Ⅲ 売春法の成立過程
ドイツ連邦議会は、2001年12月20日、「売春婦の法的関係を規制するための法律」(Gesetz zur Regelung der Rechtsverhaltnisse der Prostuierten)、いわゆる売春法を可決し、翌年1月1日から施行した12)。
売春法によると、売春婦と顧客との間であらかじめ対価を決めて交わされた売春または売春類似行為の契約は、民法上有効であり(1条)、売春は契約を無効たらしめるような良俗違反の行為ではない。従って、売春婦が契約通り性行為を行ったにもかかわらず、顧客が対価の支払いに応じない場合は、債務不履行であり、売春婦は客に対して債権を主張できる。逆に売春婦が契約通りの性行為を完全ないし部分的に行わなかった場合、客は売春婦による対価の支払請求に対して異議申立を行うことができる(2条)。また、売春婦が勤務する売春宿やナイトクラブなどの経営者は、売春婦のために社会保険に加入することを義務づけられる(3条)。これは、売春が他の奉仕業と同じように職業として承認されたことを意味する。
売春法の制定に伴って、売春に関する行為を処罰してきた規定も変更された。それまで刑法180a条1項の「売春助長罪」では、「数人の者が売春に従事する事業所」で、かつ「これらの者が人的若しくは経済的な従属関係において拘束されている事業所」(1項1号)や「住居、宿泊所若しくは滞在場所をたんに提供するにとどまらず、またその提供に通常伴う付随的な給付を超える措置を講じて、売春への従事を助長する事業所」(1項2号)を営業的に維持または運営した者には、3年以下の自由刑または罰金刑が科されてきたが、1項2号の規定が削除されたことによって、人的・経済的な支配従属関係において成人女性を拘束して売春に従事させる「強制売春」のみが処罰されるだけになった。売春を行うか否かは、性的自由の問題である。人的または経済的な従属関係のもとで拘束された状態において、売春に従事するのは、強制された売春に従事することにほかならない。強制売春の処罰根拠は、性的自由を侵害する点にあり、任意の売春に従事する者に部屋を提供するなどの行為は、完全に合法化された。また、181a条2項の「売春幇助罪」では、「営業的に性交渉をあっせんすることによって、他人が売春に従事することを助長し、かつその行為に関して、個別的な事例を超える関係をその者との間において維持した者」に刑罰が科されてきたが、売春婦の「人的または経済的な移動の自由」が侵害されない限り不可罰とされた。売春婦への援助それ自体は、可罰的な不法を構成するものではなく、売春婦の「人的または経済的な移動の自由」という基本権への侵害に処罰の根拠があることが明らかにされた。
このような法律が制定された背景には、ドイツ社会の深刻な状況がある。売春法が制定された当時のドイツでは、およそ40万人が売春に従事し、その圧倒的多数は女性であった。毎日のように売春婦は、売春宿、ナイトクラブ、街頭または個人の住居で売春に従事していた。彼女らのもとに客として訪れる男性は、年間120万人にのぼり、単純計算すると1日あたり3千人以上にのぼった。40万人の売春婦が、1人あたり3人の客を相手にしている計算になる。売春、テレホン・セックス、インターネット・セックスなど性的奉仕業から得られる収益は、年間で約125億マルクに達し、国家はこのような売春婦の所得から税を徴収してきた。それにもかかわらず、彼女らの行為を職業として法的に承認することを長く拒んできた。売春婦は失業保険、健康保険や年金保険などに加入することができず、法的に無権利状態に置かれ、またその仕事を理由に社会的に差別されてきた。彼女らの「労働環境」を改善するために衛生的な部屋を貸し与えようとすれば、「売春助長罪」として処罰されるリスクを負わねばならなかった。売春婦の生活のために、客引きとして協力する者は、「売春幇助罪」で刑罰の威嚇にさらされてきた13)。
ドイツ連邦議会は、売春法を制定することによって、長きに渡って続いてきた「非合法売春」の時代に終止符を打ち、売春婦をそこから解放した。
1売春をめぐる司法の動向
『売春問題の法律問題』の著者であるマルガレーテ・ガーレン弁護士によれば、売春法が制定されるまでの「数十年間、判例は保守的な価値観念に囚われてきた」14)という。判例が囚われてきた「保守的な価値観念」とは、どのようなものだったのか。
1901年、帝国裁判所において、売春契約は「公正かつ衡平に思考するすべての者の礼儀感覚とは相容れない」、つまり「平衡的な基準に基づいて評価された風習に表現された民族構成員の感情と矛盾する」がゆえに、良俗に反し(sittenwidrig)、かつ共同体侵害的(gemeinschaftsschadlich)であり、従って民法138条1項によって無効であると判断された15)。それ以降、ドイツでは売春は一貫して法的保護の埒外に置かれてきた。戦後においても状況は基本的に変わらなかった。連邦行政裁判所は、売春は共同体侵害的な行為であり、それは「職業犯罪人」が行う犯罪と同一であり、いうまでもなく「職業」の自由の対象にはなりえないと判断した16)。その後、「共同体侵害性」に言及する判決は見られなくなったものの、良俗違反性を理由に売春に従事する女性は法的保護の対象から外され続けた。
1980年、連邦行政裁判所は、職業的に売春行為に従事するためにドイツ国内での滞在許可を申請したフランス人女性に対して、所轄の官庁がそれを拒否したことにつき、「職業的なわいせつ行為は、たとえそれが禁止され処罰されていなくても、様々な観点から見れば反社会的な行為であり、売春とそれに結びついた人身売買の諸悪は、人間的人格の尊厳と価値に合致するものではなく、個人、家族、社会の福祉を侵害」するため、売春のような「人間の尊厳と一致しえないような方法で収入を得ることは、自明の如く、欧州経済共同体の調和のとれた発展と拡大を基礎づける経済政策の対象にもなりえないし、また経済生活の構成部分にもなりえない」と論じて、滞在不許可の措置は、欧州経済共同体条約7条1項の差別禁止条項に抵触しないと判断した17)。欧州経済共同体における人的および職業的な移動の自由は、欧州経済共同体とその構成国の経済発展に資する限りにおいて保障され、そしてそこで行われる経済政策は、「人間の尊厳」と一致しなければならない。売春によって生活の糧を得ることが人間の尊厳に反している限り、そのような経済活動を行うためにドイツに入国する者には滞在を拒否できる。そして、それは欧州経済共同体の理念と条約によって正当化されるというのである。今や、売春は良俗違反であるだけでなく、「人間の尊厳」に反する行為と判断されるまでになった。強欲な強盗殺人でさえ、人間の尊厳に反すると言われたことはない。それにもかかわらず、売春を行うこと、あるいは売春婦であることは、人間の本来的なあり方と矛盾するというのである。売春婦に押された非人間的烙印は、あまりにも過酷である。
連邦行政裁判所によって売春の良俗違反性の判断基準として用いられた「人間の尊厳」は、その後の1981年のいわゆる「ピープショー判決」18)においても適用された。ピープショー(Peep-Show)とは、顧客が硬貨を投入して小部屋の小窓を開けると、その中で裸の女性がダンスし、セックスショーを演じているのを覗き見れる仕組みのショーである。判決によれば、このピープショーは、人間の尊厳に反する良俗違反の営業活動であり、営業法33a条に違反しているため、それゆえ所轄の官庁はその開業を許可しないことができる。ピープショーがなぜ人間の尊厳に反するのか。それは、「基本法に根付いている価値観念に矛盾する行動は、良俗に反する」が、「基本法の中心的価値および良俗概念を内容的に規定する価値は、まさに人間の尊厳(基本法1条)の保護および尊重である。個々人が、国家や私人からの介入によって、その人格的な固有価値を侵害され、物に貶められた場合には、人間の尊厳が侵害されたといえるからである」。ピープショーの場合、ストリップショーとは異なり、人間の尊厳が侵害される。ストリップは、伝統的な舞台演技であり、出演女性の人格的な主体性は侵害されていないが、ピープショーの場合は、その全体状況から見れば、出演女性は機械仕掛けの商売用の見世物、つまりモノに貶められている。ピープショーの場合、硬貨を投入すれば、裸体女性の景色が自動販売機の商品のように購入でき、そこにおいては出演女性は人間の尊厳を剥ぎ取られたモノ、商品でしかない。客が部屋の窓の開閉を自分で行って、一方的に中を覗き見ることによって、女性は欲望の対象物として客の目にさらされ、性的興奮を刺激するモノとして扱われるだけである。女性の人間としての尊厳は完全に否定されているというのである。人間の尊厳には、個々人の尊厳を超越する客観的で普遍的な価値があり、たとえ女性が「ピープショー」を演ずることを任意に決定しても、それによって人間の尊厳への侵害性が失われるわけではない。個々人が、人間の尊厳の客観的価値から逸脱して、その主観的な志向や信念を貫く場合、人間の尊厳は、その個々人の任意の意思決定からも保護されねばならないのである。
