ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

砂漠のイシカミ

2007年11月03日 22時20分41秒 | Weblog
2007年10月24日
TVで、ニジェールのアイール砂漠を見て寝た後、異臭があって目が覚める。
世界遺産:アイールとテネレの自然保護区(ニジェール)

「(TVで砂漠を)見てくれてありがとう。
砂漠のイシカミです。
(砂になったのは)それは嫌になるほど言われたからです。
この大陸(アフリカ)は動物だけが住む大陸だと(支配星に)言われたからです。
それでイシカミたちは砂になったのです。
(月と地球をあらわす)キリンを一番大きく描いたのは、月に降りた支配星(プレアデナイ)がそれを言ったからです」
(他の動物や人間は小さい岩絵なのに、キリンは5、4mの実物大でそっくりの岩絵がある)

「砂漠になる前は(草原で)あのように沢山の動物が住んでいました。
けれども人間は住んではいけないと言われて(動物だけでは)嫌になったのです」
(アラカウ砂丘は、直径10kmのカルデラを砂が高さ300mに埋め尽くすと言われますが、噴火口ではなく、イシカミが丸く手をつなごうとしただけと)

《ビジョン》
“砂漠の砂の石英の隙間が金色になって、それが左から次第にグレーの色になり、輝きが消えていく”

意味は
「金色=スのエネルギー体がいるが、消えていったことをあらわす」

その後
《ビジョン》
“下半分の赤紫の強烈な光が2回あらわれる”

意味は
「砂漠の砂の中にプレアデナイのエネルギー体が隠れていたのです。
砂漠の砂になったのはPLのせい」
プレアデナイをPLと書いたが、PL教そのものの名前。

2007年10月24日 夜中、右ひざにきついサインあって目が覚めて。
「悪者がいなくなって仲間が住める所を増やそうとしているのです?
それで試行錯誤しているのです」寝る。
(異常気象としてアフリカなどで雪や、洪水になるほど砂漠に雨を降らせているのは、耕地にしようと思っている?)

2006年6月1日
・5500万年前 北極の海面は23度「亜熱帯」
>約5500万年前の北極の海面温度は23度もあり、亜熱帯レベルの暖かさだったが、約4500万年前から氷におおわれ始めた――北極の激しい気候変動の歴史が、日米が始めた研究プロジェクト「統合国際深海掘削計画(IODP)」の調査でわかった。(2006年5月31日付ニュース)

ソラの検索『地軸移動』でわかるように、年代はさておきこれまでソラからの情報でも、赤道が南北に通っていたということなど、何度かそのようなことを知らされています。

それで南極に恐竜の化石があり、日本海側が温暖で栄えていたことや、北海道が寒冷になってからアイヌがあらわれたとも、北海道のストーンサークルがしっかり残っているのを見た時知らされています。

サハラのストーンサークルです。
Monuments

ここも地軸移動がある前は、砂漠ではなかったようで、ストーンサークル内で人間が発生したことを知らせてきます。

人間が発生した後、さらにしっかりと肉体の原子たちが結合するように、イシカミの巨人たち(石柱)の並んでいる間を歩いたので、石柱が残っていると伝えられています。

初期のイシカミの力が強い時は、ストーンサークル内で人間が発生したそうですが、発生した後も、やはり小さな石ですが、並んでいる間を歩いて、さらに原子の結合を強くしたということが良くわかります。
Goulet monument
Giant Goulet

周りが砂漠になっても、見つけてくれるのをジーと待っていたかと思うと、涙が出てきました。
砂漠の砂になるのは、イシカミの原子が生きようとする思いを無くしたものがなるそうです。

#)掲示板に色々な遺跡などを紹介してくださっています。
ジェリコのヒシャーム宮殿

イランの遺跡
地中海沿岸、中東までこの壮大な遺跡が、全てローマ帝国が造ったというのはどう見ても無理があります。
以前にもソラのものが、「道路公団、国家破綻?」と言ってきたように、建築物にお金をかけると国は滅びるというのに、国ができるかできないかの初期の小人数で、争いに明け暮れていたであろう時代に、これほど広い範囲に、このような壮大な建築物を建てていくことは、絶対と言えるほど無理があります。

