懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

再演と初演

2013-07-31 22:44:22 | バレエ
◆この頃、Webで見られるバレエ公演の画像が充実していて、それも入替り立ち代り、新旧多々目まぐるしく出てくるので、ランダムに見ている。

その中で、今年モスクワで再演になった、アンナ・ニクーリナ&アレクサンドル・ヴォルチコフの「R&J」、再演の全幕画像を見た後、最近になって、初演の時に見た部分の抜粋画像をまた見た。

ボリショイ劇場での公演の全幕画像は有難いので、最初は喜んで見たのだけど、よく見たら、主演のニクーリナのジュリエットの演技の一部は、初演の時の方が良く見えた。

(どちらかと言えば、若手の踊りだし、再演でますます表現に磨きがかかるかと思うのに。)

バレエのジュリエットは、残念ながら「円熟期のプリマ」が踊ることも多く、DVD等、後に残る画像で、ジュリエットの実年齢に近い、若いバレリーナが入る事はそれだけで貴重で、有難いことなのだけど。ニクーリナは顔も姿もきれいだし、演技力もあり、ヒロインとしての、男性に恋されそうな可憐さもあって、衣装も似合うし・・、といい所だらけなのだけど。

でも、もっと、もっと、と望んでしまう。

逆に、主人公に年齢が近いだけに、初めての本気の恋に出会った乙女の、新鮮な演技を期待してしまう。

今年の再演の画像は、それだけ見ると「バレリーナ」の魅力満載で、この振付をこうも全身を使って繊細に踊るのか、と、その一点には敬服した。舞踊的には、ソロの完成度は高かったと思う。

また、ヴォルチコフとのバルコニーPDDも、体を重ねるアダージョ部分より、二人揃って跳ぶパの部分に、特にふたりの心の通い合いや、弾む心が感じられて、きっちり「二人の踊り」になってる所はとても良かった。

また2幕・結婚式の場の、シンプルな白の衣装姿は、真珠を思わせる美しさで、その侵し難い処女性が眩く、息を飲んだ。

結婚前の若い娘特有の気高さであり、若いプリマを起用した意義は、充分感じられた。・・、と思ったのだけど。

ただ、もっとあっていいんじゃないか?この人はどういう女性なのだろう?と思った。
恋愛経験上、どの位の位置にいる人なのかしら?と。
ジュリエットのような恋を知る女性ならば、もっともっと初めての出会い、ロミオへの想い、何もかもが初めてで、新鮮で、初々しい感じ、出せるのではないか?と。

ところが、初演の方は、その辺がしっかりあって、もっと演技の一部がきめ細かくて初々しい。・・この初演で全幕見たかった。残念。と欲が出て・・。

「R&J」をバレエでやると、予定調和を絵に書いたような舞台になりやすい。「世界バレエフェス」とかで、誰に限らず、そう思う。先だって生舞台で見た「マラーホフ・ガラ」の「R&J」は、その典型だった。それに満足できる観客はいい。でも私はそんなの演技として見たいと思わない。バレエダンサー、スターダンサーの演技は、えてしてそうだ。

でも、若い娘にとって、決定的な恋とは、そんななまなかなものではない。
そう思っていた。そうしたら、ニクーリナの初演は、ロミオと出会っての恋のときめきを、型どおりでなく生き生きと新鮮に演じていて。

それが、僅かな年月で、変った。バレエ団で役がついて、「R&J」で第一キャストに抜擢されて、出世して・・・。その果てに、何を見たのかな。

初演では、グリゴローヴィチがニクーリナやマキューショ、ティボルト、パリス、群舞を精力的に指導する姿が映っていて、ああ、これだ、こういうことが大事なんだ、と改めておもった。本当に舞台芸術の世界に、はまってる様子で。生き生きと、若いダンサーたち一人ひとりを精魂込めて導いていく。

この人は、これがあるから、バレエ団の個々のダンサーたちには支持され続けたのだと、改めて納得する。(外野には悪く言われたりもした御大だけれど、追っかけ情報からは、バレエマスコミの一部が伝えたグリゴローヴィチ像とは、異なる姿が伺えた。昔から。)

音楽も含め舞台芸術の世界に心を傾けて、一心不乱に、「そのことに夢中になれる環境」。グリゴローヴィチは、そういう場の雰囲気を作るのが上手いんだと思う。

今年の画像では、生き生きと踊るロブーヒンのティボルトが見られた。今までで見たロブーヒンの中では、一番良かった。(でも、欲を言えば何か足りない。技術は足りてると思うけど、どこかピリっとしない。)

鋭さ。音楽性だ。同じ技術でも、より音を拾ってシャープに踊れれば、ティボルトの属性、”何かやらかしてしまう危険さ”が出るだろう。(例えばかつてのA.ヴェトロフのように。)第一キャストだったドミトリチェンコとは、その辺の差があるかも。

それでも、ロブーヒンも生き生きしてたし、イワン・ワシーリエフも、グリゴローヴィチと仕事をして、何だか何でもできるような、笑い出したくなるような、愉快な気持ちになったんだったか、独特な気分になったと、インタビューで答えていた。

