映画『ロリーニ事件』は何を問いかけているのか
映画『コリーニ事件』のクライマックスで問題にされたドレーアー法とは、1968年5月にドイツ連邦議会において可決された秩序違反法施行法とそれに伴う刑法の一部改正法を指す。この法律が施行されることによって、真正身分犯の共犯のうち、身分のない者の刑に科される刑が減軽されることになり、その公訴時効の期間もまた減軽された刑を基準に算定されることになった。この説明だけでは、何のことなのか分からない方もいるかもしれない。少し専門的になるが、次の教授と法学部生の仮想の対話を通じて理解していただきたい。
学生:マッティンガー教授。質問があるのですが、お時間よろしいでしょうか。謀殺罪と故殺罪の違い、謀殺罪の身分犯性、謀殺罪の共犯、その公訴時効について教えてほしいのですが。
教授:やあ、ライネン君だね。勉強熱心だね。では、説明するとしよう。
ドイツ刑法では、君が言うように、殺人の罪を謀殺罪と故殺罪に区別して規定している。謀殺罪も故殺罪も故意に他人を殺す行為である。謀殺罪は熟慮した上での計画的な殺人であり、それに対して故殺罪はそのような計画なしに、たんに故意に殺してしまうことだ。他人の生命を侵害した点では同じだが、その動機や心理状態などは違う。ゆえに、その責任の重さが違う。従って、その違いを重視して、ドイツ刑法では謀殺罪と故殺罪が区別され、その法定刑にも差が設けられている。謀殺罪には終身刑、故殺罪は5年以上15年以下の自由剥奪刑が科される。
もっとも、このような区別をせずに、日本の刑法のように殺人罪という包括的に定め、法定刑も「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」と広く設定し、裁判官の量刑裁量の幅を広く認める例もあるのだが。謀殺罪と故殺罪を区別することで、裁判官の裁量はその分だけ限定されることになる。法によって裁判官の判断を制限できるというわけだ。
学生:ドイツ刑法が謀殺罪と故殺罪を区別して規定している意味がよく分かりました。では、謀殺罪と故殺罪の特徴をそれぞれお話いただけるでしょうか。
教授:1870年にドイツ帝国が建国され、刑法が施行されたのが1871年。その当時、謀殺罪は熟慮の上での殺人、故殺罪は熟慮なしの殺人と定められていた。検察官がいずれの罪で起訴するか判断にあたって、この「熟慮」の有無は重要であり、また刑事弁護人も被告人に有利な判断を引き出すために、この「熟慮」の有無をめぐって争った。裁判官も検察官が被告人の「熟慮」を裏付ける証拠を出して証明しない限り、謀殺罪での有罪を言い渡せない。このような「熟慮」の有無は刑事裁判でも非常に重要な役割を果たしていた。
しかし、1941年、謀殺罪と故殺罪の条文が大幅に改正された。ナチスがソ連に宣戦布告した年だ。謀殺罪は快楽殺人、人種的憎悪による殺人、下劣な動機に基づく殺人として改められ、故殺罪はこのような心情的傾向や主観的動機に基づかない殺人として改正された。その当時の犯罪人類学や犯罪心理学などの科学的な研究成果を土台に据えた法改正としては、例を見ないものだ。それは現行刑法の規定として今日にまで至っている。
学生:謀殺罪の改正内容がよく分かりました。刑法教科書を読むと、この謀殺罪は「身分犯」であると説明されています。身分犯とは、犯人の一定の社会的地位や属性があることで犯罪が構成される犯罪、これが真正身分犯。また、犯人の一定の属性によって犯罪の違法性や責任の軽重に差が生ずる犯罪、これが不真正身分犯。公務員が職務に関して利益を受けるような収賄罪のような犯罪が真正身分犯。銀行の預金係が顧客からあずかった預金を着服する業務上横領罪が不真正身分犯。他人から預かった物を着服すると単純横領罪ですが、それを銀行員という業務者が行った場合には加重類型である業務上横領罪が成立します。この区別はよく分かります。では、謀殺罪はどの身分犯にあたるのでしょうか。