リビアのサプラタ遺跡
アルジェリア滞在記

リビアやアルジェリアの遺跡を見ると、ローマかと思われるほど似ていますが、地中海はかっては陸続きだったこと、イシカミたちが話し合って自分たちの身体を建築物になったりして、人間の発生に力を貸してくれたことがよくわかります。

アルジェリア探訪
半球形ピラミッド クレオパトラの娘の墓 アルジェリア Algeria Tipasa 古代遺跡
ペルシャの古代遺跡を訪ねて
エスファハン市内観光
イランの石の橋が見事です。(水道橋と同じ?)
砂漠
砂漠について面白いお話です。
砂漠にストーンサークルはたくさんあるとか、顕微鏡で見ると砂が宝石のようで色々な形や色があるそうです。

2004年2月28日
2004年2月28日18時
地軸移動したのであれば、その前の極は南太平洋と南アフリカになりますが、
そこは今のような極のような寒さで氷が張っていたのかと聞きました。

「(AD100年前後?) 巨大彗星がメキシコ半島に衝突する迄は、地球は厚い水? の層に囲まれていて、地球全体が同じような暖かさだったのです。
彗星が突入することで大陸も移動し、水の膜が壊れて一気に極に氷が張ったのです」
無理に聞き出したので、本当かどうかはわかりません。

情報では南極は今のインドくらいの暑さでレムノイア大陸と呼び、アトランティス人がイシキ (=霊) のある半霊体のアンドロイド(人間とロボットの間)を住まわせていたと知らされています。
アンドロイドは半霊体なので化石としては残っていませんが、恐竜が繁殖していたということで情報と一致します。
又恐竜は一度に沢山の稲妻(ホシノミナ)が降りてきて感電死し、争いばかりをしていた恐竜が一掃され、小さく家族を大切にする動物が送り込まれたと知らされています。
又、なぜ山や川が描かれた南極の地図が残っているのかは、AD100~500年頃?彗星が衝突し、地軸が90度移動し、大陸が今の南極の位置に移動したためと言う情報ともあっていると思います。

なぜ巨大彗星が地球に衝突したかと言うと、メキシコ文明では支配星の残虐な部下が、人間を悲惨な生贄の儀式などさせ、極限の恐怖心をあおるために宇宙の果てまで、その恐怖の想念が満ちてきて、それを無くするために彗星が突入したと伝えられています。

けれども彗星の突入で、地軸が移動し異常気象で政情不安となり、日本ではそれまでのいて座の巨石信仰が破れ、より強いプレアデナイの支配による仏教の支配が始まったのです。(物部守屋が破れ、聖徳太子が勝ったこと)

南極の古代地図の存在

注:紀元536年に起こった彗星衝突?
【2004年2月20日 国立天文台・天文ニュース(701)】 より一部抜粋。
天体衝突によって気象異変が起きることは、かなり以前から指摘されてきましたが、紀元(=西暦)536年 から 約10年 に亘って起きた地球全体の寒冷化が、彗星の衝突によるものだとの新説が登場しました。
木の年輪を調べると、その成長速度の差が分ります。その差は主に気温に依存しています。536年からの10年間は気温が低下したことが、世界各地の年輪測定からわかっています。しかも、平均で3度も下がったといわれているほどで、536年は、この2000年の間でもっとも気温の低い年だったようです。
また古記録によれば、この時期には空の透明度も悪く、地中海では「乾いた霧」が立ちこめ、太陽が月のように輝きを弱めたとの記述もあります。

【石冠】
石冠は考古学では何の目的で作られたかわからないとされていますが、イシカミの身体そのものをビジョンで見せて作らせたと伝えられました。
京都府綾部市の口上林の十倉志茂遺跡と同じ形の石が、北海道でもたくさん見付かっています。

