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Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅰ(09)応用編(刑事判例資料034~039、061)

2020-07-01 | 日記
034責任能力の基準(最二判昭和53・3・24系週32巻2号408頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、昭和37年から5年間ほど海上自衛隊員として勤務していた。Xは、友人Aの妹のB(Aの母親はC女であり、Bはその4女)に好意を抱き、結婚を申し込んだ。しかし、Cの一家は革新主義者であったために断られた。

 Xは、昭和43年1月にCの家を訪問したとき、友人のAらと思想的に対立し、不快な思いをしたため、昭和44年1月31日午後10時ころ、棒様の鉄片に茶異論のテープを巻きつけたものを携えて、Cの家に行った。しかし、タクシーで帰された。そこで、11時ころにタクシーでCの家に引き換えした。運転手Dを殴打し、就寝中のAの実姉Eの長女F、次女G、三女Hを殴打し、駆け付けた近所のJ、さらにEおよびIの長男Jを殴打し、E、F、G、I、Jを死亡させ、H、Dに重傷を負わせた。Xは、殺人汽水罪および殺人未遂罪で起訴された

 第1審は、被告人は、本件犯行当時、精神分裂病で、通常人の健全な人格に比べて、多少劣るところがあったものの、本件犯行は、幻聴や妄想ないし作為体験といった病的体験と直接のつながりはなく、周到な準備のうえに行なわれ、また証拠を隠滅するなどしていることからしても、完全な責任能力を認めることができるとして、死刑を言い渡した。

 第2審は、被告人は精神分裂病の病歴があるとはいえ、すでに寛解(かんかい・完全に治癒していなうが、その症状がおさまり、日常生活を送るうえで支障がない状態)していたとして、弁護人の控訴を棄却した。

 これに弁護人が上告した。

【裁判所の判断】
 右のような、被告人の病歴、犯行態様にみられる奇異な行動、および犯行以降の病状などを総合的に考察すると、被告人は、本件犯行当時、精神分裂病(統合失調症)の影響により、行為の是非善悪を弁識する能力(弁識能力)またはその弁識に従って行動を制御する能力(制御能力)を著しく減退していたとの疑いを抱かざるをえない。
 ところが、原判決は、被告人の精神状態の著しい欠陥、障害はなかったものと認めている。そうすると、原判決は、被告人の限定責任能力を認めなかった点において判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑いがあり、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものと認められる。
 したがって、本判決を差し戻す。

【解説】
 刑法38条1項本文は、故意のない行為は罰しないと定め、その但書は、法律に特別の規定が設けられている場合には、故意のない行為であっても処罰されるとしている。前者を故意犯、後者を過失犯という。犯罪として処罰されるのは、原則的に「罪を犯す意思」のある故意犯の場合であって、過失犯は例外である。

 故意または過失が認められれば、故意犯または過失犯の構成要件に該当することが認められ、故意犯または過失犯の「責任」が推定される。

 または、犯罪の構成要件該当の違法行為を行なったことについて、故意または過失が認められれば、「故意責任」または「過失責任」が推定される。

 しかしながら、行為時に行為者が心神喪失の状態(刑39①)にあった場合、責任が阻却されるため、処罰されない。行為者が心神耗弱の状態(刑39②)にあった場合、責任は減少し、その刑が減軽される(必要的減軽)。

 故意または過失によって違法な行為を行なったにもかかわらず、責任が阻却・減少するのはなぜか。それは行為者の行為時の責任能力がなかった、または減退していたからである。故意または過失によって違法な行為を行おうとしするとき、それを行うべきではない(違法行為を行なわないか、他の適法行為を行なうべきである)。しかし、そのようは選択と判断ができるのは、行為の是非・善悪を判断し、その判断に従って行動できる能力が備わっている人だけである。精神の障害によって、その弁識能力(弁別能力)または制御能力が欠如していれば、故意または過失によって違法行為を行なったことに対して、非難はできない。また、たとえその能力が備わっていても、著しく減退してれば、非難の度合いも低下せざるをえない。このような能力のことを責任能力といい、刑法上、故意または過失の行為の責任を阻却・減少する事由として位置付けられている。