教授:これは難しい問題だが、一般には謀殺罪は真正身分犯であると理解されている。謀殺罪は、訳があって殺人を行うという単純な殺人とは違って、殺人自体を快楽と感じる異常人格、優生思想のような人種的・差別的憎悪など下劣な動機を備えている人間が行う殺人と捉えられている。それに対して、人は状況いかんによっては人を殺すこともあるので、故殺罪は身分犯ではない。
学生:では、謀殺罪に協力した人は、どうなるのでしょうか。謀殺罪の共犯(幇助犯)が成立すると思いますが、その人に下劣な動機がない場合でも、謀殺罪の幇助が成立し、謀殺罪の法定刑が適用され、処断されるのでしょうか。
教授:これは歴史を振り返る必要がある。かつては、それに関する明確な条文が刑法になかったために、協力者に下劣な動機がなくても、等しく謀殺罪の共犯が成立すると考えられてきた。科される刑は謀殺罪の法定刑が基準にされた。
しかし、1968年5月に制定された秩序違反法施行法とそれに伴う刑法の一部改正法によって、真正身分犯の共犯のうち、身分のない者の刑が減軽されることになった。謀殺罪を例にとると、その協力者(幇助犯)に下劣な動機がない場合には、謀殺罪の法定刑ではなく、それを減軽した刑を科すことになった。謀殺罪の法定刑は終身刑であり、それを減軽すると5年以上15年以下の自由刑に引き下げられることになった。
下劣な動機の有無は関与者の責任の軽重を決定する重要な争点だ。関与者の個々の責任に応じた刑を科すというのは、団体責任や集団責任を斥けた近代刑法の責任主義の要請に応えるものである。私は、この改正を高く評価している。
学生:例えば、ナチのホロコーストは謀殺罪にあたると思います。それを計画したヒトラーは謀殺罪の正犯。ヨーロッパ各地でその実行に協力したSSの幹部、強制収容所の所長らは謀殺罪の幇助犯と扱われていますが、この公訴時効はどうなるのでしょうか。
教授:今度はナチの過去の問題かね。これもまた歴史を振り返る必要がある。
ナチの犯罪のうち、謀殺罪以外の罪、故殺罪や傷害致死罪などの公訴時効は15年であった。1945年5月8日を起算点にして計算すると、1960年5月8日に完成することになる。これに対して、謀殺罪の公訴時効は当時は20年であるが、その起算点については1965年の刑法改正によって連邦共和国が建国された1949年にずらされたので、1969年12月31日に完成する(もっとも、1969年に議会は10年の延長を決定し、その後1979年に最終的に謀殺罪の公訴時効を廃止したのだが)。
しかし、先に言った1968年5月に改正法が施行されることによって、真正身分犯の共犯のうち、身分のない者の刑が減軽されることになり、その公訴時効は減軽された刑を基準に判断されることになった。結論的に言えば、ナチのホロコーストに関与した協力者のうち、下劣な動機のなかった者の刑は15年以下の自由刑であり、その公訴時効は15年で、もうすでに1960年5月8日の時点で完成していたことになった。手品みたいな話だが、公訴時効制度というものはそういうものだ。
学生:昨年受講した「イタリア現代史」の講義で、第2次世界大戦期、ドイツの同盟国であったイタリアは1943年に連合国に降伏し、ドイツはその後イタリアに侵攻して、そこで連合国と交戦状態に入ったと教わりました。1944年6月、ナチはモンテカティーニの反ファシズム・パルティザンや住民を虐殺したとも習いました。現地の指揮官の罪はどうなるのでしょうか。彼が謀殺罪の幇助犯として扱われても、下劣な動機から行っていますよね。だとしたら、公訴時効は20年になり、1969年12月末まで訴追可能ですよね。虐殺された住民の遺族は、ドイツの裁判所に告訴・告発できますよね。
