懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

表現する事の難しさ

2011-07-13 17:21:21 | バレエ
「バレエの神髄」公演。

「ボレロ」。事前の光藍社HPには、「日本における大震災への思いをこめて、今回の公演のために,ルジマトフが振付家N.アンドローソフに依頼し、創られた作品。
日本のバレエ・ファンの皆さまのために、ルジマトフから用意されたスペシャルなプレゼントです。」とあった。

私みたいなタイプは、こういう謳い文句を、事前には微塵も信じちゃ、いない。

ところがところが。

第一部のトリ「シャコンヌ」で感動したのに、第二部「ボレロ」で、それ以上に感動してしまった。

特別なものを観た。

自分は本当は、こういう瞬間に立ち会いたくて、劇場に来ているのだと思う、稀有な観劇体験。この人に限らず、この世代の芸術家は、やっぱりどこか違うと感じた。

でも。
その感動を、言葉に表すのに、躊躇を感じる。
表現する事って、難しい。


*私は、ファルフ・ルジマートフのファンではない。だから、ルジマートフが、かっこいいとか、キャーという感情は、自分のものではない。ファンにはファンの見方が、そして自分のような舞台芸術に吸い寄せられてしまう観客には、別の見方があるはず。


*「ボレロ」
私は、ルジマートフの心を受け取った

芸術家たちは「日本を思っている」という。そういうのは簡単だ。

・暗転から、舞台が始まると、左右には赤い火の灯った松明が置かれている。
その間、舞台中央に、暗がりの中に立つ、ルジマトフが浮かび上がる。

(結構簡素な物で、火に摸して、赤い電球の電気が点いてるだけに見えた。
けれど、こういうお金のかかって無さそうな、簡素な装置や舞台衣装が、返ってルジマトフの芸術力を際立たせた。今の世の主流の、高い舞台美術家の装置も魅力だけど。本当の芸術って、そんなに億とかのお金をかけなくても、出来る時は出来るんだと、教わった。)

それが、ルジマトフの踊りによって、私には確かに火に見えてきた。
ああ、確かにこの舞台には火は必要だ。

ルジマトフは、上体裸で、下にハーレムパンツ系のような膨らみのある黒のズボン。袴のようにも見える。肩にかかる長さの髪を後ろに縛り、暗がりに踊る姿は、やはりかっこよかった。
踊りは技術的にはシンプルで、技術よりスピリッツっで見せる系の踊り。

・・・って、つい「解説」を始めてしまう自分に自己嫌悪。

例えて言えば、「気功」みたいだった。
「シャコンヌ」との違いにも驚いた。
シャコンヌは、これより、どこか静謐な気持ちになって見た。
けれど、これは、「シャコンヌ」的な気分は微塵もなく、出てきた最初から、凄く「エネルギー!」を感じた。熱い。全く私の主観だが、シャコンヌが黒なら、ボレロは赤、位の差があった。

シャコンヌの内面性には、人生を顧みたり、立ち止まったりする気分もある。
でも、こちらは、前向きで、現実肯定的な、有無を言わせぬ生命エネルギーに満ちていた。

まず、踊るルジマートフの身体に、そしてその周辺に、強い生命エネルギーの塊!のようなものを、強く感じた。

ダサいけど、翻訳すると、ルジマートフの踊りは、「みんな、元気になれ!」と言ってるような踊りだった、ということになる、、、

(ああああああ、こうして言葉にしてしまうって、何か大事なものを破壊してる気がする。
大丈夫かなあ?自分。でも、伝えるしかないよね。

かつてボリショイのバレリーナは、日本人のバレエマスコミに対して、「百聞は一見に如かずです」と言い切った。その通りだと思う。だから私たちは劇場へ行く。

でも、拙い私の言葉で、多くは伝わらなくても、誤解を産んでも、過ぎてしまえば私自身もわすれてしまうであろうことを、今は、ざっと書いておきたい。
全部は伝わらなくても、誰かに一部は伝わるかもしれないから。)