 責任能力のない者(責任無能力者=心神喪失者)の行為は処罰されず、責任能力があっても、それが減退しているもの(限定責任能力者=心神耗弱者)の行為は、刑が減軽される。ただし、責任無能力者や限定責任能力者が行う行為は、すべて責任が免れるとか、責任が減少するわけではない。精神の障害が、ある特定の行為を行なうにあたって、その是非善悪を弁識し、判断する能力に影響を及ぼしている場合だけである。そのような場合には、故意または過失が認められても、責任能力の有無と程度を判断しなければならない。それは、医学や心理学の専門家による精神鑑定を踏まえて判断されることになる。


035責任能力の認定(最一決平成21・12・8刑集63巻11号2829頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、被害者A宅の玄関ドアとたたき、4時間前後、付近を徘徊し、午後10時過ぎには、バットを被害者に振り下ろして、自動車で走り去った。犯行当日の午前1時45分ころから3時45分ころまで友人とドライブした後、午前4時過ぎころ、金属バットとサバイバルナイフを持って、被害者宅に侵入して、被害者Aを殺害し、Aの次男に傷害を負わせた。

【争点】
 犯罪構成要件に該当する行為を故意に、または過失により行った場合であっても、行為者に責任能力がなければ処罰されない。また責任能力があっても、それが著しく減退していれば、その刑が減軽される。

 このような責任能力の有無または減退の度合を明らかにするために、刑事裁判では、精神科医や心理学者による精神鑑定が行われることがある。裁判官や検察官、弁護人は、法律の専門家であるので、責任能力の問題については医学や生物学、心理学などの専門家に鑑定を委ね、その意見を参考にして、法律的な立場から最終的な判断を行う。責任能力は、一方で医学・人間科学の専門領域に属する問題であるが、他方で法律学・刑法学の問題でもある。刑法で問題にされる責任能力は、あくまでも法律的概念・制度であるため、医学などの専門家の意見を尊重しながら、最終的に法的見地から判断される。


【裁判所の判断】
 責任能力の有無・程度の判断は、法律判断であって、専ら裁判所にゆだねられるべき問題であり、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべきものである。したがって、専門家たる精神医学者の精神鑑定等が問題になっている場合においても、鑑定の前提条件に問題があるなど、合理的な事情が認められれば、裁判所は、その意見を採用せずに、責任能力の有無・程度について、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定することができる。

【解説】
 行為当時、行為者の精神状態がどのようなものであるのかを知らなければ、当該行為に関して責任能力があったのか、あたっとしてもどの程度あったのかは分からない。それは法律学の理論を学習しても明らかにはならないので、医学や心理学の専門家に委ねることになる。これを精神鑑定という。

 精神鑑定は、医学・心理学などの専門家による、自然科学的・人間科学的な調査・分析の結果である。これは、法や社会倫理に基づく価値判断とは異なる。

 刑事裁判において、責任能力の有無や程度が争われるのは、法律家である裁判官、検察官、弁護人の持つ知識だけでは判断できないからである。それゆえ、専門家に判断が委ねられることになる。その判断は、医学や心理学の高度の知識に基づいているが、法律家である裁判官は、それに拘束されるのか、それとも裁判官が判断するための一材料にすぎないのか。責任能力が自然科学的な概念であれば、法律家たる裁判官は専門家の精神鑑定の結果に拘束され、それを踏まえることになるが、責任能力が法律概念であり、最終的には裁判官による法的判断に基づいて、その有無や程度が決せられるとすると、裁判官は精神鑑定に拘束されるわけではない。ただし、精神鑑定の見解は尊重されなければならない。

 本決定は、責任能力の有無・程度の判断は、法律判断であって、専ら裁判所にゆだねられるべき問題であり、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべきものであると述べて、責任能力が法的概念であることを明確に示した。


