≪ 2017・5・6 掲載記事 ≫
ネット上に、ひょいと現われた、不仲らしい、とか、いや、もう、別居しているらしい、との記述、噂。
さらには、離婚しているのではないか?とまで。
このたぐい。らしい? ないか?付き。
まあ、しょせん、ネットの書き飛ばし。根っ子の事実有り無し、なにひとつ、そう打ち込んだ人間自ら、確認、裏取り、関係先へと、電話1本していない。
「別居」の論拠。
妻の清子(さやこ)が、5年前の4月、三重県にある「伊勢神宮」の、「臨時神宮祭主」の職に就いたことから、東京を単身離れて、伊勢神宮勤務になっているのではないか?と、いうもの。
例え、籍が抜けても、皇室に連なる者の責務。といっても、まさに「臨時」。その翌年に、たった1度、まさに臨時に勤めただけなんだけど。
まったくもう・・・・・調べもせずに。
そんなことを知りつつも、???と。ちょいと、気になった。
黒田慶樹(よしき)と、天皇と、皇后こと国母(こくぼ)との間に産まれた娘、愛称、さ~や、こと清子(さやこ)が結婚したのは、今から約11年半も前の、2005年11月15日。
婚約内定した際に、写真の様に、2人出席して「記者会見」を開いた。
2人の肉声が聴けたのは、この時が最後。婚約が発覚した際に、彼の自宅前でと、後にも先にも、この時だけで終わった記憶がある。
遠い過去ではあるが、御主人となった黒田慶樹の声は、なんとなく記憶があった。
2人の間を取り持ったのは、さ~やの兄の、現・秋篠宮(あきしののみや)。連絡役も買って出た。
秋篠宮と、黒田慶樹は、学習院初等部、つまり小学生の時からの同級生。
以降、学習院大学卒業まで一緒の付き合い。16年間にも及び、さらに友人として、心置きなく、今も付き合い続けている。
互いのことと、その性格の隅々に至るまで、何でもかんでも知っており、さらには、秋篠宮の妻・紀子(きこ)とも、同じゼミの仲間で、気心は知り尽くしていた。
なもんで、こんな、自然で、なごやかな光景も見られた過去もある。
彼ならば、さ~やの結婚相手に、最もふさわしいと2人して想ったのであろうと、今この取材を終えて、痛感する。
さ~やが、結婚を機に「皇籍」を離れ、「離脱」。一般国民の1人になった。
その際に当たっての、いわば、支度金、とでも言おうか、皇籍離脱金。
その金額、1億5250万円。
いくら惚れあって、恋愛感情を実らせて結婚し、妻が単なる1人の国民になったとはいえ、こりゃあ自分が夫だったら、何かと、生涯、精神的に大変だなあ・・・と想ったのも記憶している。
我が国では3分に1組が離婚届けを提出しているなか、「俺、実は小学生の時から酒飲んでいたんだよ」と自分から暴露し、放言していたアル中殿下と、麻生太郎の妹の「形骸化夫婦」の様に「別居」はしても、絶対に「離婚」は、ゼニカネ勘定もあって、損するからと、しなかった例もあるが、こんな噂飛び交うなか、ホントのところはどうなんだろうなあ?・・・・・・・と。
かつて、住まいには一度、行ったことがある。
一度、ネットでも記事化したので、読んだ方もいるかも知れないが、JR目白駅近くの、見上げるばかりの高層マンションに、住んでいた。
驚いたのが、そこいら辺の高級マンションと、中の造りが違ったこと。
エレベーターは2基あるのだが、お二人の新居のある階には、どちらも行けないのだ。停まらない、のだ。
その居住階専用のカギを差し込んで、初めて、その階だけにストレートに停まるシステム。
んもう、すんごいシステム。
かつて取材に行った、メジャーリーグへと渡米前の、石井一久と木佐彩子と子供たち家族が住む港区内にあったマンションの、その階もそうだった。
もっとも、石井家の方は、他にもう一家族が同じ階に住んでいたが、黒田家は、その階すべての、広~~いフロアを黒田家が独占!
いやはや、1億5250万円があるから住めるってもん!