そういう、色んなダンサーの語ったことが、グリゴローヴィチの稽古風景を見ると、良く分る。それに、意外と平等というか、注目されてるスター候補生も、評価いまいちだったダンサーさんも、それぞれにグリゴローヴィチが目をかけ、それぞれの良さを引き出そうとしているように見える。(この人は、こういう芸術の現場にいる若いダンサーさんたちを、好きなんだろうし、現場の仕事があってる。)

逆に、こういう傾向が、過去の大スターと反目する一つの要因にもなったと思う。大スターは、いつでも俺様主義で、自分中心の作品、舞台を要求する。ただ、グリゴローヴィチの作品は、群像劇で、集団創造を大切にしていて、たった一人のスターだけの為に作られた振付作品とは、全く傾向が異なる。(この話は、振付論のところで書きたいと思ってたので、機会があったら別記。)

グリゴローヴィチが、大スターのプリセツカヤと相容れなかったのは、必然だったと思うし、名の売れたスターに悪く言われ、そして、現場のダンサーたちに多く尊敬されたのも、必然だったと私は思うけど。大スターの時代から、集団創造への移行期に、グリゴローヴィチの芸術は、多くの芸術家と一緒に動きながら発展した。彼の振付は自己完結型でもなく、ダンサーの個性や創造性によって、一定の自由な裁量が許されているのも特徴で、その時代のダンサーによって、多少振付が改変されている。柔軟さを持ってると思う。(皇帝といわれたソ連時代のグリ氏の皇帝っぷりを擁護する気は、さらさらないが。)

そんな、創造性の只中にあって、初々しくみずみずしいジュリエットを演じたニクーリナ。その後、ティボルト役や、「スパルタクス」等で共演した、ドミトリチェンコは大バレエ団の暗黒に呑まれて今の舞台から去り、劇場の内部も変化した。

念願かなって巨匠の指導で歴史に残る初演者になれた時の感動は、ニクーリナの中では、既に過去のものか?
だとしても、仕方ない状況なのかも(?)しれない。或いは、「成功」によって落ち着いたと言うのか、弛緩した部分もあったろうか。

大バレエ団の競争社会を上がってきたダンサーが、芸術界で精進することに幻想があれば、前進も向上もあるだろう。無我夢中で劇場芸術の創造性の中に身を浸す歓び。

そういうものが、今日、若くして出生したニクーリナの心の世界から、やや遠ざかり、変りに安定がやってきたとしたら?
そんなことをふと考えてしまった。

初演の画像には、ドミトリチェンコのティボルト稽古風景が写っていて、見れて嬉しいのが半分、ここ半年の出来事を思い出して悲しいのが半分。黒のベルベットに差し色赤の派手な衣装が、センスよくって感心。(金髪を見ると、昔の成功者、アレクサンドル・ゴドゥノフを意識したかしら?とも思うけど、世代差が激しいので、どうか?)

グリゴローヴィチってば、なんちゅー大当たり過ぎるキャスティングセンス!
「危険な男」ティボルト役に、ドミトリチェンコは、きっとぴったりの資質だったんでしょ~ね。(自虐ぎみ。はぁ~。ため息。)

◆長く咲く花もあれば、早く枯れる華もある、そこそこで終わるものも。
なお、キャスト変わりで、クリサーノワ、オフチャレンコの「R&J」も出てて、クリサーノワ、画像で見る限り、二人の出会いの場面の演技が思ったより良かった。

ニーナ・カプツォーワのジュリエット全幕も、見られたら嬉しい、というか、カプツォーワは、他の演目でも、演技力のいるヒロイン役で見たい。けど、次回ボリショイ来日の演目が、彼女の出られる演目ではなさそうで、・・。いつか、どこかでみられるといいな。

◆画像の充実振りでおなかいっぱいだけど。
ヴィシニョーワのガラ、行くつもりだったけど、目当てのアロンソ版「カルメン」の画像を見ると、ヴィシニョーワのカルメンの踊り方が、元々の振付のニュアンスからかけ離れていて、ちょっと自分的には、だめかも。

よく言えば、自由に自分にあったように作り変えてるのだけど、悪く言えば・・・。
今時は作品を大事にするとか、そういう風ではなくなっているのかもだけど。

一方、数年前に、ザハロワ・ガラで「カルメン」を見たときは、「ザハロワのカルメンなんて、カルメンじゃないみたい」と思った。けれど、今では、一線級の現役プリマの中で、比較的プリセツカヤに近い形で、振付の骨子を守って踊ってる部類に入ってしまった。(というか、ヴィシが変え過ぎ。)

それとザハロワは、最初は、合ってるように見えなかった振付を、2011年夏までに吸収して作品を成長させてきた。明日というのは分らない物だと思った。芸術にまい進できる環境があって、いいスタッフに恵まれ、好条件で公演を打てることも、大事なのでしょう。
芸術家が向上心を持って前進し続けられるかも、環境によるのかもしれない。

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