Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

「性的なもの」をめぐる人間の相互依存関係の考察(1)

2022-05-27 | 旅行
  「性的なもの」をめぐる人間の相互依存関係の考察――オランダ・ドイツの性産業の社会的受容過程と人間的性(性労働者と顧客)の相互依存関係の分析――
           
 一 考察の契機
1アムネスティ2015年決議
 アムネスティは、2015年8月11日、世界大会において、性労働者の基本権人権の保障と性労働の非犯罪化を促進することを決議した。世界大会に参加した各国の代表は、国際理事会に対して、アムネスティ・インターナショナルの組織として運動方針を検討する権限を付与した。
 アムネスティは、政治思想、宗教的信条、人種的・民族的属性などを理由に迫害され、投獄された人々を救うべく、様々な活動をしてきた。基本的人権の国際的標準に照らせば、およそ犯罪として処罰されるはずのない行為を理由に迫害され投獄された人々がいる。犯罪を行なったと嫌疑をかけられ、不当な長期間の未決拘留の末、虚偽の自白を強要され、それを理由に犯罪人に仕立て上げられた冤罪の被害者がいる。あるいは、行なった犯罪に対して死刑などの不均衡な刑罰が科せられた受刑者がいる。さらには、死刑確定後、長期にわたって未執行状態が続いているため、その心的・精神的ストレスにさいなまれ、精神的恐怖と異常の中で生かされている人々がいる。アムネスティ・インターナショナルは、そのような人々の恩赦と釈放を求める運動を続けてきた。それは今なお専制と独裁によって支配された人々を解放し、人権の国際的規範を世界の隅々にまで普及・拡大する重要な貢献として高く評価されるべきものである。このような人権運動のユニバーサルセンターとしてのアムネスティ・インターナショナルが、2015年の決議によって、性労働者の基本的人権を保護・保障し、性労働を非犯罪化するための運動を展開することを世界に発信した。その決議は、性労働を犯罪として分類し、それに従事する人々に犯罪人の汚名を着せ、投獄している国々に対して、その不当性を告発し、恩赦と即時の釈を求める運動を牽引し、それを後押しする。性労働者の基本的人権を擁護するために闘ってきた人々は、ようやく運動の正当性に確信を持ち、社会に対して、その意義を訴え、連帯を求めるスタートラインに立つことができた。
 この決議は、世界保健機関(WHO)、国連合同エイズ計画(UNAIDS)、健康への権利に関する国連特別報告者など、国連機関をはじめとする組織・団体から得た幅広い知見に基づいている。決議案を協議した団体には、複数の性労働者の当事者団体、サバイバーを代表する団体(事件、事故、自然災害、戦争などの被害に遭いながらも生き延びた人々の団体))、セックスワークの廃止を求める団体、フェミニストやその他の女性団体、LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス)の活動家、反人身売買機関、HIV/AIDSに取り組む団体などがあったという。決議への道のりは、決して平坦ではなかった。時間をかけた真摯な議論が粘り強く続けられた。これまで耳にすることのなかった声援と応援の声が聞こえてきた一方で、率直な疑問、厳しい批判にもさらされなければならなかった。それは同時に性労働者が置かれた過酷な現実を多くの人々に知らしめ、彼ら・彼女らの気持ち、動機、喜びと悲しみを語り/聞く機会でもあった。無視され、唾棄され、踏みにじられてきた彼ら・彼女らの人権が「私たちの人権」と同じものであることがようやく認識され始めた。