036実行行為と責任能力(長崎地判平成4・1・14判時1415号142頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、午前11時ころから自宅で焼酎を飲み始め、妻Aと些細なことで口論となり、腹立たしい思いで飲酒を続けた。午後2時ころ、再びAと口論となり、Aを殴打するなどしたが、Aが態度を変えなかったので、飲酒の量を増やし、数度にわたってAの顔面を殴るなどした。Aは倒れ、Xはそのうえにさらに殴打し、午後11時ころ外傷性ショックにより死亡させた。
 Xの飲酒および暴行の時間的経緯の詳細は不明であるが、午後3時40分ころに配達員が焼酎を配達し家に訪れ、Xはそれに対応している。それ以前の飲酒量は、焼酎8合以下であり、暴行はまだAが立ち歩ける程度のものであった。Xは、午後3時40分以降、飲酒を続けて、焼酎を1升飲み、午後11時までの間において、Aに執拗に暴行を続け、死亡させたことが推測される。
 弁護人は、Xは、Aを死亡させた最終段階において、多量の飲酒による心神耗弱の状態にあったので、刑法39条2項を適用し、(傷害致死罪の)刑を減軽すべきであると主張した。
 裁判所は、Xは本件犯行の初めの時点では単純酩酊であったが、その後、本件犯行の中核的な行為を行った時点では、複雑酩酊の状態に陥っており、是非善悪を弁別する能力が著しく減退しており、それに従って行動する能力は著しく減退していた。すなわち、犯行の途中から心神耗弱の状態にあったと認定したうえで、次のように判断した。

【争点】
 飲酒を開始したときには責任能力があり、被害者に暴行を加えた(第1暴行)。その後、飲酒を継続するなかで、途中から責任能力が減退し、被害者に暴行を加えた(第2暴行)。その結果、被害者が死亡した。第1暴行と第2暴行は、同一の場所で同一の機会において連続的に行われたものであるが、このような暴行が原因で被害者が死亡した場合、刑法39条2項の「心神耗弱」を適用して、その刑を減軽を認めることができるか。

【裁判所の判断】
 本件(の暴行による傷害)は、同一の機会に同一の意思のもとに行なわれたものであり、(傷害罪の)実行行為は継続的あるいは断続的に行なわれたものである。被告人Xは、心神耗弱下において犯行を開始したのではなく、犯行開始時において責任能力に問題はなかったが、犯行を開始した後に更に自ら飲酒を継続したために、その実行行為の途中において複雑酩酊となり、心神耗弱の状態に陥ったにすぎない。このような場合に、右事情を量刑上斟酌すべきことは格別、Xに対して非難可能性の減弱を認め、その刑を必要的に減軽すべき実質的な根拠があるとは言い難い。そうすると、刑法39条2項を適用すべきではないと解するのが相当である。

【解説】
 構成要件に該当する違法な行為を故意または過失によって行った場合でも、刑事責任がなければ処罰できない。また、責任能力が著しく減退していれば、その刑は減軽される。
 責任能力は、行為の是非善悪に関するものであるため、当該行為を行う前またはその時点において、行為者に備わっていなければならない。これを「行為と責任能力の同時存在の原則」(実行行為と刑事責任能力の同時存在の原則)という。
 犯罪の実行行為(構成要件的行為)を開始した時点において、刑事責任能力がない、あるいは減退していると判断された場合には、刑法39条1項または2項を適用することができる。ただし、次のような場合、この原則の適用の可否が問題になる。
 第1に、犯罪の実行行為を開始したときには、刑事責任能力は備わっていたが、それを継続している途中から、刑事責任能力が欠如ないし減退し、その後、構成要件的結果が発生したような場合である。これを殺人罪と傷害致死罪の2つについて考えてみよう。
 責任能力者Xが、故意に殺人罪の構成要件的行為を開始し、その継続中に責任能力が欠如または減退し、その後、死亡結果が発生した殺人罪の場合。
 責任能力者Xが、故意に暴行罪または傷害罪の構成要件的行為を開始し、その継続中に責任能力が欠如または減退し、その後、死亡結果が発生した傷害致死罪の場合
 前者の殺人罪の場合、実行行為時に責任能力があり、その時点において殺意があるので、責任能力の欠如または減退後に生じた死亡結果について責任を負わなければならない。

 後者の傷害致死罪のような結果的加重犯は、基本犯(暴行罪または傷害罪)から加重結果(致死)が発生した場合であり、故意に基本犯を行ない、それと加重結果の間に因果関係があれば足り、加重結果については過失も不要であると理解するならば(判例の立場)、行為者には基本犯の実行の時点において責任能力と故意がある以上、加重結果の発生の時点において責任能力の有無は問題にはならない。また、加重結果について過失を必要とする立場からも、加重結果の過失(予見可能性)は、基本犯の行為を行う時点において認められれば足りるので、基本犯を行う時点において責任能力があれば、加重結果の発生の時点において責任能力が欠如または減退していても、それは問題にはならばい。