大昔、病人を治す人は、治すためにした事があると思う。
自分の観たルジマートフの踊りは、そんな感じ。気と言うか、熱いエネルギーの塊を、自分も舞台に運んできて、自分の身にそれを纏い、増幅させ、それを皆にも、分け与えてるような、凄く、ショーと言うより現実的な事を、踊りでやってた気がする。

ニュースは被災日本について、難しい事を伝えるけれど、ルジマートフは、彼の視点で、私には至極納得できることを、やってのけた。

人々が元気になる事。それは何が有効か。
弱まった生命エネルギーが、力や勢いを取り戻せるように。
彼は、「ボレロ」では、「シャコンヌ」とは一転して、迷いのない現実肯定的な気分と、気のエネルギーの塊のようなものを、舞台に持ってきた。(そのエネルギー量が凄いので、自分的には、でもどうやってあんなにエネルギーの塊を舞台にもってこれたのかしら?と不思議に思うのだけど。なぜなら、シャコンヌの時は、こんな増幅エネルギーは、踊る彼の身体からは感じられなかったから。

ここでの踊り手と観客の私は、いわゆる”「見世物」を上演するダンサーと、それを批評のような目で見て見物する客”と言った関係性では、全く無かった。私は彼の踊りの放出するエネルギーを感じ、目や五感で確認し、はっとなったり、吸収したり。

私自身が、元気になった、とか、元気貰った、、というわけではないのだけど、ルジマートフの思いが、絶対口だけなんかではない、その事は大変よく理解できた。

日本に不幸が見舞った。人々は災害で疲弊してる。ルジマトフが持ってる情報は、こんなものだろう。その中で、自分に何ができるか、彼は考えた。
踊ろう!と、きっと思った。踊りで、出来る事が実はあるから!

熱いエネルギーの塊を、彼の身体と踊りは舞台に持ち込み、増幅させ、人々が元気になるような生命エネルギーの塊を、空間に放出して舞った。
皆、元気になれ!と、彼は踊りで言った。無心で力強い踊りには、スノッブなものは微塵もなく、余計なものがそぎ落とされた、命そのものを感じる、ダンスの始原をさえ想起させるダンスだった。

・ルジマートフの、「日本の為に踊りたい」と言う思いは、私には伝わった。
ただ、それにとどまらず、図らずも、芸術とは、本来マイナスなものが、プラスに作用することもあるのだと、意外に思った。

大震災という負の事実。でもその緊迫した状況の中で自分が何ができるか考えた、この舞踊家のアートを見ると、日本を思って踊ったことで、彼の芸術が、輝いている。

・そして、この芸術家が、例えば舞踏家・笠井叡に師事したりしながら、続けてきた模索の方向性が、私と言う一人の観客には、やっと見えたのも事実だ。

ルジマートフの踊りは、随分昔から、コンスタントに幾つも見ている。
でも、今日の2作品が一番感動した。

・舞踊芸術としても、ちゃんと「ボレロ」になっていた事も、是非とも言及しておきたい。
ベジャールの「ボレロ」のように、後半盛り上がりに合わせて派手にジャンプしたりはない。

ベジャールの大成功によって、「ボレロ」は、他の振付家が挑戦するのが、難しくなってしまったと思ってた。が、今日の作品は、音楽的に盛り上がる後半も、とりこぼさず舞踊芸術として見ごたえのある振付になってたと思う。

私はルジマートフの心を受け取った。
でも、それにとどまらず、踊るとは何か、舞踊芸術の根源的なものを考えさせられる舞台でもあった。

*元々、ファンには評価の高かった、ルジマートフの踊る「シャコンヌ」。
(昔はバリシニコフも踊った作品らしい。)

いい舞台の中には、始まりの数秒で、評価が確定してしまうものがあり、これと「ボレロ」はそうだった。
舞台のはじまりに、暗転から、舞台左横のルジマトフに、やや暗めの照明がスポットで当たり、暗い中、その上体が,ふっとライトで浮かび上がった瞬間に、すっと、この世界に入れた。
(意識して見てたわけじゃないけど、こんな時、舞台に立つ人は、非常に集中している。だから私は, 雑駁なガラものにあっても、この作品世界に、始まりの瞬間に入れた。)

