('10.1.04 スリスリ歴11歳半)
先日、作家「太宰治」を回想した井伏鱒二の本のことを
書いた。
その中で太宰の死の理由に関する部分が意外だった。
井伏氏は太宰が師事した先輩作家であると世間的には
認識されているのだから、その言葉は重いはずである。
太宰と一緒に玉川上水で死んだ女人(山崎富栄)とは
どのような人であったかを井伏氏の所感からうかがうなら
ヒステリックで自己中心的な悪女ということになる。
ほんの数行しかないその文章は、太宰に関する他の箇所に
比べれば、作為的とまではいかないが、何かこう悪意に
似たものを感じるのだった。
太宰の遺書には「井伏さんは悪人です」とあった。
悪人ですと書かれれば釈明したいのは人情かもしれない。
けれど、死者に近い者ならば悼む心の方がそれに勝っていて
諸々を飲み込み、美知子夫人がそうだったように私人として
沈黙し、一方で作家の文芸遺産を守り継ぐ役割に専念された
事がどれほど尊いことであるかと思う。
太宰は精神的に病み、言動に異常がみられ、相手の女人も
また常軌を逸した態度であり、なかば強引に、判断力を
失った太宰は、無理心中の犠牲者であると遠回しに書いた
井伏氏は、結局のところ、太宰が嫌った日和見主義の市井人
であるということになるだろう。
そう思わせるような説明を繰り返しているのだから。
何ら証拠はない。
また無いことの証明はできないから、虚偽である。
死人に口無しという卑劣な事は、戦後すぐの混乱の世情に
あって特に珍しいことではない。
けれど、そのことによって命を削った太宰の作品が僻目で
読まれるということになってしまうなら、先輩としての
井伏氏は残念だとは思わなかったのだろうか。
同じことは同期の評論家亀井勝一郎にもいえる。
小さな、偏狭なことである。
それがあるばかりに、巨悪の力にねじ伏せられる。
低いところにいる者が、我先に自分より高い方へすり寄るか
隣人同士に想いを寄せるか、その選択が未来を作る。
妬み、そねみ、我欲に負ける、ほんの小さなことから
悲劇が繰り返され、権力は温存される。
小説は小さな説だが、その行間と、言葉の裏にあるものを
作者の目となって掬いあげるなら、一篇の物語が他を生かす
知恵にも助けにもなる。
文学の重要性は、人の生死と密接に関わることである。
太宰ファンを自認する人々には井伏鱒二の言説は承知のこと
だろうから問題はなかろうと思いもしたが、「太宰好き」の
知人に山崎女史をどう思うかえ、と話を振ってみると予想に
反した答えだった。
「ろくでもない女」と返ってきた。
これは通説かもしれず、また井伏氏と同じ感想になる。
そして「カフェの女給だっけ」と言うのであった。
新聞、週刊誌の力、いや責任は重大である。以後60数年に
及んで流布された偽りが、都市伝説のように生きている。
世間とはそういう愚かしさや恐ろしさがあたりまえにある
場所である。
権力側はそれを弁えるからこそ情報操作を巧みに利用し、
欺く手法を手放さない。
一緒に死んだというのに、どうして片方だけが責められるのか
と素朴な疑問を投げかけてみると、才能をダメにしたと言う。
この人は太宰の作品をどのくらい読んだのかと訝しかったが、
へえーと引き下がった。
太宰は多くの誤解と多くの羨望を同時にまとってスターに
なった。そして時代を超え、まだ若い、世間のしがらみを
知らない世代に共感を呼び続ける。
太宰と多喜二は表裏でもあり、また同じ枝についた双葉
のようでもある。
その死は、未来を憂う若者に問いかけ、永遠を勝ち得た
かのようにも見えてしまうが、そんなことを思えるのは
外側にいる者の理屈である。
自死も横死も、哀しいものだ。
太宰が生きていたら、と私はやはり夢想する。
生き延びて、臨床医がストレプトマイシンの処方をできる
ようになるまで待てばよかった、とも思う。
いつか太宰の時代がやってきて、石原慎太郎君の芥川賞
には川は流れていないよ、とか言ったかもしれない。
太宰をわが命とした山崎富栄さんも死なずに美容家として