このピープショー判決に対して、学界は鋭く反応した。例えば、「連邦通常裁判所は、もはや人間の自由を尊重するのではなく、人間の尊厳に関する観念を人間に押しつけている。それこそが、連邦通常裁判所が許されないと明示的に述べた強制に他ならない。個人が自己または他者を危殆化していない限り、国家には市民を『改善』する任務などない。国家は市民の生の決定(Lebensentscheidung)を尊重しなければならない」という批判が向けられ、また「一定の人間の態度が社会侵害性(Sozialschadlichkeit)の限界を超えている場合には、国家には措置を講ずることが許されるが、ピープショーの場合、そのような社会侵害性は示されていない」19)と批判が出された。すなわち、裁判官は人間の尊厳を尊重すると言いながら、実のところ人間を価値的に扱い、人間の尊厳を尊重するという要請を侵害しているというのである。ピープショーの女性は、客に観賞されることを承知の上で、自己の意思に基づいてダンスやセックスショーを演じているのであって、そこには自己や他者への侵害は基本的に起こりえない。人間の尊厳を尊重するというのは、個々人の自己決定された意思を尊重することなのである。このような批判は、売春の良俗違反性の判断にもあてはまると思われるが、ピープショー判決は、下級審における実務に約2〇年に渡って強い影響を及ぼし、売春やピープショーの良俗違反性を判断する基準として維持された20)。
売春を良俗違反とする判断は、売春婦が不法行為に対して求める損害賠償額の算定にも差別的に作用した。1976年に連邦通常裁判所は、交通事故で負傷したため1ヶ月のあいだ休職せざるをえなくなった売春婦に支払われるべき賠償額について、売春婦として得ていた収入額を民法249条の意味における損害と見なすことはできず、売春婦が実際に得ていた収入とは無関係に、「健全な人の質素な境遇においても経験的に手に入れうるような生存を充足する収入額」を上限として、賠償額を算定すべきであると判断した。連邦通常裁判所は、このような賠償額の算定方法を「社会倫理的訂正」と呼び、売春婦が稼いだ収入のうち、人間の尊厳に反して得られた部分を法的救済の対象から除外したのである21)。
また、1998年には連邦通常裁判所第11民事部は、テレホンセックスもまた良俗に反しているがゆえに、テレホンカードを商品化・販売してテレホンセックスを商業的に促進する契約は無効であると判断した。この判決によっても、「テレホンセックスでは、会話を提供する側の女性はモノに貶められていると同時に、緊密な人的領域が商品化されており」、また「女性が電話での会話を任意に行っていることは重要ではなく、会話の内容は女性の自由な意識決定に基づくものではなく、彼女らの『積極的』な役割もまた表面的なものに過ぎない」と判断された22)。
このように連邦行政裁判所においても、連邦通常裁判所においても、売春、ピープショー、テレホンセックスなどの性行為は良俗違反の行為であるため、それに従事する女性はまともな法的保護や救済を受けられない状態に置かれてきた。しかし、2000年12月1日のベルリン行政裁判所は、これまで判例を支えてきた価値観念に大きな変更を迫る判決を言い渡した。その事案は次のようなものであった。喫茶店「シーッ、静かに」(Cafe PSST)では、そこに待機している売春婦が来店した男性客と契約を取り交わして、奥の部屋で性行為を行うという方式の売春を行うために、喫茶店の経営者が売春婦に1時間当たり60マルクで部屋を貸していた。ベルリン市は、これが飲食店法に違反しているとして、同喫茶店の営業許可を取り消した。このことに関して、ベルリン行政裁判所は、「飲食店法は営業法であり、人間の態度が……外部的に表現され、それが国民の福祉を侵害している場合には、同法は人間の共同生活を規律しなければならないが、その場合、良俗性の基準を人間に指し示すことが重要なのではない」としたうえで、「任意かつ犯罪的付随現象を伴わずに成人によって従事されている売春は、わが国の社会において今日承認されている社会倫理的な価値観念に基づいて見るならば、(道徳的な評価はともかく)秩序法における意味においては(もはや)良俗違反と見なされるべきではない」と判断し、さらに「売春婦の人間の尊厳が、彼女らの意思に反して保護されねばならないと考えている者は、実のところ人間の尊厳によって、彼女らの保護される自己決定の自由を侵害し、その法的および社会的な不利益を固定化している」という見解を示したのである23)。さらに連邦議会で売春法案が審議されている最中の2001年11月22日、連邦通常裁判所によっても、テレホンセックスに関する契約の良俗違反性に関して、性道徳に関する観念が相当自由化されていること(erhebliche Liberalisierung)を根拠にして、1998年の連邦通常裁判所判例の踏襲が留保されるに至った24)。
ガーレンが指摘しているように、ドイツの司法は21世紀に入って、ようやく性道徳をめぐる社会的観念の自由化に気づき、数十年間に渡って囚われてきた「保守的な価値観念」から解放され始めた。このような状況の中で、連邦議会は売春婦の利害を最大限考慮しながら立法的措置を講ずることに大きく踏み出した。
2売春をめぐる議会内外の運動
1970年代末から80年代初頭にかけて、後に売春婦運動(Hurenbewegung)と命名される運動が始められた。80年代に入って社会問題化したHIV感染に関して、売春婦がその感染源ないし感染媒体であると危険視された。そのような状況のなかで、それまで社会の片隅にいた売春婦が公の場に姿を現し、彼女らが、法的にも社会的にも差別されている現状を訴え、売春の正当性とその職業性を承認することを求めた。それに推される形で、ドイツ全土において、公的な助成を受けた売春婦自立自助プロジェクトが設立され、売春婦に対して売春から退くための助言だけでなく、売春それ自体に対しても助言が与えられるようになった。1985年には売春婦自立自助プロジェクト団体「ヒュードラ」(Hydra)によって最初の売春婦大会(Hurenkongress)が開催され、その後も数多くのプロジェクトの大会が続いた25)。そのようなプロジェクトは、売春婦に対して職業的な倫理観念を啓蒙するためのものであろうとも、また公衆衛生上の措置を講ずるためのものであろうとも、売春婦が抱えている問題を社会的に共有する契機となったことの意義は大きい。
1980年代以降のこのような議会外における社会運動が、議会に影響を及ぼし、売春立法を後押しした。「保守的な価値観念」からの脱却は、当事者たちが踏み出した一歩から始まったのである。1990年、連邦議会のエイズ世論調査委員会は、その最終報告書において、売春婦の法的および社会的地位を向上させることを全会一致で求めた。政党としては緑の党が、売春婦の法的差別を撤廃するための法案を連邦議会に提出し26)、刑法施行法297条と刑法180a条(売春助長)、184b条(青少年に有害な売春)、秩序違反法118条(迷惑行為)、120条(禁止された売春への従事おとび売春の宣伝)を廃止し、売春を非犯罪化し、職業として承認すべきことを訴えた。しかし、東西ドイツの統一の時期に重なっていたこともあって、議会での表決には至らなかった。1995年6月、連邦政府は1990年のエイズ世論調査委員会の最終報告が求めた措置をとるために、第5回全女性閣僚会議を開催することを要請した。売春婦運動の側からは、1996年1月に「機は熟している」というスローガンのもとに、「売春婦と他の勤労者との法的および社会的平等のための法案」という自前の法案が提起された27)。そこでは、売春に必要な特別規定を設けつつ、売春を民法典の奉仕業法に編入することが求められた。また、売春の理性的な管理を禁止するる職業禁止命令や立入禁止区域命令を廃止し、違反行為へ刑罰を科す規定を削除することが求められた。同じ年に、90年同盟・緑の党の会派が、売春婦運動の法案に若干の変更を加えて「売春婦の法的差別を廃止するための法案」28)を提出し、社会民主党もまた「売春婦の差別的処遇を廃止するための法案」を提出した29)。しかし、1998年6月25日、連邦議会は、議会内最大多数派であるキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟および自由民主党が反対したため、これら2つの法案を否決した。連邦議会において十数年に渡って多数派を構成してきた政党が、性道徳をめぐる社会的観念の自由化に気づくには、まだ機は熟していなかった。連邦議会は依然として「保守的な価値観念」に囚われたままであった。
このような動きのなかで、バイエルンでは売春婦がHIVの感染源と見なされ、連邦伝染病法(Bundesseuchengesetz)に基づく強制措置が講ぜられたことをきっかけに、売春をめぐる法的問題に対する公衆の注目は一気に高まった。メディアでは、売春婦の法的・社会的地位の向上を求める様々な取り組みが好意的に報じられ、売春婦みずからが多くの討論番組に出演し、売春のコンセプトについて公衆に訴える機会が与えられた。マスメディアは、とくに性道徳に関する価値観念が変化しつつあることを明らかにした2000年の喫茶店「シーッ、静かに」事件の判決を大きく取り上げ、売春が広く公衆に受容されていることを報じた。新聞も同事件の判決に関して、「売春宿への歩み」や「裁判官はベルリンの最も有名なセックス・バーを救済」との見出しで報道した30)。
3議会での争い
1998年に社会民主党と90年同盟・緑の党が連立会派を形成し、政権を掌握して以降、状況が一変した。まず、旧東独の社会主義統一党を前身とする民主主義的社会主義党が2000年11月1日、「売春婦およびその他の性的奉仕業者の職業的平等に関する法案」31)を連邦議会に提出した。それを受けて、政権党である社会民主党と90年同盟・緑の党の連立会派が、1990年代末に提案された2つの草案に基づいて、2001年5月8日に「売春婦の法的および社会的状況を改選するための法案」32)を提案した。売春法の制定への動きが一気に加速された。
これに対してキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟は原則的に反対の立場を貫いた。キリスト教政党は、売春婦のために社会保険法上の適切な保護を講ずる必要性を認めながら、良俗違反の行為から民法上の債権が発生することを法治国家が肯定することはできないし、そもそも売春は人間の尊厳に反するという主張を繰り返した。さらに法案が刑法180a条1項2号の削除を定めていることに関して、同項が削除されたならば、売春に付随する強制売春や人身売買などの犯罪に対して、治安機関が闘争する権限が「被害者」に不利な方向で弱められてしまうのではないかと危惧が表明された。売春婦のおよそ半数は、強い従属的関係において苦しんでいる人身売買と強制売春の被害者である。また、雇用契約を結んでいないフリーの売春婦は、依然として社会保険への加入の道が閉ざされたままである。その意味で、法案はそれによって利益を受けるのはわずかしかいない現実を見過ごしていると強く批判した33)。国連組織犯罪防止条約が2000年11月15日に採択され、国際社会をあげて人身売買対策に取り組み出した時期と重なっていただけに、売春法の制定がその流れに逆行するという懸念があったのかもしれない。しかし、売春法の制定へと回り出した歯車を止めることはできなかった。連立会派の草案は、一定の修正を施されて賛成多数で可決された。
Ⅳ 売春法の今後と人身保護のあり方
かつてアウグスト・ベーベルは、ドイツは「売春について国家権力が実際におこなっていることと刑事立法とのあいだに存在する矛盾から脱却しようとくりかえし試み」てきたと論じたが34)、2002年の売春法もその試みの一つであって、この問題を考える最初の第一歩を踏み出したにすぎない。しかし、それが売春婦の人間の尊厳にとっては大きな一歩であることは間違いない。それは、売春法の制定を契機にして、法秩序の統一化思考が図られたことにも現れている。一方で売春を良俗違反として、それに関する契約を無効としながら、他方で売春宿の経営者の収益からも徴税しながら、売春助長罪で刑事訴追するリスクを負わせてきた。このように法の観念としては許されない論理矛盾が存在していた。売春の合法化によって、その矛盾が止揚されたことで、性をめぐる犯罪と非犯罪がいっそう明確に峻別されようになった。性に関する問題は個々人の自己決定において解決が図られるべきである。刑罰権が介入できるのは、自己決定権や基本的自由である「人的または経済的な移動の自由」が侵害された場合に限られる。従って、売春への従事が承諾されている場合、そこには可罰的な不法はありえない。
このことは、人身の保護のあり方、特に人身売買罪の基本的性格の捉え方にも影響する。人身売買は、強制売春や強制労働の予備行為として行われるが、それに可罰的不法が認められるのは、被害者の移動の自由を侵害し、かつ売春や労働に強制的に従事させられる危険があるからである。従って、ここでも本人の承諾がある場合には、可罰的不法は生じえない。2000年のベルリン行政裁判所の判決を繰り返すまでもなく、人間の尊厳が個人の意思に反してでも保護されるべきと考えるなら、それは人間の尊厳を構成する自己決定の自由を侵害することに他ならない。組織犯罪に対する強力な法的対応の必要性があろうとも、人間の尊厳への侵害は正当化されない。
最後に、売春法の制定後、注目すべき動きがあるので、それを記しておく。
1つは、性的奉仕業者の職業団体が現れたことである35)。2002年3月25日、ベルリンを中心に売春宿を経営する8人の経営者が、クラブ、バー、ポルノ映画館、移動売春車、SMスタジオ、サウナ、芸能プロダクション、売春またはコールボーイ自営業者などあらゆる種類の性的奉仕業者のために「連邦性的奉仕業連盟」(Bundesverband Sexuelle Dienstleistungen e.V.)の設立を呼びかけた。この連盟は、自らがドイツの経済制度の統合された構成部分であり、他の経営者と同等の位置を有していると認識しているが、現在でもなお売春に従事する男女とその企業は、様々な妨害や差別にさらされ、不安定な状況に置かれているため、①個々の営業活動の経済的改善、②営業の法的障害の除去、③売春および性的奉仕業の社会における評価の向上、④売春の実像の普及などを目標に掲げて活動している。喫茶店「シーッ、静かに」の経営者は連盟創設の一人である。障害者のための性的介助を行う「ティファニー」(Tiffany)という業者も、この連盟に加盟している。
もう一つは、ヨーロッパ諸国の性的奉仕業労働組合や自立自助プロジェクト団体などが、性的奉仕業に従事する人々の基本的人権の保障し、子どもや女性に対する強制売春、人身売買の現状を改善するために、シンポジウムなどの様々な活動を行っていることである。2005年12月にはベルリンで国際会議が開催され、「ヨーロッパにおける女性人身売買と売春」の詳細な状況が報告されている36)。
売春法の制定後のこのような動きの中から、リロ・ワンダースやパトリック・フォードが訴えた売春婦の真の姿を明らかにするきっかけを少しでもつかめるだろうか。売春法の適用状況を検証する中で、それを明らかにしてしていくことが引き続き考察すべきテーマである。
12)BGBl. 2001, I S .3983.
