Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

「性的なもの」をめぐる人間の相互依存関係の考察(2・完)

2022-05-27 | 旅行
 「性的なもの」をめぐる人間の相互依存関係の考察――オランダ・ドイツの性産業の社会的受容過程と人間的性(性労働者と顧客)の相互依存関係の分析――

 二 売春規制法の基本構造とその内容
 2002年に施行された売春規制法(正式には「売春婦の法的関係を規制するための法律」)の条文は次の通りである。


 第1条 売春婦の法的関係を規制するための法律
 1条 あらかじめ取り決められた対価に対して性行為が行なわれた場合、その取り決めは法的に有効な債権を根拠づける。とくに業務の関係において、あらかじめ取り決められた対価に対して人がその行為を行なうことを一定の期間準備している場合も同様である。
 2条 債権は譲渡することはできず、ただ特定の個人の名において主張できるだけである。取り決められた期間に関する限り、第1条第1文に基づく債権に対する異議申立は、完全な不履行の場合にできるだけであり、また第1条第2文に基づく債権に対する異議申立は部分的な不履行の場合であってもできる。その他の異議申立および抗弁は、民法362条に基づく履行の抗弁および時効の抗弁を除いて除外される。
 3条 売春婦の場合、従業員として業務に従事する場合、指揮命令権が限定されることは、社会保険法の意味における雇用として扱うことに対立しない。


 第2条 刑法典の変更
 1998年11月13日施行の刑法典は、以下の通り変更される。
 1 180a条の表題は次の通りに記述される。
  「180a条 売春婦の搾取」
 2 180a条は、次の通り変更される。
  a)表題は、「180a条 売春婦の搾取」と変更される。
  b)1項1号は次の通り変更される
   aa)「1号」を削除する。
   bb)「人的若しくは経済的な従属関係において」の文言の後の「または」の文言は「、」に代えられる。
 cc)2号を削除する。
 3 181a条2項は、次の通り改められる。
  2項 営業として性交渉をあっせんすることによって他人が売春に従事することを助長し、およびその行為に関して個別的な場合を超える関係をその者との間において維持することによって、その者の人的または経済的な移動の自由を侵害した者は、3年以下の自由刑または罰金に処される。


