想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

リアル鳥獣戯れ

2014-12-15 13:46:35 | Weblog

カメが森の学校にいると、いろいろと訪ねてくる。

うさこがいるときは、「おまえではなし(内田百﨤)」と
だ~れも来ないのでぼうとして風の声を聴くばかりだが。

先月末のこと、誰かと思ったら、テンらしい。
テンじゃないの?
縁側にある猫のごはんのおこぼれ頂戴とやってきて、
カメがじっとみていても動ずることもなく、皿を舐めるように
して食べ、食べ終わってしばし滞在しているところへ、
猫一家の姐さん、ジョリちゃんが来て、子分も来て、
みんなで遠巻きにしていたそうだ。

無言のせめぎあいが、どう決着するのかをカメは眺めていた
そうである。おもしろかったよと。
猫はあまり近づかず、威嚇するでもなく、目をそらさず、
ガンをとばすことは怠らず、テン様の退却を促していたそうで
テン様は別に~という態度をしばしとったあと、空の皿を
もう一度舐めて去ったそうである。



(江戸ちゃんの子、おかっぱが久しぶりに来た)


また来ないかなあとカメは楽しそうであった。
いるなあ、やっぱり、いるなあ、次は誰が来るかなあと。
今年はハクビシン、巨大イノシシ、うり坊のいる中型の一家、
たぬきとキツネは山道で、兎、そして猫の常連が5匹になった。
雨戸の戸袋に巣づくりした野鳥のヒナが発声練習するので、
口笛で合唱するという、鳥迷惑な趣味も定着している。

まだ訪れていないのは、熊である。
こっちのほうはお呼びでない、と言っておかねば。

イノシシは椎の実を食べにくる。
10数年前から持ち主不明の足跡があり、どなたさんかと
想像をたくましくしていたが、ぷ~ちゃんが健在の時は
ついぞ姿を見ることはなかった。
庭先に現れて、ヒトに驚いてとととっっと立ち去った。

里や町中のヒトエリアに獣たちが紛れ込むと、殺されて
しまう。殺してしまうだろうなと思いながら捕獲作戦の
騒動をテレビニュースで見ていると、ほぼ撃たれて横たわる
映像が流れる。
ヒトは残酷な生きものである。
命を活かすための智慧を忘れはて、死を悼まなくなった。
命に値段をつけたりもして。

一方で、そのことに、哀しみを深くしてひそかに泣く人も
いる。
人間の世の中には二種類がいるということを若いときには
わかっていなかったけれど、歳をとって、ようやくそのことを
認める気になった。認めるのは辛いことだ。

ヒトは、人であろうとしなければ人にはなれない。
そのことを、ガッコの先生が果たして知っているのだろうか。
義務教育というありがたい制度を作った日本人は、百年も
経たない間に、教育について無自覚になってしまった。

今、ヒトが意識しているのは学歴という証明書であり、
教育でも教養でもなくなって、日本なんだかどこなんだか
わからんようになっていく。

森にいると、人が育つということと、樹のそれが同じである
ということを教えられる。土壌が大事、周囲の諸々がすべて
関わって一本の樹が育っていく。
樹はとてもやさしく、争わず、おおらかである。

森はあいかわらず、いい。美しい。
すっかり冬になった。
お客さんがふいにやってきて、静けさにちょっとした賑わいを
もたらしてくれる。

みんなすこやかにあれと願うなり。








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