想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

寛容の犬

2011-06-26 08:47:39 | Weblog

ラブラドールと暮らしてみて、それを一言で表すとすれば
寛容である。
争わず、待つ。待っているだけで考えないヨタロウ(落語)
と違って賢い。覚えがよく、活発である。

やさしい人といると、やさしくなれる。そう、やさしさは
感染するんである。それは犬の場合も同じである。
ヤカマシイ、吠えまくる犬に時々出会うと、そばにいる飼主を
見てしまう。だって犬は環境に応じて生きているから犬のせい
ではない。吠えている声が何と言っているのか、わかったら
困るのは人の方だろう、たいていの場合は。

でかい身体が静かに横たわっている日常はとても寛ぐ。
手のひらに乗るくらい小さな生きものも愛しいが、大型犬の醍醐味
は存在感である。小さい時はコロコロとして動くぬいぐるみ、
数ヶ月でのしのしバタバタと周囲をなぎ倒しながら大型化し、
ルールを覚えると行儀の悪い人よりもずっと暮らしやすい相棒に
なる。

覚えはとても早いので、しつけと上から目線で人は言うが、犬にして
みれば、言ってくれればそうするよ、である。
そうする、そうする、ぼくはそうするよ、こうだったね、かあちゃん、
教えられた通りにした後にそういう目線を送ってくる。
だからグッド!グッド!と返して頬をナデナデすれば了解してくれる
のである。そのくりかえしで、さまざまなことを覚えてくれた。
だから気まぐれに方法を変えてしまう人は、つきあう犬にしてみれば
迷惑でしかない。

小型犬がキャンキャンと抱かれた腕の中で吠えているのを見上げて、
ベイビーが瞬間に具合が悪くなった、めまいをおこした。
何を感じたのだろうか? あのマルチーズは何と言っていたのだろう。
鳴き声に耳を傾けないのは、人語でいえばシカトである。
いや、ただ鈍感なだけなのだろう、シカトというのは積極的な対応の
一つだったな‥。



東京での住まいの隣の住人がたまにしか会わないのであるが、
ある夜の散歩ちゅう、向こうは帰宅途中らしくたまたま会って、
立ち話になった。
ベイビーのことを会えばかわいがってくれるお姉さんだ。
この前、鳴き声がして、珍しいなと思ってたんですよ、元気に
してた? とベイビーを撫でながら言った。

たぶん、それはババア問題で帰宅が3時間近くも遅れてしまった
夜のことではないかと思った。
心配しながら玄関のドアを開けたら、いつも以上にひょうきんな
元気な顔をしたベイビーが立っていて、わたしを見るや部屋へ
とって返しぬいぐるみをくわえて戻ってくる、いつものお迎えの
儀式をしてくれたのであった。心配はいっぺんにふっとんだ‥。

あの夜、待っていた時、もしも鳴き声をあげて、隣家に聞こえる
ほど鳴いていたのだとしたら‥。身体の変調はすでにあの夜から
あったのだろうかとも思う、今頃思ってもしかたのないことだが。

人であったなら、なじったりすねたり、後々まで愚痴ったりして
遅い帰りのわたしを責めたりするかもしれないが、じっと待って、
会えばいつもと同じ、いやそれ以上のかわいい顔しか見せない。



長生きしてくれて、だいぶくたびれてきたベイビー。
いつまでもわたしが君に甘えていて、やさしくしてもらっていて。
もう、じいちゃんなのに前と同じことを君に要求してはいけない。
ゆったりとボケて好き勝手してていい、それに気づくのが遅かった
のを、君が年齢より若く見えていつまでもイケメン犬だからなんて
言い訳してるアホなおっかあであるよ。
人は老いるのを恐れるからできるだけ若くみたがるんだな、君は自然
のままにいるのにな。りっぱな本格的老犬だっつうのに。

君が我慢したり、ムリをしたり、無理したあげく具合が悪くなったり、
そういう犠牲を払ってくれて、わたしはようやく気づく始末だ。
寛容に甘えているんだなあ。

モーロクじいちゃんでも、頭におできができたんでもなんでもいい。
来週にはキチッと判って、対処できるだろうと思い返しながら、再び
思案する。思案などする必要はないのに、思う。
思うことは抵抗なんであるとわかっているけれど、思っている。

いずれわかることをどうにか今わかりたいという気持ちが先走って
調べまくって、疲れてようやく生の君を振り返った。
君自身をみたほうが、資料や情報をみるよりわかるんだよなあ‥。
深夜、君の寝息を聞いて、少し気持ちを落ち着けたんだった。

朝から君は昨日伝えたとおり、やってくれている。
歩く場所を変え、おしっこをする場所もウンチをする場所も新しくして
なのに覚えてくれ、順応してくれて助かるよ。
もう前みたいに道路を歩くのは危ないからね。

今朝は頭は痛くないのかい? だいじょうぶかい?
昨日よりはっきりとした目をして、だいぶ元気が戻ったんだね。
声をかけるといくぶん軽くなったからだをすり寄せて、うん、と
答えてくれた。
理解されることがうれしいのはお互いさまで、その源は寛容である。





コメント
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