 法律は、2つの条文によって定められている。第1条は「売春婦の法的関係を規制するための法律」を定め、第2条はそれに対応する刑法の一部改正を定めている。
 第1条の「売春婦の法的関係を規制するための法律」は、3つの条文によって構成されている。第1は、売春婦と客との間において成立した性行為契約は法的に有効であり、そこから発生する債権と債務の関係も法的に有効であることである。売春婦が取り決められた性行為を行なった場合、客に対して債務の履行を求めることができる。また、契約が成立し、取り決められた性行為を準備している場合であっても(まだ性行為それ自体が行なわれていないくても)、債権は有効である。従って、契約後、性行為が行われる前に客の側が契約を解除するなどした場合には、準備に要した費用などの支払いを請求することができるようになる。
 第2は、売春婦のところにおいて法的に成立した債権は、他者に譲渡きないということである。また、売春婦が契約によって取り決められた性行為を行なわなかった場合、また行う準備がなされていない場合には、債権の行使に対して異議申立てをすることがでる。
 第3は、売春婦と売春事業所との間において雇用契約が締結されている場合、雇用者は売春婦に対して客に対して性行為を行なうよう業務命令を出すことができるが、その指揮命令権は制限されていることである。売春婦は営業所の被雇用者であり、一般に上司の業務命令に従わなければならないが、その命令権が制限されているので、売春婦は常にその命令に従う必要はない。ただし、そのことによって雇用関係が「社会保険法の意味における雇用」が維持されるという点が重要である。一般の雇用関係の場合、雇用者は従業員に対して、その雇用契約の範囲内において指揮命令権があり、従業員は特段の事情がない限りその命令に従うことになる。例えば、調理師の場合、客からの注文に応じて料理を作るが、メニュー表において提供することが示されている料理が注文され、その料理を作ることを命ぜられた場合には、基本的にそれに従わなければならない。売春事業所においても、客からの注文に応じて性行為を行なうことになるり、「メニュー表」において提供することが示されている行為が注文され、事業所の責任者からその行為を行なうよう命ぜられても、売春婦はそれに拘束されない。従って、その命令に従わなかったことを理由に「社会保険法の意味における雇用」の関係が否定されない。解雇、減給などの処分の対象にならないことは明らかである。
 第2条の「刑法典の変更」は1つの条文からなり、3つの項から構成されている。
 第1は、刑法180a条の表題は「売春のあっせん」(または奨励)と規定されていたが、「あっせん」の可罰性が否定されるに伴って、その表題を「売春婦の搾取」と改めることである。
 第2は、刑法180a条1条1項1号を削除することである。1項は、売春(事業所)を経営するに数人の者が「これらの者が人的な従属関係若しくは経済的な従属関係において運営している経営、または」(1号)、「住居、宿泊所若しくは滞在場所の単なる提供を超える方法で、およびそれに通常伴う付随的な供給を超える方法で、売春の実行を助長している経営」(2号)を営業として維持または運営した場合、3年以下の自由刑または罰金に処すると定めていた。売春婦が売春を行なう場合、一定の部屋や場所を要する場合が多いが、売春事業所の経営者は、人的な従属関係若しくは経済的な従属関係において雇用されている売春婦に対して、部屋の提供などを行なうことが「売春のあっせん」として処罰されていた。この1号の規定が削除されることによって(したがって規定の文末の「または」は「、」に変更される)、そのような行為は不可罰とされた。そして、単なる提供を超える方法で部屋が提供されたり、またそれに通常伴う付随的な供給を超える方法で提供される場合だけが処罰されることになった。2号の規定は、一般的・抽象的であり、「単なる提供を超える方法」、「それに通常伴う付随的な供給を超える方法」の内容が必ずしも明らかではないが、刑法180a条の表題が「売春婦の搾取」と改められたことから考えると、経済的・身体的な搾取を規制することを目的としているので、その目的を実現するような方法を行なった場合に2号が適用されるものと解釈することができる。
 第3は、181a条2項の改正を内容としている。2項の条文は、以前は次のようなものであって。「営業として性交渉をあっせんすることによって、他人が売春に従事することを助長し、かつその行為に関して個別的な場合を超える関係をその者との間において維持した者」は、3年以下の自由刑に処されると規定していた。これに「その者の人的または経済的な移動の自由の侵害」が要件として加えられ、刑罰も「3年以下の自由刑または罰金」とされ、刑罰の下限に罰金刑が加えられた。「その行為に関して個別的な場合を超える関係をその者との間において維持した」というのは、一般的に売春婦には「ヒモ」や「債権者」のような存在との関係があり、それが断ち切れないことが多いが、改正によって、そのような人物が売春婦との経済的な関係を維持しただけでなく、売春婦の人的な移動の自由(住居を変更するなど)を制限したり、経済的な移動の自由(他の職業に就くなど)の自由を制限した場合でなければ処罰できないようになった。
 以上のように、売春規制法は、複雑な条文で構成されているものではない。至って単純である。売春契約は法的に有効であること、有効な契約から発生する債権・債務の関係も法的に有効であることが明らかにされた。従来まで共同体を侵害し、公序良俗違反であるとされてきた売春の一部に対する法的規制が緩和された。自由意思に基づいて任意に行なわれる売春、そのあっせんや協力が刑罰から解放された。この法律は、ドイツの売春婦の法的・社会的地位の向上にとって前進であるとして歓迎された。


 三 売春を職業として承認する法の背景にあるもの
 ドイツの売春規制法の成立過程とその内容を踏まえると、売春を職業として承認する法的根拠として挙げることができるのは、自由意思に基づく任意性、主体性、つまり自己決定性である。自己決定性とは何か。それは、自己決定権の行使である。何が自分にとって「幸福」であり、何が「不幸」であるかを選択するのは、個人の自由である。先験的な「幸福」という価値観を強制されない。他者から見て「不幸」と思われようとも、それを選択する自由がある。あらゆる事項が等価的であり、その中から自分の生き方を選択する自由である。そのような自由が基本的人権として保障され、その侵害から法的に保護される。売春を職業として承認する根拠を自己決定権に求める主張は、すでに「欧州性労働者宣言」(2005年10月にベルギーの首都ブリュッセルで開催された性労働・人権・労働・移住に関する欧州会議で採択された決定)においても確認することができる。
 欧州全体での性労働者の厳密な数やその労働実態の詳細は分からないが、ドイツでは、売春規制法が施行された2002年以前の時点で、約40万人が売春宿、ナイトクラブ、路上または個人の私的住居で性労働に従事しているという統計がある。そのうち圧倒的多数が女性である。彼女らのもとに客として訪れる男性の数は年間で120万人を数え、単純計算すると、1日当たり約3千人の客が性的サービスを求めて訪れ、売春婦が1人当たり1日で3人の客を相手にして365日働いている計算になる。売春やその類似行為、またテレホンセックスなどから得られる収益は、年間で約125億マルク(1マルク=70円の計算で約8,750億円)に達したと推計されている。性労働は、特殊事情を除いて考えた場合、日中よりは夕刻から深夜にかけて行われ、平日よりは週末や日祝日に、また気候の厳しい冬季よりは、温暖な夏季に集中する傾向があるため、その労働は不規則かつ不安定であり、多少の疾病では休業することもできず、肉体的な疲労や精神的な疲弊が重なり、それをアルコールやタバコ、ドラッグなどに頼って解消しているケースが予想される。
 それに加えて、性労働に従事する労働環境はというと、売春規制法が制定されるまでは、労働環境の改善・整備のために衛生的な部屋を性労働者に貸し与えたりすると、「売春あっせん罪」に該当し、3年以下の自由刑または罰金刑が科されていた。そのため、売春婦は衛生的な職場環境を自前で整備しない限り、不衛生な環境と種々の疾病に感染するリスクを甘受せざるをえなかった。また、性労働は共同体侵害的であり、公序良俗に違反するという価値観念が司法や社会に定着していたために、性労働者は法的保護の対象から外されてきた。ドイツ政府は、性労働から得られた収益に課税しながら、それを職業として法的に承認せず、失業保険、健康保険や年金保険などの社会制度を適用せず、売春婦を法的に無権利な状態に置いていた。また、そのような仕事に従事していることを理由に社会から受ける過酷な差別を放置していた。
 売春を含む性労働は、ストリップ、ピープショー、店舗内売春や路上売春、その他の性的類似行為、テレホンセックス、写真雑誌や映画への出演など様々なものがあるが、このような「労働」は、道徳的・倫理的に見て問題があり、また法的にも公序良俗に違反し、善良な性秩序や性風俗を侵害するものと捉えられてきたため、適法な職業の範疇から除外されてきた。また、性労働に従事する者のなかに人身売買の被害者が多く存在したこともあって、たとえ売春婦が任意に性労働に従事していると主張しても、それは代替職業がないために経済的困窮を凌ぐ手段としてやむを得ず従事しているだけで、真意に基づく選択しているはずがないと見なされてきた。あるいは、そもそも自己の行為の本質を理解できない無理解と心理的倒錯ゆえの選択であるとして一蹴されてきた。売春婦は、総じて、権利の主体ではなく、救済すべき被害者ないし教化すべき未成熟者として位置づけられてきた。しかし、性労働に従事し、売春を業としている人のなかにも、自由な意思に基づいて、主体的にそれを選択している人がいることが「発見」され始めた。そのような人は、犯罪の被害者とは区別されるべきであることが認識されるようになった。売春を職業として法的に承認する立場の根本には、このような自己決定の思想があり、それが売春規制法の制定を促したと思われる。これによって売春婦の「無権利状態」が改善され始めた。
 ただし、売春を法的に承認することは、自己決定だけでは不十分である。確かに、現代の社会は、自己決定権を個人の権利として保障している。その社会のあり方、すなわち社会倫理や法秩序の実質の重要な指標として、自己決定権の実現。経済的な利害関係、政治的思想の共有、人種・民族・宗教などを共通項として社会=共同体のあり方を考え、社会規範性や道徳性・倫理性の内容を考察する上で、自己決定権の尊重の度合が指標になるものと思われる。しかし、それだけでは十分ではない。それに加えて必要と思われるのは、自己決定権の実現が社会と共同体の前進と発展に寄与するということである。営利・非営利を問わず、自己決定権に基づく選択が社会と共同体にとって有益・有用であり、社会貢献的であるということである。つまり、共同体侵害的・公序良俗違反的であると認識されてきた売春が他の職業と同じように法的に承認されるためには、自己決定性プラス社会的有用性または社会的貢献性があることが必要である。それは、「欧州性労働者宣言」においても言及されていたことである。
 しかし、売春を含む性労働がいかに社会に貢献しているかについては、まだ十分な議論が行なわれているとはいえない。「欧州性労働者宣言」においても、当事者がそのような社会的有用性と社会的貢献性があると認識していることは明らかであるが、その具体的な内容については、確信できるほど十分には説明されているとはいえない。ただし、それは難解な問題ではない。それは、一般の職業の社会的有用性・社会的貢献性と同じであると考えれば、見えなかった売春の社会的有用性・社会的貢献性も見えてくるはずである。
 売春を含む性労働にも社会的有用性・社会的貢献性があるかどうか。社会には様々な職業がある。教育や福祉、農業や漁業、運送業などの一般の職業、あるいは政治・外交・安全保障・警察などの特殊な職業。いずれも社会的有用性・社会的貢献性がある。それと同じように、売春を含む性労働にも社会的有用性・社会的貢献性があるか。労働の社会的有用性・社会的貢献性は、端的に言って、それなしには社会が成り立たないという点に尽きる。多くの人々がそれを求めていること、それなしには経済社会が円滑に進んでいかないこと、それがあることによって社会・共同体の安全・安定が維持され、社会的一体性が持続していること、衣食住の物質的な豊かさが保障され、精神的な負担が軽減されていることである。分かり易く言うと、美味しい料理を客に提供したこと、客がそれを食べ、それから喜びが得られるのと同じように、売春婦が客に性的サービスを提供し、それを受けた客が喜びを得るということである。
 売春などの性労働は、忌み嫌われ、その是非を論ずること、さらには肯定的に論ずることがタブー視される風潮があったため、具体的にイメージするのが困難であるが、アメリカ映画のなかでは、重要なシーンの間に、社会的に議論すべき問題が挟み込まれ、そのなかに売春や同性愛などの問題が提起されている。例えば、ジョン・ヴォイト主演、ダスティン・ホフマン助演の「真夜中のカーボーイ」(1969年)では、西部の田舎からニューヨークに出てきた青年が生活に困窮し、男性に対して体を売る場面が描かれている。仕事もなく、金もないので、やむなく行なった。主人公の売る側の事情は非常に分かりやすい。しかし、買う側の立場は複雑である。しかし、分厚い本を小脇に抱えたひ弱そうな青年のオドオドした表情から、買う側の置かれた状態が伝わってくる。また、クリント・イーストウッド主演の「ダーティハリー」(1971年)では、捜査規範を遵守しない乱暴な刑事に復讐するために、刑事から暴行を受けたことを偽装するために、マゾヒストを対象とした店で料金を支払って虐待を受ける模様が描かれている(「店」とはいっても、ガード下や橋の下の掘っ立て小屋であり、いつでもたたんで逃げれる準備のできている店舗である)。これは売春などとは異質であるが、その周辺において行なわれる行為であり、「共同体侵害的」、「公序良俗違反的」な行為である。
 ただし、重要なことは、これらの映画が告発しているのは、そのような行為や相手を必要としている人が存在しているという事実であり、そのような行為を媒介にして、精神的な快と楽を感じ、安堵を得ているという事実である。それを共同体侵害的・公序良俗違反的な行為であるとして忌み嫌い、禁止することは容易であろう。しかし、彼らからその場を奪った後、社会は彼らに何をしてあげれるのか。それを考えたとき、多数派の社会、強者の社会の傲慢さに気づかされるのではないだろうか。
 性に関する問題は、私たちが衣食住を支える物質的・精神的な事柄に「依存」しているのと同じように、「依存性」の観点から再考することが求められている。人間相互の依存関係において捉え直すことが必要である。そのような視点からドイツの売春規制法の制定過程をたどっていけば、またその簡素な条文を読み直せば、そこに「性的なもの」をめぐる人間の相互依存関係が見えてくるのではないかと思われる。それに続いて発表された「欧州性労働者宣言」の意味もより深く認識できるのではないか。さらには、アムネスティ・インターナショナルの2015年の世界大会の決議の目指す方向性も見えてくるのではないだろうか。これまで「見えなかったもの」を見れる力を私たちが備えるべきことに気づかされるのではないだろうか。


