墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

兼好法師

2006-04-09 22:21:22 | 駄目

 『徒然草』を書いた作者には、「吉田兼好(よしだ けんこう)」の他に「兼好法師(けんこう ほうし)」という呼び方がある。

 「兼好法師」の「法師」ってなんなのだろう?
 法師は、『西遊記』の「三蔵法師」だとか、『耳なし芳一』の「琵琶法師」なんかで有名な例のソレで、ようするにお坊さんの事だ。

 ところで、「法師」とは仏教のお坊さんに対する尊称であるのだが、お坊さんそのものを指し示す場合にも使われた。
 「法師」は、現代語で言うなら「先生」という呼び名と似ている。

 学校の先生の正式な職業名は「教員」である。「先生」は職業名ではない。
 例えば、学校の先生がレンタルビデオ屋の会員になる時。職業欄に自分の職業を記入しなきゃいけない場合は『学校の先生』なんてには、まずマトモな先生なら記入しないはず、「教員」と記入するだろう。
 「先生」はあくまで基本的には「尊称」で、他人がその地位にある人を尊敬して用いる言葉だ。だけど、教職につく人達をカンタンに指し示す場合にも「先生」は使われる。
 吉田って教師がいたら、当然に生徒はその人を「吉田先生」と呼ぶだろう。
 そして、昼の職員室で弁当食ってんのは「先生たち」だ。

 現代風に例えて言うなら、「法師」とは「先生」である。
 法師の正式な職業名は特定できないけど、「僧」か「仏僧」あたりが適当だろう。
 そもそも僧には、座りが悪いけど正式な個人名なんか本来ない。「釈迦の弟子のだれそれ」としか言えない連中なのだ。名前すら捨ててる連中の本名を問題にするのすら馬鹿らしい。

 だから、『西遊記』の「三蔵法師」がレンタルビデオを借りる時は、「玄奘三蔵」と名のるべきで、「三蔵法師」と名のるなら、自分で自分は「三蔵先生」だと言っているのに等しい。たぶん、マトモな僧なら自分で自分を「法師」とは名のらないはずなんだけど、調査不足で確証はない。

 だから、「兼好法師」という呼び方も、じつは「吉田兼好」と同じで、あくまで他人からの「呼び名」なのだ。

 じゃあ、『徒然草」の著者を現代の我々はなんと呼べば良いのか?

 好きに呼べばいい。
 「吉田兼好」でも「兼好法師」でもマルだ。

 ただ、それじゃあまりに乱暴なので、正解らしき事を言うなら「兼好(けんこう)」と名のっていた僧が『徒然草』の作者だ。
 でも、それはそれだけの話で、だから『徒然草』の作者は「兼好」だとも言い切れないのが古典の辛いところ。書いた本人が自分をなんて呼んでもらいたかったのかが、すっかり抜け落ちている。 


銀河旋風

2006-04-09 15:07:27 | デジタル・インターネット

 パソコンテレビの GyaO で、一昔前のアニメ『銀河旋風 ブライガー』を楽しみに観てたんだが最終回を迎えてしまった。当時本放送中の俺は小学生で、知ってはいたが「ブライガー」はまったく観ていなかった。小学生の夕方は忙しいのだ。

 いや、なかなかいい作品だった。エンジェルお町役の麻上洋子の声がかなりいけてていける。「古代くん」の森雪しか知らなかったが、ブラスター・キッド役の塩沢兼人とあわせて意外な熱演。

 1981年の作品で、すでに四半世紀も前の作品だと思うと驚く。山本正之とか金田伊巧などの古いアニメファンには懐かしい名前も並んでいて、当時は観ていなかったんだけど、素晴らしい作品だ。


あおぞら銀行 安全性でマックPCに変更

2006-04-09 11:52:34 | Mac
リンク: Sankei Web 経済 あおぞら銀 安全性でマックに PC端末、夏までに変更(04/09 08:22).

