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《 リアル 芸能 ルポ 》 竹内まりや・三昧の中で、岡田有希子の名前を耳にして・・・・長期密着取材時の時の想い出が、一気に、さまざま、甦ってきて・・・

2021-10-24 19:09:58 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

 ≪ 2019・3・26 再掲載 ≫

 竹内まりやの、特番を観ていた。

 ふっと、再び、岡田有希子の名前が、彼女のクチから出てきた。

 ああ、いまだ、気に掛けてくれてるんだあ・・・・・。

 少し、胸が熱くなった。

 もし、良かったら、4か月前の記事、読んでください

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 ≪ 2018・11・25 掲載記事 ≫

 ああ・・・・・岡田有希子かあ・・・・・

  今日、NHK-FMで、「竹内まりや三昧(ざんまい)」が、長時間、流れることは、今朝、知った。

 わたしの中で、心に染み入る曲は、「駅」そして、「人生の扉」くらい。

 山下達郎・夫妻のことについては、さまざま取材したが、とりたててファンでもないので、聴かずに、資料整理など、作業をしていた。

 それに、タレント崩れが、わいわいがやがや、囃したてながら、勝手なうんちく語って、ギャラもらって、時間をつぶすことが、このテの番組に多いこともあり、聴かずにいた。

 そんな無駄なギャラで、受信料を使われるくらいなら、一気に、「竹内まりや 100曲集」という、企画の方が、どれだけ、彼女のファンが、喜ぶか。そう、思いつつ・・・・。

 夕刻、作業に、一息ついて、何気なく、この番組のスィッチ入れた。

 ん? 岡田有希子の、ソレも、コンサート音源が流れ、思わず、録音。

 彼女が、18歳の時。

 当時、四谷3丁目近くの角に建っていた「四谷大木戸ビル」の、7階建て屋上から、飛び降り自殺したのが、1986年4月8日。

 その前には、彼女、手首をナイフで斬っていた。

 覚悟の、自殺と言って良い。

 そこにまで至った、原因は・・・・・・。

 さまざま報じられたが、自分も取材した中で、起因は、俳優・峰岸徹に、片思いした末の、モノと、思う。

 が、肉体関係どころか、交際、デートも、まったく、無い。

 そんな逢い引きの、密会出来る、時間的余裕すら無かった、と言い切れるくらい、彼女のスケジュールは、真っ黒。

 メチャ、売れていた。本当、に。 

 そんな時期に、彼女を、長期密着取材したことが、あるから、よく知っている。。

 今でも、印象深いのは、彼女の、ホントに、驚くほどの、マジメさ、ひたむきさ。

  取材の視点は、「佐藤佳代」という、本名の子の、今まで書かれていない素顔と、ホンネと、その想い。

 付いて、取材してゆく中で、あまりに、一生懸命過ぎて、こんな調子で、仕事、生真面目にこなしていたら、いつか、倒れるんじゃないのか?

 佐藤佳代という子。手、抜かない。いつでも、全力、真正面に、仕事に、向き合っていた。

 実際、倒れて、点滴打って・・・それでも、仕事場に、自分の意思で向かっていた。

 このまま突き進んでいって・・・・・果たして、大丈夫かなあ・・・・。持つかなあ・・・・・。

 そんな危惧さえ、予感させる子だった。

 この記事を打ち込む前。

 彼女の名前を検索すると、松田聖子や、酒井法子の名前が載っていた。

 松田へは、いくたびか、取材。

 その、したたかさ、には、あきれ、舌を巻くほど。良くも、悪くも、カラダの芯の根っ子が、プロ。

 最近は、ジャズクラブで、8万9000円もの入場料を取って、ライブを開いたとか。いやはや・・・。

 のりピーこと、酒井法子は、覚せい剤事件前からの取材。

 したたかで、平気で、ばれるウソをつく。

 人気全盛時も、アイドル、を、いつも、創って、演じていた。

 何本か、打ち込んだので、読んだ人もいるでしょう。

 あの、証券会社のテニス大会歌唱営業は、もう、開かれず。収入は、アジアでのイベントで、稼ぐほか無い。日本国内では、相手にされない。

 今は、住んでいるマンションの、立ち退きを求められ、四苦八苦の生活ぶりのようだ。

 に、較べ、岡田有希子・・・・・・。

 一番、印象に残っている光景。

 年末に向けての賞レースの、リハーサルの時。

 睡眠時間。連日、3時間ほどだった、当時の岡田有希子。

 大きなスタジオで、テーブルに座ったまま・・・・思わず、コックリ、コックリと、居眠りを始めた。

 仕方ないよなあ・・・・と、スタジオの隅で、観ていた。

 そうしたら・・・・ ハッ!と、気付いた彼女。

 なんと、自分の頬をバチ~ン!と、叩いたのだ。

 そして…両目を、こすり、そこからは、一切、居眠りすることは、なかった。

 その日。なんにも、声を、掛けられなかった。

 死んだ日。

 編集部に、1本の電話があった。

 受け取った者によると、落ちて、死んで、血が流れている写真が有る。買ってくれないか?というシロモノ。

 行ってくれないか?との、依頼。

 嫌だなあ・・・・とはいえ、一応、見ては、おくか、と。

 行った。もろに、暴力団の事務所。大きな代紋が、壁に飾ってあった。

 写真。とても、使えるもんじゃなかった。言ってきた代金も、法外なもの。

 こういう時、あいまいに答えると、付け込まれる。

 キッパリと断った。しつこく、すごまれた。が、席をたった。

 どんな写真だって、買う気なんか、ハナっから、自分には無かった。

 あの、岡田有希子だもん。佐藤佳代だもん。

 そんな彼女のマネージャーとして、付いていたのが、事務所の、溝口伸郎さん。

 いろんな取材の場で、融通を利かせてくれたから、さん付けしたわけでは、ない。

 このひと。人間として、素晴らしいひとだった。

 二枚目で、昔、音楽活動していて・・・・・・。

 岡田の死後も、逢えば、挨拶をして、少し、言葉をかわして、・・・・。

 責任を感じたまま、仕事に埋没されていた。

 その人が、・・・・岡田有希子が、自殺した14年後。

 よりにもよって、その大木戸ビルの中に有った、トイレの中で、クビを吊って・・・・死んだ。

 原因うんぬんよりも、死んでくれるなよお・・・・・・・。頼むよ・・・・・・。

 なんでえ?・・・・・・・・・。

 やりきれない想いが、渦巻いたまま、調べて、通夜に駆けつけた。

 下町の、小さな会場。

 取材では無い。仕事で、知り合った者として、御焼香。

 打ちひしがれた、奥様の顔は、見られなかった・・・・・・。

 岡田有希子。溝口伸郎。

 あまりに、早過ぎる他界。ソレも、自死で・・・・・・

 改めて、お悔やみ申し上げます・・・・・・

 やりきれません。

 

 



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