想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

1日30分‥浮遊する宇宙

2009-02-03 09:59:03 | Weblog
 瞑想、というと深呼吸して云々と知ったかぶりなことをたまに聞くけど
 ほんとに瞑想してんかい? みたいな~。

 で、只管打坐(しかんたざ)、座禅はどうかというと、こっちは永平寺に
 ツアーで行ったり他の禅寺でも真似事くらいはやらせてもらえるので
 いずれにしても、なんちゃって座禅なら誰でもできる環境にある。 

 なんちゃってじゃなく、ではちゃんと瞑想はどうか‥というとこれは
 難しいんである。
 ゆえに修行といえるわけで、カンタンなことが修行になるわけない。
 でも、それをカンタンにする方法をねずみ師に教えていただいた。
 早いはなしが受け売りですまんが‥‥ま、いつものことだが‥‥

 1日30分、ただ黙って座すのみ。
 そのあいだ、考えない。
 そのあいだ、全身これ耳となす。
 えー、ここで問題は考えないを考えるってことと、耳って何? ですね。

 耳、つまり聴く、です。
 何を? ではなく、ただ眼を閉じ、座し、思わず、聴く。
 聴こえるまで、聴く。
 観音とは、ひびきである、という話は前に書いたけど、ひびきを聴くってことよ。

 で、それがなんになるのか? という馬のツラに人参的な話をしますと、
 疲れきった現代人の前頭葉大脳が働くのをやめ、やめているあいだの30分間、
 自我やエゴは小休止しますね。
 つまり、その分長生きしますよー、というおいしい話です。

 修行はつらい、だがおいしい話ならば乗ってみようか、というのは
 わるくないと思うんだけど。
 そう軽く言われるとやる気がしない、そういうお方は人参など期待しないと
 思えばいいのですよ、ひたすら座しているだけの話です、1日30分、毎日。
 30分テレビを観ないで時間を作るとか、工夫して。
 ともかくやらないよりやってみれば、わかる。
 やらないと、始まらない。

 映画道元を観たり、高村薫の小説「新リア王」を読んで座禅なんてできないと
 めげちまった人も、もいちど人参につられてやってみると、いいかも~です。

 ちなみにうさこは20年前に始め、浮遊するラクチンを確認済みです。
 己がやっていないことは人に勧めない主義(やっていても事と次第では勧めないが)
 これが深い深い只管打坐、そして己の魂への入口です。
 魂に重力がないことを知り、また己がいかに重いかもわかります。

               ※ そろそろふるごとじゅくも、更新します。




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