 いやいや、なんだか最近の Mac はインンテル入って計算速度だけでなく売り上げまで加速度的ですな。最新の Mac じゃ Windows も走るって言うし、もはやそこまでいくと、そのマシンは Mac なんだか Windows なんだか良く分からない。
 
 ただ、Mac の安全性は今のところ神話でしかない。Windows 並みにユーザーがついて、Windows ほどの脅威に襲われないかぎりは、Mac の本当の安全性は確認できない。


日曜の朝

2006-04-09 10:44:07 | 日常

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 以外にさわやかな目覚めで目を覚ました。今朝は晴れて暖かい。

 今日は休みなので散歩に行こう。

 まだ、しつこく桜は咲いている。せっかく咲いたんだ。そう潔くあっさりと散り行くこともないだろう。

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 今朝は風もなくおだやかな朝。道を歩いていたらモンシロチョウを見かけた。あー春なんだねぇと春を感じる。無数の細かい羽虫が顔にまとわりついてくる。

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 矢川緑地の池を覗き込んだら、おたまじゃくしがウジャウジャ大量発生していた。

 おたまじゃくしのウジャウジャぶりは毎年春になると必ず見かけるが、必ず思うのは、こいつらを、おたまですくってずずっと飲み込んだなら、どんな喉ごしだろうかということだ。細かい生物が群れているのを見ていると、可愛いような気色悪いような不思議な感覚に襲われる。

 まぁ、なんにしろ春だ。


快眠は無理

2006-04-09 01:34:34 | 無理
 酒を抜いて快眠をめざしたが、快眠どころか寝れそうもないので、近所の酒を売っているコンビニでビールを買ってきた。
 今は酒を飲みながらこの作文をタイプしている。
 快眠をめざし夜の9時過ぎに寝床に入り、すぐに寝ついたのだが、すぐに目が覚めた。起きたらまだ10時で、1時間も寝ていない。
 コレはいけないと再び睡眠を続行。
 今度は11時に目が覚めた。またもや1時間も寝ていない。

 俺は、真性の嘘つきなので、このブログの作文には平気でウソをタイプする。

 そもそも、本当を言うと、快眠の為に酒を抜きたいなどとハナから思っていたわけではない。実際は、単純にただ酒を抜きたかっただけなのだ。

 快眠うんぬんというのは、話を面白くする為の真っ赤なウソである。
 ただ、今朝めざめた時に首筋に激痛がはしったのはマジだ。俺はこの痛みに恐怖した。ぶつけたり切ったりして痛いのなら、原因はすぐわかる、痛いだけでこわがる事はなにもない。
 だが、正体不明の痛みは死ぬ程こわい。とゆーか、死ぬんじゃないかとビビってしまう。
 うちの親父はたぶん深酒が原因で脳の血管が切れて入院したことがある。
 今じゃ飲んでもいないのにロレツがまわらない。たぶん同じ血をひいているはずの俺にも脳の血管が切れやすいという欠陥があるはずだ。
 それで、頭痛というものを人一倍おそれてしまう。

 目覚め前に首筋に激痛がはしった。
 首の筋がつった事による痛みだとは思うのだが、なんにしろネボケているうえに体の中の事なので、確かに首の筋とも言い切れない。
 首筋の激痛を味わいながら、コレが筋の痛みではなく、血管の痛みだったらどうしようと本気で怯えた。

 だから、今夜は酒を抜こうと思ったのだ。
 一晩でも休肝日をつくれば最善とまではいかなくても、善処はつくしたかなと思える。

 アルコールなんていう、本来は必要のないものを摂取し続ける事に対する恐怖は当然にある。
 ただ、この恐怖を自覚しているので「アルコール依存症」にはならないだろうと自負している。「アルコール依存症」には、酒を飲む事を自分は心のどこかで怖がっているなという事さえ自覚していればならずにすむと思う。
 残るは体力勝負だ。体がもう酒を受け付けないのに飲み続けるなら、体はぶっ壊れる。その危険信号をどのように察知するのか。できるのか。
 なんであるが、コレは正直むずかしい。
 とゆーか、どこまで飲んだら壊れるのか良くわからん。

 だから、朝起きたら原因不明の激痛が!
 となると、飲み過ぎかと疑い怖れを抱く。

 だが、酒を飲む事を怖がりながら飲んでるヘタレとか思われるのもしゃくなので、ついついいらない修飾をしてしまう。

 まぁ、なんにしろ飲まないと俺はやはり眠れない。飲まないと寝れない理由はまたそのうちに。
 おやすみなさい。