 第2に、実行行為を開始し、法益侵害結果が発生したときには(結果行為時)、刑事責任能力は欠如または減退していたが、その状態を作り出した原因行為を行なったときには(原因行為時)、責任能力が備わっていたような場合である。原因行為と結果行為が時間的・場所的に異なる場合、行為の継続性や一連性・一体性が認められない場合である。このような場合、「原因において自由な行為」の問題として扱われる。


037過失犯と原因において自由な行為(最判昭和26・1・17刑集5巻1号20頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、某飲食店で午前11時ころから同店の従業員Aとともに飲食し、午後2時ころ同店の調理場において従業員Bから「いい機嫌だね」と言われ、Xの顔をBの顔に近づけたが、すげなく拒絶されたため、Bを殴打したところ、居合わせたAや料理人から静止された。憤慨したXは、そばにあった肉切包丁をとっさに取り、Aを突き刺し、出血により死亡させた。Xは殺人罪で起訴された。

 原審は、被告人は精神病の遺伝的素質が潜在するとともに、著しい回帰性精神病者的顕在症状があり、犯行時に多量に飲酒したことによって病的酩酊に陥り、ついに心神喪失状態において殺人を行なたことが認められと認定して、無罪を言い渡した(殺人行為時に殺意があったこ認定した)。

 検察官が上告し、酩酊時に他人に暴行を加える習癖にある者が、自ら招いた酩酊で心神喪失になり、人を殺傷したという本件のような事案では、たんに犯行時の被告人の精神状態ばかりでなく、その直前の責任条件(故意か、過失か)および責任能力(の有無)を審査すべきであり、その結果、「酩酊前にすでに殺傷の故意を有し、その酩酊状態を利用したといえる場合以外」には、(殺意がなかったので)過失致死罪または過失致傷罪の責任を認めるべきであると主張した。

【裁判所の判断】
 本件被告人の如く、多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、因って心神喪失の状態において他人に犯罪の害悪を及ぼす危険ある素質を有する者は居常右心神喪失の原因となる飲酒を抑止又は制限する等前示危険の発生を未然に防止するよう注意する義務あるものといわなければならない。しからば、たとえ原判決認定のように、本件殺人の所為は被告人の心神喪失時の所為であったとしても、(イ)被告人にして既に前示のような己れの素質を自覚していたのであり且つ(ロ)本件事前の飲酒につき前示注意義務を怠ったがためであるとするならば、被告人は過失致死の罪責を免れ得ないといわなければならない。

【解説】
 Xは、包丁でAを刺突し、死亡させた。そのとき、殺意があったと認定された。Xの行為は、殺人罪の構成要件に該当する違法な行為であり、それを故意に行ったことが認められ、殺人の故意責任が推定される。ただし、心神喪失の状態において行ったこと(責任無能力の状態にあったこと)が認められれば、刑法39条1項が適用されて、刑事責任が阻却され、処罰されない。原審は、殺人罪を行ったときに心神喪失状態であったと認定して、無罪を言い渡した。

 しかしながら、Xが心神喪失の状態に陥ったのは、多量に飲酒したからである。しかも、多量に飲酒すれば、他人に危害を加えた経緯と習癖があり、また本人もそのことを認識していた。このような場合は、殺人という結果行為の時点の責任能力や故意を問題にするのではなく、その直前の原因行為の時点の責任能力や故意・過失を問題にすべきである。飲酒をした時点において、責任能力が備わっており、その時点において殺意があり、酩酊による責任無能力の状態で被害者を殺害した場合には、原因行為時において責任能力と殺意があったことを理由に故意の殺人罪の成立を認めることができる。殺意がなかったならば、過失致死罪の成立する余地がある。検察官はこのように主張した。

 この検察官の主張が、いわゆる「原因において自由な行為」の理論である。殺人という結果行為の時点において責任能力がなくて(意思の自由がなくても)、責任能力喪失させる飲酒という原因行為の時点において責任能力があり(意思の自由があり)、そして責任無能力に陥った状態を利用して結果行為を行うことの予見(故意)または予見可能性(過失)があった場合には、結果行為に対して故意または過失の責任があると認定することができる。

 結果行為の時点において刑事責任能力が欠如していても、それに「原因において自由な行為」の理論を適用することができるならば、刑事責任能力のある原因行為の時点において、結果行為を認識・予見していたならば故意が、それを認識・予見していなかったが、認識・予見可能性があったならば過失が認められる。

