懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

新国立劇場、アレッサンドラ・フェリ「こうもり」

2006-09-06 16:48:06 | バレエ
いささか方向が迷走しております。

本日は今年6月の新国立劇場のバレエ公演、「こうもり」で、アレッサンドラ・フェリの表現で考えたことをちょっと。

その前に・・。

私は、この公演は、外国人ゲストの主役のフェリの日に見たわけではなく、日本人主役、真忠久美子さん、森田健太郎さんの日に見た。真忠さんはスタイルがきれいで赤ビスチェもよくにあうし、顔も目が大きく舞台栄えがする。脚も上がるし踊りも上手に見えた。

森田さんは、昔の王子役からイメチェン。渋い伊達男になっていて、踊りから情感がはっきりでるとこが精進を感じさせられ、感心した。二人は息が合ってアダージョはいい感じだった。

この日のコールドは踊りがいまいちだったが、衣装がおしゃれで、プティの演出力には唸らせられた。上演時間が短く、1時間半くらいでしょうか。3時間くらいの公演と値段が一緒って、何だなあ、と思った。

こうもりとは、男は背中にこうもりの翼を持っている、ということらしい。女房との関係に飽き足らず、夜、その翼をつけて素敵な女性を求めて飛んでいく、ということらしい。

えええええ~、そうなんですかあ~~~?

それを、「こうもり」っていうのが、ユーモラスで、軽妙洒脱、おしゃれなバレエ作品なのだとばかり思っていた。

プティはそういう個性の振付家だと思っている。この日の舞台も、踊りはそんなにすごくないんだけど、プティの演出力、洗練された舞台処理センスで、楽しく、深い考えもなく見た。そういう軽い舞台だと思っていた。

その時は、この主役たちでよかったと思っていた。

ところが、・・・。

後で「ダンスマガジン」誌のアレッサンドラ・フェリのインタビューを見たら、この考えが覆った。

インタビュアーが、「こうもり」について軽い作品のような言い方をすると、彼女は、「それでも心を打たれるような場面が幾つかある」と言った。たとえばヒロインのベラが夫(こうもりの翼をもつ男)と、ベッドでもう一度男と女として向き合えるか、二人が試す場面、という意味のことを。

3つくらいの意味ではっとさせられた。

私が、「夫が妻にもう飽きてしまって、女性としてもう興味が持てないので、夜遊びにでかけてゆく」というのをコミカルに(つまり他人事として)捕らえていたのに、そして見た日のプリマの解釈もたぶんそんな風だったのに、フェリの捕らえ方はもっと重くて真摯だ。

人生の時間。愛し合ってともに暮らし、時間を経て、男性側が(女性側でもいいけれど)相手を、もう、昔のようには、なんというか抱きたいとは思わない・・・。
言われてみれば、そうですね、大変なこと、なのかもしれない。

二人で、ではどうか、とベッドで試してみる。やっぱり、ダメ。何かそういう気持ちにならない。(気持ちっていうかフィジカルな面とタイアップして、ダメ、ということなんでしょう。)

そういう状況を、フェリは「心を打たれる瞬間」といったんですね。マイブームならぬマイヒットでごわした。いわれるまでそんなこと考えてみたこともなかった。

まず、バレエの表現、役の解釈としては、フェリって「軽くておしゃれ」なプティのお気に入りでもあるんでしょうけど、マクミランのミューズでもあるんですね。
マクミランは重くて陰鬱なくらいの振付家。

マクミランに指導され、物事を深く見るくせがついていたフェリならではの解釈だと思いました。フェリの表現のなかに、「軽い」プティと「重い」マクミランが交差している・・・。

バレエ表現としてはそこがとても興味深かったです。

それと、フェリ、なんでそんなこと思いついたのかっていうと、・・。
もしかしたら、フェリ自身が、長い人生の中でそんな思いをしたこともあったのかもしれないと思い、これは表現的には現実の問題提起にもなることだし、大変面白いと思いました。

フェリは共演ダンサーと華やかな噂があり、私生活上は夫と子供にも恵まれ、日本人女性から見ると、日本人よりはるかに色気の多そうなイタリア人女性らしく、実人物が昔はかなり官能的な女性に思える人でした。(実のところは知りませんが)

共演したスターさんも、彼女を特別なパートナーだと褒めていて、カーテンコールでも二人の世界、状態だった。おつきあいした男性から見て、官能的でいい女なのではないかと、漠然とそう思っておりました。

その、フェリが、今回のような発言をするので、改めて、男女の関係や、セックスのことって一筋縄ではいかないな、と思ったものです。というか、その手の問題って本当のところはなんら解明されてないというか、真理、メカニズムが注目もされてなければ言葉化されてない、という思いがします。

そういえば、「オーガズムライフ」の杉本彩さんも、前の彼氏について、自分をぜんぜん抱かなくなったという意味のことをいってたなあ・・。
小娘のころは単純だったから、ああいうナイスバディでムードのある女性に、そういうことがおこるとは、まったく理解していませんでした。

何割かの神経がまともな男性たちは、もっとデリケートで、イージーなことでは関係性って保てないんだなと、すこうし、お利口さんになった次第、です~。
(ほんまかいな)

お、今日の天気は、日記の内容にあっている。 

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