まだ、一か月経っていないんですが
そういう実感は、まったくないんです。
実家に帰れば、いつものベッドの上に寝ているはずです。
または、いつもの病院に行けば、
8階の一番端の病室で寝ているんだと思うのです。
去年の11月にお見舞い行ったときに
明らかに作り笑いをしていたので
おそらく自分で死期が近いことを分かっていたと思います。
そして、僕が帰るとき、わざわざ病室からエレベーターまで
歩いて見送りに来てくれました。
それが最後だったんや、今思えば。
父は、癌の発見が手遅れだったが、いい人生だったんだと思う。
詳しくは言わないけど、僕は父のように幸せになることは無理だ。
後姿の写真を取るように
正面から父と向かい合うことはなかったのかもしれないけど
遺言も直接聞いたし、父が思っていることも、大体わかっていた。
僕は、人が思うよりも、ずっとセンシティブなんだよ。
この写真を撮った日は父と会えた最後の関西。
ちょうど、江別市でNHKのど自慢がやっていて
僕:「おとん、これは北海道で僕が働いてる町や。
札幌から離れているけど車やから、すぐや。小さい町やねん。」
父:「お前の患者さんを親やと思って大切にしたってくれや。」
そういう実感は、まったくないんです。
実家に帰れば、いつものベッドの上に寝ているはずです。
または、いつもの病院に行けば、
8階の一番端の病室で寝ているんだと思うのです。
去年の11月にお見舞い行ったときに
明らかに作り笑いをしていたので
おそらく自分で死期が近いことを分かっていたと思います。
そして、僕が帰るとき、わざわざ病室からエレベーターまで
歩いて見送りに来てくれました。
それが最後だったんや、今思えば。
父は、癌の発見が手遅れだったが、いい人生だったんだと思う。
詳しくは言わないけど、僕は父のように幸せになることは無理だ。
後姿の写真を取るように
正面から父と向かい合うことはなかったのかもしれないけど
遺言も直接聞いたし、父が思っていることも、大体わかっていた。
僕は、人が思うよりも、ずっとセンシティブなんだよ。
この写真を撮った日は父と会えた最後の関西。
ちょうど、江別市でNHKのど自慢がやっていて
僕:「おとん、これは北海道で僕が働いてる町や。
札幌から離れているけど車やから、すぐや。小さい町やねん。」
父:「お前の患者さんを親やと思って大切にしたってくれや。」
父は「ありがとう」という書き置きを残して行きました。僕もそれを伝えようとして伝えられなかったのが悔やまれます。考えたら、ケータイで電話すれば良かっただけやったのにな~。
感謝の心、大切にしたいと思います。