 この「原因において自由な行為」の理論は、実行行為と刑事責任能力の同時存在の原則とどのような関係にあるのか。

 実行行為の時点においては刑事責任能力は欠如ないし減退しているが、飲酒行為の時点においては備わっていると理解するならば、飲酒行為時に責任能力が備わっていたことを理由に、実行行為の責任を認めることになり、実行行為時に責任能力の存在を求める原則を修正することいなる。

 これに対して飲酒行為は責任能力の欠如または減退の原因であるだけでなく、実行行為の開始を意味すると理解するならば、原則を堅持することができる。ただし、そのためには、飲酒行為が殺人罪や過失致死罪の構成要件に該当すること(構成要件該当行為を開始すること)を認めなければならない。しかも、その後、飲酒の影響で寝てしまった場合には、殺人の故意のある場合には、殺人未遂罪の成立を認めることになる。これは、同時存在の原則を維持しはするが、実行行為の概念を幅広く認定することになり、問題が残る。



038故意犯と原因において自由な行為(大阪地判昭和51・3・4判時822号109頁、判タ341号320頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、飲酒すれば自己を押え難くなり、他人に対し暴力を振るうことが多く、すでに離別した内妻などから、酔い覚め後、狼藉(ろうぜき)を告げられるなどして、その非を知ることがあった。とくに昭和48年2月に強盗未遂などの犯行当時、複雑酩酊のため心神耗弱状態にあたっと認定されたうえ、執行を猶予されたが、保護観察付きの有罪判決を受け、裁判官から特別遵守事項として禁酒を命ぜられていた。

 このように飲酒すれば、その誘惑から自己抑制が困難になるXは、昭和49年6月8日、午後5時ころから午後8時ころまで数か所で飲酒し、その結果、酩酊状態に陥り、意識は多少あるが、是非弁別能力および行動制御能力を欠如する状態を招き、その夜遅く、牛刀を携え、市内を徘徊中、Aの運転するタクシーを停めて乗車し、車内でAに危害を加えるべき体勢を示して脅迫し、暴行を加えた。

 Xは、酒気帯び運転の罪と暴力行為等処罰法の示凶器暴行脅迫罪で起訴された。

【裁判所の判断】
 行為者が、責任能力のある状態で、自ら精神障害を招き、それによって責任無能力の状態または限定責任能力の状態を作り出して、その状態を利用しようという積極的な意思のある場合、それは故意の原因において自由な行為であるといえるので、その意思は犯罪実行時にも作用しているというべきであって、犯罪実行時の行為者は、責任無能力や限定責任能力の状態に陥っていても、道具であると同時に、責任能力ある間接正犯という地位を持っている。したがって、故意犯については、その実行行為時に、責任能力のある間接正犯の行為は、法定的定型性を具備し、行為と責任の同時存在を認めることができる。

 Xは、本件犯行前に飲酒を始めるにあたって、積極的に責任無能力の状態において犯罪を実行しようと決意して飲酒したとは認められない。しかし、自ら任意に飲酒を継続したことが認められ、飲酒しなければ死に勝る狂うに襲われるような特殊な状態にあたっとも認められない。さらに、裁判官から禁酒を命ぜられていたことを自覚していた。したがって、飲酒すれば責任無能力または限定責任能力の状態に陥って、他人に暴行脅迫を加えるかもしれないことを認識・予見しながら、飲酒を続けたといえるので、暴行・脅迫の未必の故意を認めることができる。


【解説】
 結果行為を行なった時点において刑事責任能力が欠如または減退していても、その状態を作り出した原因行為の時点において責任能力が認められれば、「原因において自由な行為」の理論が適用され、刑事責任を認めることができる。

 この事案では、実行行為と刑事責任能力の同時存在の原則を維持する立場から、重要な判断が示されている。凶器を示して、タクシー運転手に暴行・脅迫を行なった結果行為の時点において、行為者に責任能力がなくても、責任能力の欠如の原因となった飲酒の時点、すなわち原因行為の時点において、行為者に責任能力と故意または過失があれば、原因行為に対して「原因において自由な行為」の理論を適用し、それを処罰することができる。