大成し、父君の志を継いでいればと思ってしまう。
自立する女性の先駆けである。
太宰が戦ったものは、旧態然とした世間であり、権力で
あり階級であった。そこから流れでる膿みを嫌った。
それを宿命だと言ってしまうのは、よけいに哀しい。
死を賭して戦ったことが悲しみである。
井伏氏は旧い物の代表のような形に自らなってしまった。
作家は物書きというが、書いた物がただのモノに過ぎず、
物、つまり魂抜きならば、それは雑音である。
ゴシップ好きの世間は雑音のほうが相性がいいから、
じゅうぶんそれで生業にはなったのだろう。
死は生を決するということを太宰が思っていたとしても、
檀一雄が言ったように、死ぬことで己の文芸作品の価値を
守ったと結果的に見えたにしても、太宰の勝ちとは思えない。
遺された女の太宰への愛が損なわれることはなかっただろう
ことが、唯一、哀しみを救ってくれることではなかろうか。
カメに「井伏鱒二の本に書いてあったこと」を話すと、
「お殿様、傍が思うのとは違うさ」
そんな短い答えが返ってきた。
太宰? 読んだことないよ、と言われたから
カメは太宰の「心」を詠んだのだろうかと思った。
山崎女史のことは、「かわいそうだね、世の中はいつもそうだ」
と、やさしい言葉だった。
追記
太宰治の生誕100年(2009)を機にたくさんの関連本が
出版されている。その中で新たな視点からの作品が、
山崎富栄さん側から描いた小説「恋の蛍」松本侑子著。
斜陽の太田静子さん側から描いた「明るい方へ」太田治子著
そして古くは、津島美知子夫人の「回想の太宰治」もある。
又、余り知られていないと思うが、折口信夫に「水中の友」
(折口信夫全集収)という一文、詩がある。
この短い文章は太宰への供養として何にもまさっている気がして、
泣けた。太宰のほんとうの姿を折口は一度も逢わないままに
透視していた。
そしてその「ほんとう」は折口にも宣長翁にも我が師カメにも
ある物で、久しく逢えなくなった物である。
先日、作家「太宰治」を回想した井伏鱒二の本のことを
書いた。
その中で太宰の死の理由に関する部分が意外だった。
井伏氏は太宰が師事した先輩作家であると世間的には
認識されているのだから、その言葉は重いはずである。
太宰と一緒に玉川上水で死んだ女人(山崎富栄)とは
どのような人であったかを井伏氏の所感からうかがうなら
ヒステリックで自己中心的な悪女ということになる。
ほんの数行しかないその文章は、太宰に関する他の箇所に
比べれば、作為的とまではいかないが、何かこう悪意に
似たものを感じるのだった。
太宰の遺書には「井伏さんは悪人です」とあった。
悪人ですと書かれれば釈明したいのは人情かもしれない。
けれど、死者に近い者ならば悼む心の方がそれに勝っていて
諸々を飲み込み、美知子夫人がそうだったように私人として
沈黙し、一方で作家の文芸遺産を守り継ぐ役割に専念された
事がどれほど尊いことであるかと思う。
太宰は精神的に病み、言動に異常がみられ、相手の女人も
また常軌を逸した態度であり、なかば強引に、判断力を
失った太宰は、無理心中の犠牲者であると遠回しに書いた
井伏氏は、結局のところ、太宰が嫌った日和見主義の市井人
であるということになるだろう。
そう思わせるような説明を繰り返しているのだから。
何ら証拠はない。
また無いことの証明はできないから、虚偽である。
死人に口無しという卑劣な事は、戦後すぐの混乱の世情に
あって特に珍しいことではない。
けれど、そのことによって命を削った太宰の作品が僻目で
読まれるということになってしまうなら、先輩としての
井伏氏は残念だとは思わなかったのだろうか。
同じことは同期の評論家亀井勝一郎にもいえる。
小さな、偏狭なことである。
それがあるばかりに、巨悪の力にねじ伏せられる。
低いところにいる者が、我先に自分より高い方へすり寄るか
隣人同士に想いを寄せるか、その選択が未来を作る。
妬み、そねみ、我欲に負ける、ほんの小さなことから