 四 残された課題
 以上の考察は、ドイツにおける性労働が法的に受容され、それに従事する売春婦・性労働者に法的・社会的権利が保障される過程を分析したものである。それが日本や他の諸国においても妥当すべきことを論証するものではない。今の日本において議論されている問題を考える直接な手がかりにはならない。ドイツの社会的状況の分析と日本などの諸国との共通性・差異の比較検討も十分ではない。したがって、日本において問題を考察する入口の議論にすぎない。
 冒頭に挙げたように、アムネスティ・インターナショナルは、2015年の世界大会で売春婦・性労働者の人権擁護のために運動を進めることを決議した。その決議は、世界保健機関(WHO)、国連合同エイズ計画(UNAIDS)、健康への権利に関する国連特別報告者などの国際機関をはじめとする組織・団体から得た知見に基づいている。さらに、複数の性労働者・性産業団体、性労働の廃止を求める団体、フェミニズムなどの女性団体、LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、インターセックス)の活動家、反人身売買機関、HIV・AIDSに取り組み団体が決議の協議に参加して、採択に至った。日本でも、それらの団体や活動家などが自己の考えを主張することができるようになったが、性労働者・性産業団体の存在は、まだ公然化していない。存在するが、見えない状況にある。
 今後の課題は、このような見えない存在を「見えるようにする」ことではない。アムネスティが行なったように、その考えや意見を聞くことを始めることである。予断と偏見、差別と排外を斥けて、その自己決定性と社会的有用性・社会的貢献性の具体的な状況をすることである。その作業を進めるうえで様々な障壁がある。それは、超えていかなければならない障壁である。








