スポーツのフィギュアスケート界に、芸術性なんて。
と思うことは、しばしば。アスリートは技術を磨くのに精いっぱい、なら、それはそれで仕方ないとは思うけど。
見る目の無さ、には、困る。
かつてOLの世界に、「お局」がはびこったことがあったけど。
現役時代に、表現力のひょの字もなかった元選手が、年齢あがってから、表現力をうんぬんするのも、かたはらいたい。
ネットや、ワイドショーなどが、ちまちました情報をやたら拡散して、あおるのもいかがなものか。
選手は、しょせん選手。
個人的に、インスタ、SNS,ブログ等に書くことが、、そんなに広まらなければ、害はないのかもしれない、のが。
半分は、選手や元選手の、不勉強、無教養が悪いけど、それを広範囲に情報発信してしまう、メディアの無責任さ、見識、良識の無さにも、問題が、きっと、大あり。
さて。
フィギュアスケート界の、小姑たち。お局たち。年齢を重ねたら、何か、偉くなったように勘違いする人もいるのかもしれないが。
こないだ、別のお局さんの事を書いたので、今日は・・。
アシュリー・ワグナー。彼女のファンには悪いけど、もはや害がありすぎて、聞き捨てならない発言が聞こえてきて。
彼女がほんとにそういったのか、知らないが、今回の五輪金メダルの女子を、何か、けなしていたように、ネットニュースで見た。
あほらしくて、困る。
実はかつて自分は、アシュリー・ワグナーの曲の使い方、プログラムに、超頭きた事があった。
それと、彼女は今、どうなってるのか知らないが、直近まで現役の選手で、そして、全米レベルで、たしか他の選手に抜かれて、上の大会で私は彼女を見なかった。そういう、世界の超一流どころから見れば、そこまで上がってこれなかった人が、なんで、五輪のトップを、いけしゃーしゃーとけなせるのか??
個人ブログとかでぶつくさ言うなら、それまでなのに、そんなものをいちいち取り上げて。検索上位に押し上げる連中の気が知れない。
フィギュアスケート業界の、表現力等についての、レベルの低さを、目の当たりにした思いだ。
こんなことがあるまで、思い出したくもなかった、アシュリー・ワグナーの「ロミオとジュリエット」
自分が審査員なら、マイナス50点位、付けてやる!と思った。
名曲にして難曲のプロコフィエフ(バレエ曲)を、何で彼女が使うのか?!映画音楽位でお茶を濁せばよかったのに!
作品を全く理解せず、びっくりするほど、めっちゃくちゃに曲を切り刻んで編曲していて、見た時、ショックで涙出た。芸術に対する冒涜にしか、見えなかった。こういう人が、「フィギュアの芸術性」関係のことを言うのって、いったい何?って思う。
フィギュアスケート業界は、芸術性を理解してない人の方が、芸術性を口にするのか?
中段で「ロミオとジュリエットの死」の、最終場の音楽が流れてしまったりとか。(はなしの途中で、主人公が死んでど~すんだ!と言いたい!)その後、唐突に何の脈絡もなく、ティボルトの場の音楽になったり。酷かった。
当時、あの作品、音楽に大きな愛着のあった自分には、あれは、許しがたいプログラムであり、(元々、バレエファン系には、フィギュスケート界のやることに、根強い批判はあるのだけど。)憤懣やるかたなかった。
だいだい、「表現力がある」人なら、ワグナーみたいな人が、「ジュリエット役」を選ばないでしょう!
「ロミオとジュリエット」がどういう作品か、理解してないから、こういう選び方になる・。
容姿的に完膚なきミスキャスト、演技力なし、作品理解力なし、音楽の使い方はもはや犯罪的!