「売春婦の法的関係を規制するための法律」(売春法)の条文は次の通りである。
第一条 売春婦の法的関係を規制するための法律(売春法)
一条 あらかじめ取り決められた対価に対して性行為が行われた場合、その取り決めは法的に有効な債権を根拠づける。人が、とくに業務の関係の枠内において、あらかじめ取り決められた対価に対してその種の行為を行うことを一定の期間準備している場合も同様である。
二条 債権は譲渡することはできず、ただ特定の個人の名において主張することができるだけであ。取り決められた期間に関する限り、1条第1文に基づく債権に対する異議申立は完全な不履行の場合にだけでき、また1条第2文に基づく債権に対する異議申立は部分的な不履行の場合にもできる。その他の異議申立および抗弁は、民法362条に基づく履行の抗弁および時効の抗弁を除いて除外される。
三条 売春婦の場合、従業員として業務に従事する場合に指揮命令権が限定されていることは、社会保険法の意味における雇用として扱うことに対立しない。
第二条 刑法典の変更
1998年11月13日施行の刑法典は、以下の通り変更される。
一 180a条の表題は次の通りに記述される。
「180a条 売春婦の搾取」
二 180a条は、次の通り変更される。
a)表題は、「180a条 売春婦の搾取」と変更される。
b)1項1号は次の通り変更される
aa)「1号」を削除する。
bb)「人的若しくは経済的な従属関係において」の文言の後の「または」の文言は「、」に代えられる。
cc)2号を削除する。
三 181a条2項は、次の通り改められる。
二項 営業的に、性交渉をあっせんすることによって他人が売春に従事することを助長し、かつその行為に関して個別的な事例を超える関係をその者との間において維持することによって、その者の人的または経済的な移動の自由を侵害した者は、3年以下の自由刑または罰金に処される。
13)Emilia Mitrovic, Die Spitze der Doppelmoral - Der gesellschaftliche Umgang mit Prostitution in Deutschland und die aktuelle Situation in Europa, in: Emilija Mitrovic (Hrsg.), a.a.O., S. 14f.
14)Margarette Grafin v. Galen, Rechtsfragen der Prostitution -- Das ProstG und seine Auswirkungen, 2004, S. 1ff.
15)RGZ 48, S. 114, 124.
16)BVerwGE 22, S. 286, 289.
17)MDR 1981, S. 170.
18)NJW 1982, 664f.
19)Henning v. Olshausen, Menschenwurde im Grundgesetz: Wertabsolutismus oder Selbstbestimmung?, NJW 1982, S. 222ff., vgl. Norbert Hoester, Zur Bedeutung des Prinzips der Menschenwurde, JuS 1983, S. 93ff., Wolfran Hofling, Menschenwurde und gute Sitten, NJW 1983, S. 1582ff., Andreas Gronimus, Forum: Noch einmal Peep-Show und Menschenwurde, JuS 1985, S. 174ff.
20)1972年に連邦行政裁判所第一部は、「刑罰が科せられていない営業上のわいせつ行為は『職業』たりえないという従来までの見解がおそらく支配的な見解に対応せず、再検討を要することを原告に対して認めることができる」との見解を表明していたが、この立場は注目されないまま、連邦行政裁判所自体によっても再び取り上げられなかったという。Vgl. v. Galen, a.a.O., S. 3f.
21)BGHZ 67, S. 119.
22)NJW 1998, S. 2895, 2896.
23)NJW 2001, S. 983ff.
24)NJW 2002, 361.
25)v. Galen, a.a.O., S. 6ff., Beruf: Hure, Herausgegeben vom Prostituierten-Projekt Hydra, 1.Aufl., 1988.
26)Gesetzsentwurf zur Beseitigung der rechtlichen Diskriminierung von Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 11/7140., Beruf: Hure - Dokumentation der 》Anhurung《 vom 5. Marz 1990 in Bonn, Die Grunen im Bundestag Arbeitskreis Frauenpolitk.
27)v. Galen, a.a.O., S. 7.
28)Entwurf eines Gesetzes zur Beseitigung der rechtlichen Diskriminierung von Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 13/6372.
29)Entwurf eines Gesetzes zur Beseitigung der Bebachteiligung der Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 13/8049.
30)v. Galen, a.a.O., S. 8.
31)Entwurf eines Gesetzes zur beruflichen Gleichstellung von Prostuierten und anderer sexiell Dienstleistung, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 14/4456.
32)Entwurf eines Gesetzes zur Verbesserung der rechtlichen und sozialen Situation der Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 14/5958.
33)Entschlieungsantrag zum Gesetzentwurf der Fraktionen SPD und BUNDNIS 90/DIE GRUNEN - Drucksache 14/5958, in: Deutscher Bundestag Drucksache 14/6781.
34)アウグスト・べーベル(伊藤努・土屋保男共訳)『婦人論(上巻)』(大月書店、1969年)205頁以下。August Bebel, Die Frau und der Sozialismus, Zwolftes Kapitel Die Prostitution - eine notwendige soziale Institution der burgerlichen Welt, S.4f., in: http://www/mlwerke.de/beb/beaa/beaa_207.htm
35)8人の売春宿の経営者たちは、売春法の制定に乗じて連邦性的奉仕業連盟を結成したのではない。彼らは、政府会派が連邦議会に売春法案を提出した時から、それについて毎月のように講演会を開催して、性的奉仕業に関する学習会を系統的に行ってきた。講師とテーマは次のようなものであった。マルガレーテ・グレフィン・フォン・ガーレン(弁護士)「赤と緑の法案は売春の実践にどのような効果を及ぼすだろうか」(2001年6月6日)、ヴォルフガング・ハイネ(博士・弁護士)「自営業を営むか、それとも従業員として働くか」(2001年7月4日)、ヘルック(ベルリン新聞)「日刊紙の広告」(2001年9月5日)、クリスティーナ・フォン・ブラウン(博士・教授)「愛の神アモールの毒矢」(2001年10月17日)、エルンスト=ペーター・ヒンツ(経営学博士・ABV経済相談員)「新法の後、もう用心も援助もしなくてもよいのか」(2001年11月14日)、ミヒャエル・エルンスト=ペルクセン(ベルリン税金相談)「なおいっそうの売春への課税」(2001年12月5日)、ヴォルフガング・ハイネ(博士・弁護士)「強力な職業連盟の中に売春の未来はある」(2002年3月12日)。