 この場合、飲酒=原因行為の開始をもって、示凶器暴行・脅迫罪の実行行為の開始(実行の着手)と理解するか、それとも示凶器暴行・脅迫罪=結果行為の開始をもって実行の着手と解するか、意見が分かれる。

 本件の判決では、実行行為と刑事責任能力の同時存在の原則を堅持する立場から、結果行為時において責任能力がなくても、原因行為時に責任能力と故意があれば、原因行為に「原因において自由な行為」の理論を適用して、処罰することができると解している。その際に援用されているのが、いわゆる間接正犯の理論(しかも利用者行為基準説)である。

 間接正犯論とは、父親Xが実子の幼児(5才)Yに窃盗を行なわせた場合、Yが窃盗の正犯(刑事未成年ゆえに責任阻却で不処罰)、Xがその教唆犯とするのではなく、端的にXを窃盗の(間接)正犯として処罰する理論である。その場合、YはXが窃盗を遂行するために「道具」として利用されたに過ぎないと解する。これを「原因において自由な行為」に援用すると、本件では責任能力のあるXが暴行・脅迫の未必の故意のもとに、自分自身を責任能力のない状態に陥れて、そのような状態に陥った自分「X´」を「道具」として利用して暴行・脅迫をさせているので、示凶器暴行・脅迫罪で処罰できる。

 この場合、酒気帯び運転の実行の着手時期の判断について、利用者「X」の行為を基準にするか、それとも被利用者「X´」の行為を基準にするかで見解が分かれるが、行為と責任の同時存在の原則を堅持する立場からは、利用者行為を基準にすることになると思われる。

 利用者行為を標準にした場合、認定される責任は、故意責任か、それとも過失責任か(あるいは故意犯の構成要件該当の違法行為の責任か、過失犯の構成要件該当の違法行為の責任か)。本件では、原因行為時における酒気帯び運転の故意、暴行・脅迫の未必の故意があったことが認定されている。

039限定責任能力と原因において自由な行為(最決昭和43・2・27刑集22巻2号67頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、飲酒後に自動車を運転することを認識しながらビールを飲み、その後駐車してあったAの自動車を自車と取り違えて無断で運転し、途中で乗車させたBを畏怖させて金品を喝取した。Xは、行為当時、心神耗弱の状態にあった。

 第1審は、Xに、酒酔い運転の罪の成立を認め、刑法39条2項を適用して刑を減軽した。

 原審は、第1審判決を破棄・自判し、被告人Xは、心神に異常のない時に酒酔い運転の意思があり、それによって酒酔い運転をしているのであるから、運転時には心神耗弱の状態にあったにせよ、刑法39条2項を適用することはできないとした。

【争点】
 「原因において自由な行為」の理論は、一般に、飲酒などの原因行為の時点においては責任能力があったが、飲酒運転などの結果行為の時点においては責任無能力の状態に陥った場合(心神喪失)に適用される。

 結果行為の時点において、まだ責任能力が認められば、「原因において自由な行為」の理論を適用するまでもない。では、結果行為の時点において責任能力があるが、それが著しく減退していた場合(心神耗弱ないし限定責任能力)、どのように扱われるのか。

【裁判所の判断】
 本件のように、酒酔い運転の行為当時に飲酒により心神耗弱の状態にあたっとしても、飲酒の際酒酔い運転の意思が認められる場合には、刑法39条2項を適用して刑の減軽をすべきでないと解するのが相当である。

【解説】
 「原因において自由な行為」の理論を間接正犯類似の理論を用いて説明するならば、それは行為者が結果行為時において責任無能力状態に陥った場合、すなわち「道具」になった場合に限られることになるが、判例は「原因において自由な行為」を間接正犯類似の理論を用いて説明するが、それは自己を「道具」のように責任無能力状態に陥れた場合に限定していない。

 もしも、心神喪失・責任無能力状態=道具のように状態になった場合だけに限定すると、限定責任能力の状態では道具のような状態とはいえないため、「原因において自由な行為」の理論を使うことができなくなてつぃまう。そうすると、結果行為時において心神耗弱であった以上、刑法39条2項を適用して、刑の減軽を認めることになり、不当な結果になってしまう。


061期待可能性(最一小判昭和33・7・10刑集12巻11号2471頁)

