なんとも、北島三郎こと、大野穣(みのる)にとっては、やりきれない想いが、胸の奥底に渦巻いていることであろう。
彼の次男・誠(まこと)が、この3月3日前に、突然死していたことが分かった。
まだ、51歳の若さ、と言っていいだろう。
誠はファミリーとしての結束固い、「北島音楽事務所」のなかの、「北島音楽出版」の常務として勤務。
実務内容は、作詞、作曲、歌唱印税、出版権など、法的な著作権の管理など。
そして、近年は、作曲家としての、自らの曲の権利の管理など。
上の写真は、父・穣と海外に旅立つ際に、珍しく親子が揃ったところを撮影されたもの。
近年は、常務として、表舞台に出ることなく、独り身となって、借りて住んでいた東京都調布市の一軒家から、都内中野区新井の事務所に、車で通勤。
すでに記事化した、父・北島三郎の、大阪「新歌舞伎座」の公演が、2月25日から、同28日まで、満員完売の中で、盛況で無事終えたばかり。
今思えば、その期間中の、次男の死亡。
著作権管理の業務だったこともあり、父に帯同はせず。
出勤せず、携帯に連絡入れても、返信の声も無いまま。
不審に思った親族が、もしものことを考慮し、警官を伴って玄関を開けたところ、
3月3日に、すでに冷たい遺体となって、自宅で、着衣のまま発見された。
しかし、死去したのは、その1週間前頃のコト。ということは。まさに、父が公演中の死去であったと想われる。
持病も、痛飲はしても、通院するような病気も、もっていなかったときく。
それで、突然死、急死ということは・・・・・・・考えられるのは、心筋梗塞や、まさか、自死、自殺?
にしても・・・・・
リハビリに励みながら、父は頑張っているというのに、またも、先に逝ってしまうとは・・・・。
またも、というのは、以前記事化したことがあるが、
2014年の7月20日、彼より10歳も年下で、大野家、7人兄妹の5番目にあたる、大野拓克(ひろかつ)が、肝臓ガンとの闘病の末、ガン発覚後、わずか2カ月で、この世を去った。
拓克は、「北島音楽事務所」の常務として、営業を担当、
全国各地で、興業、公演を打つために、かつては、地回りのやくざ、広域暴力団傘下の暴力団との交渉も、やらざるを得なかった時代。
孤軍奮闘し、縁の下で支えてくれた。
その末弟、俗に言う「ばっち」が、先に逝った・・・・・。
「なんで、俺より先に死ぬんだよう・・・・。信じられないよう・・・・」と、人目もはばからず、家族葬として執り行った葬儀の夜、サブちゃんは、カラダを震わせて、泣き崩れていたという。
その1年後、ようやく、当時の所属歌手を招き入れ、お別れの会を開く心の余裕ができかかった。
なのに・・・・今度は、次男が。
それも、大阪の舞台で、自分が体調不振からの再起を目指していたさなかの「孤独死」・・・・。
なんで、俺だけがこんな目にばっかり、合わなきゃいけないんだよう・・・・。
そのような心の中を想うと、言葉も無い。
この3月10日(土)には、NHKの生放送番組の出演が予定はされているが、単独のゲストでもないこともあり、とても出られる心境には至らないであろう。
何度も、記事に中に引用しているが、
♪ 人生、試練の男道・・・・・・
本当にもう・・・これほどの苦しい人生の坂道が、待っていようとは・・・・・
手を合わせるしか、今はない。
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< 2018・3・8 未明 >
サブちゃんが、またも、家族葬の通夜を終えたあと、新宿の京王プラザホテルの一室を急きょ借り、緊急記者会見を開いた。
長時間立ち続けているのが、まだまだ辛いようで、イスに座っての会見となった。
次男・誠の死因は、「心不全」。
死に至る、あらゆる原因・起因が、特定・断定出来ない段階で、考えられる時に、取り急ぎオモテに出される死因が心不全、というのは、通例と言い換えてもいい。
次男の誠は、長男であり、誠にとって兄であり、「北島音楽事務所」の代表取締役でもある、大野竜とは、こまめに連絡を取り合っていた。
兄によれば、肝臓が悪くなっていたと、父の穰こと、北島三郎はことココに至って、伝え聞いた。
北島三郎にとって、末弟が「肝臓ガン」で死去だけに、今となってみれば、思うことはあるだろう。
自死でなかったことが、わずかな救い。
とはいえ、「また、それも息子が、自分より先に逝ってしまうことが、辛い・・・・・」と、心情を吐露した。
8日に告別式が催される。
肝臓など、内臓がやられて、誰一人、看取られることなく、この世から旅立ったことで、想い起こされるのが、佐藤佑介だ。
彼もまた、さびしい孤独死、そのもの。
昨日夕方には、事務所の終業時刻は午後7時にも関わらず、電話は応対しないほど、テンヤワンヤであった。
辛い、張り裂けそうな気持を仕舞い込んで、記者会見に応じた、歌手であり、父であった北島三郎。
8日には、告別式が執り行われる。
3月29日のコンサートには、舞台には立つであろうが・・・・・
気持ちの上でも、足腰が立たないままであろうに・・・・
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< 2018・3・10 追記 >
本日の、NHKでの歌謡番組出演のものは、改めて?と想い、調べてみると、再放送もの。
それも、10日というより、感覚としては、9日(金)のド深夜。午前3時15分からのもの。
すでに、以前収録済みの、深夜の穴埋め番組のひとつ。
次男の誠が他界する前のもの。
なお、3日に、長男の大野竜が、調布警察署員を伴って、誠の住まい兼スタジオ代わりの、作曲作業のための仕事場を訪れて、死を確認。
その後、あらゆる可能性を考慮して、検死に回されている。
昨今の「後妻業」による、薬物殺人事件多発の影響もあり、死亡診断書は、安易に出さない状況になりつつある一例であろう。
父の穣こと、北島三郎が、遺体と対面出来たのは、翌々日の3月5日。
やはり、肝臓が、どうにも手当てが出来ないほどの状態に悪化していたゆえの死であったようだ。
孤独死といい、周囲の薦めも聞かず、病院に1度も診察に行かなかったことも含め、佐藤佑介の死に、あまりに似ていることに、気付かされる。ちなみに、佐藤も51歳での孤独死であった。
死亡推定期日は、2月22日、ないしは翌23日と、想われる。
となれば、大阪公演を控えて、事務所としても、あわただしい時期であった。
その前に収録された、北島三郎の唯一のレギュラー番組、「サブちゃんと歌仲間」の3月の2回目放送分が、本日、早朝、流された。
やはり、このように、御手付き台に、軽く手を添え、立って歌っていた。
先月放送分の際の、無精ひげはきれいに剃られて、収録に立ち会っている。
だが、番組の司会進行は、娘むこの北山たけしらに、まかせていた。
月1回の末にだけだったはず・・・・なのだが、・・・・・・。
少しずつ、ゆっくりと、ゆっくりと、終活、唱括に向かって歩んでいる・・・・・ような気がしている