今も、そこに住んでいる・・・・らしい。東京のきらめく夜景が、ぐるりと360度、一望出来る。はずだ。富士山も、天候次第では見えるはず。
ただし、洗濯物は外に干せず。さらに、フトンは絶対に!干してはダメ!
とはいっても、彼は、普段はごく普通に電車通勤し、清子は自ら車を運転し、遠出をすることもあるが、車や徒歩で食品スーパーに食料などを買い出しに出かけている。
意識して目立たず、いたって地味な、たんたんとした国民的私生活。
父母のお祝いごとに呼ばれて、宮内庁差し回しの黒塗りの高級車の後部座席に夫妻して座り、皇居、東宮御所に、行くこともある。
先日も、そんな光景が、皇室番組で流れていた記憶がある。
座席の窓を、マスコミ用にと、所定撮影地点で10秒間ほどだけ開け、会釈を2人してしていた。
さらに、近年。
慶樹の実母、壽美子(すみこ)が高齢となり、彼が結婚時からの約束通り、独り暮らしをし続けていたその母を引き取り、3人で、つつましく、且つ、仲良く暮らしていると聞いている。介護も兼ねて。
慶樹の父の慶次郎は、彼が学習院大学の3年生の時、ガンに犯され死去しており、実の弟は、横浜市で婿養子に入って姓が変わっている。
だから、仮面夫婦を装った、事実上の不仲はともかく、別居は、おそらく無いはず。そう、想いつつも、記者根性。
黒田慶樹は、かつては、三井住友銀行に勤務していたが転職し、結婚時には「東京都庁職員」になっていた。
彼の軌跡をたどってみたが、皇室につながる、ある種、特別な存在ともいえるのに、だからといって特別扱い皆無。とりたてて、良い扱いも、待遇もされず、天下りや「冠職」も望まず、格別の出世はしていない。
新宿にそびえ立つ庁舎勤務ばかりではなく、都内のいたるところにある出先の、下町の出張所のようなところにも飛ばされ、亀戸などにも通勤していた。
中途からの「都庁職員」というハンディもものかわ、この丸21年、不平不満も言わず、たんたんと、与えられた業務をこなしてきていた。
はた目から見て、誠実、謹厳実直そのものの生き方を、貫いている。
11年半、子どもが授からずとも、”女帝”雅子にアタマが上がらないままの甲斐性無し皇太子と違い、かつては外野席から、1日も早くやれ!造れ!などと、ヤイノヤイノ言われることもなく、過ごしている・・・・はずだった。
ちなみに、現在「夫」が52歳。「妻」が、48歳。
偶然なのだろうが、「夫」の誕生日が、4月17日で、「妻」が4月18日という、深い縁で結ばれていたことも、仲良くなっていく起因になったであろうと想う。
2日続けての誕生日祝いではなく、まとめてそのどちらかの日に行なっているとも聞いていた。
ちなみに、黒田慶樹と、力尽き、広島カープで引退した黒田博樹とは、姻戚関係、全く無し。
慶樹の愛称は「クロちゃん」。
取材を終えての感触は、まさに、そんなカンジであった。
そんな過程での、このような報道。
一度、キチンと取材しておいた方が良いだろうと、想った。
現在は、この4月1日から、「東京都建設局 公園緑地部 利用促進担当課長」の肩書きで職務に励んでいる。
そこの席に、電話取材を入れた。
女性に取り次いでもらったあと、少しの間を置き・・・・・
「はい。黒田でございます」
ーーーお仕事中、申し訳ありません。少しだけ、お話しをお伺いしようと思いまして。奥様が、伊勢神宮の
「はい?」
---伊勢神宮のですね
「あのう・・・・わたくしは、公園緑地部の黒田と申しまして、質問の中味が、公園緑地のことでしょうか?」
---いいえ・・・ネット上で、不仲とか、出ていたものですから
「あのう・・・・公園緑地のことでなければ、お答えを御遠慮申し上げることに致しております」
---それでも、あのう、失礼ですが、不仲や別居などの真偽につきまして、どちらなんでしょうか?