【事実の概要】
 被告人は、東芝電気株式会社の工場長として、失業保険法所定の保険料の納付義務があったが、昭和23年9月から11月までの保険料を納付しなかったため。失業保険法違反の罪で起訴された。

 第1審は、被告人に有罪の判決を言い渡した。

 控訴審は、これに対して、被告人に「適法行為の期待可能性」がなかったとして、無罪を言い渡した。義務の履行は、その履行が可能である限りにおいて、履行することが期待されるのであるから、義務者が義務を履行することが不可能であるような場合には、たとえ義務の不履行があったからといって、その責任を問うことはできない。法は可能なことを義務づけるのであって、不可能を強いるものであってはならない。
 本件の失業保険料の納付義務を履行しなかった背景には、戦後直後のインフレーションと統制経済による原料価格の高騰、過剰従業員による人件費の増大、一般生活費の高騰に起因する従業員の賃金要求・ストライキから生じた生産低下などがあった。また、会社の経理状況も悪化し、本店から支店への送金も遅れていた。このような事情にもとに、被告人に対して本件失業保険料の納付義務の履行を期待することは不可能であったと見るのが相当である。


【裁判所の判断】
 最高裁は、被告人を無罪にした。

 控訴審の無罪の判断は、次の通りである。被告人が保険料を納付しなかった行為は、失業保険法の罪の構成要件に該当し、違法であり、かつ故意もあったが(責任能力があったことはもちろんである)、被告人に対して、保険料の納付という義務の履行=適法行為を行うことを期待しえなかった以上、その責任を問うことはできない(期待可能性の欠如による超法規的責任阻却)。7

 これに対して、最高裁は、被告人の行為は、保険料納付義務違反の構成要件該当性を否定した。

 失業保険法53条が、法人の代理人に適用される場合の「法意を考えてみるに、53条2項に『被保険者の賃金から控除した保険料をその農夫期日に納付しなかった場合』というのは、法人又は人の代理人、使用人その他の従業者が、事業主から保険料の納付期日までに被保険者に支払うべき賃金を受け取り、その中から保険料を控除したか、又はすくなくとも事業主が保険料の納付期日までに、右代理人等に、納付すべき保険料を交付する等、事業主において、右代理人等が納付期日に保険料を現実に納付しうる状態に置いたにも拘わらず、これをその納付期日に農夫しなかった場合をいうものと解するを相当とし、そのような事実の認められない以上は、……その代理人、使用人その他の従業者については、前記53条に規定する犯罪の構成要件を欠くものというべきである」。


【解説】
 犯罪は、構成要件に該当する違法で、かつ有責な行為である。

 ある行為が、犯罪構成要件に該当すると、その犯罪の違法性が備わっていると推定を受ける。しかし、違法性阻却事由(刑法35ないし37の法定の違法性阻却事由や被害者の同意などの超法規的違法性阻却事由)があれば、違法性が阻却される。

 そのような違法な行為を故意または過失により行ったとしても、行為者が行為時に心神喪失や心神耗弱の状態にあった場合、責任が阻却される(法定の責任阻却事由)。

 学説では、さらに超法規的責任阻却事由として「適法行為の期待可能性の欠如」を認めている。これは、行為者が構成要件該当の違法行為を行い、その者に責任能力があり、さらに故意・過失が認められても、適法行為を選択し実行することが期待できなかった場合には、超法規的に責任を阻却するというものである。つまり、責任の本質とは、犯罪以外の適法行為を選択し実行するこが可能であったにもかかわらず、それを選択せず、違法行為を実行することを決意した、あるいは不注意からそれを実行したことに対する非難可能性であり、犯罪以外の適法行為を選択し実行するこが不可能であった場合には、行為者を非難することはできない。

 適法行為の期待可能性の欠如の例として、「カルネアディスの板」の事例がある。海を漂流しているXとYが、一枚の板に寄りかかろうとしたが、それは一人が寄りかかるだけで沈んでしまいそうな薄い板であった。Xは生き延びたいために(自己の生命に対する現在の危難を避けるために)、板を引き寄せた。その行為はYの死を意味した(Y殺人罪の構成要件該当の行為であり、Xの生命とYの生命が同価値であるため、違法性が阻却されなかった)。このような場合、Xの行為の違法性は阻却されないが、適法行為の期待可能性が欠如することを理由に超法規的に責任を阻却することによって、無罪にすることができる(二元説)。