36)同会議での報告は『売春と女性人身売買――性労働者の権利の強化を、ヨーロッパにおける搾取と暴力との闘争を!』(Emilija Mitrovic(Hrsg.), Prostitution und Frauenhandel - Die Rechte von Sexarbeietrinnen starken! Ausbeutung und Gewalt in Europa bekampfen!, 2006)にまとめられている。そこには「ヨーロッパにおける性労働者の権利の宣言」(The Declaration of the Rights of Sex Workers in Europe)や「ヨーロッパ性労働者宣言」(Sex Workers in Europe Manifesto)などの文書も掲載されている。
*本稿は、「ドイツにおける売春規制法と人身保護」(大久保史郎編『講座 人間の安全保障と国際組織犯罪 第3巻 人間の安全保障とヒューマン・トラフィッキング』〔日本評論社・2007年〕152-175頁)を加筆・補正したものである。
ドイツ連邦議会は、2001年12月20日、「売春婦の法的関係を規制するための法律」(Gesetz zur Regelung der Rechtsverhaltnisse der Prostuierten)、いわゆる売春法を可決し、翌年1月1日から施行した12)。
売春法によると、売春婦と顧客との間であらかじめ対価を決めて交わされた売春または売春類似行為の契約は、民法上有効であり(1条)、売春は契約を無効たらしめるような良俗違反の行為ではない。従って、売春婦が契約通り性行為を行ったにもかかわらず、顧客が対価の支払いに応じない場合は、債務不履行であり、売春婦は客に対して債権を主張できる。逆に売春婦が契約通りの性行為を完全ないし部分的に行わなかった場合、客は売春婦による対価の支払請求に対して異議申立を行うことができる(2条)。また、売春婦が勤務する売春宿やナイトクラブなどの経営者は、売春婦のために社会保険に加入することを義務づけられる(3条)。これは、売春が他の奉仕業と同じように職業として承認されたことを意味する。
売春法の制定に伴って、売春に関する行為を処罰してきた規定も変更された。それまで刑法180a条1項の「売春助長罪」では、「数人の者が売春に従事する事業所」で、かつ「これらの者が人的若しくは経済的な従属関係において拘束されている事業所」(1項1号)や「住居、宿泊所若しくは滞在場所をたんに提供するにとどまらず、またその提供に通常伴う付随的な給付を超える措置を講じて、売春への従事を助長する事業所」(1項2号)を営業的に維持または運営した者には、3年以下の自由刑または罰金刑が科されてきたが、1項2号の規定が削除されたことによって、人的・経済的な支配従属関係において成人女性を拘束して売春に従事させる「強制売春」のみが処罰されるだけになった。売春を行うか否かは、性的自由の問題である。人的または経済的な従属関係のもとで拘束された状態において、売春に従事するのは、強制された売春に従事することにほかならない。強制売春の処罰根拠は、性的自由を侵害する点にあり、任意の売春に従事する者に部屋を提供するなどの行為は、完全に合法化された。また、181a条2項の「売春幇助罪」では、「営業的に性交渉をあっせんすることによって、他人が売春に従事することを助長し、かつその行為に関して、個別的な事例を超える関係をその者との間において維持した者」に刑罰が科されてきたが、売春婦の「人的または経済的な移動の自由」が侵害されない限り不可罰とされた。売春婦への援助それ自体は、可罰的な不法を構成するものではなく、売春婦の「人的または経済的な移動の自由」という基本権への侵害に処罰の根拠があることが明らかにされた。
このような法律が制定された背景には、ドイツ社会の深刻な状況がある。売春法が制定された当時のドイツでは、およそ40万人が売春に従事し、その圧倒的多数は女性であった。毎日のように売春婦は、売春宿、ナイトクラブ、街頭または個人の住居で売春に従事していた。彼女らのもとに客として訪れる男性は、年間120万人にのぼり、単純計算すると1日あたり3千人以上にのぼった。40万人の売春婦が、1人あたり3人の客を相手にしている計算になる。売春、テレホン・セックス、インターネット・セックスなど性的奉仕業から得られる収益は、年間で約125億マルクに達し、国家はこのような売春婦の所得から税を徴収してきた。それにもかかわらず、彼女らの行為を職業として法的に承認することを長く拒んできた。売春婦は失業保険、健康保険や年金保険などに加入することができず、法的に無権利状態に置かれ、またその仕事を理由に社会的に差別されてきた。彼女らの「労働環境」を改善するために衛生的な部屋を貸し与えようとすれば、「売春助長罪」として処罰されるリスクを負わねばならなかった。売春婦の生活のために、客引きとして協力する者は、「売春幇助罪」で刑罰の威嚇にさらされてきた13)。
ドイツ連邦議会は、売春法を制定することによって、長きに渡って続いてきた「非合法売春」の時代に終止符を打ち、売春婦をそこから解放した。
1売春をめぐる司法の動向
『売春問題の法律問題』の著者であるマルガレーテ・ガーレン弁護士によれば、売春法が制定されるまでの「数十年間、判例は保守的な価値観念に囚われてきた」14)という。判例が囚われてきた「保守的な価値観念」とは、どのようなものだったのか。
1901年、帝国裁判所において、売春契約は「公正かつ衡平に思考するすべての者の礼儀感覚とは相容れない」、つまり「平衡的な基準に基づいて評価された風習に表現された民族構成員の感情と矛盾する」がゆえに、良俗に反し(sittenwidrig)、かつ共同体侵害的(gemeinschaftsschadlich)であり、従って民法138条1項によって無効であると判断された15)。それ以降、ドイツでは売春は一貫して法的保護の埒外に置かれてきた。戦後においても状況は基本的に変わらなかった。連邦行政裁判所は、売春は共同体侵害的な行為であり、それは「職業犯罪人」が行う犯罪と同一であり、いうまでもなく「職業」の自由の対象にはなりえないと判断した16)。その後、「共同体侵害性」に言及する判決は見られなくなったものの、良俗違反性を理由に売春に従事する女性は法的保護の対象から外され続けた。
1980年、連邦行政裁判所は、職業的に売春行為に従事するためにドイツ国内での滞在許可を申請したフランス人女性に対して、所轄の官庁がそれを拒否したことにつき、「職業的なわいせつ行為は、たとえそれが禁止され処罰されていなくても、様々な観点から見れば反社会的な行為であり、売春とそれに結びついた人身売買の諸悪は、人間的人格の尊厳と価値に合致するものではなく、個人、家族、社会の福祉を侵害」するため、売春のような「人間の尊厳と一致しえないような方法で収入を得ることは、自明の如く、欧州経済共同体の調和のとれた発展と拡大を基礎づける経済政策の対象にもなりえないし、また経済生活の構成部分にもなりえない」と論じて、滞在不許可の措置は、欧州経済共同体条約7条1項の差別禁止条項に抵触しないと判断した17)。欧州経済共同体における人的および職業的な移動の自由は、欧州経済共同体とその構成国の経済発展に資する限りにおいて保障され、そしてそこで行われる経済政策は、「人間の尊厳」と一致しなければならない。売春によって生活の糧を得ることが人間の尊厳に反している限り、そのような経済活動を行うためにドイツに入国する者には滞在を拒否できる。そして、それは欧州経済共同体の理念と条約によって正当化されるというのである。今や、売春は良俗違反であるだけでなく、「人間の尊厳」に反する行為と判断されるまでになった。強欲な強盗殺人でさえ、人間の尊厳に反すると言われたことはない。それにもかかわらず、売春を行うこと、あるいは売春婦であることは、人間の本来的なあり方と矛盾するというのである。売春婦に押された非人間的烙印は、あまりにも過酷である。
