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<リアル 芸能 ルポ> あの「昭和を代表する大女優」原節子は、今。(第6回) 「亡くなられたら?」

2022-07-19 21:12:14 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 ≪ 2015・6・20 掲載記事 ≫

 95歳の御高齢になっても、祝福したくても、直接出来ない今の状況の、原節子こと、會田昌江おばあちゃん。

 「離れ」、はたまた、「施設」。

 どちらにいるにしても、自分が一体誰なのか? 分からなくなくなっている可能性も、捨てきれない。

 かつてなら、足も腰も、元気に動いた。

  裏の木戸を開け、左の写真にある小路を歩き、好きなタバコを自分で買いに行った。

  この自動販売機で買ったり、ワンカートン欲しければ、雑貨店に入り、同年代の女性と、世間話を交わしながら、購入。

 そして、トコトコと離れに帰って行った。

 実の姉の命日には、高台に位置するお墓まで、よいしょ、よいしょと昇り詰め、下の写真のように開けた絶景を、しばし、一息ついて、ながめたことであろう。

  紅葉のシーズンには、色鮮やかな木々と葉が拡がり、いつも行っては、わたしはため息をつくほど見つめた。会えぬ、むなしい想いも薄れたものだ。

 また一方で、雪景色も素晴らしかった。

 足腰が衰え始めた頃には、この車庫から車が出てきた。後部座席には、會田昌江の姿があった。

  外出には、車が欠かせなかった。時には、甥の息子が運転し、元女優をなごませた。

 それが・・・・・・・月日は流れて・・・・・・

 改めて、連絡を入れた。

 誕生日の翌日には、お見舞いに行ったフシが見られる。

 ---17日は、會田さんの誕生日でしたが、御存じでしたか?

 「・・・・・もちろん、知ってますよ」

 「大丈夫ですよ」

 ---大変失礼なことをお聞きしますが、もし、もしもですよ、會田さんが、お亡くなりになった時には、マスコミにはどのように、伝えるおつもりですか? それとも、まったく伝えないままに終わらせるかも?と

 「そんなこと、まったく考えていません。私たちが、先に逝くかもしれないし」

 う~ん・・・・・・

 どこかが、抜く、カタチになりそうだ

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この記事の、2か月半後

 2015年9月5日

 昭和の大女優、原節子は、神奈川県内の病室で、肺炎をこじらせ、95歳の命を閉じた。

 だが・・・・・・・・・・・・

 それが、公に知らされたのは、その80日後

 11月25日であった

 やっぱり、か・・・・・・・・・・・・・・