浮かび上がったルジマートフは、黒のシャツにズボン姿で,髪を束ねてたと思う。とてもシンプルな姿だが、姿も踊りも、非常にシンプルながら、息を呑むかっこよさもある。
特に難度の高い技術などは無く、振付も覚えられないほど普通な動きなのに、心に響く。
何がどういいのか、説明しづらい、ノワールでシンプルな世界。

後から,ちょっと小島章司のダンスを思い出した。
違いは、小島の方がやや直線的。
ルジマートフは腕の軌跡も曲線的なので,優雅さもある。洗練された動き。

舞台右横には、バイオリンを奏する若いロシア女性(マリア・ラザレワ)。
もちろん、ファルフの踊りとの呼吸の合い方は絶妙。
何をどう打ちあわせてるのか、互いの感性だけでコラボしてるのか、
よくわからないけど、とても良かった。

いわゆる、「振付が優れている」と言う作品とは異質。踊り手の精進がそのまま反映されるような、佳品だった。

※【参考までに、以下公演パンフより、解説】
「シャコンヌは簡単なバレエではありません。音楽も難解で、振付も複雑です。ダイナミックな動きや明確なドラマはありません。端正な音楽に厳密に振付られています。その形式は重要です。内面的には強いエモーションがありますが、それを発散しません。哲学的で精神的な作品なのです。」とルジマートフは語っている。

(下線は私による。)言われてみれば、確かに。舞台初めから強く惹かれるのは、何か強いエモーションを保有したからなのでしょうし、そして、シャコンヌはそれを発散せず(内向させてるのかな?)、だから、「ボレロ」のような外に出る感じとは異質に、私が感じたのだろうと、後で思いましたです。

舞台を見るにあたって、「解説を先に読んで見た方がいい舞台」と逆がある。
今回の2作品は、後者だった。解説見ないで見れて良かった。


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感動のボレロ&シャコンヌ~「バレエの神髄2011」

2011-07-13 14:03:17 | バレエ
行ってきました、「バレエの神髄2011」東京公演。文京シビックホール、7/12。

公演の内容は、凄く良かったです。感動しました。

最近は、日本は色々と様変わりしてると感じるこの頃。バレエ公演もそうで、客層とか、ロビーの雰囲気は、割とカジュアル系の公演。舞台上も、装置がカルメンを除いてほとんどなく、背景もコンテ作品「扉」を除いて何もなく、簡素。

今日が大阪公演、明日が名古屋公演。出来れば、行ける人は、行ってあげて欲しいな。
自分の主観では、絶対見て損はないと思う。

・第一部55分、休憩20分、第二部45分、休憩20分 第3部45分
の予定が、第二部「ボレロ」で入魂しすぎたのか??はたまた装置の用意とか?(そんなもの音は無かったけど)その休憩終了後、客入れしてから、しばらく舞台が始まらず、それもあるのか、前回に比べて公演時間が長く(個人的には歓迎)、終演して、もたしながら駅に着いたら、22時を回ってました。充実の長時間公演でした。逆に、この企画・前回は、上演時間がやけに短かった気がした。

特に良かったのは、ルジマートフの「ボレロ」。
2番目が、ルジマートフ&ヴァイオリンソロ(ロシアの女性)の「シャコンヌ」。
このふたつだけでも、お腹一杯になる位、感動したのに。

さらに「第一部」最初の「マルキタンカ」のフィリピエワを見ただけで、なぜか涙出たとか、
また、「ラ・シルフィード」(もちろんブルノンヴィル版)の、ハニュコワちゃんという、知らないキエフのプリマが、砂糖菓子みたいな女の子で、妖精を演じてるんじゃなくて、本当の妖精が舞台にいるみたいで、可愛かったとか・・。

キエフのダンスールノーブル、シドルスキーが、今時珍しい均整とれたプロポーション、それなりに納得できる技術水準、プリマへのステージマナー。何を踊っても堅実で、地味目ながら手堅く公演を支えてくれたとか、やっぱりボリショイの二人は、来てくれて嬉しいとか。(アントーニチェワさん、バカンス焼けか?白いお肌がピンク気味は、御愛嬌。)