アムネスティのホームページ
https://www.amnesty.or.jp/news/2015/0819_5525.html


2性労働の非犯罪化・職業化の意義
 アムネスティは、性労働者の基本的人権の擁護と性労働の非犯罪化のために行動することを決意した。その理由は明らかである。
 性労働者は、誘拐や人身売買の被害者である場合が少なからずあり、その犯罪行為者の支配のもとで、暴行・脅迫などにより不本意に「労働」に従事させられている実態がある。これは放置することが許されない、すぐにでも救済しなければならない問題である。また、性労働者が社会的・経済的な理由などから、自らその労働に従事することを選択した場合であっても、予定外の作業を求めら、それを拒否すると「解雇」を通告されたり、失業を避けるため、不本意に不当な作業に従事させられることある。さらに、約束された報酬が支払われず、不当極まりない搾取と収奪の現実がある。犯罪の被害者には財政的・精神的なケアが必要である。不当な労働を強いられた人々にはそれを拒む基本権があり、その被害を救済すべき相談機関や行政指導機関が必要である。また、労働に対する対価が支払われるべきことは言うまでもない。それは性労働に対する報酬の場合も例外ではない。アムネスティは、性労働者の置かれた現状を正確に認識している。
 しかし、このように性労働者が置かれた過酷な実態を指摘するだけでは、犯罪としての性労働を非犯罪化する運動方針の正当性を十分に根拠づけることはできない。誘拐や人身売買の被害者が性労働に従事させられ、それが犯罪にあたる場合であっても、被害者の行為は、使用者や雇用者から暴行・脅迫を受けたため、余儀なくされたのであり、不本意に行った行為であるので、刑罰を科されるべきではない。ただし、暴行・脅迫を受けずに、自らの意思で行うような場合、それ自体の犯罪性を否定するためには別の理由が必要である。それは、不当な経済的搾取の被害の場合も同じである。性労働が搾取と収奪の対象とされていることは、性労働者に救済策を講ずべき理由にはなりえても、性労働そのものを非犯罪化する根拠にはなりえない。経済的搾取が是正されても、性労働の犯罪性はそのままである。犯罪として分類される性労働を非犯罪化するためには、犯罪性を否定する別の理由が必要である。性労働の非犯罪化の理由は、むしろ性犯罪の非犯罪性にあると考えられる。一般の労働と同じように社会的必要性と社会的有用性にあるというべきである。
 性労働は、一般の労働と同じであり、一般の労働に認められてる法制度が適用されるべきである。法的に認められた労働・職業に対しては、最低賃金制度、超過勤務手当制度、有給休暇制度、社会保障制度が適用される。失業保険、退職金や年金も支給される。このような至極当然の制度を性労働にも適用すべきである。性労働の内容を変える必要はない。性労働は従来のままでよい。変わるべきは、性労働をいぶかしく見てきた社会の側である。それは偏見というよりは、無知と無関心である。このような考えがアムネスティの決議の前提にあるように思われる。性労働者が自らの自由な意思決定に基づいて、性労働をその職業として選択した場合、それは他の職業と劣るところのない職業であり、労働過程において富と価値を生産する労働と同じである。
 アムネスティは、性労働を一般の労働・職業として承認すべきことを訴えている。売春や類似の性的行為を介助・介護の業務と同じように法的に保護されるべき仕事として承認すべきことを求めている。そのような主張を国際的な人権の標準にまで高めることができるか。また、各国がその考え方を受容するか。それはまだ結論を見ないが、この問題をめぐって議論が始まったことは確かである。その動きは、何によって生じたのか。先に見たとおり、様々な世論と運動がアムネスティの決議に結実したと思われるが、その一要因として2001年施行のドイツ売春規制法がある。


 二 ドイツ売春規制法の成立過程
 ドイツの売春規制法は、2002年に施行された。それによって、売春が一つの労働・職業として法的に承認された。従来まで違法行為として扱われ、法的な保障される労働・職業として承認されていなかった売春が合法的な職業として承認されるに至った。売春規制法の立法過程を詳細に検証することによって、売春の非犯罪化と職業化の理由が明らかになり、アムネスティの2015年決議の真意が浮かび上がる。