「このようなことで、こっちにはお答えして、あっちにはお答えしないということは、したくないなと」
「ごめんなさい。これから先は、職員としてお答えするのではなく、黒田慶樹としてお答えをするなかで、わたくし個人として、取材や、報道関係からのお問い合わせには、一切お答えしないということにしております」
取材全面拒否ではあるものの、あくまで物腰はやわらかく、言葉はすごく、ていねいで、ソフトな印象を終始与える。
相手に対して、人柄なのか、まったく不快な想いを、少しも抱かせない。
が、このあとも、ねばれるだけ、ねばって、実情と、真偽のカケラだけでも、つかもうと試み、それだけは成功した。
この後も、攻防はやわらかく、何度も行きつ戻りつ、繰り返しながら・・・・進む。
---しかし、一切お答えにもならないと、コレが本当のことのようにまかり通ってしまうと、黒田さんにとって、まずいことにはなりませんか?
「いろいろ、あることがありまして、おそらく、わたしにとって不利なことは、オハナシしない。そういうことも、良くないことだと思っておりますので、そういう報道につきましても、一切お答えしないと言うことに、しております」
「あっちには良くて、こっちは良くないということも、致したくありませんし」
---でも、お話しなさらないままですと・・・・
「あのう・・・・お答えを求めている事実関係についても、報道関係には、わたくし個人としては、事実関係のことも含めて、お答え申しかねます。ソレは、申し上げておきます」
---例えば、マンションにお訪ねすれば、お答え願えますか?
「さあ、ソレは同じでございます」
「コレは会社にいるからということではなく、どこにおいても同じでございます。ご遠慮申し上げているところで、ございます」
---お子様がお生まれにならないということに関しても、ですか?
「ですから、この」と言って、苦笑。
「わたくしも、この結婚以来、ず~っとこうさせて戴いておりますので。あのう、どなただから有りだとか、どなただからしないとか。ソレでは筋が通らないと思いますので。報道関係のご取材は、お断り申し上げている、ということでございます」
「私が、どのようなところに対しても、お断り申し上げているのは、一貫した姿勢でございます」
---宮内庁に常駐している記者クラブの番記者からの取材依頼に対しては、受けるなんてことは?
「まったく、ございません!」
「どこだけは受けるなんてことは致さないことは、一貫しております」
---時折り、皇居や東宮御所に、夫婦してお迎えの車で行かれることはございますね? ニュースや皇室番組で、お見かけいたしますが
「どの時か、分かりかねますが、その時の映像などでご解釈戴ければ、と思います」
「自己都合で、御受けするとか、しないとか、一切しておりません。隠れて受けた、ということも、これまでもございません」
「そのことに関しては、今後もございません」
---今日も含め、仕事を終えて、庁舎を出られた時に、改めてお話し願えませんかねえ・・・
「まったく、同じでございます。例え、そちら様にお目にかかったとしても、それは、わたくし、保証致します」
---結婚後は、一切取材には応じないでいこうということは、あの婚約会見後に、黒田さんが決意された?
「それはわたくしが決めたことで、ございます」
---それは、奥様も?
「それは、わたくしが・・・・・妻の心情までは、分かりかねますが、おそらく・・・同じかと存じます」
---その奥様とは、今夜も自宅に帰られて、お会いになるわけですね?
「う~ん・・・・ハハハハ(大笑い)。まあ、会うのではないかと」
---長い間、失礼致しました。これで、終わらせて戴きます。ありがとう、ございました
「はい。これで失礼させていただきます」
う~ん、クロちゃん。取材拒否されたのに、とてつもなく、さわやかな印象を与える好人物。
一貫して、筋が通っており、芯も通っている。
「さ~や」、兄とその嫁の後押しがあったとはいえ、この上も無く良いヒトを、夫に選んだなあと、国民の1人として、痛感した次第。
記者としては、ラストの質問の答えで、やった!というところ。
雅子のわがままさについては、聞き質す余裕は無かった。しかし、このような好人物は、おそらく深く、国民の1人としての本音は胸の中に仕舞い込み、対外的には言わないであろう、と想った。
例え、親友の秋篠宮や紀子からの相談には乗っていたはず、としても・・・・・・。