想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

修繕の日々、屋根班。

2011-07-25 15:13:50 | Weblog

屋根塗り日和であった。暑いのを覚悟していたら薄曇り、ときおり
涼しい風が汗をかいた膚を撫でていく。
作業場兼物置、井戸小屋、二棟ある道場と一日半かけて塗り終えた。
作業前の二日は大雨が降り続いて屋根上のやっかいなゴミは押し流して
くれて、洗浄作業の面倒な手間が省けたのも幸いだった。

生活するとは年中の四季折々のやるべきことを一つづつ片付けて
いくことである。暮らしの手帳という雑誌があって暮らしの中の知恵
のようなものをちりばめた、いわば主婦の知恵袋のような編集である。
本屋には数年前から似たような趣旨の若い人向けの雑誌が数種類あって
例えばクウネルなど暮らしの手帳亜流が増えた。
それなりに需要があって、このごろの若い人は小さく生きるなあ、まあ
それもアリかと思っていた。本は売れないより売れた方がいいし‥。

若い頃には料理本も含めてかような類いを小馬鹿にしたものだ。
人生は修繕の日々であると気づいた時などは絶望的だと思ったし、
生活臭を嫌って包丁のないキッチン(ナイフはある)を当然だと思って
いた。
それが今ではどうよ、もう料理本もずいぶん増え、家庭菜園まで作る
ようになったのだから変貌ぶり著しい。「買うより直す」はあたりまえで
面倒だとは思わない。年代モノや中古が好きである。
生活に慣れ、暮らしを楽しめるようになったということだろうか‥?



こうなってようやく一人前ということで、と言いたいところだが、
それは言い過ぎで、七分目くらいであるなあ。
一生かけても一人前とはいかないだろうというのがうさこ的生活で
きっちりと暮らしの手帳のように小知恵をスクラップしたりはしないし
できない。
出来る人とそこが違っていて、七分のままでいいやとも思うのである。

いかに楽しいかそれが一番重要なので、しゃかりきにキチントさん風
を吹かすのは他に譲りたい。
そうなると一日でできるものが二日かかったり不完全であったりもする
けれども、それを承知でやっていて、大事なのはプロセス。
いつも何かを発見してそのたびにちょっと自分が大人になった気が
するのは、たぶんわたしは元来が生活派ではないからなのだろう。

生活に長けた人というのは一家に一人、嫁さんには欲しいが自分ではない。
うちには暮らし上手の犬がいるのでバランスもとれているし。
彼は二日前の鍼が効いて、ひさかたぶりに庭でくつろぎ、ゆるやかに老いを
楽しんでいる。シマコとともにカメにまとわりつく係を遂行中なのである。
餅は餅屋で、うさこは原っぱで。

人間は動物と超人のあいだにかかる橋であるとツァラトゥストラは言って
いて、それをヤマト的クジキ風に言い換えれば五常五行の人の道が神(超人)
への橋である。
橋の欄干に飛び上がったりぶらさがったりしながら、うさこはうさこの
まま、端っこから少しづつ遠のいてはいる。長い耳を洗ったりしながら。

コメント
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