悲劇が繰り返され、権力は温存される。
小説は小さな説だが、その行間と、言葉の裏にあるものを
作者の目となって掬いあげるなら、一篇の物語が他を生かす
知恵にも助けにもなる。
文学の重要性は、人の生死と密接に関わることである。
太宰ファンを自認する人々には井伏鱒二の言説は承知のこと
だろうから問題はなかろうと思いもしたが、「太宰好き」の
知人に山崎女史をどう思うかえ、と話を振ってみると予想に
反した答えだった。
「ろくでもない女」と返ってきた。
これは通説かもしれず、また井伏氏と同じ感想になる。
そして「カフェの女給だっけ」と言うのであった。
新聞、週刊誌の力、いや責任は重大である。以後60数年に
及んで流布された偽りが、都市伝説のように生きている。
世間とはそういう愚かしさや恐ろしさがあたりまえにある
場所である。
権力側はそれを弁えるからこそ情報操作を巧みに利用し、
欺く手法を手放さない。
一緒に死んだというのに、どうして片方だけが責められるのか
と素朴な疑問を投げかけてみると、才能をダメにしたと言う。
この人は太宰の作品をどのくらい読んだのかと訝しかったが、
へえーと引き下がった。
太宰は多くの誤解と多くの羨望を同時にまとってスターに
なった。そして時代を超え、まだ若い、世間のしがらみを
知らない世代に共感を呼び続ける。
太宰と多喜二は表裏でもあり、また同じ枝についた双葉
のようでもある。
その死は、未来を憂う若者に問いかけ、永遠を勝ち得た
かのようにも見えてしまうが、そんなことを思えるのは
外側にいる者の理屈である。
自死も横死も、哀しいものだ。
太宰が生きていたら、と私はやはり夢想する。
生き延びて、臨床医がストレプトマイシンの処方をできる
ようになるまで待てばよかった、とも思う。
いつか太宰の時代がやってきて、石原慎太郎君の芥川賞
には川は流れていないよ、とか言ったかもしれない。
太宰をわが命とした山崎富栄さんも死なずに美容家として
大成し、父君の志を継いでいればと思ってしまう。
自立する女性の先駆けである。
太宰が戦ったものは、旧態然とした世間であり、権力で
あり階級であった。そこから流れでる膿みを嫌った。
それを宿命だと言ってしまうのは、よけいに哀しい。
死を賭して戦ったことが悲しみである。
井伏氏は旧い物の代表のような形に自らなってしまった。
作家は物書きというが、書いた物がただのモノに過ぎず、
物、つまり魂抜きならば、それは雑音である。
ゴシップ好きの世間は雑音のほうが相性がいいから、
じゅうぶんそれで生業にはなったのだろう。
死は生を決するということを太宰が思っていたとしても、
檀一雄が言ったように、死ぬことで己の文芸作品の価値を
守ったと結果的に見えたにしても、太宰の勝ちとは思えない。
遺された女の太宰への愛が損なわれることはなかっただろう
ことが、唯一、哀しみを救ってくれることではなかろうか。
カメに「井伏鱒二の本に書いてあったこと」を話すと、
「お殿様、傍が思うのとは違うさ」
そんな短い答えが返ってきた。
太宰? 読んだことないよ、と言われたから
カメは太宰の「心」を詠んだのだろうかと思った。
山崎女史のことは、「かわいそうだね、世の中はいつもそうだ」
と、やさしい言葉だった。
追記
太宰治の生誕100年(2009)を機にたくさんの関連本が
出版されている。その中で新たな視点からの作品が、
山崎富栄さん側から描いた小説「恋の蛍」松本侑子著。
斜陽の太田静子さん側から描いた「明るい方へ」太田治子著
そして古くは、津島美知子夫人の「回想の太宰治」もある。
又、余り知られていないと思うが、折口信夫に「水中の友」
(折口信夫全集収)という一文、詩がある。
この短い文章は太宰への供養として何にもまさっている気がして、
泣けた。太宰のほんとうの姿を折口は一度も逢わないままに
透視していた。
そしてその「ほんとう」は折口にも宣長翁にも我が師カメにも
ある物で、久しく逢えなくなった物である。