『 2013・4・29 掲載 』
牧伸二の、「近年の”芸”」については、今年正月、先の通しタイトルで、詳しく書いた。
放送コードを、どうひねくっても、超えてた、卑猥な下ネタで、笑いをとろうとしていたが、客は、明らかに引いていた。
近年、活躍の、まさに「舞台」は、ラジオの寄席番組。地方のホールへ赴き、歌いもしたが、それも受けず。
次第に、もはや、やけくそ、捨てばちの感が、あった。
観客の殆んどは、牧の全盛時を知る老人たち。だから、卑猥漫談にも、許容度があった。
しかし、牧は、それを笑いに変えて、持って行くことが、最後まで、出来ないままだった。焦燥感が溜まっていってた。
このエロ話しや、差別を軸にした漫談に、笑わないのは、「客が悪い」との感情が、口調の端々に垣間見えた。
「人気が徐々に無くなり、次第に堕ちてゆく芸人」の典型的パターンを、牧も気付かぬうちに、踏襲していた。
いや、内心、気付いていたはずだ。
しかし、エロも、1つや2つの”枕”程度なら、客も受け止めるが、終始それでは・・・・
ウクレレ弾いての、歌声も近年かすれがちになり、音程もはずれ初めていた。”新曲”のCDは、自主製作でもあった。
それが、御ない年の、老ピン芸人である、ケーシー高峰との、「話芸」の、根本的違いと、差になって、現れていった。
ケーシーは、医師まがいに白衣を身にまとい、身体の「部位」について話してもおかしくないという、芸の利点が、あったにせよ、だ。
やさしく言えば、紙一重。しかし、その差は、大きかった。
ケーシーは、今も、テレビ、ラジオ、そして高座にも上がっている。
客への、くすぐりも、まだまだ衰えていない。
片や、牧は、今年のアタマから、ぷっつりと、表舞台から姿が、消えた。引退の気など、全く無かったのに・・・・。
周りからは、会えば「師匠、師匠」と言われ、ある種、「裸の王様」状態でもあった。自ら、晩節を汚していった。かつては、一世を風靡していただけに、哀れにさえ思えた。
正月の演芸番組、お笑い番組からも、出演要請が、無かったと聞く。
起用する方は、ギャラはともかく、あのハナシでは、放送コードがこわい。ましてや、ナマ放送が中心。
いきおい、ご遠慮願うという、流れになっていった。
かつて有名。「営業」は、ポツリ、またポツリと、あったはずだ。しかし、それは、スポットライトとは、遠く、そして、また笑いは、無い。
牧にインタビュー取材をしたことは無いが、キャリアからみても、プライドだけは、高いと聞いていた。
そんな人間が、仕事が無い、少ない。杖をつき、多少足が不自由であろうとも、舞台で、全く「受けない」”厳実”は、ココロの中では、たまらないものがあったであろう・・・・
だれか、思い切って「引退」を進言して、彼がおのれの「今」を知り、決意さえしていれば、自殺はまぬがれたのではないか・・・
事務所を経営しており、金銭的には、売れっ子芸人はいなかったものの、食べては行けたはず。
多摩川へ、深夜の零時。その身を橋から投げた・・・・・
その追い詰められた心境を思うと、言葉もない。