連邦行政裁判所によって売春の良俗違反性の判断基準として用いられた「人間の尊厳」は、その後の1981年のいわゆる「ピープショー判決」18)においても適用された。ピープショー(Peep-Show)とは、顧客が硬貨を投入して小部屋の小窓を開けると、その中で裸の女性がダンスし、セックスショーを演じているのを覗き見れる仕組みのショーである。判決によれば、このピープショーは、人間の尊厳に反する良俗違反の営業活動であり、営業法33a条に違反しているため、それゆえ所轄の官庁はその開業を許可しないことができる。ピープショーがなぜ人間の尊厳に反するのか。それは、「基本法に根付いている価値観念に矛盾する行動は、良俗に反する」が、「基本法の中心的価値および良俗概念を内容的に規定する価値は、まさに人間の尊厳(基本法1条)の保護および尊重である。個々人が、国家や私人からの介入によって、その人格的な固有価値を侵害され、物に貶められた場合には、人間の尊厳が侵害されたといえるからである」。ピープショーの場合、ストリップショーとは異なり、人間の尊厳が侵害される。ストリップは、伝統的な舞台演技であり、出演女性の人格的な主体性は侵害されていないが、ピープショーの場合は、その全体状況から見れば、出演女性は機械仕掛けの商売用の見世物、つまりモノに貶められている。ピープショーの場合、硬貨を投入すれば、裸体女性の景色が自動販売機の商品のように購入でき、そこにおいては出演女性は人間の尊厳を剥ぎ取られたモノ、商品でしかない。客が部屋の窓の開閉を自分で行って、一方的に中を覗き見ることによって、女性は欲望の対象物として客の目にさらされ、性的興奮を刺激するモノとして扱われるだけである。女性の人間としての尊厳は完全に否定されているというのである。人間の尊厳には、個々人の尊厳を超越する客観的で普遍的な価値があり、たとえ女性が「ピープショー」を演ずることを任意に決定しても、それによって人間の尊厳への侵害性が失われるわけではない。個々人が、人間の尊厳の客観的価値から逸脱して、その主観的な志向や信念を貫く場合、人間の尊厳は、その個々人の任意の意思決定からも保護されねばならないのである。
このピープショー判決に対して、学界は鋭く反応した。例えば、「連邦通常裁判所は、もはや人間の自由を尊重するのではなく、人間の尊厳に関する観念を人間に押しつけている。それこそが、連邦通常裁判所が許されないと明示的に述べた強制に他ならない。個人が自己または他者を危殆化していない限り、国家には市民を『改善』する任務などない。国家は市民の生の決定(Lebensentscheidung)を尊重しなければならない」という批判が向けられ、また「一定の人間の態度が社会侵害性(Sozialschadlichkeit)の限界を超えている場合には、国家には措置を講ずることが許されるが、ピープショーの場合、そのような社会侵害性は示されていない」19)と批判が出された。すなわち、裁判官は人間の尊厳を尊重すると言いながら、実のところ人間を価値的に扱い、人間の尊厳を尊重するという要請を侵害しているというのである。ピープショーの女性は、客に観賞されることを承知の上で、自己の意思に基づいてダンスやセックスショーを演じているのであって、そこには自己や他者への侵害は基本的に起こりえない。人間の尊厳を尊重するというのは、個々人の自己決定された意思を尊重することなのである。このような批判は、売春の良俗違反性の判断にもあてはまると思われるが、ピープショー判決は、下級審における実務に約2〇年に渡って強い影響を及ぼし、売春やピープショーの良俗違反性を判断する基準として維持された20)。
売春を良俗違反とする判断は、売春婦が不法行為に対して求める損害賠償額の算定にも差別的に作用した。1976年に連邦通常裁判所は、交通事故で負傷したため1ヶ月のあいだ休職せざるをえなくなった売春婦に支払われるべき賠償額について、売春婦として得ていた収入額を民法249条の意味における損害と見なすことはできず、売春婦が実際に得ていた収入とは無関係に、「健全な人の質素な境遇においても経験的に手に入れうるような生存を充足する収入額」を上限として、賠償額を算定すべきであると判断した。連邦通常裁判所は、このような賠償額の算定方法を「社会倫理的訂正」と呼び、売春婦が稼いだ収入のうち、人間の尊厳に反して得られた部分を法的救済の対象から除外したのである21)。
また、1998年には連邦通常裁判所第11民事部は、テレホンセックスもまた良俗に反しているがゆえに、テレホンカードを商品化・販売してテレホンセックスを商業的に促進する契約は無効であると判断した。この判決によっても、「テレホンセックスでは、会話を提供する側の女性はモノに貶められていると同時に、緊密な人的領域が商品化されており」、また「女性が電話での会話を任意に行っていることは重要ではなく、会話の内容は女性の自由な意識決定に基づくものではなく、彼女らの『積極的』な役割もまた表面的なものに過ぎない」と判断された22)。
このように連邦行政裁判所においても、連邦通常裁判所においても、売春、ピープショー、テレホンセックスなどの性行為は良俗違反の行為であるため、それに従事する女性はまともな法的保護や救済を受けられない状態に置かれてきた。しかし、2000年12月1日のベルリン行政裁判所は、これまで判例を支えてきた価値観念に大きな変更を迫る判決を言い渡した。その事案は次のようなものであった。喫茶店「シーッ、静かに」(Cafe PSST)では、そこに待機している売春婦が来店した男性客と契約を取り交わして、奥の部屋で性行為を行うという方式の売春を行うために、喫茶店の経営者が売春婦に1時間当たり60マルクで部屋を貸していた。ベルリン市は、これが飲食店法に違反しているとして、同喫茶店の営業許可を取り消した。このことに関して、ベルリン行政裁判所は、「飲食店法は営業法であり、人間の態度が……外部的に表現され、それが国民の福祉を侵害している場合には、同法は人間の共同生活を規律しなければならないが、その場合、良俗性の基準を人間に指し示すことが重要なのではない」としたうえで、「任意かつ犯罪的付随現象を伴わずに成人によって従事されている売春は、わが国の社会において今日承認されている社会倫理的な価値観念に基づいて見るならば、(道徳的な評価はともかく)秩序法における意味においては(もはや)良俗違反と見なされるべきではない」と判断し、さらに「売春婦の人間の尊厳が、彼女らの意思に反して保護されねばならないと考えている者は、実のところ人間の尊厳によって、彼女らの保護される自己決定の自由を侵害し、その法的および社会的な不利益を固定化している」という見解を示したのである23)。さらに連邦議会で売春法案が審議されている最中の2001年11月22日、連邦通常裁判所によっても、テレホンセックスに関する契約の良俗違反性に関して、性道徳に関する観念が相当自由化されていること(erhebliche Liberalisierung)を根拠にして、1998年の連邦通常裁判所判例の踏襲が留保されるに至った24)。
ガーレンが指摘しているように、ドイツの司法は21世紀に入って、ようやく性道徳をめぐる社会的観念の自由化に気づき、数十年間に渡って囚われてきた「保守的な価値観念」から解放され始めた。このような状況の中で、連邦議会は売春婦の利害を最大限考慮しながら立法的措置を講ずることに大きく踏み出した。
2売春をめぐる議会内外の運動
1970年代末から80年代初頭にかけて、後に売春婦運動(Hurenbewegung)と命名される運動が始められた。80年代に入って社会問題化したHIV感染に関して、売春婦がその感染源ないし感染媒体であると危険視された。そのような状況のなかで、それまで社会の片隅にいた売春婦が公の場に姿を現し、彼女らが、法的にも社会的にも差別されている現状を訴え、売春の正当性とその職業性を承認することを求めた。それに推される形で、ドイツ全土において、公的な助成を受けた売春婦自立自助プロジェクトが設立され、売春婦に対して売春から退くための助言だけでなく、売春それ自体に対しても助言が与えられるようになった。1985年には売春婦自立自助プロジェクト団体「ヒュードラ」(Hydra)によって最初の売春婦大会(Hurenkongress)が開催され、その後も数多くのプロジェクトの大会が続いた25)。そのようなプロジェクトは、売春婦に対して職業的な倫理観念を啓蒙するためのものであろうとも、また公衆衛生上の措置を講ずるためのものであろうとも、売春婦が抱えている問題を社会的に共有する契機となったことの意義は大きい。