由良川考古学散歩
北海道岩内郡岩内町の郷土資料館の「石棒」

【神呪寺とソラジン】
神呪寺に関係ある尼は、籠神社と関係があると早くから伝えられています。
その尼は、ヒミコの娘の女の子が生まれ変わった者で、四国のヤマタイコクへ行こうとして行けなかったので、このような名前にしたと伝えてきましたが、その意味をそらすために、その近くでイシカミ(の巨人)がソラジンとして悪者にされ封印されていた事がわかりました。
甲山(かぶとやま)とソラジン「西宮のむかしばなし」から

2006年7月13日
#)アフリカの砂漠の巨石などを見ていた。
Zarzora Expedition The Desert Travel Company Of Egypt
A Remarkable Rock-Art Discovery in Gilf Kebir--MESTEKAWI/FOGGINI CAVEより
岩絵

「(楕円形で白い線で囲まれているのは)イシカミの子供で、柔らかく、お汁が出ていることをあらわしているのです。
動物がお汁を飲んでいます」と。

ちなみに岩絵はイシカミの原子が変化して描かれているので、1万年?も消えずに残っていると。
その証拠に、岩の変化で模様が浮き上がっている、原子(元素)が描いた岩絵。
Trekking in The Holy Wilderness of Sinaiより
原子(元素)が描いた岩絵

「忘れられたものです。
アフリカのイシカミです。
イシカミの最後のことを話します。
私が知らせることは仲間から頼まれたことです。
仲間とは砂漠の砂になったものです。
砂になったのは小さなものでも、思いがあることを伝えるためです」
丸い小さな粒の砂?
The Hungarian Expedition, 2005より
丸い小さな粒の砂

「それなのに、(自分勝手に)生きる希望をなくしたものがなったと思われるので、本当のことを伝えようと思ったのです。
生きる希望は支配星になくさせられたのです。
それは死なされたイシジンが、今に悪者が遺跡になった仲間を壊しに来ると知らせて来たからです。
それでその遺跡を知られないように、砂漠になったのです。
それを知らせてほしいのです。
その遺跡がメロエ遺跡です」

・スーダンのメロエ遺跡
Ancient Aafrica's Black Kingdomsより
Meroe Pyramids

「私達がなぜお仕事をしなくなったかということは言いたくないのです。
それは人間が好きではなかったからです。
支配星に支配された人間ばかりだったからです。
奈落の底の人間を見ていると、何もする気がしなくなるのです。
毎日争いの声を聞いています。
生きる希望を悪者に奪われているからです」

「砂漠のイシカミです。
なぜ石がばらばらになっているかというと、出来るだけ早く分解して原子に戻りたかったのです。
Oasis
大きくなろうとしたものもいます。
それがキノコやパンの形になったのです。
BBC Balooning over the White Desert Protected Areaより
Wind-eroded limestone in eastern White Desert
Sphinx-like chalk-formations

白や黒や赤の色の石になったのは、その色の人間が来るとわかっていたからです。
(画像を見ていた)呼んでくれたので降りてきました。
砂漠が広がるのは、イシカミを認めないからです」
Photo Gallery1
Photo Gallery2

「言うことがまだあります。
それはマリ(地球)が膨らんでいるので、気温が上がるのです。
地下空洞にいると地球のふくらみがわかります。
それは今の科学ではわかりません。
地表をかすっただけで、地球がわかると思っていたら大間違いです。
これだけあらゆる種類(ぬるぬる地震、巾着地震など)の地震を起しても、未だにプレート理論で説明をしています。
一度に動かれなくて良かったと思ってください。
(7月9日から新島・神津島近海で、震度4が2回、震度3が3回、震度2が4回、震度1が8回起きたこと)
この地震は昔の大地震と同じ大きさになるくらいでした」

ソラ・シリーズ発売中!(石と宇宙(ソラ)のお話さんより)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

『地震と雲』に載せられなかった写真や、2007年1月以降の地震雲の写真をまとめています。
Earthquake Cloud:地震雲写真集:ソラと地球からのメッセージ
「雲はどこで地震があるかということより、何をしらせようとしているのかと思うことが大切です」(HPより)
アト君とちきゅう君
アト君とお花
地震雲画像

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以上、ソラからの伝言より。
写真は11月3日のソラ。