 もちろん、このような運動を提言し、実践したのは、アムネスティ・インターナショナルが最初ではない。その萌芽が様々な国においてすでに注目を集めたことは知られている。ただし、その運動は、微小で脆弱なものであった。また、大勢の人々の前に公然と姿を現して、その意義を声高に訴えることは、勇気のいることであり、ときには犠牲を覚悟しなければならなかった。彼ら・彼女らが居場所を求めた「性的マイノリティー」と自称するグループの中にあっても、彼ら・彼女らは「少数派」であった。というより、「性的マイノリティー」の範疇から除外されることさえあった。女性や子どもの権利向上を求める運動、人種差別の撤廃を求める運動、地球環境の保護と保全を推進する運動など様々な社会運動のなかにあって、性労働者の人権や生きる権利は常に「異質」なものと見られた。労働組合組織の国際集会においては、彼ら・彼女らが「労働者」の範疇に入ることさえも疑われた。しかし、小さな声であっても、何かをきっかけに誰かに届くことがあるものである。その誰かが、その声のする方へ向かって近づき、その声の意味が確かめられた瞬間、微少で脆弱だった動きは、ようやく「かすかな動き」に変わり始めた。その動きが何であるか。既存の生き苦しい厳しい社会を風通しの良い寛容な社会へと前進させる契機になりうるのか。それとも、道徳倫理を失った頽廃的な社会へと後退させるだけに終わるのか。それは社会をどこに導くのか。その行く先を知っているのは誰なのか。しかし、残念ながら、そんなことは誰にも分からないし、知ることもできない。
    社会運動の指導者が行く先の正しい方向を指し示してくれるなら、安心して、そして確信をもってその運動に身を投ずることができる--そんな政治的予定調和の時代はとうの昔に終わっている。

 参考文献
Gesetz zur Regelung der Rechtsvrthaltnisse der Prostituierten (Pristitutionsgesetz - ProstG), in: BGBl 2001, S. 3938ff.

Entwurf eines Gesetzes zur beruflichen Gleichstellung von Prostuierten und anderer sexuell Dienstleistender von PDS, in: Deutscher Bundestag 14. wahlperipde Drucksache 14/4456, S. 1ff.

Entwurf eines Gesetzes zur Verbesserung der rechtlichen uns sozialen Situation der Prostuierten von SPD und der Fraktion BUNDNIS 90/Die GRUNEN, in: Deutscher Bundestag 14. wahlperipde Drucksache 14/5958, S. 1ff.

Entschliessungsantrag vom 03.07.2001 (CDU/CSU), in: Deutscher Bundestag Drucksache 14/6781, S. 1ff.

Beschlussempfehlung und Bericht des Ausschusses fur Familie, Senioren, Frauen und Jugend (13. Ausschuss), in: Deutscher Bundestag Drucksache 14/7174, S. 1ff.

Emilija Mitorovic, Die Spitze der Doppelmoral - Der gesellschaftliche Umgang mit Prostitution in Deutschland und die aktuelle Situation in Europa, in: Emilija Mitrovic(Hrsg.), Prostitution und Frauenhandel, 2006, S. 14ff.
Margarette Grafin v. Galen, Rechtsfragen der Prostitution - Das Prostitutionsgesetz und seine Auswirkungen, 2004, S. 1ff.

本田稔「ドイツにおける売春規制法と人身保護」大久保史郎編『講座・人間の安全保障と国際組織犯罪(第3巻)人間の安全保障とヒューマン・トラフィッキング』(日本評論社、2007年)162頁以下。

本田稔訳「欧州性労働者宣言」立命館法学319号(2008年)108頁以下。