1司法における変化の過程
 売春規制法は、売春を法定に承認する時代の開始を意味した。同時にそれは売春を否認し続けてきた時代の終演を告げた。
 1901年、帝国裁判所は、売春契約が、「公正かつ衡平に思考する全ての人々の礼儀感覚とは相容れない」、つまり「衡平な基準に基づいて評価された風習に表現されている民族成員の感情と矛盾している」ため、控除良俗に反し、かつ共同体侵害的であるがゆえに、民法138条1項により無効であると判断した(RGZ 48, S. 114, 124.)。さらにワイマール共和国の時代に入ると、売春婦に対する監視と規制が1927年2月18日制定の性病対策法によって始められた。それによって、売春婦は行政および警察の諸機関によって監視され、刑罰によって常に威嚇されるようになった。そのような行政監視と刑事規制の制度は、ナチ時代においても継承され、またドイツ連邦共和国においても見直されることはなかった。というよりむしろ、戦後ドイツでは、帝政時代からワイマール共和国期とナチス期を経由して、その当時の規制理論がそのまま継承された。公序良俗違反性と共同体侵害性という売春婦を監視史規制する法的基準は、連邦裁判所に承継されて定着し、戦後ドイツの売春規制法制の支柱となった(BVerwGE 22, S. 286, 289.)。
 売春はなぜ「共同体侵害的」であるのか。それは、1965年の連邦行政裁判所の判例、売春を職業選択の自由の対象になりうるかが争われた事案において明らかにされている(BverwGE 22, S. 286, 289.)。裁判所によれば、売春は「職業犯罪人」の活動と同じであり、犯罪と同義であり、それゆえ個人の権利や社会の諸利益と調和できず、共同体侵害的であり、それゆえに職業選択の自由を保障する基本法12条1項の対象外であるという。その後も、1981年、売春に従事した経歴のあるフランス人女性がドイツでの滞在許可を申請したところ、ドイツの所轄の官庁がそれを不許可したことがヨーロッパ経済共同体条約7条1項の差別禁止条項に反するかが争われた事案におうて、同じく連邦行政裁判所は、売春はそもそも基本法の原則である人間の尊厳と一致しえず、そのような方法で収入を得ることは、ヨーロッパ経済共同体の調和的な発展と拡大を基礎づける経済政策の対象にはなりえず、またそのような経済生活の構成部分にもなりえないと判断し、滞在不許可の措置がヨーロッパ経済共同体条約7条1項の差別禁止条項に抵触しないと判断した(MDR 1981, S. 170.)。
 さらに、1982年の「ピープショー判決」においては、ピープショー(Peep-Show)が人間の尊厳と公序良俗に反し、営業活動として許可できないと判断をされた(NJW 1982, S. 664 f.)。ピープショーとは、いわゆる「のぞき部屋」である。バームクーヘンのような形状の大部屋の内部に六角形ないし八角形の小部屋を設置し、大部屋の壁と小部屋の角の間に仕切壁を入れて6つないし8つの仕切部屋を作る。客が仕切部屋に入り、硬貨投入口に硬貨を入れると、小部屋の中を見るためののぞき窓の目隠しが開く。小部屋の中では裸体の女性がチェア・ダンスやオイル・レスリングをしている。客がその姿をのぞき見て楽しむるというものである。このショーがなぜ人間の尊厳と公序良俗に反するのか。
 このようなショーの典型的なものとして、ストリップがある。それは女性が舞台の上に立って演技を披露するが、その演技のイニシアチブは女性にあり、観客は彼女の演技を鑑賞する。このような舞台演技の場合、表現者である女性の人格的な主体性は否定されていない。しかし、ピープショーの場合、小部屋で演技をする女性は、誰に見られているのかは分からず、また誰のために演技をしているのかも知り得ない。仕切部屋に客がいることは分かっても、その人が演技をどのように受け止めているのかは知り得ない。ショーを演ずる女性は、いわば機械仕掛けの見世物のような存在にされ、人間の尊厳を剥ぎ取られたモノとして扱われている。それゆえ、人間の尊厳を否定するピープショーは、公序良俗に反するがゆえに営業許可を認めることはできないと判断された。
 テレホンセックスについても、1998年の連邦通常裁判所の判決によって、公序良俗に違反すると判断された(NJW 1998, S. 2895, 2896.)。テレホンセックスとは、男性が電話をかけると、女性が電話に出て応対し、女性が通話において性欲を興奮または刺激するような会話を行う。録音音声の再生の場合もあれば、女性が直接会話する場合もある。裁判所は、私的会話という人間同士の「緊密な領域」における交流が、ただ性的好奇心を刺激し、それを満たすためだけの「商品」にされており、それは非人間的な行動でしかなく、たとえ女性が任意に応対していても、決して自由な意思に基づいたものではないと判断した。テレホンセックスについても、その営業の許可が認められない理由には、人間の尊厳の否定と公序良俗違反性がある。
 このような売春をはじめとする性労働の共同体侵害性と公序良俗違反性は、既存の共同体において一定の道徳的・倫理的秩序が確立していることを前提とした判断である。その体制と秩序が安定していれば、売春の共同体侵害性と公序良俗違反性も同じように安定し、それに対する一般国民の認識も変わることはない。しかし、共同体の有り様と秩序が変化すれば、売春の共同体侵害性も公序良俗違反性の観念も影響を受け、場合によっては揺らぎ、大きく変化する可能性がある。
 例えば、テレホンセックスから得られた収入に課税する場合の基礎額に関して、公序良俗違反の契約によって得られた部分について、従来までは正当な収入とは認定されてこなかったが、連邦財政裁判所は、2000年2月23日の判決において、その立場に対して「性に関する変化した社会的な見解」から見て時代遅れであると判断し、また連邦行政裁判所は、「ピープショー判決」(1980年7月15日)の立場、すなわち売春の公序良俗違反性という立場を堅持しなかった。そのような変化のなかで、ベルリン行政裁判所は、2000年12月1日の判決において、「任意かつ犯罪的な付随現象を伴わずに成人によって従事される売春は、……わが社会において今日承認されている社会倫理的価値表象に基づけば、(もはや)良俗違反と見なすべきではない」と判断した。この判決は、いまだ端緒であったが、共同体と秩序が変化し始めたことを告げる画期的なものであった。