1980年代以降のこのような議会外における社会運動が、議会に影響を及ぼし、売春立法を後押しした。「保守的な価値観念」からの脱却は、当事者たちが踏み出した一歩から始まったのである。1990年、連邦議会のエイズ世論調査委員会は、その最終報告書において、売春婦の法的および社会的地位を向上させることを全会一致で求めた。政党としては緑の党が、売春婦の法的差別を撤廃するための法案を連邦議会に提出し26)、刑法施行法297条と刑法180a条(売春助長)、184b条(青少年に有害な売春)、秩序違反法118条(迷惑行為)、120条(禁止された売春への従事おとび売春の宣伝)を廃止し、売春を非犯罪化し、職業として承認すべきことを訴えた。しかし、東西ドイツの統一の時期に重なっていたこともあって、議会での表決には至らなかった。1995年6月、連邦政府は1990年のエイズ世論調査委員会の最終報告が求めた措置をとるために、第5回全女性閣僚会議を開催することを要請した。売春婦運動の側からは、1996年1月に「機は熟している」というスローガンのもとに、「売春婦と他の勤労者との法的および社会的平等のための法案」という自前の法案が提起された27)。そこでは、売春に必要な特別規定を設けつつ、売春を民法典の奉仕業法に編入することが求められた。また、売春の理性的な管理を禁止するる職業禁止命令や立入禁止区域命令を廃止し、違反行為へ刑罰を科す規定を削除することが求められた。同じ年に、90年同盟・緑の党の会派が、売春婦運動の法案に若干の変更を加えて「売春婦の法的差別を廃止するための法案」28)を提出し、社会民主党もまた「売春婦の差別的処遇を廃止するための法案」を提出した29)。しかし、1998年6月25日、連邦議会は、議会内最大多数派であるキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟および自由民主党が反対したため、これら2つの法案を否決した。連邦議会において十数年に渡って多数派を構成してきた政党が、性道徳をめぐる社会的観念の自由化に気づくには、まだ機は熟していなかった。連邦議会は依然として「保守的な価値観念」に囚われたままであった。
このような動きのなかで、バイエルンでは売春婦がHIVの感染源と見なされ、連邦伝染病法(Bundesseuchengesetz)に基づく強制措置が講ぜられたことをきっかけに、売春をめぐる法的問題に対する公衆の注目は一気に高まった。メディアでは、売春婦の法的・社会的地位の向上を求める様々な取り組みが好意的に報じられ、売春婦みずからが多くの討論番組に出演し、売春のコンセプトについて公衆に訴える機会が与えられた。マスメディアは、とくに性道徳に関する価値観念が変化しつつあることを明らかにした2000年の喫茶店「シーッ、静かに」事件の判決を大きく取り上げ、売春が広く公衆に受容されていることを報じた。新聞も同事件の判決に関して、「売春宿への歩み」や「裁判官はベルリンの最も有名なセックス・バーを救済」との見出しで報道した30)。
3議会での争い
1998年に社会民主党と90年同盟・緑の党が連立会派を形成し、政権を掌握して以降、状況が一変した。まず、旧東独の社会主義統一党を前身とする民主主義的社会主義党が2000年11月1日、「売春婦およびその他の性的奉仕業者の職業的平等に関する法案」31)を連邦議会に提出した。それを受けて、政権党である社会民主党と90年同盟・緑の党の連立会派が、1990年代末に提案された2つの草案に基づいて、2001年5月8日に「売春婦の法的および社会的状況を改選するための法案」32)を提案した。売春法の制定への動きが一気に加速された。
これに対してキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟は原則的に反対の立場を貫いた。キリスト教政党は、売春婦のために社会保険法上の適切な保護を講ずる必要性を認めながら、良俗違反の行為から民法上の債権が発生することを法治国家が肯定することはできないし、そもそも売春は人間の尊厳に反するという主張を繰り返した。さらに法案が刑法180a条1項2号の削除を定めていることに関して、同項が削除されたならば、売春に付随する強制売春や人身売買などの犯罪に対して、治安機関が闘争する権限が「被害者」に不利な方向で弱められてしまうのではないかと危惧が表明された。売春婦のおよそ半数は、強い従属的関係において苦しんでいる人身売買と強制売春の被害者である。また、雇用契約を結んでいないフリーの売春婦は、依然として社会保険への加入の道が閉ざされたままである。その意味で、法案はそれによって利益を受けるのはわずかしかいない現実を見過ごしていると強く批判した33)。国連組織犯罪防止条約が2000年11月15日に採択され、国際社会をあげて人身売買対策に取り組み出した時期と重なっていただけに、売春法の制定がその流れに逆行するという懸念があったのかもしれない。しかし、売春法の制定へと回り出した歯車を止めることはできなかった。連立会派の草案は、一定の修正を施されて賛成多数で可決された。
Ⅳ 売春法の今後と人身保護のあり方
かつてアウグスト・ベーベルは、ドイツは「売春について国家権力が実際におこなっていることと刑事立法とのあいだに存在する矛盾から脱却しようとくりかえし試み」てきたと論じたが34)、2002年の売春法もその試みの一つであって、この問題を考える最初の第一歩を踏み出したにすぎない。しかし、それが売春婦の人間の尊厳にとっては大きな一歩であることは間違いない。それは、売春法の制定を契機にして、法秩序の統一化思考が図られたことにも現れている。一方で売春を良俗違反として、それに関する契約を無効としながら、他方で売春宿の経営者の収益からも徴税しながら、売春助長罪で刑事訴追するリスクを負わせてきた。このように法の観念としては許されない論理矛盾が存在していた。売春の合法化によって、その矛盾が止揚されたことで、性をめぐる犯罪と非犯罪がいっそう明確に峻別されようになった。性に関する問題は個々人の自己決定において解決が図られるべきである。刑罰権が介入できるのは、自己決定権や基本的自由である「人的または経済的な移動の自由」が侵害された場合に限られる。従って、売春への従事が承諾されている場合、そこには可罰的な不法はありえない。
このことは、人身の保護のあり方、特に人身売買罪の基本的性格の捉え方にも影響する。人身売買は、強制売春や強制労働の予備行為として行われるが、それに可罰的不法が認められるのは、被害者の移動の自由を侵害し、かつ売春や労働に強制的に従事させられる危険があるからである。従って、ここでも本人の承諾がある場合には、可罰的不法は生じえない。2000年のベルリン行政裁判所の判決を繰り返すまでもなく、人間の尊厳が個人の意思に反してでも保護されるべきと考えるなら、それは人間の尊厳を構成する自己決定の自由を侵害することに他ならない。組織犯罪に対する強力な法的対応の必要性があろうとも、人間の尊厳への侵害は正当化されない。
最後に、売春法の制定後、注目すべき動きがあるので、それを記しておく。
1つは、性的奉仕業者の職業団体が現れたことである35)。2002年3月25日、ベルリンを中心に売春宿を経営する8人の経営者が、クラブ、バー、ポルノ映画館、移動売春車、SMスタジオ、サウナ、芸能プロダクション、売春またはコールボーイ自営業者などあらゆる種類の性的奉仕業者のために「連邦性的奉仕業連盟」(Bundesverband Sexuelle Dienstleistungen e.V.)の設立を呼びかけた。この連盟は、自らがドイツの経済制度の統合された構成部分であり、他の経営者と同等の位置を有していると認識しているが、現在でもなお売春に従事する男女とその企業は、様々な妨害や差別にさらされ、不安定な状況に置かれているため、①個々の営業活動の経済的改善、②営業の法的障害の除去、③売春および性的奉仕業の社会における評価の向上、④売春の実像の普及などを目標に掲げて活動している。喫茶店「シーッ、静かに」の経営者は連盟創設の一人である。障害者のための性的介助を行う「ティファニー」(Tiffany)という業者も、この連盟に加盟している。
もう一つは、ヨーロッパ諸国の性的奉仕業労働組合や自立自助プロジェクト団体などが、性的奉仕業に従事する人々の基本的人権の保障し、子どもや女性に対する強制売春、人身売買の現状を改善するために、シンポジウムなどの様々な活動を行っていることである。2005年12月にはベルリンで国際会議が開催され、「ヨーロッパにおける女性人身売買と売春」の詳細な状況が報告されている36)。
売春法の制定後のこのような動きの中から、リロ・ワンダースやパトリック・フォードが訴えた売春婦の真の姿を明らかにするきっかけを少しでもつかめるだろうか。売春法の適用状況を検証する中で、それを明らかにしてしていくことが引き続き考察すべきテーマである。
12)BGBl. 2001, I S .3983.