ワグナーだけじゃない。人気あるからって、フィギュアスケート界のスケーターは、アスリートとしての評価を、何か、他ジャンルでの評価と勘違いしないでほしい。演技の勉強、表現の為の教養、そんなものを得るための時間を惜しんで、身を削る努力でジャンプやスピンやスケート技術を磨いてる人たちなのだから、多少、表現に不足があっても、大目に見てあげてもいいのかもしれないけど、他のスポーツジャンルより人気があるからって、ちょっと、いきすぎた自惚れが登場すると、閉口する。
【キーラ・ナイトレイの映画「アンナ・カレーニナ」】
町田樹が、寝ぼけたこと言ってて笑えたが、ピョンチャンオリンピックで負けたメドベのフリーは、曲があの映画の曲なので、少し知ってる人には、あれは、トルストイの小説というよりは、2012年の映画を題材にしたプログラムと分かったはず。
メドベの顔芸演技って、いつも同じような表情をしていて、あれのどこが「表現力がある」のか、うんざりする。
キーラの映画「アンナ・・」は、原作を、今様にライトにしたコスチュームプレイ的要素を流麗な音楽で包んだメロドラマになってると思うけど。アンナが生まれたまんまみたいな、計算とは程遠いうぶな若い女性であることは明らかで。
メドの演技力にも問題があるが、それだけではなく、メドとアンナは、対極にあるような女性であり、今回、五輪の他のスケーターと違って、プログラムの選択ミスだと思った。
層の厚いロシア、リプニツカヤらの先輩陣をおしのけて、決めての技も無いのにのし上がれたメドベは、相当したたかな、現実的な女性であって、良い所のお嬢様で、地位権力ある夫に執着せず、ウロンスキーのような男との、先の計算の無い恋に自然体で落ちて、結果、破綻し、死まで追いつめられるアンナは、メドベのような女性とは、正反対の人。
【ドン・キホーテ】
お局というのか、小姑みたいというのか、嫉妬か何か知らないが、演技力があるわけでもないワグナーが、けなしたいらしい、新女王ザギトワの「ドン・キホーテ」。
私は、そんなにザギトワのファンってわけでもないのだが、「ドン・キホーテ」を、ワグナーの百倍は見ているであろう、バレエマニアの私の目から見て、彼女はドンキのヒロイン、明るい町娘キトリそのものだった。作品を表現する、とはそういうこと。
華、恋人バジルに愛をささげられる魅力。バレエ的な身振りをふんだんに盛り込んで、華やかに踊りあげた前半。あの、ジャンプ一個も飛ばなくて、あれだけ見るものを飽きさせずに引っ張れたのは、(私は最初見た時、前半にジャンプがない事に気づかなかった。見とれていたので。)彼女の表現力、実力以外の何物でもない。
逆に、あれが退屈に見えてしまう人がもしいたら、それは、狭義での「フィギュアスケート脳」になってしまっている人の、狭い見方だと思う。ワグナーは分ってないと思うが、ザギトワは、何やら色々工夫を凝らしていて、バレエから取ったようなパやポーズを、曲の流れを損ねないように入れていて、なかなか面白かった。ザギトワは、バレエのポールドブラを模して手を動かすときの、瞳の方向付けが的確で、そこだけはかなりバレエ的、舞台的なセンスがしっかりあるように感じた。
彼女の場合、自分に合った演目を選んでいたので、他の演目でどうなるかは未知数。
ザギトワだけでなく、メドベ以外の多くの女子選手が、自分に本当に会ったプログラムを選んでいて、そういう意味では良かった。
ただ、必ずしも、ベストパフォーマンスではなかった選手が何人もいて、この選手のこのプログラムは、五輪より、GPシリーズのどこかで見た時の方が良かった、と思うことも多く、五輪の難しさを感じさせた。
【ベストパフォーマンス?】
では、表現力がある、って、どういうのか?というと、
例えば、ソチ五輪ペア優勝の、ボロソジャール、トランコフのSP「仮面舞踏会」などが、分りやすい例なのではないかと思う。
今見ると、氷上なのに、二人は本当に踊っているかのように動く中で、最高難度の技術をビシビシ決めて、かつ、この短い舞踏会の時間に、二人の男女の機微を伝えてあまりあった。下手な映画より、ずっとドラマティックで、想像力を刺激し、続きを考えたくなるほどだ。
余談。