2議会外における展開
 司法における変化は、自然発生的なものではなかった。議会外における様々な運動の反映であった。1970年代末に一つの運動が始まった。それは、80年代の初頭以降「売春婦運動」と命名された。売春婦は、公衆の前に公然と姿を現し、彼女らが法的・社会的に差別されていることを訴え、その労働を職業として承認するよう求めた。これを契機にして、全ドイツで売春婦自立自助プロジェクトが国家的な助成のもとに設立された。このプロジェクトは、まずは売春婦をその労働から離脱させるために助言を提供することを目的として始められた。そのプロジェクトを受けて、1985年にベルリンで最初の売春婦大会を組織した社団法人「ヒュードラ」であり、その後、数多くの大会が続いた。
 売春婦運動は、「機は熟している」をモットーに、1996年1月、「売春婦と他の勤労者との法的および社会的等値のための法案」という法案を構想し、公表した。それは、連邦議会の諸会派に対して、この問題に対して議会として取り組むきっかけを与えた。この法案構想の内容は、売春に必要な特別規定を設けつつ、売春を民法の奉仕業務として位置づけることであった。
 このような「売春婦運動」を一般の国民はどのように見たのか。一般国民は、1980年代に始められた売春婦自立自助プロジェクトではなく、社会問題化したHIVとエイズに関心があったため、売春婦運動を寛容に迎えるのではなく、むしろ「危険集団」として位置づけた。その結果、バイエルン州では、売春が連邦伝染病法に基づく強制措置の対象とされた。ただし、それは「売春」を強制措置の対象としながら、同時に「売春婦」の法的および社会的立場を向上させる必要性を認識させるものであった。そのようなこともあって、メディアでは、売春婦の法的・社会的地位に関する問題が広く好意的に取り上げられ、支援の世論形成を後押しした。それは80年代以降のプロジェクトはの意義が社会に浸透していたことを実感させるものであった。
 ベルリン行政裁判所では、ベルリンの喫茶店「シーッ、静かに」(表向きには「喫茶店」であるが、中では従業員との個別契約で売春が行なわれる)に対する営業許可をめぐって訴訟が提起され、店側は営業許可を求めて争った。メディアの裁判報道は、売春が広く一般社会に受け容れられていることを示した。テレビ番組のトークショーでは、原告の女性たちは自己の立場を明らかにし、それによって広く国民に宣伝する機会を得た。
 学術分野においては、キリスト教民主同盟の議員ルーペルト・ショルツは、ドイツ司法の従来の判断対して、すでに1980年代以降、売春のあらゆる形態を「まったく共同体侵害的なものである」と特徴づけることはもはや容認できないと主張し、法学者のウヴェ・ヴェーゼルは、「女性はカネのために売春し、家父長制がそれを回収する」および「職業としての売春」という表題の論評において、良俗違反という民法上の評価を反時代的であると批判し、売春を職業として承認することを求めた。フォン・レオの『売春の刑法による統制――総括と批判』、ラスコフスキーの『売春に従事する――基本法12条2項の意味における憲法上保護された職業』およびグレスの『ドイツにおける売春の規程化』などが、「売春婦の法的地位の改善が緊急かつ必要であること」を訴えた。売春婦運動は、一部の議員と法学者と連携して理論武装し、急速な展開を見せ始めた。