「売春婦の法的関係を規制するための法律」(売春法)の条文は次の通りである。
第一条 売春婦の法的関係を規制するための法律(売春法)
一条 あらかじめ取り決められた対価に対して性行為が行われた場合、その取り決めは法的に有効な債権を根拠づける。人が、とくに業務の関係の枠内において、あらかじめ取り決められた対価に対してその種の行為を行うことを一定の期間準備している場合も同様である。
二条 債権は譲渡することはできず、ただ特定の個人の名において主張することができるだけであ。取り決められた期間に関する限り、1条第1文に基づく債権に対する異議申立は完全な不履行の場合にだけでき、また1条第2文に基づく債権に対する異議申立は部分的な不履行の場合にもできる。その他の異議申立および抗弁は、民法362条に基づく履行の抗弁および時効の抗弁を除いて除外される。
三条 売春婦の場合、従業員として業務に従事する場合に指揮命令権が限定されていることは、社会保険法の意味における雇用として扱うことに対立しない。
第二条 刑法典の変更
1998年11月13日施行の刑法典は、以下の通り変更される。
一 180a条の表題は次の通りに記述される。
「180a条 売春婦の搾取」
二 180a条は、次の通り変更される。
a)表題は、「180a条 売春婦の搾取」と変更される。
b)1項1号は次の通り変更される
aa)「1号」を削除する。
bb)「人的若しくは経済的な従属関係において」の文言の後の「または」の文言は「、」に代えられる。
cc)2号を削除する。
三 181a条2項は、次の通り改められる。
二項 営業的に、性交渉をあっせんすることによって他人が売春に従事することを助長し、かつその行為に関して個別的な事例を超える関係をその者との間において維持することによって、その者の人的または経済的な移動の自由を侵害した者は、3年以下の自由刑または罰金に処される。
13)Emilia Mitrovic, Die Spitze der Doppelmoral - Der gesellschaftliche Umgang mit Prostitution in Deutschland und die aktuelle Situation in Europa, in: Emilija Mitrovic (Hrsg.), a.a.O., S. 14f.
14)Margarette Grafin v. Galen, Rechtsfragen der Prostitution -- Das ProstG und seine Auswirkungen, 2004, S. 1ff.
15)RGZ 48, S. 114, 124.
16)BVerwGE 22, S. 286, 289.
17)MDR 1981, S. 170.
18)NJW 1982, 664f.
19)Henning v. Olshausen, Menschenwurde im Grundgesetz: Wertabsolutismus oder Selbstbestimmung?, NJW 1982, S. 222ff., vgl. Norbert Hoester, Zur Bedeutung des Prinzips der Menschenwurde, JuS 1983, S. 93ff., Wolfran Hofling, Menschenwurde und gute Sitten, NJW 1983, S. 1582ff., Andreas Gronimus, Forum: Noch einmal Peep-Show und Menschenwurde, JuS 1985, S. 174ff.
20)1972年に連邦行政裁判所第一部は、「刑罰が科せられていない営業上のわいせつ行為は『職業』たりえないという従来までの見解がおそらく支配的な見解に対応せず、再検討を要することを原告に対して認めることができる」との見解を表明していたが、この立場は注目されないまま、連邦行政裁判所自体によっても再び取り上げられなかったという。Vgl. v. Galen, a.a.O., S. 3f.
21)BGHZ 67, S. 119.
22)NJW 1998, S. 2895, 2896.
23)NJW 2001, S. 983ff.
24)NJW 2002, 361.
25)v. Galen, a.a.O., S. 6ff., Beruf: Hure, Herausgegeben vom Prostituierten-Projekt Hydra, 1.Aufl., 1988.
26)Gesetzsentwurf zur Beseitigung der rechtlichen Diskriminierung von Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 11/7140., Beruf: Hure - Dokumentation der 》Anhurung《 vom 5. Marz 1990 in Bonn, Die Grunen im Bundestag Arbeitskreis Frauenpolitk.
27)v. Galen, a.a.O., S. 7.
28)Entwurf eines Gesetzes zur Beseitigung der rechtlichen Diskriminierung von Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 13/6372.
29)Entwurf eines Gesetzes zur Beseitigung der Bebachteiligung der Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 13/8049.
30)v. Galen, a.a.O., S. 8.
31)Entwurf eines Gesetzes zur beruflichen Gleichstellung von Prostuierten und anderer sexiell Dienstleistung, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 14/4456.
32)Entwurf eines Gesetzes zur Verbesserung der rechtlichen und sozialen Situation der Prostuierten, in: Deutscher Bundestagsdrucksache 14/5958.
33)Entschlieungsantrag zum Gesetzentwurf der Fraktionen SPD und BUNDNIS 90/DIE GRUNEN - Drucksache 14/5958, in: Deutscher Bundestag Drucksache 14/6781.
34)アウグスト・べーベル(伊藤努・土屋保男共訳)『婦人論(上巻)』(大月書店、1969年)205頁以下。August Bebel, Die Frau und der Sozialismus, Zwolftes Kapitel Die Prostitution - eine notwendige soziale Institution der burgerlichen Welt, S.4f., in: http://www/mlwerke.de/beb/beaa/beaa_207.htm
35)8人の売春宿の経営者たちは、売春法の制定に乗じて連邦性的奉仕業連盟を結成したのではない。彼らは、政府会派が連邦議会に売春法案を提出した時から、それについて毎月のように講演会を開催して、性的奉仕業に関する学習会を系統的に行ってきた。講師とテーマは次のようなものであった。マルガレーテ・グレフィン・フォン・ガーレン(弁護士)「赤と緑の法案は売春の実践にどのような効果を及ぼすだろうか」(2001年6月6日)、ヴォルフガング・ハイネ(博士・弁護士)「自営業を営むか、それとも従業員として働くか」(2001年7月4日)、ヘルック(ベルリン新聞)「日刊紙の広告」(2001年9月5日)、クリスティーナ・フォン・ブラウン(博士・教授)「愛の神アモールの毒矢」(2001年10月17日)、エルンスト=ペーター・ヒンツ(経営学博士・ABV経済相談員)「新法の後、もう用心も援助もしなくてもよいのか」(2001年11月14日)、ミヒャエル・エルンスト=ペルクセン(ベルリン税金相談)「なおいっそうの売春への課税」(2001年12月5日)、ヴォルフガング・ハイネ(博士・弁護士)「強力な職業連盟の中に売春の未来はある」(2002年3月12日)。
36)同会議での報告は『売春と女性人身売買――性労働者の権利の強化を、ヨーロッパにおける搾取と暴力との闘争を!』(Emilija Mitrovic(Hrsg.), Prostitution und Frauenhandel - Die Rechte von Sexarbeietrinnen starken! Ausbeutung und Gewalt in Europa bekampfen!, 2006)にまとめられている。そこには「ヨーロッパにおける性労働者の権利の宣言」(The Declaration of the Rights of Sex Workers in Europe)や「ヨーロッパ性労働者宣言」(Sex Workers in Europe Manifesto)などの文書も掲載されている。
*本稿は、「ドイツにおける売春規制法と人身保護」(大久保史郎編『講座 人間の安全保障と国際組織犯罪 第3巻 人間の安全保障とヒューマン・トラフィッキング』〔日本評論社・2007年〕152-175頁)を加筆・補正したものである。