これ、NHKの実況が、「アンナ・カレーニナの舞踏会シーンを見るようだ」と評したのだけど、じっさい、このペアが、アンナ・カレーニナを想定したのか、NHKの実況さんが、見て思い付きを言っただけか分らないが、これがもし、アンナとウロンスキーだったとしたら、キーラ・ナイトレイの映画のウロンスキー役(プレイボーイには見える)よりも、私のロシアン男性のイメージに近い表現で、やっぱり、ウロンスキー役は、こういう熱い男の方が、自分は良いなと思った。
業界の小姑さんお局さんは、上記画像でも見て、勉強しなおしてください。
【おまけ】ついでに、ワグナーは、ジュリエットなんか合わないので、もっとワイルドな役とか、曲では「サムソンとデリラ」とか、現代的、ロックみたいのやってたほうが、ぜんぜん合っていた。
と思うことは、しばしば。アスリートは技術を磨くのに精いっぱい、なら、それはそれで仕方ないとは思うけど。
見る目の無さ、には、困る。
かつてOLの世界に、「お局」がはびこったことがあったけど。
現役時代に、表現力のひょの字もなかった元選手が、年齢あがってから、表現力をうんぬんするのも、かたはらいたい。
ネットや、ワイドショーなどが、ちまちました情報をやたら拡散して、あおるのもいかがなものか。
選手は、しょせん選手。
個人的に、インスタ、SNS,ブログ等に書くことが、、そんなに広まらなければ、害はないのかもしれない、のが。
半分は、選手や元選手の、不勉強、無教養が悪いけど、それを広範囲に情報発信してしまう、メディアの無責任さ、見識、良識の無さにも、問題が、きっと、大あり。
さて。
フィギュアスケート界の、小姑たち。お局たち。年齢を重ねたら、何か、偉くなったように勘違いする人もいるのかもしれないが。
こないだ、別のお局さんの事を書いたので、今日は・・。
アシュリー・ワグナー。彼女のファンには悪いけど、もはや害がありすぎて、聞き捨てならない発言が聞こえてきて。
彼女がほんとにそういったのか、知らないが、今回の五輪金メダルの女子を、何か、けなしていたように、ネットニュースで見た。
あほらしくて、困る。
実はかつて自分は、アシュリー・ワグナーの曲の使い方、プログラムに、超頭きた事があった。
それと、彼女は今、どうなってるのか知らないが、直近まで現役の選手で、そして、全米レベルで、たしか他の選手に抜かれて、上の大会で私は彼女を見なかった。そういう、世界の超一流どころから見れば、そこまで上がってこれなかった人が、なんで、五輪のトップを、いけしゃーしゃーとけなせるのか??
個人ブログとかでぶつくさ言うなら、それまでなのに、そんなものをいちいち取り上げて。検索上位に押し上げる連中の気が知れない。
フィギュアスケート業界の、表現力等についての、レベルの低さを、目の当たりにした思いだ。
こんなことがあるまで、思い出したくもなかった、アシュリー・ワグナーの「ロミオとジュリエット」
自分が審査員なら、マイナス50点位、付けてやる!と思った。
名曲にして難曲のプロコフィエフ(バレエ曲)を、何で彼女が使うのか?!映画音楽位でお茶を濁せばよかったのに!
作品を全く理解せず、びっくりするほど、めっちゃくちゃに曲を切り刻んで編曲していて、見た時、ショックで涙出た。芸術に対する冒涜にしか、見えなかった。こういう人が、「フィギュアの芸術性」関係のことを言うのって、いったい何?って思う。
フィギュアスケート業界は、芸術性を理解してない人の方が、芸術性を口にするのか?
中段で「ロミオとジュリエットの死」の、最終場の音楽が流れてしまったりとか。(はなしの途中で、主人公が死んでど~すんだ!と言いたい!)その後、唐突に何の脈絡もなく、ティボルトの場の音楽になったり。酷かった。
当時、あの作品、音楽に大きな愛着のあった自分には、あれは、許しがたいプログラムであり、(元々、バレエファン系には、フィギュスケート界のやることに、根強い批判はあるのだけど。)憤懣やるかたなかった。
だいだい、「表現力がある」人なら、ワグナーみたいな人が、「ジュリエット役」を選ばないでしょう!
「ロミオとジュリエット」がどういう作品か、理解してないから、こういう選び方になる・。
容姿的に完膚なきミスキャスト、演技力なし、作品理解力なし、音楽の使い方はもはや犯罪的!
