想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

エスパーとあらびき団

2010-02-04 15:05:54 | Weblog
先週は正月からの雪が融けていたんだけど、黒土が見えていたのは数日だったな。


東京でも雪がちらついて、でも撮りたいような景色がないんだ。
事務所の近所を歩いて見渡せども降ったはずの雪は一晩で融けてしまって
こんな風な余韻。




やたらと多い美容室。その中でもダントツセレブリティーな匂いの店であるぞ。
匂いだけで中身は庶民的なようだが、なにせ一軒家なものでこのあたりでは目立つ。
エスパーって店名がどうもなー、エスパー伊藤を連想してしまうのはわたしだけか。
そうだろ、そうだろ、この辺を歩いていてエスパーにイトーをつけてしまうのは
少数派だろうなあ。っていうか古いなあ!古いついでに、そういえば……
吉本隆明にぞっこんらしい糸井氏も、もしや散歩中に連想しているかもしれないが。



いつも思うのだが、スノッブというのはなんでもないことを大げさに騒いで遊ぶ
人たちなのであるなあ。
吉本隆明特集を今、古本屋ではなく雑誌最新号でやるという感覚。
ネタがないのか、本気か。どっちであってもなんだかオサレじゃないなあ。
わかりやすすぎるし、ポピュリズムに堕すると消費されるわけで。

なんて言ってるわたしは「あらびき団」鑑賞がひそかな喜びです。
よいこは見ない粗挽き芸を鑑賞する水曜日深夜。見逃すとがっかりする
希少番組であります(わたしにとって)。
アホになりきった芸、テレとかシャイとかはそこにはありません。
気持ちいい抜けっぷりで。
レフトさんライトさんの鋭いコメントも容赦なくていいです。
おためごかしが多い世の中、鬱憤晴らししたい人は身体によいかも
です。テレビの前でセンターを自任して観るといいでしょう。

椿鬼奴がブレイクする前からキュートンをみていたよ~なんて自慢が
通じるのはあらびき団贔屓仲間だけね。よって仲間を増やすべく
知人らにはぜひとも水曜深夜TBSを視るようにと触れ回っています。
いまのところ見向きもされない、当然といえば当然ですが……。
マイナーな深夜帯のまま簡単にポピュラーにはならないで粗いまま
極まって終えてもらいたい。DVDでこっそり観て楽しむのがベスト。
ゴールデン帯には進出しないことを願うばかりです。





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ずーっと末法

2010-02-03 15:50:31 | Weblog
昨夜、テレビニュースで障害者介護切捨てのテロップが流れ、
そこに映し出されたのは元学習院大学教授の篠沢博士だった。
ニュースになったのは介護認定、障害者認定の申請を受理しない
という行政の対応が問題であるということで。
患者が有名人なので取り上げるというニュースバリューとの関係
を思うと同様に苦しんでおられる方が多いだろうと想像する。

期待した高速道路無料化もガソリン税撤廃も医療福祉の抜本的見直し
もなにもなく、民主党への期待はガラガラと崩れてゆくなあ。
長妻大臣はいまのところ言うべきことを言っているように見えるが
テレビに映る面やつれした姿はどことなく荒行中の菩薩を思わせる。

聖と俗の境が無い。みさかいがないという言葉のままの世情。
末法とはお釈迦様が亡くなって五百年を正法、次の千年が像法、
その次の万年を末法とするという仏教の説で、今は末法。
もうずーっと末法なんであるけれども、聖から遠ざかっているのは
時間ではなくて、人の心であるなあ。
求めているのは世俗の欲ばかり。

雪をかぶって歩けそうにみえる川面、この橋をわたると、俗から
少しずつ遠ざかっていけるんだもんね。
この先に奥に、歩けども歩けども五欲を満たすものはなし、なので
人を寄せつけず。良き可那。

雪景色がサミシイ人は↓の福顔をじっと見ていると和みますよ。


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福顔に目福

2010-02-02 09:01:20 | Weblog
障害に者をつけて障害者、そういう呼称に慣れてしまっているけれども
生まれながらのもの、後天的なもの、疾病による後遺症としてなど原因は
違っても身体の一部に不具合があれば障害者とみなすということだ。
差別だと批判もされるし、区別と言う人もいる。はたまた障害は個性だと
言い切って有名人になった者もいた。

わたしは障害者と声にして人を呼べるほど図太くない。けれども個性だと
言うのは偽善的な気がする。病を得たり故障があったりするのは不自然で
あることに違いない。ただそれを劣性と蔑むのが間違いなのだ。
具合が悪いのなら気の毒に思い同情する。同情が役にたたぬとしても。
しかしそれよりどんな人となりなのかに気がいってしまう。
身体的障害を個性と言ったにしても、人間性が歪んでいれば、それを個性と
済ませるわけにはいかないと思うから。

