懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

島田廣氏 逝去

2013-07-30 14:18:12 | バレエ
新国立劇場の舞踊部門の初代芸術監督であり、現在は日本バレエ協会名誉会長の肩書きでお名前の出ている、島田廣氏が29日、亡くなったと報道で見ました。

数ある日本のバレエ団、関係者の中から選ばれて、国立の劇場付バレエ団の芸術監督に就任した時代のことを振り返ると・・。

古くは2国問題と言われ迷走した後に開場した国立の劇場だったけれど、バレエ部門は、島田氏のバランス感覚のある采配で、過不足の無いスタートを切り、国立のバレエ団を軌道に乗せ、次の時代に繋いだように、一観客の自分には見えました。

そういえば、90年代にドゥジンスカヤ女史とかを、日本バレエ協会公演でも、新国立劇場でも呼んでた(日本バレエ協会公演の時のプリマが、いつもより舞踊スタイルがきちんとしてたから、女史の指導の効果かと思った。)から、新しい劇場付バレエ団の芸術監督として、いい起用だったんじゃないかと、素人的には思ってました。(内情に詳しい業界関係者の思いは、分らないけど。)

氏について多くを知るわけではありませんが。

氏が監督を務めた公演。舞踊芸術の描く、夢や理想の世界。日本のバレエ界が、至上の美、夢や憧れをバレエに求めた時代の公演だったと、懐かしく思い出しています。

新国立劇場バレエ団の、基礎を作った方の一人でした。
2国時代から迷走していたわりに、氏の起用で、新国立劇場の中でも創成期のバレエ部門は、割とバランスよく行けたのではないか?と。

監督業は、芸術の内側のことと、外側のこと、両方あるので、どこまでが氏の仕事の範囲かは観客には分らないけれど、日本には色々なバレエ団があり主張も利害もあって、本来上手くまとまりにくいものを、手堅くまとめていたのではないか?と、感じてます。

例えば、開場時の公演「眠り」では、日本のバレエに詳しい知り合いも、或いは批評でも、「プリマが吉田都(ロイヤルスタイル)で、コールドがロシア式の舞踊スタイルというのは、統合性を欠く」という批判も聞きました。(それは、その通りだとは思うけど。)ただ、森下洋子、吉田都、人気プリマのヴィシニョーワ等の布陣は、よくいえば、あっちからもこっちからも人を連れてきていて、当時として一つの順当な采配だと思うし、いい意味で芸術性に偏り過ぎない部分もあって。(当時、姫が吉田都、王子が熊川哲也だった時があったけど、あわせてみると、この二人はあまりあってなかったのだけど、そういう知名度の高いダンサー同士の組合せは今でも良くあるし、まずは、人目を引くことも大事だから。たぶん、この二人に一度組んで踊って欲しいと思った関係者は、あったでしょうから。)

当時の詳しいバレエマニアは、例えば人気者だった熊川哲也の王子役にも手厳しかったし、本人もそれは承知したでしょうけど。
(尚、熊川哲也が吉田都のクラシックを評して言ったのは、「ミリ単位にこだわる」「本物」とか。まさにミリ単位に拘る、吉田都の繊細・精緻な芸術は、豪放な熊川の舞踊の個性とは、タイプがことなっていて。でも、そういうことも、合わせてみないと分らなかったりする。)それに、当時日本のえらいプリマだった森下に対し、若くして英国で成功した吉田をトリプルキャストで入れてこれたのは、今振り返っても、企画自体が魅力的だと思うし。

一方で、外国人もうまく使っていて、特に、指導側にロシアの重鎮が入ったことには、最初は本物から学びたい、という意志を感じました。一方、意欲的な実験作みたいなコンテもあって(あまり評判にはならなかったけど、面白く見た)。・・とか、言い出すと色々思い出がありますが。


日本バレエ協会公演も含め、記憶に残るいい舞台を、たくさん見せていただきました。訃報を聞き、美しい世界に憧れる心が、日本人のバレエの世界の基本だったと、改めて思い起こされました。本を執筆されていたそうだから、それは読んでみたかった、そのままになってしまったら残念です。93歳。大往生でしたか。慎んでご冥福をお祈りします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする