らない」というのは、どのような意味か。自分の行為を処罰する法律があることを知らなかった、だから違法であることを知らなかった。そうであるとしても、故意がなかったとすることはできない。そのような意味か。それとも、そのような法律があることを知らなかったが、違法であることは知ってい。そうであるならば、故意がなかったとすることはできない。このような意味か。判例は、前者の解釈、すなわち違法であることを知らなくても、故意がなかたっとすることはできないと解釈している。そして、違法であることを知らなかったことにつき、情状がある場合にだけ、ただし書きを適用して、故意犯の刑が減軽することができる。そうすると、違法であることを知っていた場合、もちろん故意は認められ、法律の存在を知らなかったことにつき、情状があっても、ただし書きの規定を適用して刑を減軽することはできない。
 これに対して、後者の解釈の立場に立つと、異なる結論にいきつく。つまり、行為者が法律があることを知らなくても、違法であることを知っていたならば、故意がなかったとすることはできないと解釈した場合、情状を理由にただし書きを適用して刑の減軽をはかるのはどのような場合かというと、それは法律の存在を知らなかったことにつき情状がある場合ということになる。法律が制定されていることを知らなかったとか、その法律の名称は聞いたことがあるが、内容は知らなかったとか、法定刑に死刑があることを知らなかったという場合、その知らなかったことにつき情状がある場合、故意犯の刑を減軽することができることになる。
【裁判所の判断】
 刑法38条3項但書は、自己の行為が刑罰法令により処罰さるべきことを知らず、これがため行為の違法であることを意識しなかったにもかかわらず、それが故意犯として処罰される場合において、右違法の意識を欠くことにつき斟酌(しんしゃく)または宥恕(ゆうじょ)すべき事由があるときは、刑の減軽をなし得べきことを認めたものと解するを相当とする。従って、自己の行為に適用される具体的な刑罰法令の規定ないし法定刑の寛厳の程度を知らなかったとしても、その行為の違法であることを意識している場合は、故意の成否につき同項本文の規定をまつまでもなく、また前記のような事由による科刑上の寛厳を考慮する余地はありえないのであるから、同項但書により刑の減軽をなし得べきものではないことはいうまでもない。
【解説】
 日本には、膨大な数の法律があり、そのなかに多くの罰則が含まれている。そのような法律があることを知らずに、それに該当する行為を行なった人に、はたして故意に行ったといえるか。
 刑法38条3項は、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思(故意)がなかったとすることはできない」と規定している。この「法律を知らない」というのは、どのような意味か。「法律があることを知らなかった」というだけの意味か、それとも「法律があることを知らなかったので、違法であることも知らなかった」という意味か。
 第2審は、刑法38条3項を「法律があることを知らなかった」という意味で理解し、被告人らが爆発物取締法の存在を知らなかった、その法定刑の厳しいことを知らなかったことを斟酌して、同条但書を適用して、刑を減軽した。これに対して、検察官は、「法律を知らない」というのは、その行為が違法であることを知らないという意味で理解し、被告人らは爆発物を使用した事実の認識があり、違法であると意識していたのであるから、刑法38条3項のただし書きを適用することはできないと主張した。
 最高裁は、被告人らは爆発物取締法の法定型に死刑が含まれていることを知らなかっただけで、自分らの行為が違法であることを知っていた。刑法38条3項ただし書きの規定は、行為者が自分の行為が違法であることを知らず、そのことにつき情状がある場合に適用されるだけであって、本件のように、被告人らが自分たちの行為が違法であることを知っていた場合に適用できるものではないと判断した。

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