脳卒中で半身麻痺になってしまい左腕が自由に動かせなくなり、ろれつも
廻らなくなってしまっても父は障害者ではなかった。病人と呼ばれた。
リハビリをしても治らなかった脚、歩行困難であったがただの病人だった。
最後の1、2年間、言葉が不自由なまま亡くなったが看ていた母はその言葉を
聴き取り、ベッド脇で始終会話していた。
身内にとって、身体が不自由であることや脳の機能が通常と違っていたにしても
存在は存在、かけがえのない人であることに変わりない。
病気の後遺症で障害があり、障害者認定され障害者手帳を持っているならば
障害者か? いや、家族にとっては病人であり、行政的には障害者なのである。
一生病人であっても、正岡子規のような八木重吉のような詩人もいる。


盲目のピアニスト青年、ダウン症であるうら若き女性書家、賞賛される理由は
「障害があるのに素晴らしい」からではない。
その表現そのものに人が心打たれているからなのだ。無垢というのでもない。
不思議な力に圧倒されているのだ。
その不思議さは魂が人の姿を借りてそこにいるような存在のしかた、それが彼ら
の共通点のような気がする。
無垢とか純粋とかいうより強く大きく細やかなものだ。
なぜなら理屈抜きにアホな大衆をうならせ感動させ、クラシックファンでも書道
通でもなかった人々をその身体的特徴ではなく作品で魅了し、さらに生きる喜び
をも与えているようだから。

人は人に理解されるほど簡単単純ではないのだと思う。
人を人が知るには、神になるほかない。いや、神にはなれぬのだから神を知ろうと
するしかない。魂をうかがおうとするしかない。

障害を持つ人が障害のない人より持っているものは、何であるか。
見る力、これは見えないものを見るという意味で。
聴く力、これは聞こえないものを聴くという意味で。
伝える力、これは壁を越えるという意味で。
これらの力に気づくことができたら、生きる喜びは膨らむ。
体現した何かを形にして生み出そうとするや、その努力は便利な身体を持つ者以上
に酷である。とりまく世間という環境も非協力的である。だからたいていは日の目
をみることがないそれらの存在と表現。そのこと自体がすでに酷である。
存在理由まで問われ、それと闘わねば抹殺されかねない。
ひとたび光があたれば、ほとんどの人はその努力と健気さに己の怠惰を気づかされ
突然頭を垂れて拍手喝采、命の可能性に無意識に喜びが湧いてくるのではないだろうか。

厳寒の山中にて福顔のシマコ。
日々変わらないすがたに感心し猫より覚らぬ己と自戒したり。
猫に好かれたいと右往左往していても、人に好かれたいとは思わぬ。
それを不遜だと誤解されるやもしれないが、そしたらここは一階ですのに
とかブツブツと言い、ただ生きている、そういう人になりたいなあ。






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まんさくの花

2010-02-01 01:21:29 | Weblog
まんさくが花をつけた。
昨年春、宇都宮の宮司さんからいただいたたくさんの植木の中にあった一本だ。
まんさくの花が見たいと思っていたところへやってきたので、大変に嬉しかった。

「庭先のまんさくの花を愛でながら酒を飲む、旨かった」というようなお手紙を
弁護士の清水勇男先生からいただいて、わたしは名前だけしか知らないその花を
どうしても見たくなっていたのだった。
もっと大きな花弁を想像していた。
目の前のようよう開きかけた花は、時折花屋で見ても興味をそそらなかったソレであった。

清水先生は丁寧な、厳しい方である。
その先生が時々綻びたような昔がたりをしてくださって、でも決して崩れない綻びで
やさしいのだった。厳しさのなかに人を励ますものがあった。
まんさくの花びらは、剛毅な男のひとの本音みたいだなと思う。
冬から春へかけて咲く花は、どれも渋めの美しさで、興味をそそられなかった時のあたしは
きっとセカセカと歩いていたのだろう。

セカセカとしながら、たいしたこともせず、己の不始末を嘆いたり、そんなことだった。
そういう自己嫌悪を慰めてくれる黄色いほどいた糸のような花。
まだ咲き始めたばかりだから、しばらく楽しませてくれる。
「生きてきて、おめでとう。よく生きてきましたね、がんばってきたね。」という
清水先生のあたたかい声をなんども思い出すことだろう。





水の落ちる音がするので小川の縁から用心しながら降りてみた。
石のあいだに小さな滝を作って流れ落ちる雪解け水。
そばには新芽。

まだとても寒いし、再び雪が降るだろうけど、気持ちはもう春へ向かっている。



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