ネット上の、ニュース欄に、ひょいと乗っかっていた、この2人での、「負けないで」合成動画合唱が、この2月1日に、放送されるとの、宣伝記事。
「ミュージックステーション」の、特大版での、最大売り物か。
こんな写真がすでに、出せるということは、すでに収録済みということ。
反応したのが、わたしの記事に向けての、検索。
ZARD(ざーど)坂井泉水(さかい いずみ)こと、蒲池幸子(かまち さちこ)の、11年半前の、死亡の真相についてだ。
改めて、文面を、塗り直して書くのもつまらないと想い、今から丸1年半前の、記事を、先ほど、再掲載いたしました。
左の写真に見える、慶應義塾大學病院の、入院患者個室病棟も入っている、横長の建物。
この4階の左端の個室に、偽名で、蒲池幸子が、入院しており、死の当日未明、こっそりと、起き出し、身をひそめるようにして、徒歩で内階段を昇り、当時、施錠されていなかった、広い屋上に出る扉を開けて、出て、
写真右上の屋上の角から、一気に、身を投げた。
確実に死ねる方法は、それしか無く、また、取材で通い続けていた当時、最終的に、残ったのは、ソレでしかなかった。
わたしも、立ってみたが、下を見て、足がすくんだ。
報道されたような、
この3m、実際には2m70cmほどのスロープの手すりに、駐輪・駐車場に背中を向けて、アタマを下にして、ゴロンと落ちても、ケガはしても、到底、死に至るケガは生じませんでした。
覚悟の自殺、自死ではありましたが、遺書はなかった、というのは、本当と想われます。
夕方まで、実母が、毎日のように、見舞いに通って来ていました。
その時は、その素振りも、見せず・・・・・・・。
当時の取材をひも解くと、確かに、彼女は、子宮けいガンで入院。
そのガンが、肺にすでに、転移。
抗ガン剤治療に、頼っていたのも、本当です。
それまでに、すでに、子宮内膜症、卵巣のう腫、子宮筋腫、などをわずらってはいたものの、決して、末期ガンにまでには、至っていないとの、この種の治療に当たっている、医師の見立て。
では・・・・完治するか?というと・・・・まず、難しいとのこと。
いったん退院しても、また、カラダの不調を訴えて、入院し、その繰り返しの日々が、おそらく、間違いなく、死ぬまで、続くはず。
作詞は、ベッドの上で、編み出せても、歌手活動は、困難を極めるでしょうとのこと。
まだ、40歳の身。
悲観してか、どうか・・・・・。
は、彼女自身の心のなかの問題。
しかし、見た目は、すっぴんでも、あくまで、美しく、ガンの影響で、やせてもおらず。
「写真の、まんまでしたよ」とは、彼女の個室にも、食事を毎日、運んでいた職務の、女性、2人。
キチンと、証言とりました。
葬儀は、当時、まだ、少なかった、家族葬のようなカタチで、2つある実家にほど近い、町田市の葬儀場で、5月30日に、執り行われております。
戒名には、澄、響、輝、の文字を入れ込んでいた。
生きていれば、この2月6日で、52歳を迎えていることになるはず。
アッと、思ったのが、自動車教習所の教官を、定年退職するまで、まじめ一筋に勤め上げた父親も、
娘の死去当時、母は、子ども達と、近所の人達が言う、「ZARD御殿」に住んでおり、別居しておりましたが、
今、ともに、80歳台。
あれから、訪ねていませんが、他界されても、おかしくない年齢に達しています。
お父さんは、実直で、生真面目で、とても好感のもてる人物でした。
当時、母や、姉や、弟は、幸子のおカネだけを、当てにする生活ぶりで・・・・・。
坂井泉水の、ライブや、コンサートは、船上などで実施されたなどだけで、とても、回数、少ない。
果たして、CDの通りの歌声が、実際に出ていたのかどうか?は・・・・分かりません。
CDは、音痴でも、相当、修正、出来ますんで。
といって、そう、あの、澄み切った、のびやかな歌声は、修正されたシロモノでは、ないのではないか?と。
この倉木麻衣の、近年の音程の危うさは、ひどいものです。
彼女については、出生から、関西に母子して、移住するまでは、全部、調べました。
あの、問題多い、実の父にも、逢い、虚実、取りまぜてのハナシも、たっぷりと聞きました。
歌作りは、近年の作業ぶりを見てても、打ち込み、マシンの、ありきたりのリズム中心。
いまだ、宇多田ヒカルの、二番煎じの域を、1歩も、出ていない。裏声の使い方までも。
自分で、倉木のコンサートには、足を運んではいません。
上記、掲載の、昨年晩秋の、東京国際フォーラムAでのコンサート。
ファンは絶賛してましたが、大音響で、かんじんの声、音程の確かさは、確認しずらいもの。
こちら、CSで、ライブ、コンサートの模様を、エムオンなどで、全部、彼女の歌声は、タイマー録画しておき、観て、聞いている。
このコンサートの模様って、会場と違い、音声がメインで、流れてくる。
なので、その音程の危うい、音痴ギリギリの歌声や、声量の無さ、相も変わらず、不安定な声の揺れ揺れ、声の伸びのまったくの無さなどが、ハッキリと浮かび上がってくる出来になっていた。
さらに、打ち込みで創るため、全篇、ほとんど、左右に腕を振るだけの、変化の取り立ててない、単調リズム&メロディー。
こんな「低度」で、よく、客が、8000円も払うなあ・・・・・と、元・音楽も担当していた記者としては、驚くばかりだ。、
むろん、その日も、当日券も発売され、完売、満員では無いし、ファンの飢餓感をあおるかのように、コンサートの回数が多く無いため、逆に、人気が、それなりに、維持出来ている、作戦成功の・・・・ように想う。
先の、坂井泉水が、テレビにもおいそれと出ない、コンサートも、まず、やらないという、巧みな戦略で、大成功していたように。
番組での、合成歌唱が、どのような、シロモノに出来上がっているのかどうか?
まあ、故人の、澄みきった声の伸びに、「負けないで」と、励ましておきましょう。