ワグナーだけじゃない。人気あるからって、フィギュアスケート界のスケーターは、アスリートとしての評価を、何か、他ジャンルでの評価と勘違いしないでほしい。演技の勉強、表現の為の教養、そんなものを得るための時間を惜しんで、身を削る努力でジャンプやスピンやスケート技術を磨いてる人たちなのだから、多少、表現に不足があっても、大目に見てあげてもいいのかもしれないけど、他のスポーツジャンルより人気があるからって、ちょっと、いきすぎた自惚れが登場すると、閉口する。
【キーラ・ナイトレイの映画「アンナ・カレーニナ」】
町田樹が、寝ぼけたこと言ってて笑えたが、ピョンチャンオリンピックで負けたメドベのフリーは、曲があの映画の曲なので、少し知ってる人には、あれは、トルストイの小説というよりは、2012年の映画を題材にしたプログラムと分かったはず。
メドベの顔芸演技って、いつも同じような表情をしていて、あれのどこが「表現力がある」のか、うんざりする。
キーラの映画「アンナ・・」は、原作を、今様にライトにしたコスチュームプレイ的要素を流麗な音楽で包んだメロドラマになってると思うけど。アンナが生まれたまんまみたいな、計算とは程遠いうぶな若い女性であることは明らかで。
メドの演技力にも問題があるが、それだけではなく、メドとアンナは、対極にあるような女性であり、今回、五輪の他のスケーターと違って、プログラムの選択ミスだと思った。
層の厚いロシア、リプニツカヤらの先輩陣をおしのけて、決めての技も無いのにのし上がれたメドベは、相当したたかな、現実的な女性であって、良い所のお嬢様で、地位権力ある夫に執着せず、ウロンスキーのような男との、先の計算の無い恋に自然体で落ちて、結果、破綻し、死まで追いつめられるアンナは、メドベのような女性とは、正反対の人。
【ドン・キホーテ】
お局というのか、小姑みたいというのか、嫉妬か何か知らないが、演技力があるわけでもないワグナーが、けなしたいらしい、新女王ザギトワの「ドン・キホーテ」。
私は、そんなにザギトワのファンってわけでもないのだが、「ドン・キホーテ」を、ワグナーの百倍は見ているであろう、バレエマニアの私の目から見て、彼女はドンキのヒロイン、明るい町娘キトリそのものだった。作品を表現する、とはそういうこと。
華、恋人バジルに愛をささげられる魅力。バレエ的な身振りをふんだんに盛り込んで、華やかに踊りあげた前半。あの、ジャンプ一個も飛ばなくて、あれだけ見るものを飽きさせずに引っ張れたのは、(私は最初見た時、前半にジャンプがない事に気づかなかった。見とれていたので。)彼女の表現力、実力以外の何物でもない。
逆に、あれが退屈に見えてしまう人がもしいたら、それは、狭義での「フィギュアスケート脳」になってしまっている人の、狭い見方だと思う。ワグナーは分ってないと思うが、ザギトワは、何やら色々工夫を凝らしていて、バレエから取ったようなパやポーズを、曲の流れを損ねないように入れていて、なかなか面白かった。ザギトワは、バレエのポールドブラを模して手を動かすときの、瞳の方向付けが的確で、そこだけはかなりバレエ的、舞台的なセンスがしっかりあるように感じた。
彼女の場合、自分に合った演目を選んでいたので、他の演目でどうなるかは未知数。
ザギトワだけでなく、メドベ以外の多くの女子選手が、自分に本当に会ったプログラムを選んでいて、そういう意味では良かった。
ただ、必ずしも、ベストパフォーマンスではなかった選手が何人もいて、この選手のこのプログラムは、五輪より、GPシリーズのどこかで見た時の方が良かった、と思うことも多く、五輪の難しさを感じさせた。
【ベストパフォーマンス?】
では、表現力がある、って、どういうのか?というと、
例えば、ソチ五輪ペア優勝の、ボロソジャール、トランコフのSP「仮面舞踏会」などが、分りやすい例なのではないかと思う。
今見ると、氷上なのに、二人は本当に踊っているかのように動く中で、最高難度の技術をビシビシ決めて、かつ、この短い舞踏会の時間に、二人の男女の機微を伝えてあまりあった。下手な映画より、ずっとドラマティックで、想像力を刺激し、続きを考えたくなるほどだ。
余談。
これ、NHKの実況が、「アンナ・カレーニナの舞踏会シーンを見るようだ」と評したのだけど、じっさい、このペアが、アンナ・カレーニナを想定したのか、NHKの実況さんが、見て思い付きを言っただけか分らないが、これがもし、アンナとウロンスキーだったとしたら、キーラ・ナイトレイの映画のウロンスキー役(プレイボーイには見える)よりも、私のロシアン男性のイメージに近い表現で、やっぱり、ウロンスキー役は、こういう熱い男の方が、自分は良いなと思った。
業界の小姑さんお局さんは、上記画像でも見て、勉強しなおしてください。
【おまけ】ついでに、ワグナーは、ジュリエットなんか合わないので、もっとワイルドな役とか、曲では「サムソンとデリラ」とか、現代的、ロックみたいのやってたほうが、ぜんぜん合っていた。