第一部、第二部だけで、色々と見所はあり。

前回、「演目の順番は大事」と書いたけど、今回の演目順はセオリー通りで順当なものだけど、・・・。今回、私は一番感動したのは「ボレロ」で、ここで凄く踊り手もエネルギー使って燃焼したと思うし、自分も、私的観劇史上、めったにない感動を味わった、つまり、燃焼してしまい・・・。
結果論だけど、ごく個人的には、もうあれだけで良かったというか。

第三部「カルメン」は、それに比べれば(私の要求水準が高すぎて。過去に名演を見てるので。)まあまあで、見れて良かったけど、「ボレロ」の記憶が薄れてしまい(ボロい脳みそだが)、
自分の脳の記憶装置の問題なんだけど、終わって見れば、「ボレロ」がトリだったら、もっと感動したかな。
(でもこの演目なら、この順番は当たり前で、逆に以前の「ザハロワ・ガラ」で、カルメン組曲を1番目の演目にしたのは、座長ザハロワの、演出家素人ぶりを見せたもの。機能する芸術監督をつけるべき。)

フィリピエワは、アロンソ版カルメンの初演者プリセツカヤから直接教わってた割には、この版の始原的カルメンでは、全くなかった。カルメンとは別の、いい女だった。私は「カルメン」を期待して行ったから、ちょいがっかり。でもそんなに悪くは、もちろんない。本質的には彼女は、こういう役よりも、可愛らしい女、愛されるいい女の役の方が合うのかも。カルメンは、もっとバッドガールなんだと思う。

ルジマートフ:ホセは、素に近い役作りで、シンプル。怒りも熱くはない。
後半の愛のアダージョの所で、一見「片手リフト?」に見えるのをやったと思ったら、実はフィリピエワが、両腕をルジマトフの肩について助けてる形。な~んだ。片手リフトもどきかって。
(ルジマートフのサービス精神?)

(もっとも、ザハロワ・ウヴァーロフ組が、以前に、この役で見せた驚異的な片手リフト(難度も高いバランス、タイミングのもので、美しく素晴らしかった)は、個人的には表現的には半分疑問で、なんであそこでそんなに難しい事やるの?と思ったから、そもそも、片手リフトをここでやらずとも、なのだけど。

コルプ:エスカミリオは、いや~ま~、なんとも「安い」エスカミリオで。(エスカミリオというか、トレアドールというか)私が持ってたプリセツカヤの昔の画像では、(相手役は何人かキャストチェンジしてるが)、このエスカミリオ役が、もっとずっといい男で、あんなに安っぽいキャラではなかった。やることしか考えてない陽性な男の雰囲気は、ヒジョーによく出てたと思うけど。

隊長ツニガ役:シドルスキーは、適切に、この舞台を引き締めてた。
牛役の女性は、(この役は難しいので仕方ない。)今一つだったけど、脇を固めたキエフバレエのダンサーが堅実に踊ってくれて、ガラにも幕物の豪華さを添えてくれたことも、見落としがたい。

暑いし、行くの大変だったけど、行って良かった。期待度≪満足度の公演!

ルジマートフは、今後も、今回の「シャコンヌ」や「ボレロ」のような作品を踊るべき!
連れてきたダンサーたちも、公演の雰囲気も、そして、ルジさんやフィリピエワ、コルプに花をあげてたファンの人たちの微笑ましい様子も含めて、超メジャー公演ではなくても、良質のバレエ公演でした。こういう企画は、応援したいですね。

●余談ですが。
①パンフ売り場で「先着200名様にプレゼント」があったのに、気づくのが遅く、間に合わなかった!
②会場で、「速報:ボリショイ日本公演」白黒チラシが配布され。
次回ボリショイ日本公演は、「主役はボリショイ管弦楽団!」になりそう。値上げだけど、あのオケが来るなら・・・。キャストは、うう。⇒ジャパンアーツHPをご覧下さい。

大スター級でなく、2番手級の見たい人が何人か来るけど。

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