珍しいことをすると珍しいものを手にとったりもする。
小劇場へ行く途中、目に入った古本屋で、店先のワゴンから
「太宰治」著者は井伏鱒二、箱入りの本だった。100円也。
劇場の受付は目の前だったが脇に挟んだ本を、すぐ読みたい。
もうすぐ開演なのに、落ち着かず困った。
帰りに寄るべきだった、本屋…しょうがない性分。
太宰のファンではなく、代表作は何冊か読んでいる程度。
ただ著者名が目について手に取った。
太宰に最も近い人の一人である。
二人の名前が刻印された背表紙に、惹きつけられてしまった。
太宰治 下段に 井伏鱒二 こうだ。
サブタイトルも何もない。
内容は太宰の死後、書かれたものだった。当然のことだが。
井伏鱒二は太宰に関する日記をつけていたそうで、それを
もとに几帳面に日付入りで出来事が書かれている。
立ち会った者しか知り得ない場の空気が濃密である。
煩わしさを感じさせないのは、井伏鱒二の軽妙な語り口で
それがどこか太宰に似ていた。
師弟関係とはいえ、文学上のというよりも世話役、後見人の
ような立場であった井伏から文学上の影響は受けていない。
太宰が好きだったのは芥川龍之介だったというから。
太宰好きの人が周辺に少なからずいたのは、太宰人気を
考えると不思議ではないことだが、自分はどうかというと
別に~という態度をとってきた。
理由を述べるのもいやなときは、別に~と応ずるのがいい。
太宰は好きである、ほんとうは好きであります。
他の太宰好きな人が公言してはばからない明るき信奉者に
たずねてみたいと今回しみじみ思った。
どうして、どこが、どのように、あなたは太宰を好きなのか、
思っていることを教えてほしいと。
そんなことはほとんど無理だろう。
代わりに、一人で妄想してみた。
太宰が生きていれば…すくなくともあの日から45年先まで
生きていたら、平成のバカ騒ぎを見ることになっただろう。
太宰はシニカルな顔で、若い頃よりもさらに毒を秘めた筆舌で
世間の人をひやかし、酒の話など雑文を書いている。
文化勲章辞退の言葉は、失格ですよ、とうに失格、ゴメンナサイ
とカメラの前でほくそえむ。
ノーベル文学賞ならいかがですか、という記者のアホな質問に
くれるのかい? と笑って応え、ぼくはがっこには行ってない、
失格です、と。
人なっこい笑い顔で、なのに近寄り難い。
長身の背が少し曲がった太宰だ。
もちろん、流行語大賞は、「失格です」となるのである。