アルバム「帰らぬ兵士の夢」を聴いている。
'80年くらいに発売されたLPレコードである。
(発売元は音楽センター、プロデュース芳賀詔八郎)
『このアルバムは、フランス・シャン・デュ・モンド社より、
およそこの10年のあいだに発売されたシリーズ「世界の新しい
歌手たち」の中から「ヨーロッパ編」として一枚のLPに再編成
したものである。』(同アルバムライナーノーツより)とある。
東京から走ってくる最中、真冬さなかなのに道路も田畑も陽の
ぬくもりを含んでぼやけてみえた。晴天、空は青かった。
しかし、わが家の森はあいかわらず、というかあたりまえに真冬の
景色。山頂ふきんは雲に覆われ、雪がちらついていた。
根雪の上に毎日降り注いだであろう新しい雪で、数日前の足跡は
かき消され、静寂そのもの。気温は一段と低く夜には星が冴え冴え
と見えた。
こんな日にしか聴けない歌、こんな日に似合う歌が、このアルバム
には収められている。
ヴィソツキをはじめあまり知られていない欧州の、反体制の、歌う
詩人たちの声14曲。ひさしぶりにレコードケースから取り出して
今また、時代がこの歌たちを求めるようめぐりきたのだと思う。
反体制と一口に言ってしまえば、それは政治的スローガンのように
感じるだろうが、歌声はそんなに薄っぺらではない。
だからこそ響く力があり、ソビエト時代のヴィソツキのように地下
に隠されても次々に複製は人々の手にわたり広がっていった。
日本では新井英一がオオカミ狩りというCDで本格的に歌っていて
それはすばらしいが広く知られるにはいたっていない。
多くの人々は重い歌より軽さとやさしさと、華やかさばかりの方を
好むようだから。
シャンソニエであるいはライブハウスで流行の歌のようにまるで恋歌
のように歌われ、聴いているほうも阿呆面して赤ワインなぞはいった
グラスを手にしている。それを「平和でよろしいこと」であると、
言うべきか?同じ場に居続けるには忍耐がいる。
胸にひびくものはなく、しまいには嘔吐を覚え、立ち去るだけだ。
命の籠らない歌、それは言葉の羅列であって歌とは呼ばない。
'03のフランス映画のワンシーンで、時はドイツ侵攻下のパリ。
「ある者は砲撃の下にさらされて、ある者はいまこうしてワインを
飲んでいる、同じ夜に。これをどう思うか?」という。
片方は「それが人生、わたしはワインを飲んで、生きる力を得るのさ」
それに対して主人公は「それでいいのか、わたしは眼を閉じたい。
でも閉じきれないから半開きさ。そして行き交う人をそっと確かめる」
と言う。彼はレジスタンスに協力して闘った映画人である。
回顧録であるこの映画をわたしはそれほど真剣に観てはいなかったので、
タイトルを失念してしまった。テーブルを囲んで語る三人の顔だけ
眼にやきつき、その会話の意味は今この時代につきつけられていること
のようにも思うのだった。
米軍の戦車(空からではなく陸だ!)がイラク侵攻をいよいよ始めた時
わたしはそれをCBSテレビの中継で観ていた。
そのときと同じ、重苦しい胸の痛みを今だって解決していない。
世界の理不尽さよりも、わたしにはわたし自身の居方が問題なのだ。
おまえはそこで何をしている? という声がいつも聴こえる。
参考までにこのアルバムに収録されている歌手名を記しておく。
ロランティーノ(スペイン)
コレット・マーニィ(フランス)
ルイス・シリア(ポルトガル)
クロード・ヴァンシ(フランス)
ルイス・ヤッカ(スペイン・カタロニア)
フランセスカ・ソルヴィル(フランス)
フランシスコ・クルト(スペイン)
ベニート・メルリーノ(イタリヤ・シシリー)
エルンスト・ブッシュ(ドイツ)
ウラジミール・ヴィソツキ(ソビエト)