教授:わが国の指揮官は、いつの時代も上司の命令に忠実に従う組織的人間である。任務の遂行にあたって私情を差し挟まないことをモットーとする。上官の命令を受け、それを熟慮した上で実行する。それがわが国の指揮官の義務である。下劣な動機から任務を遂行するなどあり得ない。たとえ、君が言うように、指揮官が謀殺罪の幇助犯であるとしても、その御方に下劣な動機があったと言えない限り、その刑は減軽される。その公訴時効も、それに応じて短縮される。繰り返しになるが、その公訴時効がすにで1960年5月8日完成していることは言うまでもない。1969年12月末まで訴追可能だというのは誤りである。
学生:驚きました。熟慮した上で住民を虐殺しても、「上司の命令であった」ので、「下劣な動機ではない」。それを理由に謀殺罪を幇助したことの責任を免れることができるんですね。謀殺罪の「熟慮」の要件が外され、「下劣な動機」に置き換えた刑法改正が独ソ戦の最中に行われたことを、教授は科学の成果の反映だとおっしゃいましたが、実は軍関係者や高級官僚が、戦後になって(ドイツ敗戦後に)謀殺罪の正犯として訴追されるのを免れるために「保険」をかけたのではないのですか。1968年の法改正は、その協力者の公訴時効を短縮するのが真の狙いで、そのために真正身分犯の共犯のうち、下劣な動機によらない者の刑を減軽する法改正をしたのではないのですか。そうですよね、教授。
教授:ライネン君。法学部生らしくないことを言うね、君は。わが連邦議会の議事録を読みたまえ。そのようなことが書いてあるのかね。
学生:では、改めて伺いますが、1968年の法改正の目的は何だったのですか。改正作業に携わった人は誰なのですか。
教授:司法省の統括責任者はヨーゼフ・シャフホイトレ先生だったが、刑事法特別部会を指導したのは、エドュアルト・ドレーアー先生だ。司法省での研修時代の私の指導教官だ。誰に対しても優しく接する先生だった。そのお姿は今でも記憶に残っている。
1968年は「学生の叛乱」の時代だった。「資本主義の豚を倒せ、社会主義革命だ!」と空疎なスローガンを掲げて、多くの若者が毎日のようにデモと集会をしていた。その一部は、急進的な正義感ゆえに疑問を持たず、組織の明瑛を受けて、謀殺罪、放火罪など取り返しの付かない犯罪に加担した。ライネン君、そのような彼らもまた「モンテカティーニの指揮官」と同じなんだよ。分かるかね。1968年当時の司法大臣のグスタフ・ハイネマン先生は、そんな若者を救済するために、謀殺罪に関わった若者のうち、下劣な動機によらずに加担した者の刑を減軽するできないかとつぶやかれた。ドレーアー先生は、その期待に応えて法案を準備し、刑事法特別部会に提出した。それが刑法改正の目的だよ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
もっとも、ドレーアー先生は別のことを考えていたようだ。先生は、フランクフルトのフリッツ・バウアー検事長の動きを気にされていた。だから、「秩序違反法施行法」という目立たない法案の中に刑法改正条項をこっそりと忍び込ませたのではないかな。それを連邦議会に提案し、すんなり通過させた。先生は、若い学生だけでなく、わが国の歴史も守った、と言っていたよ。あれは見事だったよ。
学生:……。そうですか、それはよかったですね。……おじゃましました。では、失礼します。
映画『コリーニ』は警告する。「わが国は法治国家である」と信じて疑わない人に対して、本当にそうなのかと。「自分はナチとは違う、民主主義者だ、法と正義の側に立っている」と信じて疑わない人に対して、本当にそうなのかと。過去に目を閉ざす者は未来に対して盲目になると述べた偉人がいた。『コリーニ事件』の原作者のシーラッハは、その「過去」に改めて向き合った。映画監督のクロイツパイントナーは、それをリアルに映像化した。もはや偉人の目を通して見た歴史認識で満足することはできない。自分の目で歴史を見つめなければならない。それは遅れて生まれてきた世代の特権であると同時に、義務でもある。映画『コリーニ事件』が投げかける問いを避けることは許されない。