3議会内における展開
 議会外の動きは、議会に影響を与えた。1990年、緑の党会派が包括的な差別撤廃法の第3法案として売春婦の法的差別を撤廃するための法案を連邦議会に提出した。しかし、東西の統一という情勢のなかで、議会の開催期間(第11会期)が短縮された結果、それが表決に付されるには至らなかった。その後、緑の党(90年同盟との連立会派)は、第13会期において、売春婦運動の法案を取り上げ、それを若干変更して「売春婦の法的差別を廃止するための法案」として連邦議会に提出した。社会民主党会は、良俗違反性の「廃止」に限定された「売春婦の冷遇の廃止のための法案」を提出した。しかしながら、これらの法案は、1998年6月25日、キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟および自由民主党の多数派によって否決された。売春婦に対する差別撤廃をめぐる争いは、差別の是正の要否をめぐる革新と保守の党派間の対立ではなく、売春それ自体を拒絶する保守政党の伝統的道義観念と革新党の寛容的・包摂的倫理観との争いであった。
 その後も社会民主党と緑の党・90年同盟は連立会派を形成して、与党の立場から「売春婦の法的および社会的状態を改善する法規程を設けること」を提案し、売春の法的取り扱いをめぐる議論と交渉を各会派のなかで行なうよう勧めた。会期の最終の2001年5月、社会民主党と緑の党・90年同盟は、議会の議論を「売春婦の法的および社会的状態の改善に関する法案」としてまとめた。議会における審議は、この法案から本格的にスタートした。その経過は、以下のようにまとめられる。
 2001年5月8日、売春の法的取り扱いを検討する連邦議会特別委員会(家族、老年者、女性および未成年者のための連邦議会委員会)は、法案審議のための公聴会を開催した。その法案をめぐって様々な批判が出され、特別委員会は、2つの点に関して論点を整理した。第1点は、刑法では、売春婦に売春を営業としてあっせんする行為は犯罪として処罰されるが(刑法181a条2項:売春あっせん罪)、売春婦が自由意思に基づいて任意に売春に従事している場合に限り、不可罰とする。第2点は、自由意思に基づいて任意に売春に従事する売春婦を雇用する場合、雇用者には雇用保険等の保険への加入を義務づける(売春規制法3条)。特別委員会は、以上の2点を明らかにした。これによって特別委員会は、売春それ自体が犯罪として処罰されてこなかったものの、売春のあっせんが犯罪として処罰されることの反射的効果として、売春が事実上規制を受けてきた状態を改善する必要があることを提案したのである。そして、任意の売春に限って、雇用保険等の制度が適用される労働・職業として法的に承認し、保護・保障すること求めた。
 2001年10月19日、キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟(野党)は、特別委員会の法案に対して反対の意思を表明した。与党の社会民主党の若干の議員が表決に棄権したが、特別委員会の法案が賛成多数で法案として議決された。その際、自由民主党(野党)が、法律施行後、3年間、「売春が公序良俗に違反しない」とする法律の効果を検証することを提案し、それが了承、可決された。
 法案の審議が連邦参議院で行なわれ、2001年11月9日、法案は了承され、それが2001年12月14日に連邦議会本会議で可決された。連邦参議院は、連邦議会による法案可決に対して異議を申し立てることができるので(基本法77条3項)、2001年12月18日、バイエルン州とザクセン州選出の議員から法案を否決すべきとする異議が出された。しかし、連邦参議院において過半数を見なかった。その結果、連邦議会で可決された法案が2002年から施行されることが決定された。それが売春規制法である。
(続く)